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今年の7月が例年になく涼しかったので酷暑の8月はより暑く感じられた。老人には堪える夏だった。ペットボトルのお茶やスポーツ飲料をがぶ飲みしたし、普段はほとんど飲まない炭酸飲料も良く飲んだ。たまたまスーパーの棚で見つけた懐かしのドクター・ペッパー、10年ぶりに飲んだファンタ・グレープ、そして久しぶりの瓶のコカ・コーラなど。新卒で入社した広告代理店でコカ・コーラ社製品を担当し、その20年後にペプシ・コーラで仕事をしたことを飲みながら思い出した。

ドクター・ペッパーは日本ではコカ・コーラから販売されているが、もともと同社の製品ではないアメリカ第4位の競合ブランドだ。当時の東京コカ・コーラボトリングなど3社が日本コカ・コーラに造反して1970年代に製造販売を始めた。販売前から大量のティーザー広告を流したことを覚えている。インディアンが大地に耳をつけてこちらに向かって疾駆してくる蹄の音を聞いているシーン覚えていませんか? ジングルは「ジュースじゃない、コーラじゃない。ドクター・ペッパー」でしたね。販売エリアが限られていたことや日本人があまり好まないチェリー味ベースであったこともあり、一部の熱狂的なファンがいるもののアメリカほどメジャーにはなれなかった。日本コカ・コーラは対抗するために味がそっくりなミスター・ピブを発売し広告サポートをしたがこれも短命に終わった。こちらのCMソングはカントリー調で「帰ってきたのさ 素直なひととき 自分に帰るのさ」で始まったと記憶している。

ファンタは最も飲んだ炭酸飲料だ。大学時代に銭湯で湯上りに飲んだのはいつもファンタだった。銭湯代が32円なのにファンタが35円とはなんだか納得できないと思いながら飲んでいた。飲むのはいつもグレープ味でこんなうまい飲料はないと思っていた。確かコカ・コーラが年間30億本くらい売れている時にファンタはそれより約1割多く売れていたはずだ。当時のCMのキャッチは「僕のファンタ飲んだのはだーれ?」で10年近く使われた。グレープを飲むと舌が少し紫色になった。その後三重大学の先生がファンタの着色料を問題視しファンタ・グレープでセーターを染める実験まで本に載せてから売り上げが下がり始めた。メーカーも着色料を変えるなどしたが自販機のファンタが退色するなどの事件もあり低迷が続いた。2020年3月に果汁13%のファンタ・プレミアグレープが発売されヒット中なのは久しぶりにうれしいニュースだった。でもなかなか製品を店頭で見つけられない。
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新入社員の時に上司から「これ読んでおきなさい」と一冊の新書を渡された。タイトルは忘れてしまったがコカ・コーラについての本だった。ドクター・ペンバートンがコークを作った経緯や特徴的なロゴの出自などが書かれていたがその他いくつかが記憶に残っている。①コークのユーザーの多くは年配者だ。第二次大戦の戦場で疲弊してキャンプに戻ってきた兵士を冷えたコークが待っていた。つい先ほどまで生死の線上にいた彼らにとって冷えたコークは単なる清涼飲料水ではなかった。そこまでしてくれたことを国に戻っても忘れない彼らは年をとってもコークのロイヤルユーザーであり続けた。②コークのボトルはコンツァーボトルと呼ばれ当時の女性のスカートを模したとも言われるが、開発のコンセプトは暗闇で触ってもコークと分かることだとされている。そういえばファンタボトルには波が何層にも付き、スプライトのボトルには小さなイボイボが付いていた。同じ発想なのだろう。③戦後アメリカ製品がどっと日本に入って来たとき三つのCが日本製品を駆逐すると言われた。最大の脅威はCoca-Colaでサイダーなどは消滅すると思われ同業者はコークを買っては製造コストが高いボトルを全部割ったそうだ。しかしサイダーもラムネも生き残った。もう一つのCはColgateだが、これもライオンや花王は頑張って勝ち残った(初期のJV花王コルゲートが失敗したせいもあるが)。


最近はPETボトルばかりで瓶コーラに出会わないし(瓶の方がおいしいのに)、真夏なのに今年は広告も少ない。昔は良かったとは言いたくないがあの頃の輝きは失せつつある。おまけに今日コカ・コーラ社は事業部門を半減し少なくとも世界で4000人の希望退職を募ると発表した。輝きは失せたのかもしれない。



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