社会に出るのが遅れたので33年間のサラリーマン人生だった。全部で6社、海外への出向を含めると7社ですべて外資系企業だった。30代、40代、50代各2回の転職経験だ。一番長く務めた会社が15年、短いのは11か月。事業やブランドを売却・譲渡して会社が解散し退職した会社が2社。望んで外資を選んだのではなく、26歳で大学を出ると当時は日本企業は就職試験さえ受けさせてくれず、残された道はマスコミ関係か外資しかなかった。

外資と言っても入ってみれば外人は上のほうに数人いるだけで従業員の99%は日本人の会社がほとんどだった。下っ端のころは会社とはこんなものだろう、外資も日本企業も違いはないだろうと思っていた。マーケティングに配属されブランドを任されるようになると責任を感じるようになり、若くして巨額の広告費を使えるようになると売りが上がらなかったらどうしようと少し不安だった。最初にブランド担当を経験した会社のマニュアルにはこう書かれていた。

「プロダクトマネジャーは担当製品の利益を短期的には最適化し、長期的には最大化するマーケティング計画を策定し、実行することが責務である」

社内では一応花形部署ではあるが販売目標や利益目標未達が続くと会社には居づらくなる。多分この点が外資と日本企業の大きな違いかもしれない。当時景気が良かったこともあるが外資のプロマネの平均勤続年数は3~5年だったと思う。実績を上げて他社で高いポジションに就く人もいたが、いられなくなった人も多かった。かつて外資と内資両方の証券会社経験者の友人が「投資するんだったら外資系証券会社にしたほうがいい。ファンドのリターンが悪いとすぐ馘だからね、必死だよ。その点日本の会社は優しいからね」と言っていたのも同様な理由だろう。

製品を発売するときにはなぜこの製品を世に出すのか、製品コンセプトは何か、消費者にはどんな便益があるのか、競合品と比べてどこが優れているのか、そしてそのエビデンスは、などを分厚い書類にする。発売後3年間の販売予測とP&Lを添付し、万が一計画通りに販売が進捗しなかった時に利益目標を達成するためにどのようなアクションがとれるかを書く。その書類をアメリカ本社に送り、彼らの細かい質問に答えた後、やっと市場導入のOKが出る。当然機動性は日本企業より遅く、市場機会を逃すことも多い。

市場調査もマストで製品導入前の味覚テスト、パッケージテスト、広告テストなど調査会社から見ればいい得意先だったと思う。日本のことも日本人の嗜好もよく知らない本社の人間が判断をするので、彼らに何%の消費者がこの味を好むとか、購買意向率は何%で再購買意向は何%だとか必要以上の調査をして説得せねばならない。広告はもっと面倒で当時アメリカで主流だったslice of life(日常生活シーンの中での製品使用を訴求)やテスティモニアル(一般人やタレントが製品を手に持ち利点を訴え推奨する)広告から見ると異端のようなユーモア広告やタレントを使用した認知をあげることが主眼の広告はストラテジーから外れているとクレームがつく。15秒が中心の日本ではアメリカ流は無理だといっても納得しない。結局何本ものアイデアをテストしてやっと決着がつく。テストを繰り返すたびにアイデアのとんがった部分が丸くなり当初のユニークさは消失する。

マイナス面もあったが外資ならではのプラス面もたくさんあった。まずマニュアルがしっかりしている。マーケティングだけでなく営業や他の部署でもマニュアルが存在する。ファストフード業界でもアルバイトを即戦力にしサービスや製品の品質を均等化するためにマニュアルがあるが、たいていの外資には世界中共通のブランドマネジャーのマニュアルがある。英文で書かれてはいるが用語の定義から、仕事の進め方、市場分析から始まり販売予測の方法、予算管理やマーケティング目標の設定、ブランドプランの書き方まで含まれている。生産性のあげ方、コミュニケーションの取り方、創造性をあげる方法、部下のトレーニングやモチベーションの改善法まで書かれている。前の会社でこの会社出身の上司の下で働いていた入社したばかりの同僚が「あの人のプランや書類の書き方がすごいと思っていたが、なんだこのマニュアル通りじゃないの」といった言葉が忘れられない。
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マニュアルは一冊ではなく、販売促進マニュアル、調査マニュアル、広告マニュアルから書式マニュアルまで揃っていて困ったときはこれさえ読めばなんとか格好がついた。知らないうちにすこぶるオーソドックスなマーケティング知識が身につくようになっていった。文学部卒でマーケティングなど知らずに仕事を始めた私のような人間には特にありがたかった。ここで覚えたマーケティング手法と前職時代に叩き込まれた広告効果の予測および測定方法の知識があれば転職してもしばらくは飯が食えるなと思った。まだ30代だった。



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