マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2020年11月

子供のころから広告が好きだった (18)
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洗口液のリステリンが生まれたのは1879年です。誕生から141年間処方を変えていないと言われる稀有な製品です。外科医のリスター博士が手術時の消毒用に開発したものをランバート製薬が外科手術の消毒薬として世に出しました。一時期床掃除クリーナーや淋病薬として売られたこともあったのですが、その後口腔内の殺菌効果があることが判明し、1914年に一般向けのマウスウォッシュとしての発売が始まりました。同時に雑誌や新聞で広告を打ち始め、いわゆる「脅迫広告」で成功を収めわずか7年で11万5千ドルの売り上げを8百万ドルまで増加させたとのことです。その広告は「付添人ばかりで花嫁になれない」のキャッチコピーを使い、口臭故に結婚できない女性を悲劇のヒロインにして30年以上続けられました。初期の広告では通常使われるbad breathではなく医薬用語のhalitosisを使用したことも脅迫効果を高め成功の一因と言われました。このシリーズは廃刊となった雑誌「広告批評」でも「おどし広告」「ネガティブ広告」の原点として紹介されています。
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しかしこの成功の後リステリンは迷走をし始めます。マウスウォッシュの他に、傷にも、風邪にも、のどの痛みにも効くと広告で言い始めたのです。なんにでも効くは下手をするとなんにも効かないととられるリスクがあるのですがね。このあたりはひび・あかぎれ、擦り傷、にきび、やけどから水虫、たむしと拡がり浪花千栄子の「痔にも効くんですよ」のCMまで流したオロナイン軟膏を思い出させます。ダウンロード (2)
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その後1930年頃の広告では髭剃り後に、とかフケにも有効だというものまで出始めました。
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こうした効能追加でどのくらい売り上げが上がったかは分かりませんが、製品の輪郭が呆けたことは確かだと思います。1976年に恐れていたことが起こります。FTC(米国連邦取引委員会)が風邪やのどの痛みに効くという表現は誤解を招くだけでなく予防や緩和する点に関して効果はないと裁定したのです。製造販売元のワーナー・ランバート(WL)社はこれらの広告表現を中止するだけでなく以降の広告で「リステリンは風邪やのどの痛みを予防することも軽減することもありません」の文言を加えることを要求されました。

しかしその後はマウスウォッシュとして順調に伸び、アメリカではほとんどの家庭の常備品となり、スーパーでは何間ものスペースをあてがわれる製品となりました。1999年にはWL社買収によりファイザー社の製品となり、2007年にはジョンソン・アンド・ジョンソン社の傘下に入って現在に至っています。

日本では1985年にテスト販売が始まったのですが、私がWL社に入社した時は発売前のリステリンはプロダクトマネジャーとセールスマネージャーのたった二人の事業部でした。何年も製品を出せずにいたプロマネのTさんはいつも暇そうで時々私の部屋にやってきて「何度製品テストをしても購入意向率が低くて経営陣がOKをくれない。それにテストをしても多くの対象者が刺激が強すぎて製品を30秒口の中に含んでいられなくて吐き出すからテストにならない」とぼやき、セールスマネージャーのFさんはアメリカンドラッグで輸入品を買った消費者から「パッケージにフケに効くと書いてあるからずっと使っているが全く効かない」とクレームを貰ったと呆れていました。(口に含むのではなく頭皮にかけてマッサージするのが正解です)

コロナ禍の今、我が家の洗面所でリステリンはその存在感を増しているようです。



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鉄鋼会社につとめていた父親は工場勤務だったが年に数回東京出張があった。おみやげは毎回銀座木村屋のあんぱんだった。あんぱん以外のお土産の記憶がない。同様に名古屋土産は納屋橋饅頭、生まれ故郷の清水だと追分羊羹、静岡に行けば田丸屋のわさび漬けといつも決まっていた。木村屋のあんぱんは小さめで20個くらい買ってきた。街のパン屋のあんぱんより二廻り位小さいから子供でも3つは食べられた。上のくぼみに梅だかシソが乗っていて(後日桜の塩漬けだと判明した)あんの甘さと良いバランスで地元にはないあんぱんだった。
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大学に入って銀座に行ったとき銀座のど真ん中(和光の隣!)に木村屋ビルがあったので驚いた。きっと父親も学生時代にここに来たのだろう。私も娘が銀座で習い事をしていた時に一階のパン売り場、上階の喫茶室、その上のレストランを時々利用した。大人になって昔ほどの感銘は受けなかったがパン売り場はいつも客で混雑していた。まとめ買いしているのは父親のように地方から来た人なのだろう。クリスマスなどのイベントに合わせた変わり種パンも楽しみだった。

木村屋は明治2年に木村安兵衛が次男の英三郎と始めた文栄堂から始まる。雑貨も扱ったが力を入れたのは当時麺包と呼ばれたパンだった。横浜で外人が製造するパンを研究し日本初の日本人が作るベーカリーだった。しかしパンは全く売れずかつ二度の火災で店は全焼し三度目の店を銀座に開いた(現在三越があるところ)。当時竹橋にあった兵舎の近衛親兵が脚気予防のため白米でなくパンを買い求める以外には大して売れなかった。なんとかパンを日本人の口に合わせる方法はないのか、木村親子は創業からそのことだけを考えていた。

転機は安兵衛から四度の勘当を受けた三男儀四郎の一言だった。神田の餅菓子屋で奉公経験がある三男がパンに餡を入れてみたらとふと漏らした。英三郎は入社したばかりのパン職人とあんぱん作りに取り組んだ。しかしやってみると意外に難しい。砂糖が増えると発酵が止まってしまう。何度も失敗した後に従来の野生の酵母でなく酒麹にたどり着いた。ただこれは手のかかる作業だった。米のとぎ汁の中に握り飯を入れ、28度を保って一昼夜置くと水に変化が起こる。その水を搾り取って酒麹と米飯とを混ぜ合わせまた一昼夜置くと「もとだね」ができる。この頃合いを見て絞ったり混ぜたりするのを目と舌の勘で、それも温度や湿度を勘案しながら行うので熟練の職人技が必要になる。当時あんぱんを作ろうと思ったら木村屋で奉公して秘法を習わねばならなかったというのも納得できる。だから今でも木村屋のあんぱんには「酒種」と誇らしげに書いてある。

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明治8年に明治天皇が小石川に行幸されたとき新製品のあんぱんが天皇に供された。その折に安兵衛はアンパンの真ん中に浅いくぼみを作り、ひとつまみの桜の花の塩漬けを乗せて納めた。これが両陛下に好評ですぐ宮内省の御用品となり、木村屋のあんぱんはへそパンの愛称で銀座だけでなく日本人の食生活の中へ入り込むこととなった。献上日である4月4日は「あんぱんの日」として記念日に制定されている。

現在人気のパン屋はカタカナネームの洋風パンばかりだけど、久しぶりに木村屋総本店のアンパンを食べて150年の歴史に思いを馳せました。おしまい。



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最低限の食糧と日常品の買い物以外は外出しなくなって数か月が過ぎた。リモートワークをしている人はストレスが溜まっているようだが、引退してから10年以上引き籠っている老人の生活はコロナ騒動下でも大きくは変わらない。

老人らしくなく起床は9時過ぎ(寝るのが3時くらいだから仕方ない)。すぐ朝風呂に入る。浴槽内で日課の軽い運動。これをすると一日が気持ちよく始まる。忙しかった現役時代にはできなかったこと。45年購読した日経を去年止めたので朝食後にテレビを見るが、CSのTBS NEWS、日テレ24ニュース、CNNとBBCだけで地上波は馬鹿らしくて見ない。結局毎日することは運動不足を解消するために毎日室内でエアロバイクを漕ぐこととネットのニュースを読むこと、食材の買い出しと昼飯と晩飯を作ることくらい。まさか人生の最終コーナーに差し掛かった時に日々こうした過ごし方をするとは予想すらしなかった。

私は団塊の世代と呼ばれる年代である。「終電に間に合った世代」とか「最後の食い逃げ世代」と呼ばれることもある。会社勤めでもそこそこの給料や処遇を得たし、年金もそれなりに受け取れる世代だ。現在のコロナ騒ぎで多くの自営業者、非正規労働者、学生などが大変な状況にあるのに、既に年金生活に入っている我々は手取りが減ることもしばらくはなさそうだし仕事の心配もしなくても済む。若い人たちを見ているとなんだか申し訳ない気持ちになる。

私の生まれた1947年の出生数は268万人。1944-1946年は戦時中だったため正式な人口統計がないのだが、日経新聞によると1947-49年生まれの団塊の世代人口は806万人で、2019年10月時点でも618万人いてその前の3年間の406万人とくらべて5割も多い。47年生まれは前年比約100万人増、+60%。現在の出生数が約100万弱であることを考えるととんでもない人数に思える。望んでその年に生まれたわけではないし、終戦後のベビーブーマーとして生まれ、「死ぬまで競争だ!」と言われて育った世代である。入学、就職、結婚、昇進と競争が激しかったのは事実である。小中学校では1クラス60人の時代で、学校によっては1学年のクラスがアルファベットで足りないところもあった。中学の時ははテニスコートをつぶして建てたプレハブ校舎だった。

受験戦争を切り抜けると次は就職戦争。女性にとっては結婚対象となる数歳上の男が少ないため結婚戦争、そして結果的に同い年結婚が増えた。友達夫婦は20代ではニューファミリーとおだてられて企業のマーケティング・ターゲットとなり、30代では企業戦士に。しかし引退してみると、高度成長にただ乗りしただけでなにも付加価値を生まなかった世代、年金などの社会保障面で得をした最後の食い逃げ世代などと評せられる。確かに前の世代が大きな仕事をしていた。オズボーンの戯曲「怒りを込めて振り返れ」にあったように、やろうとしていたことはすべて前の世代がやってしまっていたのかもしれない。

我々の世代が大学を出て社会に入ったとたん高度成長が終わりオイルショックが来た。バレル8ドルだった原油価格があっという間に23ドルに上がったことを覚えている。1974年には卸売物価は31%、消費者物価は23%も上昇し狂乱物価と呼ばれた。給料も上がったが物価に追いつけなかった。為替レートも戦後の1ドル360円が71年に308円になり73年には変動相場制となって260円まで円高となるジェットコースター相場だった。初のトイレットペーパー騒ぎが起きたのもこの頃だった。それなりの苦労もし、なんとか企業で生き延び、子供を育て、家を買い、わずかな蓄財をして老後に備えたつもりだったのに、最近の論調は団塊世代は諸悪の根源のように言う。
2025年問題と呼ばれる医療・介護費が急増して70兆円を超える最大の理由が団塊の世代すべてが後期高齢者になるからだとのこと(後期高齢者の三分の一は要介護状態)。確かに人口的には巨大な塊で、かつ長生きしそうで医療費や年金で下の世代に迷惑をかけると思う。でもね、それなりに一所懸命生きてきたのですよ。こうなったらもう少し生き延びて、オイルショックやバブル崩壊に立ち会った時のようにこのコロナ騒動も最後まで見届けてやろうじゃないの。




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寒くなるとシャワーでなく浴槽につかりたくなる。ある調査によると毎日バスタブにつかる人は夏では39%だが冬になると63%まで上がる。しかしこの数字は年々下がっていて、シャワーを愛用する若い母親に育てられた子供は大人になってもシャワー派のままでいることが原因のひとつらしい。でも、冬はやっぱりゆったり浴槽につかりたい。

働いていた時は一日の疲れをとるために就寝前に入浴したが、引退後はたいして疲れもしないし時間もあるので、一日を気持ちよくスタートさせるために起床後の入浴が日課となった。やってみると朝風呂は気持ちがよい。浴槽内で軽い運動もできるし、さっぱりするだけでなく目も覚めるし朝食もゆったりおいしく食べられる。さらに快適にするために入浴剤を愛用している。夏場は発泡性のバブが多かったが、冬が近づくにつれ温泉っぽい白濁タイプが増えてきた。乾燥肌なので保湿タイプも欠かせない。

同じ調査によると冬場に入浴剤を使う人は約53.7%、毎日使う人は16.5%。入浴剤の市場も2019年は対前年で8%伸びて430億円強だがピークだった1986年の600億にはまだ及ばない(そういえばあの頃売れていた日本の名湯シリーズを最近店頭で見ない)。市場はバスクリンと花王でシェア50%を超え、価格が高めの薬泉や保湿訴求製品、子供が喜ぶボール状の製品が伸びを牽引しているらしい。花王にはバブという強いブランドがあり、バスクリンは各種バスクリン、きき湯、ソフレ、日本の名湯など多くのブランドを保持している。その他はアース(今ではバスクリンの親会社でブランドはバスロマン)、クラシエHPや白元アース、輸入品が続く。

本当は温泉っぽい硫黄湯が好きだ。汗疹や湿疹にも効くみたいだし、体も温まる。ただ浴槽を変色させたり風呂釜を傷めるため入浴剤には酸性、強アルカリ性、硫黄、塩分入り製品はない。残り湯を洗濯に使えないのもマイナスかも。10年近く前に買った別府温泉の天然温泉成分からなるペットボトル入りの湯の花があるのだが、バスタブに入れられないので深いバットに希釈して入れ足湯にするのが精一杯。それでも2日は硫黄の匂いが浴室に残る。先ほどネットで調べたら硫黄入りは何か問題があったのか販売されておらず、硫黄抜きのパウダーが売られていた。
最近のお気に入りは、湯が柔らかくなり、肌にもよく、発汗作用のあるエプソムソルトを沐浴剤に加えたり、重炭酸湯を試している。確かに入浴中に汗をかくし、湯上りでも湯冷めしない。20分浸かっているのはちょっと大変だけど。
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今朝も乳白色の湯につかりささやかな幸せ時間を過ごしました。久しぶりに硫黄湯の足湯もしたし。よい一日になるといいなあ。



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