マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2022年05月

子供のころから広告が好きだった (26)

子供の頃わが家の台所には大きな電蓄が置いてあった。レコード(SP!)を聴くことはほとんどなくもっぱらラジオとして使われていた。大相撲中継や「ヤン坊ニン坊トン坊」をよく聞いていたが、今でも時々思い出すメロディがある。

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1956年から中部日本放送(CBCラジオ)で流れていた番組の内容は覚えていないがこの軽妙なイントロの旋律だけはしっかり頭に残っている。鶏郎なんて名前は当然知らなかったのでサンドイッチの一種だと思っていた。彼の名前を知るようになるのはずっと後のことだ。「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」などの歌謡曲や日本最初のCMソング「僕はアマチュアカメラマン」も鶏郎の作曲だ。あの頃のCMソングの大半は彼の作詞作曲ではなかっただろうか。楽曲も流行歌とは一線を画す軽快なものが多く、よくラジオで流れていて母親も口ずさんでいたのはこんな曲だった(記憶だけで書いているので間違っているかも)。

僕は特急の機関手で 可愛い娘は駅ごとに
いるけど三分停車では キスする暇さえありません
東京 京都 大阪 う~う~う~う~ ポッポ

歌詞のなかにキスなどという言葉が入ることは稀有な時代だったし(接吻のほうがポピュラーだった)当時住んでいた名古屋は日本第三の都市で特急も止まるのに何故東京の次が京都なのか。東京 名古屋 大阪だろう、と思っていたのでよく覚えている。
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冗談音楽やコントで有名になった三木鶏郎だが記憶に残っているのはラジオおよびテレビ黎明期のCMソングの数々だ。作詞及び作曲した曲だけでも相当の数だ。多分数百曲に及ぶと思う。かつ競合など完全無視で、医薬品ではポポンの歌、ノーシンの歌、ジンジン仁丹、パント錠の歌、くしゃみ三回ルル三錠、アスパラで生き抜こう。百貨店なら高島屋、松坂屋、大丸、丸井。石鹸でも花王、輪が三つのミツワ石鹸、牛乳石鹸よい石鹸。「明るいナショナル」を作れば、「ぱっとついた日立」も作曲している。親しみやすい旋律と諧謔精神に富みながら育ちの良さを感じさせる歌詞が特徴だと思う。

年配者であれば「カ~ンカ~ン鐘紡」「一粒で二度おいしいアーモンドグリコ」「家中でみんなキリンキリン」「ジンジン仁丹ジンタカタッタター」はそらで歌えるはずだ。そのうえ中村メイコ、楠トシエやなべおさみ、三木のり平、左とん平などの歌手や俳優を育てただけでなく、野坂昭如、永六輔、キノトール、小野田勇などの作家まで何人も誕生させている。実弟の三木鮎郎も音楽評論家で昔は「スター千一夜」や「11PM」の司会での柔らかい声を憶えている。トリローは今のジャニーズ事務所や吉本興業のような放送業界での影響力を持っていた。それもたった一人で。
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反骨精神も旺盛で時の政権をチクリと批判するコントや歌を書いていくつかの番組を打ち切られたりしている。この辺りは永六輔や野坂昭如に引き継がれていた。1994年に80歳で他界。

特急の機関手の唄は147番まであるらしいが、若かりし森繫久彌が唄う5番の名古屋編はこんな歌詞だった。

名古屋にお城はあるきゃあも 金の鯱あるきゃあも
守口大根細長く 彼女のあんよに似るきゃあも
東京 京都 大阪 う~う~う~う~ ポッポ
(歌詞も他と比べてウィットに富んでいなくて、名古屋が入っていないのはやっぱり気に入らない)



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子供のころから広告が好きだった (25)

私が勝手にタブー商品と呼んでいる製品群がある。使っていることを人には知られたくない製品で、広告が打てない(打ちにくい)もしくは広告が見ている人を不快にさせるような製品のことです。生理用品、コンドーム、かつら、痔や水虫薬などが入ります。他人のいるところでは買うことを躊躇する製品とも言ってもいいのかもしれません。ま、最近はそういう恥じらう傾向も無くなりつつあるようですが。
2022-05-16
1982年戸川純がおしりを突き出しながら「おしりだって洗ってほしい」という当時としては衝撃的なコピーを用いたTOTOウォシュレットのテレビCMが流れ始めた。それまでトイレの広告は新聞社や雑誌社から出稿拒否されていたことに加えて食事の時間に流れたこともあり「食事をしている時に便器の広告とは何を考えているのか」とクレームが殺到したらしい。ほんわかした戸川純の台詞回しや広告全体のトーンもあって批判も薄れその年を代表する広告となった。当時約15万円もしたウォシュレットは5年後には累積100万台を超えるヒット商品となり、訪日中にホテルでその快適さを経験した俳優やロック歌手が買って持ち帰るようになった。

その20年前。「40年間お待たせしました」「アンネの日と決めました!」という男にはよく分からない広告が女性誌を中心とした活字媒体に出稿された。月経とか生理日というダイレクトな表現でなく「アンネの日記」からとられた社名と製品名を前面に出したネーミングと広告活動でそれまで使われていた脱脂綿を駆逐し「水に流せる肌着」と言われたナプキンの時代を創りあげた。女性の心理的圧迫感を解放したが、それ以上に人前で口にすることがためらわれ生理日を「今日はアンネなの」と言わしめた功績の方が大きかった。
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こうしたタブー商品の広告表現は機能をストレートに表現すると嫌悪感を持たれたり、人前で使うことを憚られたりするリスクがある。後年生理用品のテレビ広告規制が解除された時に放映されたCMで、吸水性を誇示するために着色された水を製品に注ぐシーンの違和感というか不快感を今でも覚えている。こうしたマイナス面を避けるため広告主は機能表現にユーモアを使ったりオブラートに包むように穏健にしたり、機能的ベネフィットを心理的情緒的ベネフィットに転換したりと様々な手法を駆使する。

ウォシュレットの広告は今まで陽がが当たることがなかった便器やおしりに市民権を与えた初めてのCMだと思われるが、ネガティブ面を全く感じさせなかったのはコミカルに添えられた「おしりだって洗ってほしい」の一言だった。このメッセージのおかげで効能効果や便益にはほとんど触れていないのに、見終わった後に機能と爽快感がちゃんと伝わってきた。アンネナプキンも「アンネの日」と言い換えることによって生理日を日陰者扱いから救い出し、その機能性・簡便性によってアンネの日でも女性を活動的に変えることに成功したと言えるだろう。しかし大手の参入により業績が悪化し、吸収合併されるうちアンネブランドは消え、やがて会社そのもの消失してしまった。



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子供のころから広告が好きだった (24)

マーブル マーブル マーブル マーブル マーブルチョコレート
七色揃ったかわいいチョコレート
コロコロ並んだおしゃれなチョコレート
マーブル マーブル マーブル マーブル マーブルチョコレート
素敵な明治のマーブルチョコレート

1962年日本中でこのCMソングが流れていた。ヴィックスドロップ以来の集中テレビスポットキャンペーンだった。出演していた上原ゆかりの愛くるしい顔が毎日テレビに現れた。あっという間に明治製菓のマーブルチョコの認知率が上がり、30円の製品が月に5億円を売り上げるようになり、当時の最も売れた菓子製品となった。同様な輸入品はすでに存在していたが(M&M's)一般消費者の目に届くところにはなかった。チョコレートといえば板チョコと歯磨きのようなチューブ入りしか知らなかった子供には円筒型のパッケージは衝撃的だった。
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パッケージを振るとジャラジャラと音がするし、蓋を開けるとポンと鳴ることも子供の心をひきつけ、おまけについていた鉄腕アトムのシールなどがさらに購入意欲を掻き立てた。食べ終わった容器を上原ゆかりが「なくなっちゃった つまんない」と言いながらポンと投げ捨てるバージョンには、子供がまねをして困るのでゴミ箱に入れるものに変えてくれ、という母親からのクレームが殺到したらしいがマーブルチョコの勢いは止まらなかった。

当然競合品は出現する。一年後に森永製菓はパレードチョコレートを発売し「三ばか大将」の動くバッジをおまけにつけマーブルチョコを追撃した。鉄腕アトムvs三ばか大将の戦いは一時は森永が優勢だったがいつのまにかパレードチョコは市場から消えたしまった。現在チョコレート売り場に残っている糖衣がけチョコは実質的にはマーブルチョコと1987年に日本発売が開始された本家マースジャパンのM&M'sのニ製品くらいだ。
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M&M'sは小袋入りで色がマーブルチョコより鮮やかだった。この製品も大量のテレビ広告に援護されて発売され、世界中で使われていたキャッチフレーズの「Melts in your mouth, not in your hands」(お口で溶けて 手で溶けない)」を前面に出していた。ただ最近のパッケージ表面にはこのフレーズはなく、裏面に小さく「お口でとろけて 手にとけない」と書いてあり、表面には「手につきにくい」とだけ表示されている。マーブルチョコが筒形状のパッケージと七色揃ったかわいいチョコレートで売ったのに対し、M&M'sが「お口で溶けて手で溶けない」の消費者ベネフィットで市場を創ったのは日米のマーケティングの違いを見るようで興味深い。

60年前にCMデビューした上原ゆかりは60年代には子役として映画やドラマに出演し、その後も芸能界で活躍したが結婚を機に引退した。カメラマンだった夫の死亡後は宅建士の資格を取り現在は不動産会社の代表取締役だとのことだ。下の写真は2020年時点の上原ゆかりさんです。子役時代の面影が残っていてちょっとうれしいですね。出典:AsageiPlus

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記憶に残っているテレビ番組 (6)

懐かしの番組というには新しすぎるかもしれない。前編の「やすらぎの郷」が放映されたのが2017年4月から同年9月。続編の「やすらぎの刻~道」が2019年4月から2020年の3月だったからつい最近の番組だ。しかし「やすらぎの郷」放映中に亡くなった野際陽子を始めとして八千草薫、山本圭、藤木孝、ジェリー藤尾、津川雅彦、山谷初男など出演者11人が鬼籍に入りもう続編制作は無理だと思われる。それでなくても「やすらぎの刻」の出演者の平均年齢が80を超えていると言われていた番組だ。

倉本聰が今のテレビには老人向けの番組がない、とシルバー向けに作った「やすらぎの郷」。テレビ業界にいた老人だけが入居できる無料老人ホームという設定で、主演の石坂浩二に浅丘ルリ子、加賀まりこ、八千草薫、有馬稲子、野際陽子、五月みどりなどの女優たちが、業界や老人らしからぬ生臭い話を交えながら進行する20分の連ドラだった。男優陣も山本圭、ミッキーカーチス、藤竜也、上条恒彦と揃っているので楽屋はさぞ大変だったと思う。テロップだってヘアメイクもスタイリストも担当女優ごとに流れるし、その女優名もあいうえお順という気の遣いようだった。
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「やすらぎの刻~道」では新たに、いしだあゆみ、大空真弓、丘みつ子、笹野高史、ジェリー藤尾、松原智恵子、水野久美の平均年齢74歳の7人が加わった。昔と変わらぬ風貌の役者もいれば時の流れを感じさせる女優もいた。その一人がいしだあゆみで少し前から激やせが心配されていた。引っ越しを機に断捨離をしミニマリスト生活を送っているらしい。瘦せたせいで最近テレビで見るときはたいてい和服姿だ。肩や腕などの細さを隠しているのだろう。昔はふっくらしていたのに。
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ちょっと寄り道を。最初に彼女をテレビで見たのは1964年の歌番組だった。和服姿で髪も長く、いずみたくに師事していると言っていた。歌はうまくなかったがファンになった。その後髪をバッサリ切ってボーイッシュになった。翌年木島則夫モーニングショーの今月の歌で「真珠(パール)の指輪」を毎日歌った。この歌が気に入ったのでそれを見終えてから自転車で高校に急いだがほぼ毎日遅刻だった。ていねいに歌ってはいたがうまいとは言い難かった。本人も自覚していたようで「ブルーライトヨコハマ」のヒットはあったもののその後女優業へシフトした。
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寄り道ついでに。当時ボーイッシュと言えばダニー飯田とパラダイスキングのメンバーだった九重佑三子だった。1962年石川進の脱退を受けて加入した。最初に見たのは坂本九の「明治屋マイマイショー」でのデビューだった(と思う)。石川進がボーカル担当だった「月影の渚」を歌った。この時は髪を外巻きにしていたが次に見たときはショートだった。九重なんて苗字なので九重親方の娘だろうかと思ったことを覚えている。名古屋市公会堂のコンサート(他には坂本九、森山加代子ら)や上京してからはリサイタルにも行くくらいのファンになった。どうもショートヘアの女性に弱いらしく、その後ファンになったユーリズミックスのアニー・レノックスもロクセットのマリー・フレデリクソンも超短髪だった。8131VG8Z0OL._AC_SX679_
閑話休題。気に入っていて見られない日は録画までした番組だったが、もうこういう番組はできないだろう。これだけの俳優陣を揃えればギャラは高額になり、ロケ場面も多かったので製作費は相当なものだったと思う。倉本聰作品だったからできたようなもので、現在コロナの影響で製作費3割4割カットが当たり前な状況では局の上層部もOKは出さないだろう。だんだん老人が楽しめる番組が無くなる。局も老人層を無視しているみたいだ。最近のテレビ局はスポンサーの意を酌んで世帯視聴率でなく個人視聴率を使い始め、その中でもコア視聴率と言われるものを重視している。コア視聴率は購買力があると言われる13歳から49歳までの男女の視聴率で50歳以上のシニアは購買力がないと言っているのと同じだ。老人も小金は持っているんだけどね。寂しいし、悲しい。



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記憶に残っているテレビ番組 (5)

1966年の1年だけの放映だったがNETテレビ(名古屋では名古屋テレビ)で流された「ハニーにおまかせ」と「それ行けスマート」も忘れられない番組だ。当時はスパイものが流行っていて、既に「0011ナポレオン・ソロ」や「スパイ大作戦」が放映されていた。それらのスパイものとは一線を画す色っぽい女探偵ものとドジな諜報員ものを繋げて一時間物の「危機一発」シリーズにしたものだった。
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アップテンポのオープニング曲をバックに白い壁に銃弾が当たるように次々に穴が開く。その穴がハチの巣となり全ての穴にハニー(アン・フランシス)の顔が写るというスタート画面だった。輝くブロンドに口元のホクロがなんとも色っぽい美人探偵でスタイルも抜群、武道も達者、ガーターベルトにリボルバーを収め、水着になったりシャワーを浴びたり風呂に入ったりと視聴者へのサービスも満点だった。田舎の高校生は毎回ハラハラドキドキそしてワクワクしながらが見ていた。001シリーズに影響を受けたと思われる小道具、リップスティック型の無線機、カクテルに浮かぶオリーブ型の発信機、潜望鏡付のバンと楽しめる細工も潤沢だった。ドレスアップした姿も色っぽかったが全身黒のタイツ姿のアクションシーンが一番の売りでした。アン・フランシス本人の声は低かったが吹き替えた富田恵子の声とセリフがセクシーだったこと人気を生んだ理由だったでしょうね。原題はHoney West。

ハニーの「スマートさん、あとはあなたにおまかせよ」のセリフの後に始まったのがドン・アダムス主演の「それ行けスマート」だった。諜報機関員のスマートが秘密結社ケイオスとのナンセンスな戦いを相棒の99号と遂行するというストーリーだ。タイトルバックではスポーツカーで本部に乗り付け何枚もの自動扉をくぐった後電話ボックスの中で消えるところまでは普通の諜報員かと思わせるが、話が始まるとスマートのドジ加減とケイオスの理不尽な計画満載のドタバタコメディになる。上司であるチーフとの連絡は靴底に仕込んだ電話機を使うという馬鹿馬鹿しさ。
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この映画の可笑しさを日本人に伝えるのに貢献したのが吹き替えの藤村有弘だと思う。そんなに表情が豊かとは思えないドン・アダムスを面白くしたのは藤村の吹き替えだ。コントや芝居では過剰気味の演技だったが、声優や吹き替えではこれが功を奏したのはひょこっこっこりひょうたん島のドン・ガバチョの声でも実証済みだ。話としては毎回美人女優が出てきてスマートがくらくらするワンパターンが多かったが、そこに細身であまり色気のなさそうな99号がからんでなんだか分からないうちに事件が落着する。この99号(バーバラ・フェルドン)がチャーミングで、かつ久里千春の愛らしい声がその魅力をさらに強化していた。好みだった。声優って大事ですね。原題はGet Smart。




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記憶に残っているテレビ番組 (4)

日本での放送が始まったのが1966年だから浪人時代だった。結婚したら奥さんが魔女だったという設定や、母親のエンドラ、会社の上司であるラリー、お向かいのグラディスさんとその旦那などユニークなキャラクターだらけだったが、やっぱり主役のサマンサ(エリザベス・モンゴメリー)とダーリン(ディック・ヨーク)が魅力的で毎週楽しみに見ていた。子供のころに見た「うちのママは世界一」や「パパ大好き」も当時のあこがれだったアメリカ生活を垣間見せてはいたが、親しみがわくという点では「奥様は魔女」が一番だった。オープニングサウンドと箒に乗って飛ぶシーンから猫がサマンサに変るタイトルバックも新鮮だった。
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エリザベス・モンゴメリーの愛くるしい表情とワンパターンではあるが約束を破って魔法を使ってしまうストーリー展開が売りだったが、アメリカの広い住宅、二階へ上がる階段やキッチンの設備など当時の日本にはないものが多く日本人もいつかこんな生活ができるようになるのだろうかと思いながら見ていた。アメリカでも1964年から8年続いた人気シリーズで、日本でも数年間の放映後に何度も再放送された。大人になって見てもサマンサのチャーミングさは相変わらずだったが、当時は広告代理店勤務だったのでダーリンとラリーの仕事ぶりを見ながら時々「そんなにクライアントは甘くないよ」と思ったりした。
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今考えるとこの番組は声優陣が充実していた。オープニングの中村正、エンドラ役の北原文枝、ラリー役の早野寿郎、グラディス役の川路夏子など役にぴったりだった。もちろん主役の声の北浜晴子のすこし鼻にかかった甘い声が出色で、もし違う声優だったらこれほどの人気番組にはならなかったのではなかろうか。ダーリン役の柳沢真一は昔は柔らかな声のジャズシンガーでよくNHKの歌番組で見た。その後コミカルな役の芝居に転向し多くのドラマ出演もある。残念なことにお二人は最近85歳と89歳で亡くなられた。こうした声優陣だったから初代ダーリンと初代グラディスが亡くなり役者が変わっても大きな違和感なく見続けることができた。

アメリカでも人気があったため2005年には同名の映画が製作されニコール・キッドマンが主演したが私にはエリザベス・モンゴメリーの印象が強すぎて稀代の美人女優も影がうすかった。残念なことにエリザベス・モンゴメリーは1995年に癌で62歳の若さで亡くなってしまった。この頃のアメリカのテレビドラマには、ハニーにおまかせのアン・フランシス、バイオニック・ジェミーのリンゼイ・ワグナー、チャーリーズエンジェルの3人(ファラ・フォーセット・メジャーズが人気だったが好みはケイト・ジャクソンだった)など魅力的な女優がたくさんいましたね。でも愛くるしさではエリザベス・モンゴメリーにかなう女優はいない。下の写真は当時のロッテのマザー・ビスケットCMのサマンサです。
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参加する資格などないことは十分に知っています。が、残された健康寿命もゴルフ寿命もそんなに長くないことも知っているので恥知らずにも女子プロとのプロアマトーナメントに参加してきました。ネットで見つけた大和絵莉奈プロが創設した「女子プロゴルファーズ連盟」主催のゴルフイベントで、スコア70から120までのプレイヤーが参加しているという言葉に乗せられてポチしました。プレー費に15000円から25000円の参加費を払うと女子プロと何ホールかを一緒に回れるというものです。279146416_5085036408229804_6729835687691346507_n
40年ゴルフをしているが少しもうまくならない。もう歳だから体力も落ちているしスコアを縮めるのは困難なのは分かっている。最後の足搔きとして個室レッスンで知られるゴルフ教室が家から数分のところにあるので、これで駄目だったら諦めもつくかと調べたら2か月で30数万円かかるので逡巡していた時に見つけたのがこのイベントでした。ラウンド前に練習場で個別レッスンがあり、ボールを打っているとプロがアドバイスをくれます。この日は大和プロと堀奈津佳プロが参加されていて堀プロから「もっとゆっくり振って」とか「力入れすぎです」などと言われました。事前にどのプロが来るのかは知らされず「ツアー2勝のプロが参加」とだけ聞いていたので原江里菜、福田真未、堀奈津佳、青木瀬令奈などの名前が浮かびましたがトーナメント中なので誰だろうかと思っていたら堀プロでした。前々日まで九州のステップアップツアーに出ていたのにね。きつめの印象しかもっていなかったので最初誰だか分らずどなたですかと聞いてしまいました。とってもやさしい表情でした。

初めてお会いするアマ二人と三人で9ホールを回り、午後は大和プロを加えて4人でのプレーでした。最初の6ホールはプロもプレーをし、「ナイスショット」の声やアドバイスを時々してくれます。残り3ホールはプロはラウンドレッスンに集中しピンまでの距離を測ってくれたり、打った後にスタンスやスウィングに関してコメントや解決法を教えてくれます。30数年前男子プロとのプロアマに3度ほど参加したことがありますが、男子プロはほとんどアドバイスはしません。違うティーから打ち翌日以降の下見を兼ねているから当然かもしれませんが、この辺りが今の人気の差になっているのかも知れません。大和プロも見かねたのか最終ホールのティーでスタンスとフェイスの向きを注意してくれました。ま、そのティーショットはOB二発でしたが。
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プレイ後は簡単な表彰式があり景品とお土産が付きます。15人中グロスで9位、新ぺリアで6位で大きな恥はかかずに済んだのかもしれません。女子プロゴルファーズ連盟はゴルフ人口の減少を心配した大和プロが「会って、話して、教われる」をモットーにゴルフの楽しさを伝えようと興した団体です。20名強の女子プロを擁しイベント中の動画撮影やSNSへの投稿もOKというおおらかさです。プロとのツーショットもサインもしてくれます。

現在女子ツアーは人気を謳歌していますが、この状態は日本独特かも知れません。今年の女子は38試合が開催されますが本場アメリカは34試合でそのうち数試合は米国外での開催です。日本の男子ツアーと比べても試合数が15ほど多く、賞金総額でも男子を上回るという世界的に見れば稀有な状態です。黄金世代とかプラチナ世代というネーミング、それに見合う実力を持った若い選手の輩出、アパレルメーカーのゴルフウェアへの注力(最近のスカート短い!)、充実した下部ツアー、選手たちの積極的なSNSへの投稿、スポンサーやファンの重視などの努力が実っているのだと思います。ただアメリカでもアニカ・ソレンスタムやロレーナ・オチョアなどのスーパースターがいなくなってから韓国勢を中心にしたアジア人が活躍して米国内での人気が陰ったように、いつ今の隆盛が危うくなるかもしれません。大和プロが蒔いた種が育つようにへなちょこジジイゴルファーもささやかなサポートをしていきたいと思います。




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