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子供のころから広告が好きだった(11)

父親と母親は時々口げんかをした。時として男のロジックは女の感情のひとかけらに敵わず、旗色が悪くなった父親は私に向かって「出かけるぞ」と言って外に出る。無言で名鉄に乗り山王で降りて中日球場に行くのが常だった。当時近鉄も準本拠地にしていたので毎日のように試合があった。父は中日ファンではなかった(と思う)。火の玉ドロップの荒巻、打者では山内、葛城、榎本などの名前が良く出たので毎日オリオンズのファンではなかっただろうか。後年関西に単身赴任し甲子園口に部屋を借りてからは熱烈な阪神ファンになった。会社のチームのピッチャーをしていたので野球そのものが好きだったのだろう。
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球場に行くといつもバヤリースオレンジを買ってくれた。これが一番の楽しみだった。家には米屋が届けてくれるタケダのプラッシーがケースで置いてあったが瓶の底にたまったプチプチが苦手だった。「リボンちゃん、リボンジュースよ!」のリボンは球場にはなかった。バヤリースの広告の印象はほとんどない。チンパンジーの広告が始まるのは数年後のことだ。

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こうして球場通いをしているうちにすっかり中日ファンになった。日本一になった日本シリーズも球場で見た。今でも天知監督のもと(投)杉下(捕)河合(一)西沢(二)井上(三)児玉(遊)牧野(右)原田(中)本多(左)杉山のラインナップを思い出せる。特に西沢道夫が好きで打席に立つ前バットで右の靴を二度、左の靴を二度コンコンと叩く仕草を真似していた。

大きくなるにつれ野球からは遠ざかり、ロッテとの日本シリーズに敗れてから中日の試合は見ていない。いま思い出すのは中日球場の騒がしさと、父親のひざの上で見ていた時に興奮してバヤリースをこぼしてしまい前の席のサラリーマンのワイシャツの背を染めてしまったバヤリースのあのオレンジ色と相手の顔、そして息子の代わりに一生懸命に謝っている父の顔だなあ。



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