子供のころから広告が好きだった (26)

子供の頃わが家の台所には大きな電蓄が置いてあった。レコード(SP!)を聴くことはほとんどなくもっぱらラジオとして使われていた。大相撲中継や「ヤン坊ニン坊トン坊」をよく聞いていたが、今でも時々思い出すメロディがある。

トリローサンドイッチ トリローサンドイッチ トリローサンドイッチ トリローサ~ンドイッチ

1956年から中部日本放送(CBCラジオ)で流れていた番組の内容は覚えていないがこの軽妙なイントロの旋律だけはしっかり頭に残っている。鶏郎なんて名前は当然知らなかったのでサンドイッチの一種だと思っていた。彼の名前を知るようになるのはずっと後のことだ。「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」などの歌謡曲や日本最初のCMソング「僕はアマチュアカメラマン」も鶏郎の作曲だ。あの頃のCMソングの大半は彼の作詞作曲ではなかっただろうか。楽曲も流行歌とは一線を画す軽快なものが多く、よくラジオで流れていて母親も口ずさんでいたのはこんな曲だった(記憶だけで書いているので間違っているかも)。

僕は特急の機関手で 可愛い娘は駅ごとに
いるけど三分停車では キスする暇さえありません
東京 京都 大阪 う~う~う~う~ ポッポ

歌詞のなかにキスなどという言葉が入ることは稀有な時代だったし(接吻のほうがポピュラーだった)当時住んでいた名古屋は日本第三の都市で特急も止まるのに何故東京の次が京都なのか。東京 名古屋 大阪だろう、と思っていたのでよく覚えている。
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冗談音楽やコントで有名になった三木鶏郎だが記憶に残っているのはラジオおよびテレビ黎明期のCMソングの数々だ。作詞及び作曲した曲だけでも相当の数だ。多分数百曲に及ぶと思う。かつ競合など完全無視で、医薬品ではポポンの歌、ノーシンの歌、ジンジン仁丹、パント錠の歌、くしゃみ三回ルル三錠、アスパラで生き抜こう。百貨店なら高島屋、松坂屋、大丸、丸井。石鹸でも花王、輪が三つのミツワ石鹸、牛乳石鹸よい石鹸。「明るいナショナル」を作れば、「ぱっとついた日立」も作曲している。親しみやすい旋律と諧謔精神に富みながら育ちの良さを感じさせる歌詞が特徴だと思う。

年配者であれば「カ~ンカ~ン鐘紡」「一粒で二度おいしいアーモンドグリコ」「家中でみんなキリンキリン」「ジンジン仁丹ジンタカタッタター」はそらで歌えるはずだ。そのうえ中村メイコ、楠トシエやなべおさみ、三木のり平、左とん平などの歌手や俳優を育てただけでなく、野坂昭如、永六輔、キノトール、小野田勇などの作家まで何人も誕生させている。実弟の三木鮎郎も音楽評論家で昔は「スター千一夜」や「11PM」の司会での柔らかい声を憶えている。トリローは今のジャニーズ事務所や吉本興業のような放送業界での影響力を持っていた。それもたった一人で。
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反骨精神も旺盛で時の政権をチクリと批判するコントや歌を書いていくつかの番組を打ち切られたりしている。この辺りは永六輔や野坂昭如に引き継がれていた。1994年に80歳で他界。

特急の機関手の唄は147番まであるらしいが、若かりし森繫久彌が唄う5番の名古屋編はこんな歌詞だった。

名古屋にお城はあるきゃあも 金の鯱あるきゃあも
守口大根細長く 彼女のあんよに似るきゃあも
東京 京都 大阪 う~う~う~う~ ポッポ
(歌詞も他と比べてウィットに富んでいなくて、名古屋が入っていないのはやっぱり気に入らない)



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