記憶に残っているテレビ番組 (2)

先日ジェリー藤尾の訃報を読んでいたら関連記事でひと月前に中嶋弘子も亡くなっていたことを知った。中嶋弘子は老衰で95歳、ジェリー藤尾は肺炎で81歳だった。中学生の頃毎週楽しみに見ていた「夢であいましょう」を思い出した。ジェリー藤尾は準レギュラーだったが中嶋弘子は初代MCだった。ファッションデザイナーとのことだったが彼女がデザインした服を見たことは一度もなく、素人が司会をしているという印象しかなかった。
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「夢であいましょう」、通称「夢あい」は1961年から5年間放送されたNHKの音楽バラエティ番組である。その3年前に日テレで草笛光子の「光子の窓」というバラエティ番組があったが、小学生の自分には良さが分らなかった。草笛光子中心の「光子の窓」と比べると黒柳徹子、坂本九、EHエリック、デュークエイセス、坂本スミ子、ジャニーズなど多彩なレギュラー陣にダンサーやジャズバンドが加わり、毎月「今月のうた」コーナーがあって越路吹雪、森山加代子、渥美清、北島三郎、弘田三枝子などが出演していた。ジェリー藤尾もこのコーナーで歌った「遠くへ行きたい」がヒットして歌手としての地位を固めた。
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放送時間は土曜の夜10時からという遅い時間帯で、家族は眠りについた時間だった。受験勉強をしているふりをしていて起きていた私は10時になると居間に行きボリュームを最小にして番組に見入った。30分の生番組だが永六輔と大倉徹也の構成でテンポよく画面が切り替わり、コントに唄、トークとダンスがうまくミックスされていて都会的で洗練されていた。今でも十分通用するクオリティだと思う。この頃個人的には坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾、九重佑三子などマナセプロ所属の歌手が好きだったことも番組を楽しみにしていた理由である。当時のマナセプロにはその他にも水原弘、山下敬二郎、ダニー飯田とパラダイスキング、渡辺友子などがいて最も有力なプロダクションだった。その後創業者である曲直瀬夫妻の長女の渡辺美佐と夫の渡辺晋が起こした渡辺プロダクションの後塵を拝することになってしまうのだが。

「今月のうた」からは「遠くへ行きたい」以外にも「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」、「おさななじみ」、「帰ろかな」などのヒット曲が生まれたし、ジャニーズのデビュー番組でもあり、その後の日本のバラエティ番組の原型ともなった。現在残されている何本かのビデオを見ると生番組ならではの緊張感と躍動感が感じられる。テレビの強みは即時性で、生番組でそれが一番活かされるのだが、最近はニュースとワイドショー以外はほとんど録画になってしまってすこぶる残念だ。

番組は三木のり平、谷幹一、渥美清らの芸達者が支えていて生放送ならではのハプニングもうまく処理していた。その芸達者たちも、永六輔、中村八大、坂本九の六八九トリオも、弘田三枝子や森山加代子も、エンディングテーマを歌っていた坂本スミ子も、越路吹雪も、EHエリックと岡田真澄の兄弟もみんないなくなってしまい、こんどはジェリー藤尾と中嶋弘子が鬼籍に入ってしまった。懐かしさと寂しさが一緒に来たけど、しょうがないよね。番組が始まったのだちょうと60年前なのだ。番組をワクワクしながら見ていた中学生も後期高齢者になろうとしているんだもの。



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