70歳になりました。あっという間の70年でした。私が生まれた年に日本人男子の平均寿命が初めて50歳を超えたのですから、長生きをしていると言うこともできます。
会社勤めを辞めてからちょうど10年。振り返ってみると自分の会社人生には10年に一度大きなイベントがあったことに気づきました。
10年前の2007年6月。親会社の米国人社長との定例個人面談で業務報告をしようとしたら「今日はいい」と遮られ、米本社がバファリンやエキセドリンなどの商標を日本のJVパートナーに売却することを決めたので会社は来月一杯で解散されると唐突に伝えられました。一週間後にプレスリリースが出るのですぐデューデリジェンスを極秘で始めろ、JVパートナーへの業務引継ぎは発表後一週間で終えろと通常ではありえないスケジュールです。社員のことを考えると社内発表までの一週間は辛い毎日でした。発表後に書類だけの株主総会の議事録が廻ってきて会社の解散と自身の代表取締役の解任決議に署名をしたことを覚えています。たまたまその日が60歳の誕生日で、役員でなくなることは定年を意味し7月末で退職となりました。
その10年前の1997年秋。日本ペプシコーラ社の本部長は会議室に緊急召集され、社長から本社が日本の事業をサントリーに譲渡すると決定したと告げられました。12月で会社は抹消され社員はサントリー(の子会社)に転籍になるとのことでした。マーケティング責任者だった私は広報担当に話をし、翌月に行われるサントリーの記者会見の準備を依頼しました。これも秘密裏に進めるため広報担当も苦しかったと思います。その後社内にはサントリーから数名が常駐し業務引継ぎのための聞き取りが始まりました。結局マネジメント、製造・開発スタッフは不要ということで退職することとなり、私も何か月かのハローワーク通いをすることとなります。ペプシマンのキャンペーンが成功し業績が回復している時だけに無念な思いだけが残りました。
そのまた10年前、1987年。スミスクライン&フレンチにコンタック担当のプロダクトマネジャーとして入社して三か月後、住友製薬のOTC事業を吸収合併してスミスクライン住薬という会社になりました。同時に住友製薬から数十人が転籍してきましたが、除虫薬や殺鼠剤を中心に営業力のプッシュで売るコテコテの関西企業とTV広告のプルで売る外資が融合するはずもなく、社内は二つに割れたバラバラのままで朝礼も別々に行われる状態でした。入社して間もない私はどちらにも属することができず宙ぶらりんで居心地の悪いまま退職を決意しました。予期した通り数年後に提携は解消され社名はスミスクライン ビーチャム コンシューマーヘルスケアという長い名前に変わっていました。
しかしよく考えるとたまたま10年ごとにイベントが起こったのではなく、自分が30歳では、40歳では、50歳ではこうならねばという妙な概念に憑りつかれて性急に新しいチャレンジ(40歳、50歳直前の転職)をしたために引き起こした部分もあったのではと考えるようになりました。大学を退学処分され社会に出たのが4年遅れで、早く同い年の仲間に追いつこうと焦ったことも影響していたと思います。自分でキャリアを作り上げる意欲も大事だけれど、運を天に任せるのもひとつの方法だったかもと今では考えられるようになりました。
今年は最後のイベントからちょうど10年目。あと半年何も起こらなければいいなあ。
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