マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2021年02月

日本は長い間デフレから脱却できていない。スーパーにはいつまでもこの値段で生産者は大丈夫だろうかと思える商品がいくつかある。例えばバナナ。今日は138円だが特売日には100円で売られている。子供のころバナナは高級品でめったに食べられなかった。もっぱら病気見舞いやお祝いに使われていた。記憶では当時1本50円位だった(今の1000円位か)。小学校の遠足はおやつ代100円までというルールがあってバナナを一本入れると残りは50円分しか残らず、その50円でキャラメルやチューブ入りチョコレートを買ってもらった。高価だった理由は戦後の日本は外貨が不足していて「不要不急」のバナナへの割り当てが少なく輸入制限措置がとられたためで、1963年に輸入が自由化されるとそれまでの台湾バナナからフィリピンバナナが大量に出回るようになり値段も急落した。今日のバナナは4本で138円だから一本35円で60年前より安い。
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 卵も値段が変わらない商品のひとつだ。「物価の優等生」でググると卵とバナナは必ず出てくる。昨年末から各地で鳥インフルエンザ騒ぎがあり今週も千葉で発生して県の三分の一の鳥が殺処分されたが価格が上がる気配はない。バナナ同様この60年間価格はほとんど変化していない。逆に1キロ当たりの値段は1953年に224円だったが2005年に204円、2018年に180円と下降傾向だ。子供のころ近所の電気屋が自宅で飼っている鶏の卵を店で売っていて、料理中の母親が「あ、卵がない。小林さんちに行って買ってきて」と時々買い物に行かされた。一つ10円だった。スーパーの卵が13円だから小売価格はほぼ変動していない。
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牛乳も優等生の一人かもしれない。スーパーでは1リットルパックが200円台で売られ大手でなければ170円台で買うことができる。この30年間で20%も上がっていない。それ以前になると180㏄瓶の宅配が中心だったので比較が困難だが、中身だけで考えればリッター200円とすると180㏄換算で36円となり50年近く前の昭和48年と同等だ。瓶牛乳の宅配は今でもあり明治の「おいしい牛乳」はひと月3700円~4200円とのことなのでひと瓶135円になり、人件費の上昇もあって50年前と比べるとさすがに数倍の値上がりとなっている。(下記朝日新聞社「値段の明治大正昭和風俗史」より)IMG_4196 (2)
14年も専業主夫をしていると毎日スーパーでの価格に敏感になる。年金生活者には値上げは困るのだがメーカーで働いていた人間からするとずっと値段が上がらないのも困りものだ。何かが、誰かが犠牲になっている可能性があるから。バナナ、鶏卵、牛乳以外にも豆腐や納豆のように値上げがほとんど見られない商品は多い。スーパーの客引き目玉商材になることが多く値引きを要求されることもあるのだろう。しかしこのままだと鶏卵業界は危ないという人もいるし、数年前には激減している豆腐屋を守るために「豆腐は200円以下で売るな」と警鐘を鳴らした評論家もいた。これらの商品は栄養価の高いスーパーフード商品なので子供を持つ母親や高齢者の必需品でもある。店頭には倍以上の値段のブランド卵やバナナ、豆腐もある。自分にできるのは何回かに一度でもいいからそれらの製品を購入し、こういう消費者もいるんだと店やメーカーに知らせることくらいしかない。頑張れ ! 鶏卵、牛乳、豆腐の製造者さん。



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三島食品の「ゆかり」は我が家の常備品のひとつだ。ふりかけだけれどおにぎりにも使えるし結構重宝している。その割には知らないことが多い。三島って言うから静岡かと思ったら広島の会社だった。ゆかりに三姉妹がいることも知らなかった。さっそく近所の店で「あかり」は見つけたが「かおり」は不在だった。その代わり「うめこ」を手に入れた。パッケージの裏面に「ゆかり誕生50年」とあるように「ゆかり」は1970年発売の長女で、1984年生まれの「かおり」が次女、2010年に発売された「あかり」が三女という感じだ。「うめこ」は昨年生まれたばかりの乳児かな。IMG_4185 (2)
新製品の「うめこ」は「ゆかり」の50周年記念商品の「減塩ゆかり」の発売と重なってしまいネットでは不運なうめこの物語として語られたらしい。しかし長女や次女と比べて中身や味を想像しやすいネーミング、乾燥梅干しのような味と大きめの素材で口さみしい時のちょっとしたおやつにもなる利点がが受けてか予想以上に売れているようだ。この2月1日には初めて男の名前の「ひろし」が発売になると先月発表があった。地元の広島菜を使ったふりかけとのことだが、近所のスーパーではまだ取り扱いがない。

どうも三島食品は製品にまつわるストーリーを作ったりそれをメディアで流す術に長けているようだ。競合と目される丸美屋の「のりたま」や永谷園の「おとなのふりかけ」と比べるとマスメディア広告量が少ないのでアイデアで勝負をしなくてはならないのだろう。例えば「ゆかり」と比べると知名度が低い「かおり」と「あかり」を三姉妹と位置づけ、パッケージも統一感を出せるように修正した。するとふりかけ三姉妹としてSNSで取り上げられるようになり、三品を並べて展示する販売店も増えたとのこと。その後エースコックや飲料メーカーとのコラボ商品を開発・販売しメディア露出が増えた。そこに「うめこ」が加わり四姉妹となり、今度は「ひろし」だ。「うめこ」発売時にはなぜ三姉妹のように「り」で終わる名前でないのだ、「ひろし」発表時はなぜ男なのだ、兄弟なのか「ゆかり」の恋人なのかと話題になった。

多分インフルエンサーを使っているとは思うのだが、次々と話題を提供する姿勢はすごい。「ひろし」も勝手に広島菜大使を名乗るなどメディアに引っ掛かる手を打っている。
ただ現在は巣籠需要で販売は伸びているようだが、白米の消費は減少傾向だし、競合は強力だし、横展開(フレーバー・エクステンション)にも限界はあろう。現在「ゆかり」だけでも14SKUあり、その他のふりかけや混ぜごはんの素を含めると売り上げ規模の割に製品数が多すぎる。成長を維持するためにはSKUを整理し、「あかり」で推進しているようなパスタやピザなどの非米飯使用や、お茶漬け市場などへの更なる浸透が必要かもしれない。



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日本で最初の新コロナウィルス患者が神奈川県で確認されたのが去年の1月16日。わが家から4キロの横浜港大黒埠頭に停泊中のダイヤモンドプリンセス号で集団感染が報告されたのが2月5日。2月13日最初の死者がこれも神奈川県で発生。陰性乗船客が我が家から6分の横浜駅から公共交通機関で帰宅し始めたのが2月19日。神奈川住民としてはこの頃から食料品などの買い物以外の外出を控えるようになり一種の籠城生活が始まった。3月25日東京都知事が外出自粛を初めて要請し、やがて日本中で自粛生活が始まり、4月7日には7都府県に最初の緊急事態宣言が発せられた。食料品や日用品の買いだめ、外食・飲食の激減、巣ごもり消費、デフレの進行などが報じられているが、引退老人世帯の家計・消費には何か変化があったのかを調べるため、我が家で自粛生活が始まった昨年2月から今年1月までの一年間の家計簿をその一年前と比較してみた。
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この一年間スーパーでの買い物以外の外出は激減したし金を使わなくなったなあと思っていたが支出は前年とほとんど変わらないマイナス0.04%だった。ちょっと納得できない。最も下がった項目はゴルフ関連で‐32.3%。これは回数も減ったし道具も買わなかったので納得。次が外食で‐22.5%そして医療費の‐13.7%。三密を避けたための出費減でこれも納得。つまり一年間良い市民だったということか。でも下がったのはこの三項目だけだった。

何が上がったのかと調べると額は大きくはないが衣料品が+52.5%で一番の伸び率。売り上げの下がっているアパレルメーカーからの特売メールが連日届き、アディダスやGAPをポチしたのが効いている。次が日用品・雑貨類の+39.0%。コロナ初期に買い込んだマスク、フェイスシールド、ハンドソープ、ペーパー類、消毒剤、洗剤類はまだ多少残っている。そして伸び率こそ+14.1%だが金額的に最も大きいのがやはり食費だった。菓子(+58.8%)、豆腐類(+39.5%)、総菜・調味料(+29.6%)、冷凍食品(+28.4%)、麺類(+25.9%)がベスト5。菓子、豆腐類、総菜は巣ごもり消費で増えた。自宅での鍋料理が増えたから豆腐や練り物の消費量が増加し、冷食と麺(乾麺中心)は非常食のローリングストックと食べる頻度が増えたためだ。

年間では+14.1%の食費だがコロナ騒ぎが起きた2月は+33.2%、翌月以降も+24.4%、+18.3%、+9.2%、+30.4%と動転振りがうかがえる数字になっている。先の短い老人も諦めが悪くて保存がきくレトルト食品や冷凍食品、缶詰、乾麺、カップ麺などを買いまくったのが数字を見れば明確だ。頭ではわかっているがオイルショックを経験したものとしてはあのモノ不足の印象が強く残っている。本当の意味で学習していないんだな、きっと。

だけど一年前には食い入るように見たコロナ関連のニュースも今では15時の東京都の新感染者数の発表を確認するために見るだけになった。慣れというか鈍麻されているいるのだろう。今日も駅の近辺の人出はいつもと変わらないように見える。感染者は減ってはいるのだが昨年4月7日に最初の緊急事態宣言が出た時(87人@東京都)より一桁多いのだ。一年前に不安になり慌てふためいて食糧確保に走った時の方がメンタリティとしては正常だったのかもしれない。



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