マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2022年02月

子供のころから広告が好きだった(22)


歌も楽しや 東京キッド いきで おしゃれで ほがらかで
右のポッケにゃ 夢がある 左のポッケにゃ チューインガム
空を見たけりゃ ビルの屋根 もぐりたくなりゃ マンホール

戦争の傷跡がまだ残っていた1950年に発売された美空ひばりの「東京キッド」の歌詞です。同年に映画化もされ13歳の彼女が主演でした。チューインガムが夢と同等に扱われています。物資欠乏時代のチューインガムは食料の代用品であり数少ない甘味を味わえる食材であった。後年野坂昭如は「チューインガム・ブルース」でこう歌っていた。

あの頃俺は十一で DDTまみれの浮浪児
進駐軍の顔見れば ハングリー ハングリー ハングリーと つきまっとてた
チューインガム チューインガム チューインガム・ブルース

最初は怖かった進駐軍兵士にだんだん近づいていきチューインガムやチョコレートをねだった子供がたくさんいたらしい。それを大人は多分苦々しく見ていたのだろう。少年たちが手にしたのはリグレーガムだったと思う。当時リグレーにはビッグスリーとでも言うべきスペアミント、ジューシイフルーツ、ダブルミントの三ブランドがあった。DAjMgdxXsAAkpJK
やがて日本製のガムも市場に出回るようになった。我が国最初のチューインガムはフエキ糊がゴムの技術を生かして「白龍」というリグレーを模した板ガムを明治42年(1909年)に6枚5銭で出したが甘味料不足で撤退している。大正5年(1916年)にはリグレー製品が輸入され広告も打たれた。その後森永や明治も製造を開始し、昭和に入ってもマサキガムや新高製菓が製造販売を始めたが売れ行きは芳しくなかった。第二次大戦が始まると統制経済のため航空機搭乗員用以外のガムは製造禁止となった。
2022-02-22
日本人の食生活に合わないとか人前で口を動かすのは品がないと言われて浸透しなかったチューインガムだが、戦後状況は一変した。ガムは手軽でかっこいいアメリカンファッションになった。たいした宣伝をしなくても市場は拡大の一途だった。雨後の筍のように400近くのメーカーが見よう見まねでガムを作り始めた。粗悪品も多かった。結局生き残ったのは大手数社と子供用ガムに特化した数社だけだった(現在ガム恊メンバーは18社)。
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1955年当時はハリスが約40%のシェを持つトップメーカーで、酢酸ビニールを使ったガムベースは白かった。当時の広告ではその白さを強調して富士山の写真にかぶせて「山は富士、ガムはハリスの白いガム」と謳っていた。50年代は「東のロッテ 西のハリス」と言われていたが、54年に初の天然チクル配合のバーブミントガムを発売してロッテの反撃が始まる。それまでテレビ広告はスケートをしている少年のアニメ(だったと思う)バックにのんびりした「ロッテ ロッテ ロ~ッテ ロ~ッテのチューインガム、どなたも どなたも ロッテのチューンガム チューインガム(少しうろ覚え)」だったのが、パンチの効いた「天然チクルのロッテガム~」に変った。同年にスペアミント、57年にグリーン、59年にジューシイミント、60年にクールミントとヒット商品を世に送り、その間関西菓子卸を買収し西日本を強化し、61年には翌年に景品表示法を制定する原因となった1000万円懸賞(現在の1億円以上)を実施して遂にハリスを抜いて日本一のガムメーカーになった。
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その他のメーカーでは森永がチクルの本場メキシコ出身のトリオ・ロス・パンチョスをCMに使い「チクレ モリナ~ガ チクレ モリナ~ガ ア~イヤイヤイヤイ チクレ モリナ~ガ」とコーヒーガムなど3品の広告を打っていた。グリコや明治もガムを発売していたし、私が所属していたWLアダムスも61年にチクレット、67年にデンティーンを発売した。デンティーンの新宿西口に乗り付けたトラックから若者たちが降りてきてエレキギターを弾きながら「アメリカ生まれのデンティーンガム」とロック調で歌った広告は今でも覚えている。

ガム市場が縮みはじめて20年近くたち、ピーク時より6割も落ちてしまった。盛り返すのは困難かもしれないが、最近歯科医師や歯科医院が行っている「歯周病を予防するにはチューインガムは有効だ、40代50代はガムを噛んで!」というキャンペーンに期待しましょうか。



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子供のころから広告が好きだった(20)


子供のころ母親はポーラの化粧品を使っていた。まだポーラが訪問販売の頃だ。あのころはポーラだけでなく鎌倉ハムも扱っていた肉屋さん、御前崎から海産物を売りに来ていたおばさんなども訪問販売で来ていた。ポーラの製品は値段も結構高く、母親はクリームや化粧水の裏側に購入日と値段を書いたちいさな紙を貼っていた。

化粧品市場は資生堂やカネボウなどの制度品メーカー、ポーラやノエビアのような訪問販売を主体にするメーカー、通信販売メーカーのファンケルやオルビス、そして製品レンジは広くないが単品を息長く売るキスミー、ウテナなどの一般品メーカーがある。資生堂やカネボウはその頃からテレビや主婦向け雑誌で大量の広告を打っていたし、資生堂は農協の「家の光」という当時日本一の発行部数を誇った雑誌と並ぶ部数を持つ「花椿」という月刊PR誌まで発行していた。しかし私の記憶に残っているのはそうした大メーカー品ではなくどちらかと言えば小規模の一般品・専業メーカーの製品だ。
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子供心に変な名前、こんなんで効くのだろうかと思ったのはヘチマコロン。ご近所の庭に生えているのを見たこともあるし、風呂でタオルやスポンジ代わりに使っていたへちま。発売は大正4年だしへちまを並べたようなカタカナのロゴ、竹久夢二の絵と詩を使った広告は昭和ではなく大正の香りがする。先月発売時のガラスボトルの復刻版を発売した。いまだに根強いファンがいるらしい。
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桃谷順天館の明色アストリンゼント美顔水も妙に記憶に残っている製品だ。アストリンゼントは収斂を意味するらしく毛穴を引き締め化粧崩れを防げると謳っていた。ラジオ広告の「美人は夜つくられる」というコピーはうっすらと覚えている。これも母親の化粧台にあったような気がする。後年アルカリイオン整水器が副産物でできる弱酸性水をアストリンゼンとして使えると広告していたのも記憶に残っている。胡散臭いと思ったらマルチ商法のようだった。美顔水は創業者の桃谷政次郎が妻のニキビのために作った化粧水が評判になり製品化された。最近では男性用の美顔水まで売り出されている。大容量の美顔水もあり、このボトルもヘチマコロンの復刻ボトルもノスタルジックで素晴らしいデザインだと思う。
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洗顔剤ではなんといってもロゼット洗顔パスタ。テレビや新聞広告で黒子さん白子さんのシリーズがずっと流れていた。今じゃNGでとても無理だろうな。これも「硫黄温泉に入ると肌がすべすべする、白くなる」と聞いた創業者が硫黄を使った洗顔料、それも固形でなく軟膏状の開発を始めた。販路がなかったため突き出し広告を打ち、価格分の切手を送ると製品を発送するという通販の原点ような商法で土台を作った。戦後ロゼットに名前を変え、容器も変更して再スタートを切った。内蓋を押すと製品が出てくる他にはないユニークなパッケージだ。ふたを開けると軽い硫黄のにおいがする。280円という当時としては超高級品だった。我が家では家内がずっとこれを使っている。
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最後はマダムジュジュ。発売されたのは戦後5年目の1950年。発売当初から若い女性ではなく奥様をターゲットにした点がほかの化粧品と少し違った。まあマダムといっても当時の女性初婚年齢は23歳だったので(現在は29.6歳)今より若い奥様ターゲットを狙ったのでしょうね。初期の広告には「25才以下の方はお使いになってはいけません」という刺激的なコピーが使われている。製品に卵黄リポイドエキスが入っており、それが若い人には栄養が強すぎるというのが理由らしい。そう言いながらそのあとには「25才以下でも奥様ならお使いになれます」とよくわからない説明が続く。しかし「結婚したらマダムジュジュ」が定着し母から娘へ受け継がれて主婦層に根強いファンを持っている。
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製品はなんだか懐かしいかつての母親の化粧台の匂いがする。ただ45グラムと今どきの化粧品よりこじんまりしていて、推奨している「マダムパック」をすると10回くらいでなくなりそうだ。現在でも「25才はお肌の曲がり角」というフレーズはよく使われるが、これは60年前のマダムジュジュの広告に発するものだ。そしてその後はマダムジュジュのメインコピーとなった。消費者団体からは、根拠もないのに25才が曲がり角とはなにごとだ、とクレームがついたらしい。昭和30年あたりに販売はピークを迎えたがその後盛り返すことはできなかったようで、ジュジュ化粧品は2020年9月に小林製薬に吸収合併されてしまった。
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記憶に残っているテレビ番組(3)

子供のころから歌謡曲より外国のポピュラー音楽のほうが好きだった。当時圧倒的に人気があったプレスリーは好みではなかったがポール・アンカやニール・セダカの曲に夢中になった。レコードなど買えなかったからラジオの深夜放送やFENで聴くしかなかった。歌詞はよくわからなかったのでメロディとリズムが好きだったのだろうと思う。ラジオではL盤アワーなどの洋楽番組があったが、60年代に入るとテレビでポップスを流す番組が生まれ始めた。最初のはフジテレビのザ・ヒットパレードだった。フジは日テレに6年近く遅れて開局し(1959年3月)番組開始はそのわずか3か月後だったのでドタバタのスタートだったようだ。渡辺プロダクションの持ち込み企画で始まったような番組で、当初は渡辺晋とシックス・ジョーズがレギュラーで、制作費もナベプロが肩代わりしていたとのことだった。
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「ヒットパレード ヒットパレード みんなで選ぶ ヒットパレード ヒットパレード みんなのヒットパレード」のテーマ曲で始まり、司会はミッキー・カーチス。テーマ曲は何か番組として物足りないというので前日に当時番組ディレクターだった杉山こういちが急遽作曲したという。初回ゲストだったスマイリー小原とスカイライナーズがのちにレギュラーバンドとなり踊る指揮者として有名になった。司会はその後長沢純、ザ・ピーナッツなどに変わり、スポンサーも人気が出るにつれ無名の化粧品メーカーから渡辺製菓、江崎グリコなどに変わった。出演者はミッキー・カーチス、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの三人娘など渡辺プロの歌手と渡辺美佐の両親が経営するマナセプロ所属の坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾やパラダイスキングが中心だった。みんなで選ぶといいながら選曲や歌い手にはナベプロの意向が強く働いていた。

私が憶えているのはスポンサーがキャノン単独のころで司会は長沢純と豊原ミツ子だったと思う。「キャノネット 素敵だわ~ キャノネット 持ってるわ~」とザ・ピーナッツが唄うキャノネットのCMをまだ記憶している。毎週放送を心待ちにしていた。思春期に差し掛かった時期で好みの歌手もコニー・フランシス、ジョニー・ソマーズ、ヘレン・シャピロ、レスリー・ゴーアなどの女性シンガーに変っていった。彼女らのヒット曲をレギュラー女性陣、沢リリ子、弘田三枝子、木の実ナナなどがカバーした。毎回アメリカで流行った曲を誰が歌うか楽しみだった。ちょっと酸っぱそうな表情で歌う伊東ゆかりとパンチのある沢リリ子が好みだった。歌詞は日本語に訳されていてそのほとんどが漣健児の訳だった。番組は約11年続きフジのその後の「明治屋マイマイショー」「森永スパークショー」「シオノギミュージックフェア」「夜のヒットスタジオ」などの音楽番組の礎を築いた。
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当時の東京のテレビ局は「2強2弱1番外地」と呼ばれ先行のTBSと日テレが圧倒的に強く、フジとNET(日本教育テレビ‐現テレビ朝日)は苦戦が続き、東京12チャンネル(現テレビ東京)は置いてきぼりだった。報道とドラマのTBSは水戸黄門、8時だよ全員集合、お色気と巨人の日本テレビは巨人戦、11PM、太陽にほえろなどがあるのに、女子供のフジテレビには74年スタートの「欽ちゃんのドンとやってみよう」まで高視聴率番組は存在しなかった。歌番組と言えば歌謡曲、演歌、のど自慢、スカウト番組しかなかった時代にフジテレビのポピュラー音楽志向の歌番組は存在感を示し、ザ・ヒットパレードはフジの看板番組となった。NHKのステージ101もTBSのザ・ベストテンも始まる前だった。
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その後フジは若者路線に切り替えヒット番組が続出し、1982年に初めて視聴率三冠を獲得し12年間保持し、2000年代にも一度盛り返したが、以降は不振のようだ。現役時代に広告担当としてティーン向きの商品のTV広告出稿はフジ中心だったが、最近の低迷はちょっとひどいかも。また昔の2弱に戻ってしまった。



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2021年の家計調査での2人以上世帯の実質消費は0.7%の伸びにとどまったという。物価も多少上がっているしコロナ禍で我慢していた購買意欲が復活するリベンジ消費が期待されていたのでもう少し上がっていると思ったが意外な低さだった。コロナ前の2019年と比べると-4.6%と依然低いままだ。この対前年比0.7%の低い伸びは他国と比較するとより明確になる。アメリカが8.0%、フランスが4.8%、イギリスが3.7%と日本より感染比率の高い国の消費が回復傾向にあるのに日本とドイツがだんとつに低い。
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この理由としては昨年4月から携帯料金が大きく下がったこともあるが、他国と比べて日本ではワクチン接種が遅れ経済活動再開がゆっくりだったこと、緊急事態宣言下での自粛や行動制限の期間が長かったこと、シニア層を中心に外出意欲が弱いままの人が多いこと、コロナが収束しても経済は元に戻らないだろうと考えたり長生きリスクなどの将来不安に備えての慎重な消費が理由だと思われる。言い方を変えれば我が国は感染を抑えるために社会生活や経済を犠牲にしているということだろう。

消費が伸びなかった代わりに貯蓄率は高いままだ。2020年は一人当たり10万円の特別定額給付金が配られ、その7割は消費ではなく貯蓄に回ったせいで貯蓄率は大きく跳ね上がったが、給付金のなかった2021年も34.2%と高いままだ。
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消費は0.7%伸びたものの、回復を示したのはリモート授業や講習が好調だった教育関連が15.7%、鉄道運賃が14.4%、航空運賃が6.2%などで、パック旅行費は‐82.3%、飲食費が-76.7%、食事代が-27.0%、家庭用耐久財が-10.3%と惨憺たる数字となっている。

比較対象にはならないかもしれないが我が年金生活世帯も食費は0.8%増えたものの、肉や魚の購入額が3割増えた一方で前年の巣ごもり消費で上昇した冷凍食品は-36.4%、麺類は-30.6%と激減した。外食費も-23.6%と続落し、総支出は結局-3.1%だった。2020年に支出が増えた日用品と衣類がその反動で-15.3%と-9.5%と下がったこと、ゴルフの回数が3割減ったことなどが主な理由だと考えられる。消費を控えているつもりは全くないのだが老人世帯には欲しいものはあまりないし、耐久消費財は壊れた時にしか買わない。外出は億劫だし感染も恐ろしい。結局毎日食べるものだけはおいしいものを食べたいという欲求だけが残されている。それだっていつまで自分の歯で咀嚼して食べられるかは分からないけど。
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2020年1月16日に最初のコロナ感染者が出てから3年目に突入した。経済を回さなければという必要性は十分に理解できるが、オミクロン株の感染の速さ、昨今の医療現場のひっ迫ぶりやブースター接種の遅れを見ていると老人はまだ安心して外に出られない。日経の記事には日本の家計にはコロナ前のトレンドと比べると約40兆円の超過貯蓄があるという。この春闘で給料が上がり、コロナが収束が見えてきて安心して外食や旅行ができるようになってこの40兆円が市場に回れば消費支出が戻るような気がするのだが。でも、日本人は貯蓄が好きだからなあ。



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なんだかモノの値段が上がっている。電気とガスは昨年12月まで4か月連続で値上げされ、横浜市の水道は昨年7月に12%も上がった。牛丼御三家も秋以降並み盛りが10.1%~18.8%上がった。ガソリンも昨年年初に入れたときはは144円だったのが11月には169円、今年に入って170円超という人生最高値を記録した。重宝していた近所のスーパーの米国産300グラムの厚切りステーキ肉は秋に880円から980円になった。11月に食用油がこの年4度目の値上げをし、同時期に雪印のバターは3.4%、マーガリンは3.8%~12.2%も上がった。70年代の狂乱物価を除くと引退後専業主夫を14年やっているが初めて経験する値上げラッシュだ。
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コロナ後の景気回復期待や新興国のエネルギー需要の急増、脱炭素を見越して産油国が減産したことなどが重なり原油価格が上がった。全世界的に物流費が上昇し、輸入に頼っている小麦や大豆は北米からの船賃が10倍近くになり、政府も昨年10月に輸入小麦の売り渡し価格を19%上げざるを得なくなった。スケトウダラなど魚類も資源減と原油の値上がりで価格が高騰している。物流費が上がるということはすべての商品価格が上がることを意味する。流れてきた値上げのニュースは:

1月からパン類の価格が上がった。小麦が上がったせいで各社が値上げをした。最大手の山崎製パンは食パンを平均9%、菓子パンを同6.8%値上げした。フジパンも8%、敷島パン(パスコ)も6.7%引き上げた。毎日食べるものだから家計へのインパクトは結構大きいと思われる。山パンは今年も春のパン祭りをするのだろうか。「ヤマザキ春の値上げ祭り!」と改名すると面白いんだけどね。
近所のスーパーではパスコの超熟が198円から208円に上がる一方ヤマザキのロイヤルブレッドは150円で据え置いた。当然のことだがヤマザキの棚から先に消えていく。消費税込みで62円の差は大きい。2022-01-04 (2)
コーヒーも1月に値上げされた。ネスレが南米の霜害による生豆の高騰や円安を理由に10%~20%価格を上げた。UCCやキーコーヒー、AGFも昨秋約20%の値上げをしているのでレギュラーコーヒーを含めたほぼ全製品が約2割の値上げとなった。前年から続く天候異変と円安が継続されるとさらなる値上げも予想されコーヒー飲みには心配の種が増えた。

小麦粉を使う製品はパンだけではない。小麦粉そのものも1月に1.5%~9.5%の再値上げがあり、それを受けてパスタやうどんの価格改定が予定されている。丸亀製麺は1月に一部商品を20円~30円値上げしたし、パスタは2月に1.5%~9%の値上げが予定されている。その他にもスナック菓子(7~10%)、生めん(6~13%)、小麦関連以外でもハム・ソーセージ(4~14%)、冷凍食品(2~23%)、ジャム(3~7%)、しょうゆ(4~10%)、マヨネーズ(2~10%)、すり身・練り物(4~13%)などこの春に値上げを予定している製品群は枚挙にいとまがない。もう価格据え置き容量減のステルス値上げではしのげる状況にはないのだろう。

食品以外で最近発表されたのは紙製品の値上げだ。これも原材料と輸送費が原因で日本製紙クレシア(クリネックスやスコッティの発売元)は4月から10%以上の値上げをするという。すでに大王製紙は3月22日からの15%以上の値上げを発表済みだ。ティッシュやキッチンペーパーをやたら使う我が家にとってはかなりインパクトは大きい。

私が知る限り春の値上げ幅が一番大きいのは食品ではないけれど、LIXILのユニットバスの約40%とトイレの33%でビックリ。原材料価格の高騰とコンテナ不足による輸送費の上昇が原因とのこと。サントリーはウィスキー31銘柄の4月入荷分以降の値上げを発表している。こちらは原材料や輸送費の問題というよりシングルモルトの人気で品薄がその理由らしい。古いものほど値上げ幅が大きく白州25年が28%、山崎12年ミニボトルが21%と結構な値上げだ。
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これらすべての値上げが家計にどのくらいのインパクトを及ぼすか我が家の家計簿をもとに試算してみると約2%の負担増だ。今年4月からは物価を下方に押し下げていた携帯電話の値下げインパクトが消えるので2%以上の物価上昇は確かだと思われる。これで来年政府と日銀が「2%の物価目標達成!デフレ脱却だ!」だなんて喜んだら国民はみな怒るよ。成長も分配もできてないんだから。



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