マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2019年09月

前回10年間使ったパナソニックの食洗機のことを書いていて、前の食洗機はパナソニックだったかナショナルだったかおぼろげだった。調べたら2008年に松下電器からパナソニックへ社名変更している。同時に白物家電に使われていた「ナショナル」ブランドも「パナソニック」に切り替えられた。わが家にある洗濯機、空気清浄機とテレビの一台はパナソニックだが、2台のエアコンはナショナル、アラウーノもナショナルブランドだ。海外市場や白物以外の家電はそれ以前からパナソニックブランドで売られているから、我が家で十数年使っているVHSデッキ、SDマルチカメラのブランド名はパナソニックだった。

英語でNationalは国家主義者のような印象を与えるので、海外市場ではPanasonicを使ってきた松下電器の社名変更は創業90年目の大変革だった。それまで国内市場では革新的な洗練された非白物製品には「パナソニック」を、伝統的または家庭的な白物製品には「ナショナル」と二つのブランドを使い分けてきた松下電器がグローバル企業を目指すという宣言でもあった。(当時その2ブランド以外にTechnicsというオーディオ事業ブランドもあった ー 2014年に復活)

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Nationalが誤解を与える可能性があるのでPanasonicに社名およびブランド名変更をしたようなものだが、同じようなことはアメリカでもいくつかみられる。日本ではKentucky Fried Chickenが社名だがアメリカではFriedが油や高カロリー、肥満を想像させマイナスイメージを与えるので短縮されて常にKFCと表現されている。同様にFederal  ExpressはFederalが連邦主義や連邦主義者を連想させるので短縮したFedEx Corporationが正式名となっている。

こうしたネガティブに受け取られかねない社名を変更する例は日本でもある。ニチアスはかつては日本アスベストという社名だったが、アスベストによる健康被害問題や訴訟が起こり1981年に社名を変更した。ネガティブというわけではないが帝人は1962年に帝国人造絹絲(株)から、東レとクラレは1970年に東洋レーヨン(株)と倉敷レーヨン(株)からそれぞれ社名変更している。強度や環境問題もあり化学繊維に押されてレーヨン(人絹)は生産されなくなり人絹やスフ、レーヨンという言葉も忘れ去られつつある。今風でないというならキヤノンもその一例かもしれない。以前は精機光学研究所という社名で、日本初の精密小型カメラの試作機に千手観音からヒントを得てKWANONと名付け、これが後にCanonというカメラのブランド名になり、その後1969年には社名になってしまった。
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フェイスブックは世界で23億人の月間アクティブユーザーを誇る最大のSNSで(2019年4月現在)、日本でも2800万人のユーザーがいるのだけど最近は少し活気がないように思われる。周りを見ても登録したもののほとんど投稿しない人、退会した人、投稿回数激減の人が結構多い。調べてみると、登録者こそ減ってはいないが訪問者は微減している。若い人、特に15-24歳が激減し、25-44歳のアクティブユーザーも減っている。伸びているのは45歳以上の中高年層のみ。

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2018年に起きた個人情報流出時に離れた人が相当数いたし、若者の間ではフェイスブックは老人のSNSとみなされるようになってしまった。アメリカなどでも就職活動時に過去のフィードを消して採用にマイナス影響を与える情報を消し有利に採用を勝ち取ろうとする人が多いと聞く。実名登録SNSはフェイスブックの強みでもあったが、こうした場合には弱点になりかねない。

で、若い人たちは何処に行ったのか。日本に特有な現象だけれどLINEとTwitterが伸長し、それにInstagramもユーザーを増やしている。LINEは日本で最大のSNSで部分的にはメールの代替となっている。Twitterは世界では減少中だが、わが国ではいまだに成長中。

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Instagramはユーザーが3300万人とファイスブックの2800万を超え、LINE、Twitterに次ぐ勢力となった。全年齢層で伸びているが特に15-24歳と25-34歳層で顕著だ。写真中心で長いキャプションを書く必要がなく叩かれる確率も低い。フェイスブックから逃げ出してInstagramに移動したとも考えられる。最近はInstagramでも24時間で消去されるストーリーズへの投稿率が上がっているのは、投稿はしたいが足跡を残したくない心理の表れかもしれない。

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じゃ、老人はどうするのだろうか。仲間が沢山集っているのはいまだにフェイスブックだし、新しいSNSを覚えるのも面倒だし、暫くはこのままでいこうと考える人がほとんどだろう。還暦を過ぎてから急増する同窓会の告知にも便利だし、最近とみに増えた訃報を伝達するのにも重宝だ。

それにしてもこういう調査データがほとんど64歳とか60代で打ち切られているのはなぜなのか。65歳以上の意見や使用実態は不要なのだろうか。ま、確かに先は長くはないのだけれど、と人口や消費量的には無視できないであろう世代はやっかみながらデータを見つめて考える。



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子供のころから広告が好きだった(9)

サラリーマンの家庭にも昔はけっこうな数のお中元やお歳暮が来た。たいていはみかんの缶詰、石鹸、味の素の詰め合わせだったり豊年製油セットだったが時々変わったお中元もあった。

記憶に残っているのは、飛行機に乗ったことのある人など周りには皆無だった時代に航空便で北海道から送られてきたすずらんの花束。開けるといい香りがして母親が喜んでいたのを覚えている。しゃれたことをする人がいるものだと子供心に思った。

もうひとつは瓶に入った茶色の液体。家族のだれもなんだかわからず暫く放っておかれた。冷やして飲むことすら知らなかったので日本で製造が始まった1957年から「コカ・コーラを飲もうよ、コカ・コーラを冷やしてね」の広告が始まった1962年の間だと思う。暑い夏の縁側で一人で恐る恐る栓を開けた。茶色の液体は噴きこぼれてあたりに散らばり中身の三分の一は無くなった。残った液体は水薬の味がして一口でやめた。

1962年以降春から夏にかけてコカ・コーラの広告は大量に流れ、フォーコインズ、ジミー時田、加山雄三、ピンキーとキラーズ、ワイルトワンズ、フォーリーブスが、70年代に入ると赤い鳥、西郷輝彦、朱里エイコ、布施明、森山良子、かまやつひろし、ビリーバンバンがCMソングを歌っていた。どれも映像が素晴らしくて庭で遊んでいても広告が始まるとテレビの前まで走った。今は亡きティナ・ラッツが出ているCMが好きだったなあ。「コークと呼ぼうコカ・コーラ」のCMだけは「コークって?」と当時意味が分からなかったが、その十数年後社会人になって初めて配属された部署は「コーク・リエゾン」と呼ばれていた。

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飲み始めたのは大学に入り下宿生活で銭湯通いをした頃。おいしかったけど銭湯代が30円で湯上りのコーラが35円はなんだか納得できなかった。コーク・リエゾンではメディア・プランも作ったが、テレビ局に送るCM素材指示表(進行表)を書く時間が一番長かった。コンピューターもなく数人で全88民放局宛の6枚カーボン用紙に一日数時間力を込めて「コカ・コーラ檀一雄ファミリー編・15秒・改」などと書いていた。(檀一雄ではなくデビューしたばかりの檀ふみが主役)。おかげで今でも右中指はすこし曲がったまま。

楽しい職場だったし学ぶことがたくさんあった。この経験があったから後年ペプシ・コーラで働く機会を得ることができた。ま、11カ月後にサントリーにマスター・フランチャイズ権を買われて失業することにはなるのだけれど…

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今ではコークやペプシを飲むこともほとんどなくなった。たまに無性に飲みたくなるが、瓶から飲みたい。どうして瓶製品をもっと売らないのだろうか、おいしさが全然違うのに。レストランやバーでしかお目にかからない。この辺りだとモトマチに瓶の自販機が一台あるだけ。



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子供のころから広告が好きだった(6)
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花びらのタッチ スコッティ

ベルベットタッチ スコッティ

チュチュ姿でピルエットしながら歌っていたのはアメリカ留学から帰ってきたばかりの松島トモ子でした。「アメリカではどのご家庭でも…」と皆があこがれていたアメリカ的生活をチラリと見せるような広告でしたね。鼻をかむと顔がヒリヒリするチリ紙しか知らなかった日本人からみるとびっくりする柔らかさで箱に入っているのも驚きでした。「こんなんで鼻かんでる国に勝てるわけはないなあ」と言った大人の言葉に妙に納得したものでした。

毎年夏になると流れる「ミネラ~ル麦茶」のCMや「ライオンに襲われた女優」として知られる松島トモ子の子供時代の人気はすごいものでした。前回楠トシエのCMソング占拠率(?)が6割くらいあったのではと書きましたが、松島トモ子の当時の少女雑誌表紙占拠率は8割くらいある印象でした。「少女」の表紙モデルを10年間続け、他の少女誌だけでなく「平凡」「明星」の芸能誌、「小学六年生」などの学習誌の表紙にもあの大きな瞳と愛くるしい笑顔で毎月のように登場しました。残りの2割を小鳩くるみ(今では大学教授!)、古賀さと子、近藤圭子、渡辺典子などが競っていたと記憶しています。

雑誌の表紙だけでなくラジオやテレビでも彼女の歌がよく流れていました。歌を歌い、数十本の映画に出演し、芝居もして、バレエを踊り、かつ学校の成績はいつもオール5という記事がよく芸能雑誌や少女誌に載っていました。当時一番のマルチタレントでした。今でいうと芦田愛菜と橋本環奈を足したような存在でしたね。
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そのティッシュペーパーはあっという間にチリ紙を駆逐して家庭の必需品となり、今では5箱パックが200円強で売られるようになりました。オイルショックの頃セブンイレブンでひと箱200円(それも2枚重ねが100組の計200枚つまり今の半分の量しか入っていなかった)で買った記憶がある自分には信じられない価格です。山陽スコットのスコッティと十条キンバリーのクリネックスが市場を席巻していたのですが、日本の製紙メーカーも参入し価格競争が激化したようです。その後アメリカでも日本でも製紙業界では合併が相次ぎ、今ではクリネックスとスコッティは同じ会社から発売されています。つい数か月前両製品を買ってはじめて気づきました。迂闊でした。

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