マーケティングの仕事をしていたから新製品や新カテゴリーに興味を持つようになったのか、新奇物への好奇心が強かったからマーケティングの仕事に進んだのかは分からないが、昔から新しいものが好きだった。
1974年に新入社員として入社した広告代理店の媒体局では計算の仕事が多かった。まだ計算器が一般的になったばかり(ある部長の席には手廻し式の計算機があった)で社員にはキャノンの卓上計算器(蛍光表示管!かつ電源コード付き)が一人に一台が与えられていたが、新入社員の分はなかった。計算のたびに先輩に借りるわけにもいかず、自宅からシャープの電池式計算器を持って行った。そろばん型の横長形状で計算結果が3桁ごとに表示されるのでじれったくて仕方なかった。個人で計算器を持つ人はほとんどいなかったので周りの人から呆れられたのを憶えている。
数年後マーケティング局に配属されコンピューターを扱うことになった。そのときの機種はSEIKO S-500だったが、計算機とは勝手が違う。大学は二つ行ったけれど両方とも文学部で機械音痴なので途方に暮れた。二進法の本を読んでもチンプンカンプン。コボルやフォートランも齧ったが使い物にならない。IBMのRPG IIの講座に2週間通い多少は覚えたが実務には使えない。コンピューターアレルギーがあるのでこれを除くのが最善ではなかろうかと考えた。つまりコンピューターを購入して自宅で使えばなんとかなるのではないか、と。
当時の日本ではNECのパソコンが主流だったが、日本独自のOSだったし外資系勤めなのでアメリカ製が良いのではと米市場を調べたらアップル、タンディ、コモドールの御三家が市場を席巻していた。新宿駅の近くにタンディラジオシャックの店があり初めてパーソナルコンピューター(当時はマイコンと呼ばれることが多かった)というものを見た。機種はTRS-80という8ビットのマシンでソフトは一切なく、BASICという言語で自分でプログラムを書かねばならなかった。何冊かの書物を読みプログラミングを憶えて娘のためのゲーム(シューティング、お絵かきや足し算など)、仕事用の回帰分析、広告の効果予測や販売予測モデルなどを作り始めた。
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1974年に新入社員として入社した広告代理店の媒体局では計算の仕事が多かった。まだ計算器が一般的になったばかり(ある部長の席には手廻し式の計算機があった)で社員にはキャノンの卓上計算器(蛍光表示管!かつ電源コード付き)が一人に一台が与えられていたが、新入社員の分はなかった。計算のたびに先輩に借りるわけにもいかず、自宅からシャープの電池式計算器を持って行った。そろばん型の横長形状で計算結果が3桁ごとに表示されるのでじれったくて仕方なかった。個人で計算器を持つ人はほとんどいなかったので周りの人から呆れられたのを憶えている。
数年後マーケティング局に配属されコンピューターを扱うことになった。そのときの機種はSEIKO S-500だったが、計算機とは勝手が違う。大学は二つ行ったけれど両方とも文学部で機械音痴なので途方に暮れた。二進法の本を読んでもチンプンカンプン。コボルやフォートランも齧ったが使い物にならない。IBMのRPG IIの講座に2週間通い多少は覚えたが実務には使えない。コンピューターアレルギーがあるのでこれを除くのが最善ではなかろうかと考えた。つまりコンピューターを購入して自宅で使えばなんとかなるのではないか、と。
当時の日本ではNECのパソコンが主流だったが、日本独自のOSだったし外資系勤めなのでアメリカ製が良いのではと米市場を調べたらアップル、タンディ、コモドールの御三家が市場を席巻していた。新宿駅の近くにタンディラジオシャックの店があり初めてパーソナルコンピューター(当時はマイコンと呼ばれることが多かった)というものを見た。機種はTRS-80という8ビットのマシンでソフトは一切なく、BASICという言語で自分でプログラムを書かねばならなかった。何冊かの書物を読みプログラミングを憶えて娘のためのゲーム(シューティング、お絵かきや足し算など)、仕事用の回帰分析、広告の効果予測や販売予測モデルなどを作り始めた。
当時の価格はPC本体(CPU)とキーボードが13万8千円、CRTモニターが3万8千円位だった。月給が手取り10万強の時でクレジットカードでそれを払うのが精一杯で、数か月ごとに記憶装置(最初はカセットレコーダー!)やプリンターと追加をしていった。帰宅後にプログラムを作り週末にデバッグする毎日だった。計算は遅く、回帰式を入れてリターンキイを押し風呂に入って出てくる頃に答えが出る。記憶媒体のテープレコーダも音量が適正でないと記録も読み取りもできないし、CRTは当然モノクロでドットは横で256しかなく、なだらかな曲線なんか描けない。14万8千円もしたラインプリンターはとんでもなく大きな音を出し深夜にはプリントアウトできず朝まで待つ始末。何年か後にVisiCalc(世界初の表計算ソフト)とフロッピーディスク(3.5インチでなく5インチ版)が発売されたときに大興奮したことを憶えている。こんな機器に軽自動車が買えるくらいの資金を投資したことを考えると、現在のPCの価格はとんでもなく安いし技術の進歩はすごいなあと老人は思う。
ひょっとしたら自分の考え方や仕事の仕方を変えるのではなかろうか、そのための投資であれば高くはないと考えてトライしたパソコンは正解だったが、そのあとに買ったワープロ(シャープの書院)は30万位したのに液晶が小さく記憶媒体も不備で使い物にならなかった。これは後日PCにワードパーフェクトやワードが入ることによって解決されはしたが。いつしかコンピューターアレルギーは消え、その後IBM、デル、ゲートウェイ、ソード、HP、レノボ、ASUSなど12台を使い現在に至っている。こうなるとコンピューターはもう生活家電と呼んでよい存在だなあ。
ひょっとしたら自分の考え方や仕事の仕方を変えるのではなかろうか、そのための投資であれば高くはないと考えてトライしたパソコンは正解だったが、そのあとに買ったワープロ(シャープの書院)は30万位したのに液晶が小さく記憶媒体も不備で使い物にならなかった。これは後日PCにワードパーフェクトやワードが入ることによって解決されはしたが。いつしかコンピューターアレルギーは消え、その後IBM、デル、ゲートウェイ、ソード、HP、レノボ、ASUSなど12台を使い現在に至っている。こうなるとコンピューターはもう生活家電と呼んでよい存在だなあ。
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