マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2019年10月

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新しいアイデアや提案に否定的な反応をする60の理由。

いくつかは時々使ったことがあります。例えば

いいねえ、じゃまずコミティかタスク・フォースチームを作ろうか
もうちょっと現実的に考えようか
予算はあるの?
前例がないよ
上司のOKが出ないんじゃないの?


自戒の念を込めて。



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ちょっと漠然としていますが、退職にあたり私が外資系企業で30年働いて学んだことを思い
つくまま羅列します。

自分のキャリア目標を持ってください。10年後に何をしていたいのか。そこから遡って5年
後は、3年後は。そのために
今自分がしなければいけないこと、習得せねばならないスキル・
知識は何なのかを考えてください。弱点を矯正するに
は時間と苦痛が伴います。今もってい
る自分の強みをさらに強くするようなプランを作ってください。


毎年(実際に使うかどうかは別にして)履歴書を書き直してください。そうするとこの1年間
で自分が何をしたかが明快になります。これは一種の自分史です。そのうちレジュメに書け
るような仕事をしようという発想につながります。また、これを繰り返すと自分の強み・弱
みがはっきり見えてきます。

サラリーマンなんてたいしたものではない、会社なんて、今やっている業務なんて・・・
という発想も大事です。違う道に入っても何とかしていける、何とかなるという腹のくくり
方・楽観主義も必要です。ひとところ(部署・会社)に長くいようと思うと、大きな成功を
望むより小さな失敗をしないようにという保守・保身に走る傾向が生まれます。そのために
も外で通用するエリア・強みが最低ひとつ、できれば二つ必要です。

人間の後悔には二種類あります。“あの時あれをしていれば自分の人生は違っていたかも”
という非行動後悔と、“あの時は馬鹿なことをしてしまった”という行動後悔です。最初の
後悔は一生続く後悔です。二つ目のは苦笑いを伴うがあとを引きずらない後悔です。経験と
学習というボーナスもついてきます。最初の後悔だけはしないようにしてください。結局、
人生は選択の連続です。何かを選ぶということは何かを選ばないということです。選ばなか
ったものをいつまでも振り返っていては駄目ですよ。

人のネットワークは大切にしましょう。人間一人でできること、経験できることは限られて
います。他人の経験から学び、それを疑似体験できれば(ここが大事!)人生経験の幅は広
がります。友達は大事にすること。とくに彼または彼女が困っている時には。また、我々は
百科事典にはなれません。しかし、百科事典の索引にはなれます。これは彼に聞いたら分か
る、あれはあの人に・・・というネットワークができたら楽になります。
                                         

聞き上手になってください。話し手(上司・部下・仲間)の疑問や不安の70%は話すことに
よって解消・解決されることがほとんどです。コミュニケーションの基本は聞くことだと私
は思います。聞き上手にはもうひとつの意味・意義があります。開発にしろマーケにしろ、
一種の職人芸です。耳を傾け聞きながら教わり、そして相手から一流の技術を盗むことは最
高の教育です。与えられたことから学ぶことはあまりありません。

どんな仕事をするのにも好奇心は絶対に必要です。いろんなことに興味を持って試せること
は試してみること。私がサラリーマンになったとき言われたことは、ベストセラーは目を通
せ、流行っている映画は見ておけ、流行の曲は聴いておけ、毎週買い物を自分でしろ(いま
何がいくらかを知る)でした。今世の中がどう動いているのか、自分の製品を買ってくれる
人、使ってくれる人はどんなことに興味を持っているのか、どんな行動パターンをとるのか
が分からなければ良い仕事はできません。

自分の発想パターンを作ること。問題があれば現状分析から入り、何が本当の課題なのかを
まず明らかにする。その課題が解決されればどんな便益が生まれるのかを示し、課題を解決
するための阻害要因となっているバリアは何なのかをいくつか挙げる。そのバリアごとに取
り除く方法を複数考える。その方法のプロ・コンを挙げ、必要とされるコスト・労力・時間
を推定し、重要度と緊急性を勘案してプライオリティをつけ、最初に取り掛かるアイテムを
決定する。このパターンで私はやっています。

無駄な仕事は省く。すべての作業にプライオリティを付ける。プライオリティはMagnitude
(インパクト)の大きさと緊急性の二軸でマトリクスを作り順序付けする。当然Magnitude
が大きく緊急性の高いものに高プライオリティを与えます。あとは、目的を達成できる最小
努力ですむ方法を考える。私がよく使うたとえ話は、ポスターを貼るときに裏面に均一にの
りを塗るとちょっとでもずれてしまうと張りなおすのは面倒だが、四隅をピンで留めるだけ
でも目的は達せられるし、直すときも簡単です。

メモを書くときは簡潔に。まず結論または自分のリコメンデーションから始める。必要に応
じて背景を説明する。次に提案の詳細とラショネールを述べる。あとは数量・期間・コスト
などの数値化できる情報を加える。他に考慮された選択肢とそれらが採用されなかった理由、
考えられるリスク(もしあれば)に触れ、最後に次のアクションステップと誰がいつ何をす
るのかの記述。これを癖にしておくと楽です。

楽天家であること。いろいろ悩むことも必要ですが、一般的に楽天家のほうがよい仕事をし
ます。コンサバに考えて控えめなプランを作り、もっと金を使うべきだったと後で後悔する
よりも、大きな計画を作ってサポートも十分にした方が、万が一失敗しても“打てる手は全
部打ったのだから”と考えられて後悔も少ないし、学ぶことも多いはずです。

外資系で生き抜くために英語はコミュニケーション手段として必要ではありますが、あくま
Convenient LanguageであってCommon Languageではありません。外資での共通語は、数字
とロジックです。誰もが納得できるロジックを打ちたて、それを数字で裏打ちし強化できる
ようにプレゼンや説明ができれば、英語がそんなにできなくても問題ないケースが多いと思
います。

私のモットーの、Fair, Share, Careは昔お話ししましたよね。人に対しては公平に、持って
いる情報・知識は人にも分け与える、深入りしない程度に面倒を見てあげる、です。つまり
人にはやさしく。実践できているかどうかは自信がないけれど。
 

思いつくまま書きましたが、こんなことしか思いつかなくてごめんなさい。


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ほぼ毎日食料品を買いに出かけますが、スーパーもコンビニも老人ばかりです。特にコンビニの客の老齢化が進行しているらしい。日経のコンビニエンスストア調査によると来店客に占める60歳以上は約20%で6年前の11%と比べるとほぼ倍になる一方、20歳以下は23%から14%に激減している。店に行くと老人ばかりが目立つはずです。

日本フランチャイズチェーン協会のデータから計算すると、全国5万5743店のコンビニの日販平均は47万8000円、一日当たりの客数は772人、一人当たりの購入額は620円となります。
35年くらい前の日経ビジネスにコンビニ5万2000店上限説と言う記事がありました。うろ覚えの要旨は、平均的な客は週に2回コンビニに来店し一回735円の買い物をする。日販50万を確保するためには50万円割る735円で、毎日680人の客が必要とされる。週に2回の来店なので680人x3.5(7日割る2)=2380人の固定顧客が必要となる。当時の日本の総人口割る2380は5万2000なので、これを超えると一店当たり2380人の固定顧客および50万円の日販を維持できないとうのがその根拠でした。当時東京や大阪の中心部では一店当たりの固定顧客が800人台の地域もあり過当競争が始まっており淘汰が始まるだろうと予測されていました。
2023-04-21
予想は外れ既に店数は5万2000を超えていますが、これは宅配便を取り扱うようになったり、ATMを導入したり、公共料金の支払いやデリバリー、コーヒーメーカーを置くようになったコンビニ側の勝利なのでしょう。ただ来店客数は人口減以上の減少傾向にあり、特に若者が減っているので老人頼みが続くとコンビニも曲がり角に直面するのかもしれません。コンビニと同様に2000人以上の固定顧客が必要と思われていた業種にガソリンスタンドと薬局がありました。ガソリンスタンドはは25年前6万店を超えていたのに現在3万店を切っています。消防法の改正や高齢者の免許返納、経営者の高齢化、エコカーの普及もあるのでしょうが若者の車離れも大きな要因でしょう。同じころ3万8千店だった薬局が5万9千店に増加しているのは医薬分業の進行、シニア人口増による医療費の伸長、利益率の高い調剤薬局の増加(特に大手チェーン)、食料品や日用品も扱うドラッグ店の増加(薬局のコンビニ化、生鮮ドラッグ)などが理由として挙げられるでしょうが、伸び率は縮小傾向にありやがて店数は半減すると予測する業界人もいます。

コンビニ業界にも本部への上納金の大きさ、労働力不足による24時間経営の破綻、ECサイトの伸長、後継者問題など不安要素はあるでしょうが、ガソリンスタンドでの消防法や薬局での医薬分業のようにひとつのきっかけで大きく市場が上にも下にも変動する可能性はあります。どちらにせよConvinienceの名の通り便利なコンビニであり続けてほしいなあと老人は思うのです。



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先日まで2年間わが家のテレビには視聴率メーターがついていました。ビデオリサーチのではなく、シングルソース・パネルと呼ばれるテレビの視聴状況、ネットのサイト接触状況、毎日の買い物をバーコードスキャンする家計簿調査の三つを同一サンプルで調べ、情報接触と購買行動の因果関係を探ろうというものです。写真の右下にあるのがリモコン受光器とルーターです。青いランプが私、赤いランプが家内が見ていることを表します。見ているチャンネルは5チャンネル。全ての情報はルーター経由で調査会社に即時送られます。昔の視聴率調査は週一回調査会社がパンチテープを回収に来たり、深夜3時ころ自動電話回線で送ったりしたものですが、すごい進歩です。
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2年で終了と言うことは毎月24分の1づつサンプルを入れ替え、入れ替えに伴うデータの変動を最小化しながら2年で全サンプルを構成し直すためです。(ちょっと前に問題を指摘された厚労省の勤労統計調査もこのように少しづつサンプルを入れ替えていけばよかったのに。)サンプルローテーションをちゃんとしているこの調査会社はまあ信用できます。大手でも10年以上ローテーションしないで同じサンプルパネルからデータをとっている会社もありますから。

それとも調査が終了したのは70歳以上の高齢者のデータが不要なのでは、と考えたりもします。私は数社の調査モニターに登録していますが、最近年齢や職業(無職)を入れるとそこで終了する調査が多くなりました。もうデモグラフィックだけでは消費者を捉え切れないし、この年代は団塊世代を中心に人口的にも無視できないボリューム層でもあり、大金はなくとも小金は持っていて購買行動も比較的活発な世代なのにね…
調査会社の人は、ネット調査などに参加している高齢者は妙に過敏で代表性に欠けるような気がすると言います。確かにわが家のメディア接触と購買行動もも母集団から少しずれているかもしれないけど。



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子供のころから広告が好きだった(10)

トン トン トマト まっかっかのカゴメ
坊やのほっぺも まっかっかのカゴメ

まだ社名が愛知トマトの頃から始めたCMソング(創業時は愛知トマトソース製造)。これも歌っていたのは楠トシエだった。たしか3番はこう終わっていた。

カゴメ カゴメ 明日も天気
母さん呼んでる 夕ご飯
チップチャップケチャップ ランランラン
ジュースもソースもカゴメ

家の裏の空地で夕方まで三角ベースをしていると、母親が「ご飯よ~」と叫んでいたのと重なるのでよく憶えている。確かに名古屋ではケチャップもソースもカゴメだった。

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トマトジュースはドロッとしていて好きではなかったが、槙みちるが歌うカゴメのイメージソング「トマトジュース乾杯」というレコードを買ってから少しずつ飲むようになった。「若いってすばらしい」のヒットを持つ同い年の初期アイドルは引退してスタジオミュージシャンになり、ジャスやスタンダードを今でも歌っている。数年前寺尾聡のバックコーラスをしているのをみて相変わらずの歌唱力と声量にちょっと感動しましたね。

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上京して関東ではブルドックソースやキッコーマンが強いのを知り、関西ではイカリソースやオリバーソースが市場を席巻していると聞いたが、ケチャップとトマトジュースはどこでもカゴメが圧倒的だった。最近はスーパーでカゴメブランドの生トマトまで売っている。アスタキサンチンとならぶ抗酸化物質のトマトリコピンが注目され業績も順調らしいが、トマトだけではいかんと思ったのだろうか、少し前の日経の見開き広告は「トマトの会社から、野菜の会社に」がヘッドコピーだった。

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子供のころから広告が好きだった(8)

日本で最初のラジオ広告は1951年に中部日本放送(CBC)で流れた精工舎の時報広告でした。2年後には最初のテレビ広告が日本テレビでオンエアされました。これも精工舎の時報広告でした。初めのころは60秒でしたが、だんだん短くなりそのうち15秒の時報広告が全民放局の全時間に流れるようになりました。「精工舎の時計が午後7時をお知らせいたします」プッツプッツプッツ ポ~ン。

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働き始めてしばらくしてRoad Blockingという手法を聞きました。全局の同じ時間を買って民放を見ている全世帯にCMメッセージを一度に届けるリーチ(広告到達率)を最大化する方法です。実行するのが難しく効率も良くはないのですが、昔セイコーがやっていたなあと思ったものです。

個人的にはシチズンのテレビCMが印象に残っています。アニメ広告で、歌っていたのはやっぱり楠トシエでした。

シチズンCちゃん窓の中
時計の小窓の窓の中
シチズンCちゃんこう言った
お腕の時間は引き受けた
姿もすっかり引き受けた
時計のことなら引き受けた

キャラクター全盛の時代でナショナル坊や、ソニー坊やと並んでシチズンCちゃんも人気者でした。中学に入るときに買ってもらった初めての腕時計はシチズンだったし、そのあと買い換えたのもシチズンでした。当然手巻きで、当時としては珍しい目覚まし付きでした。ちいさなハンマーがケースを叩き、音と振動でアラームになるという面白い時計でした。時計をすることもなくなり、去年ネット・オークションで売ってしまいましましたが・・・(買ったときより高く売れました)

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約20年前のうろ覚えの話です。米ペプシコは100周年を記念してロゴの変更を予定していました。それまでの赤の土台にブルーのPEPSIを乗せたロゴから、青地のバックに赤・青・白の三色で描いた地球のような円形ロゴへの変更でした。日本サイドでは翌年の導入に向けての新ロゴ告知プランの目玉として画期的な案がありました。月にペプシの丸い新ロゴを投影しようというものでした。レーザーを使えば可能で、業者に機材も予算も確認済みでした。新月の日を選んで投影すれば鮮やかに月がペプシのロゴに化けます。日本だけでなく近隣の国からも見ることができます。当然のことながら神聖な月を汚したと非難もでるでしょうが新ロゴ認知はそれ以上にあがります。コカ・コーラとの1:9のシェアがペプシマンCMの成功で少し改善された時期で、さらに弾みがつくのではと期待されました。
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しかしその数か月後にサントリーが日本におけるペプシ製品のマスターフランチャイズ権を取得してペプシコーラジャパンは消滅しこのプランは流れてしまいましたが、久しぶりに胸高ぶった計画でした。翌年サントリーは宇宙の旅プレゼントキャンペーン(2001 Space Tour Pepsi)を実施しましたが、何年か先の宇宙旅行より月面ロゴの方がインパクトは大きかったのではないかと今でも思います。やりたかったなあ。1997年の話です。

結局サントリーは宇宙の旅を実行することができず、かわりに5人の当選者には現金1000万円(当時の賞金の上限額)を支払って決着したとのことです。

(下のロゴが旧ロゴです)
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下記の映像はYouTubeで見つけた2012年にイランで撮影されたと言われるものです。合成されたものっぽいですが実際に投影するとこんな感じになるのだと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=eWx214mQ3To

https://www.youtube.com/watch?v=eWx214mQ3To



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なぜクロレッツは14粒なのか。

糖衣に決めたあとは粒のサイズを決定しなければいけません。とりあえず参考にしたチクレット(1箱12粒入り)は長辺18ミリ、短辺13ミリ、厚さが7ミリ弱でした。これを12粒縦に並べてモックアップを作りました。なんだか美しくない。それに店頭で隣に並ぶであろうグリーンと比べるとあまりにボリューム感がない。ロゴが載るパッケージ前面は幅19ミリでグリーンの21ミリと比べると貧弱すぎる。少なくともパッケージ幅を同等にするためには粒の長辺を20ミリに広げる必要がありました。

次に短辺を決めるのですが、長辺を20ミリに固定し6種類の短辺でモックアップを作り直し、最終的に12ミリに決めました。長辺をたった2ミリ大きくするだけでパッケージの印象はガラッと変わりました。これなら戦えるかもしれない。後で考えるとこの粒のサイズはほぼ黄金分割でした。落ち着きが良いはずです。(が、この長方形は工場サイドから見ると糖衣コーティング工程で割れ欠けがでやすいのでロスが多いと言われました。マルカワの10円ガムのような球状が最も糖衣コーティングしやすいのです。)

しかし主要な販売チャネルとなるであろう鉄道売店での陳列を想定し縦に並べてグリーンの横に置くと、前面は同じサイズになったものの側面が薄くなり高さ8.4センチとグリーンより1センチ背が高くても弱々しく見えました。相手は当時7枚入り60円で売られており、こちらは100円の価格を想定していました。67%のプレミアム・プライスを正当化するには厳しいボリュームです。残された手は粒数を増やすことだけでした。

こうして14粒に決め新製品会議に諮ることになりました。味も消費者テストの結果も問題なかったのですが製造原価が高すぎると社長が言い出しました。糖衣故の製造効率の悪さ、包装機の償却費、アルミ使用などによる包装コスト増加のため当時の自社製品の平均原価率より10%、最も原価の高かったメントスより数%、原価率優等生のトライデントより20%近く高かったと記憶しています。社長の言い分は、クロレッツはまず広告でコンセプトを売り込まねばならず、十分な広告費を捻出するためには原価率を事業部平均くらいに収めなければならないというものでした。

これ以上下げることは現状では困難だと説明すると、14粒でなく12粒にしたらどうかと提案がありました。12粒では店頭でのプレゼンスが悪くなること、グリーンとの価格差を考えるとこれ以上小さくするとセールスが見込めないと答えると、では一粒減らそう、一粒なら大きさにも影響しないだろうと譲りません。苦し紛れに13粒では縁起が悪い(これは結構外人には効きます)、それに男性は一度に二粒噛むので偶数にしたい、14粒であれば7回噛めてグリーンの7枚に対抗できるなどと思いつきを述べてやっとのことで承認を取ることができました。

クロレッツ発売後に競合社がほぼ同じ粒サイズ、同じ14粒の個包装でのスティック包装で商品を出したときに、我々も真似されるようになったんだ(特にリーディングカンパニーから)と皆で喜んだことを憶えています。

(下のパッケージは新発売時のものです)

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組織で真の変革を起こすために必要な5要素(Vision, Skills, Incentives, Resources, Action Plan)と、その一つが欠けたらどうなるかを簡潔にわかりやすく示した図です。例えば他の4つが揃っていてもVisionがなければConfusionが起こります。Resourcesに欠ければFrustrationが生ずる、という具合です。
逆からみれば(右から)現状の問題は何が欠けているから起きているかが分かります。組織メンバーがフラストレーションを感じているのはリソースが足りないから、混乱が見られるのはビジョンが無いもしくは浸透していないから、などです。



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https://www.youtube.com/watch?v=Uy9yd1bLftY&fbclid=IwAR22sXGP-WRPgB2ShG0gK0Q62ozZ1SYP_GfSrNcMH9xarraUio4k-Mfxc1c

クリックするとCMが見られます


子供のころから広告が好きだった(3)

森永の広告が記憶に残っている。これも社名も製品名も入っていないが誰でも森永の広告と分かる。

誰もいないと思っていても
どこかでどこかでエンゼルは
いつでもいつでも眺めてる
ちゃんとちゃんとちゃんと
ちゃちゃんと眺めてる

やさしくて暖かくて良い広告だと思う。昔はモノクロのアニメだったが見つけたのはカラー版。グリコ・森永事件の後、会社存続の危機にこのCMに立ち返ったのは、この広告が森永魂を表しているからなのでしょうね。

森永でも乳業のほうのCMソングも好きだった。夕方の番組の前に入っていた。やはりモノクロのアニメーションで、丘の上で草の上に座った少年が空を見上げている。

マ ミ ム メ 森永 流れ雲
青いお空の牛乳よ
バ ビ ブ ベ 坊やも眺めてる
マ ミ ム メ 森永 流れ雲

記憶だけで書いているので違っているかもしれないが、画面はモノクロだったが真っ青な空に白い雲が浮かんでいて、それが流れて牛乳のように見えたことは未だに覚えている。ああ、そうだ、あの頃は瓶入りの牛乳が毎日配達されてたのだった。自転車の荷台で瓶がぶつかってカタカタと鳴る音を思い出した。


(追)エンゼルも時代とともに変わってきたのですね。

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