子供のころから広告が好きだった(7)

昭和30年代の中ごろお年玉や小遣いを貯めてテープレコーダーを買った。周りにテープレコーダーを持っている家はなかったと思う。確か1万数千円したので子供ながら清水の舞台から飛び降りる決断だった。ソニーは1951年に一般用製品を売り出し、裁判所や小学校を皮切りに浸透させ、本格的に家庭に売り込みをかけたころだった。
夕方に電器屋のおじさんが配達してくれて茶の間で使い方の説明が始まった。デモテープが一巻ついていて廻すと音楽が流れだした。

とっても可愛い坊やだな
どこから来たのと聞いたらば
僕は空の子朝日の子
光と一緒に飛んできた
ソニーソニーソニー
S-O-N-Y SONY
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マスコットのソニー坊やのテーマ曲だ。おじさんは次に録音の仕方を説明し、なにか話せと石鹸箱サイズのマイクを私に向けた。なにを話せばいいのか分からないのと声を撮られるのが恥ずかしいので黙っていると、突然父親が夕刊を音読し始めた。再生すると確かに父親の声だったが、本人はちょっと違うという顔をしていた。最初のIt's my SONYだった。当時トランジスタラジオが大ヒットし、テープコーダーという名称で家庭用テープレコーダーを本格発売し始めたソニーは日の出の勢いだった。

その後も学生時代の4畳半の下宿には父親から奪い取ったマイクロテレビがあったし、会社員になってからは5年の勤続表彰でもらったウォークマンで音楽を聴く毎日だった。日本を代表する家電メーカーで、高品質の自負からかテレビや音響製品など大抵競合品より値段が高かった。でも、あの頃身の回りにはいつもソニー製品があった。
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最近はソニーが軸足を他の領域に移したせいもありSONYの4文字にお目にかかることが少なくなった。うちの中を探してみたら大枚をはたいて買ったテープレコーダで録音したテレビの音楽番組や「夢で逢いましょう」、ラジオドラマ吉永小百合の「お父さん!大好き」などのテープと、カナダ時代に会議の内容を確認するために使っていたマイクロカセットコーダー、飛行機の中で音楽を聴くときに使っていた初期のノイズキャンセリング・ヘッドフォンくらいしか見当たらなかった。

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かつて日本の首相がフランスを訪れた時、当時のド・ゴール大統領が「日本からトランジスタのセールマンがやって来た」と言ったことがあった。ソニーはその頃の日本の勢いを象徴する会社であり製品だった。日本が元気のない最近、ソニーのような会社、井深さんや盛田さんのような起業家、技術者や経営者がまた出てこないだろうかと老人は期待しているのですが。



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