マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2022年06月

もう40年以上朝食には必ずヨーグルトが付いている。新婚旅行でカナダに行った時ホテルの朝食がおいしかった。メニューはパン、コーヒー、グレープフルーツにヨーグルトという今考えればごく普通の献立だったが、一人暮らしが長かったのでロクな朝食を食べていなかった自分にはごちそうに思えた。思わず「おいしい!」と言ったばかりに帰国してから毎朝同じ四品のメニューが出るようになった。最近ではパン、果物やヨーグルトの種類やブランドは時々変わるが基本的には変化はない。飽きずに40数年。
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ヨーグルトは明治、森永、グリコの御三家に時々特売しているローカルブランドのローテーションだが、やっぱり一番多いのは明治のブルガリアヨーグルトかな。

子供の頃ヨーグルトは小さなガラス瓶に入っていて毎朝牛乳屋さんが配達するものだった。本格的なヨーグルトはなくてゼラチンや寒天で固めた甘い製品ばかりだった。そんなにおいしいとも思えずたまに食べたいと思うのはフルーツ味のヨーグルトだった。ブルガリアヨーグルトを食べたのはその十数年後の大学生時代だった。まだ牛乳パック状の容器で開けると蓋ができず一度に全部食べて食事の代わりにしたりもした。

ブルガリアヨーグルト開発のきっかけは1970年の大阪万博というのは有名な話だ。会場のブルガリア館でヨーグルトを試食した明治の社員が感銘を受け開発に着手した。当時の明治乳業もヨーグルトを販売していたが甘くないプレーンヨーグルトを始めて食べて「これが本物の味だ!」と思ったという。分けてもらったサンプルをもとに乳酸菌の菌種選定からスタートし、試作を重ね何度もヨーロッパを訪問して翌1971年に「ブルガリアヨーグルト」を発売しようとしたらブルガリア大使館から待ったがかかる。ヨーグルトは民族の魂のようなものなので日本の民間企業には貸与できないとのこと。仕方なく「明治プレーンヨーグルト」の名前で市場導入をした。予想されたことながら甘いヨーグルトしかない市場で苦戦を強いられ一日に数百個しか売れず、かつ「酸っぱすぎる」「腐っている」「味が変、不良品ではないか」というクレームも相当来たらしい。

しかし本物の商品が浸透しないと日本の市場は成長しないと信じ、そのためにはヨーグルト発祥の地ブルガリアの名前を冠することが必要と考えた明治はプレーンヨーグルトにかける熱い思いを大使館に伝え続け、製造設備や品質管理、流通管理の説明を繰り返して承認を得て1973年12月に「明治ブルガリアヨーグルト」を世に出すことができた。
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その後も売れ行きは芳しくなかったが新聞広告でヨーグルトの食べ方の説明やテレビ広告であの「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴを浸透させ、甘く食べられるように砂糖の小袋を店頭で添付するなどの地道な努力を重ねた。1981年にはそれまでの牛乳パック転用の容器から専用の密閉式パッケージを開発したことで販売量が増加し市場に定着した。
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牛乳パックの時は500㎖、81年の新容器発売時は500g、87年には550gに増量したが95年に500gへ、2009年に450gへ、2018年には400gへと減量が続き添付の砂糖も2014年にカットされた。2018年の減量の時は「明治よ、お前もか!」と落胆した。容器と容量の変更、ミリリットルとグラム表示変更もあってブルガリアヨーグルトのパッケージ変更は20回以上に及ぶ。

それでもトップの位置を守っているのはブルガリアの名を冠したこと、記憶に残る「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴに加え、競合の森永ビフィダスの正方形パッケージやグリコ朝食ヨーグルトの円筒形パッケージと比較すると明治の長方形パッケージは正面の面積が大きく店頭での訴求力が強いことが考えられる。それと相撲ファンにとってはあの少し哀愁を帯びた表情と人のよさそうなブルガリア出身の琴欧州の化粧まわしだろうか。
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わが家から帷子川を挟んだ対岸に建設中の「Kアリーナ横浜」。隣にはヒルトンホテルとオフィスビルも来年秋に完成です。世界最大級の2万人収容の音楽アリーナは今月から予約受付が始まったとのこと。今年の一月には下の写真のようだったのに半年で工事はかなり進みました。初めて見た人は異様な形状にたいてい驚きます。
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主に外人向けの高級賃貸マンションで知られるケン・コーポレイションが進める大プロジェクトです。都心の電柱によく広告を掲載してましたね。オフィス事業は経験があるのだろうがエンターテインメント事業に参入した大丈夫なのだろうかと老人はちょっと心配です。それにアリーナの内面図を見ると屋根がないように見えます。みなとみらい地区の屋外コンサートの音声が聞こえるくらいだから、数百メートルしか離れていないアリーナの2万人の歓声は相当響くに違いない。ただでコンサートが聴けるのは悪くはないけど。
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しかし2万人入る会場に屋根がないわけはないだろうと他の記事を調べたらこんな写真もありました。梁組があるようなのできっと天井はあるのでしょうね。
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もうひとつ心配事が。同じみなとみらい地区には1万人収容のピアアリーナもすぐ近くにあり、大小ふたつのホールを持つみなとみらいホール(現在改装中)もあるし、隣駅の関内には関内ホールと横浜文化体育館跡に武道館とは別に5000人収容のメインアリーナも建設中です。ハコばかり作って大丈夫なんだろうか。ちゃんと稼働するのか、人が来るのか心配です。以前ブーニンを聴きに行ったみなとみらいホールは三分の一しか客が入っていなくてブーニンはちょっと不満そうだったし、本牧に住んでいた時目の前にあったアポロシアターは毎回ガラガラでバレエやコンサートの無料チケットがマンションのポストによく入っていて2、3度見に行ったことがあります。(その後閉館されてしまった)。
もし同日にコンサートが重なったら帰りは大変だと思う。最寄りの地下鉄新高島駅は小さな駅だし本数も多くはないので何万人が横浜駅まで列を作って歩くことになるのでしょうね。でも近所にこういう施設ができることは街の活性化にもつながるので期待はしているのです。k01_o



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33年間のサラリーマン生活で6回の転職、7社での勤務を経験した。全部外資だった。一番長く在籍したのは初めての転職先で今はなきワーナー・ランバート社。一度辞めて出戻り、通算15年働いた。入社した時は年商300億くらいの規模だったが、ちいさなコングロマリットのような会社で、医薬品、医療用ゼラチン製ハードカプセル、シックのカミソリ、アダムスの菓子、洗口液のリステリン(発売前)、熱帯魚の飼料のテトラなど多岐にわたるが相互にあまり関連のない製品群を持っていた。その他にも入社後すぐに売られてしまったが診断用試薬事業部と眼鏡や光学機器を扱うアメリカン・オプティカル事業部があった。あの頃の外資によく見られた相次ぐ買収で大きくなった会社のひとつだった。入社時には全事業部合計で社員数は210人くらいだったが、辞めた時は私がいた菓子事業本部だけで300人近い所帯となっていた。
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合併で大きくなった会社によくあるように異なる社風やカルチャーがそのまま残り、ボーナスの支給方法さえ事業部で異なっていたし、同じ会社とは言え雰囲気は結構違っていた。外資ではボスの性格によってその事業部の雰囲気が変わることも多いが、重厚な感じの医薬品事業部と比べると消費財事業部は自由な緩い感じがした。会社としての規模は小さいものの業績は悪くなく、カプセルは50%、シックは70%、テトラは90%のシェアを持ちそれらのカテゴリーのリーダーだった。ただ私が所属した菓子事業部は日本に来てから22年間連続の赤字続きで、そのことは入社後に初めて聞いた。だまされたと思った。

転職など考えていなかったのだが、突然リクルーターから電話が来た。労働組合の書記長をしていたので、厄介者を外に追い出す逆ハンティングかと思った。なんども電話があったので会いに行ったら面接官にかつての団体交渉の相手だった元人事局長のI氏がいた。定年で退職した後(当時の定年は55歳)日本ワーナー・ランバート、パークデイビス、パークデイビス三共の三社が合併してできたワーナー・ランバートの人事や給与システムを統合するために人事のトップとして合併直前に入社したとのことだった。業績が伸びている時だったのでプロダクトマネジャーが必要になり、I氏が前の会社のアメリカ帰りの私の同僚に声を掛けたが断られ、仕方なく次に私の名前を出したらしい。面接の後近くのホテルで晩飯をご馳走になり入社を決めてしまった。

提示された待遇も魅力的ではあったが、I氏だったら悪いことはしないだろうと考えた。感情がすぐ顔に出る正直者で団交の時には組合側から見ると最も容易な交渉相手だった。もとは食品会社で営業をしていた人で人事のプロではない。笑うと笑顔のやさしい人だった。入社後のパーティで連れて行った娘が私にそっくりなことを社長に話そうとして「He has a Xerox baby」と言った一言は忘れられない(彼は東大卒)。英語が不得手の自分でもこの会社なら生き延びられるかもしれないと思った。

とは言いながらそこは外資で、菓子事業部マーケティング部の同僚は全員アメリカでMBAをとったかアメリカの大学卒で、アメリカに行ったことすらなかった自分は異邦人のようだった。彼らのジョークについていけず、会話の何割かを占めるカタカナ語が分らず何度こっそり辞書をひいたことか。プレゼンで英語が出てこなくて沈黙すること数知れず。そんな時「気楽にやりましょう」と本部長は言ってくれたが気楽になんかなれるはずがない。前の会社も外資だったが、本物の外資に来てしまったと思った。よく15年も持ったと今でも思う。

居心地の良い、働きやすい会社だった。ただ本業の医薬品ではなかなかヒットが出ず、当時ウォールストリートが製薬会社に求める年十数パーセントの成長はかなり困難だった。やっとブロックバスターが出そうで、社長が「今は大変だが、あと2年で会社が変わる」と言っていたリピトールが発売され、グローバル年商1兆円の製品になったら、アメリカで販売提携をしていたファイザーに敵対的買収を掛けられてあっさりこの世からワーナー・ランバート社は消えてしまった。



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外資と日本企業の違いの一つにゼネラリスト志向vsスペシャリスト志向というのがある。日本企業の多く、特に大企業では新卒で入社して以降数年単位でいろんな部署を経験させ、仕事や会社の仕組みを覚えさせ最終的には適任と思われる業務に就かせる。いわるゆゼネラリストを育成してオールラウンドプレイヤーを作る。会社と製品のことは何でも分かるようになるが、この強みはその会社の中だけの強みであることが多く、他社ではすぐには通用しないことも多い。

一方外資系企業はその多くが新入社員の採用をしない、もしくは少数しかとらない。ほとんどが中途採用である。その採用に人事部門が係ることがすこぶる少ない。面接も採用も入社後上司となる数人で行う。採用後はすぐ前任者と同じように働き成果を出すことを期待される。つまり当該業務のスペシャリストとして採用され、他の部門への異動は限られた部門間(企画部門と営業部門など)で見られるだけである。採用時にはエージェントにどんな資質を持った人が必要かを書類にして渡す。こんな感じです(品質管理マネジャーの例)。
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これを読むと医薬品業界に15年以上(その内管理職経験が5年以上)、医薬品の新製品開発と申請及び承認のプロセス経験、グローバル組織やJVと一緒に働いた経験、オピニオンリーダーとの関係構築経験などが必須項目で、その他に薬剤、法規制や製造に関する専門知識、英語能力まで求められたら外資の同業で働いていたスペシャリストしか面接に進めない。当然これで採用されたマネージャーは新組織内で前職と同様の業務をこなし他部署への異動はまずない。上司と気まずい関係になったら次の会社を探すことになる、むろん同業で品質管理の仕事を。

品質管理だけでなくR&D(製品開発)、製造、マーケティング、経理・財務や物流、システムなどの専門知識が必要とされる部門も同様である。当然のことながら日本企業でもこれらの職種は専門職として存在するが、新卒社員かそれに近い社員を一から教育して育成するのが一般的だ。帝大しかなかった頃日本の企業は高等小学校を出たばかりの優秀な若者を大量に採用し社内で教育しはじめた。この社内育成システムが大卒の新卒者にも受け継がれている。育てた人材が早期退職しないように、長く働くほど給料が上がり、多額の退職金が受け取れる年功序列賃金体系とセットになった新卒の一括採用はこうして日本に根付いた。外資は日本企業が金をかけて育てた人材をかっさらっていると言うこともできる。

外資に専門職で中途入社するとあとはその部署で実績を上げて昇進するしかない。Up or Outという言葉があるように上に上がっていくか辞めるかのどちらかになる。ま、じっと首をすくめて我慢という手もあるが。組織が大きくなれば上級職へのチャンスは増えるが、そうでなければボスが昇進するか辞めるかして空席ができない限り上に行く機会は多くはない。空席ができても突然本社の外人が来たり、他の部署から横滑りでポジションを埋められることもある。するとあと2~3年待たなければいけない。外資でも昇進がないと大きな昇給は望めないので外部にそれを求めることになる。スペシャリスト(プロ)として採用された人はその技能でほかの会社でも十分に通用する人がほとんどだ。外資では転職の時に給料を上げないとあとで後悔する、と言う人は多い。




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現在日本には約3300の外資系企業が存在し、55万人の人が働いている。毎年約50社が新規に設立されその倍近い会社が撤退している。第二次大戦後には多くの外資系企業が日本に進出してきた。当時は外資単独では許可されず日本企業との合弁という形だった。その頃の会社で今でも存続している企業はそう多くはない。今までに数千の企業が日本市場から撤退した。撤退の理由はいろいろあろうが大きく分けると次のように考えられる。

その国特有の流通を無視する
他の国での経験(成功体験)を重視し、その国の独自性を軽視する
3年から5年での社長の交代
投下資本の回収を急ぎすぎる
雇用及び賃金面での柔軟性のなさ

分からないでもない。本国では直販で売ってきたから日本の一次卸、二次卸、時には三次卸経由なんて店に並べるまでに時間がかかりすぎるから日本でも直販ルートでとか、この方法でメキシコでは大成功を収めたのだから日本もレベルは大差ないだろうからこれで行こう、などで失敗する。外人社長が5年を過ぎても日本にいると税制面で日本人と同じような扱いになり目減り分を会社が補わなくてはならない(と昔聞いた)からその前に帰ってもらう。かつ新社長はたいてい前社長と違う方法で実績を伸ばして力量を見せようとして全社が混乱する。その上社長が変わるたびに部下は日本のビジネスを一から説明せねばならないし、全得意先に紹介しなくてはならない。トップも任期が長くないことを知っているので成果を早く出そうとする。一方競合の日本企業は、儲けは後からついてくる、まずは基盤づくりからのスタンスでやるので外資に長期的な勝ち目が薄いことが多い。自信満々で日本に進出したので誇りある自社のシステム(職務給、給与体系、昇進・評価制度など)を修正することを好まない。こうして多くの外資が失敗した。

基本には日本と株主の発言力の違いがある。我慢強い日本の株主に比べ、アメリカの株主は短期の成果を期待する。四半期病と揶揄される三か月ごとの売り上げと利益および配当を注視し、不満だと経営者の首を挿げ替えることもする。だから経営陣は発行済みの株価総額を上げることに(株価を上げること)一生懸命にならざるを得ない。当然外資が日本に上陸したのは売りと利益を上げるためなので日本の経営陣にも同様の要求をすることになる。

当然のことながら外資の良いところ優れているところも多くある。GAFAのように最初から世界市場を見据えて設立され成功を収めた会社もあるし、世界中で長く愛されている高品質の食品、飲料、日用品、精密機器製品も多い。ファッション衣料や化粧品のように強固なブランドイメージを確立した揺るぎない製品も数多い。製品以外でも

原材料の一括購入
集約された生産拠点での効率的な製造
資金と人材を集中しての研究と開発
マーケティング・ノウハウ

などは外資というかグローバル企業の圧倒的な強みだと思われる。製造面でのスケールメリットを生かした生産は嗜好性が国によって異なる消費財では利点が薄れつつあるが、半導体や医薬品、コンタクトレンズのような世界共通製品で小さくて価格が高い製品は空輸物流費も安価なので強味が維持されている。集中化された研究開発の成果はブロックバスターを生み出し続ける医薬品業界を見れば明らかだし、新製品開発も含めたマーケティング・ノウハウの重要性はコカ・コーラ、スターバックス、アップルなどの国境を越えての一貫したメッセージとブランド確立が証明している。



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外資と聞くと多くの人は、やることがドライで時に冷徹、英語ができる人が働いている、給料が高そう、が主な印象だろう。引退から十年後に2年間だけ旧財閥系の食品会社でアドバイザーとして派遣で働いたが基本的には外資しか知らないので比較は困難だが、確かにレイオフなど人員削減をしたり、ブランドや事業を売却したり、採算が取れないと分かると即日本市場から撤退したりドライな面はある。しかし最近は日本の会社も早期退職制度やM&Aを日常的に行っている。Going concern(企業の永続性)概念の浸透が進み財務の健全化のために遅まきながら何らかの手を打つ必要性が出てきたということだろうか。

英語ができる人は確かに多い。戦後の外資には英語はできるが経営を知らないタイプのトップがそこそこいたがそういう人たちは淘汰されていった。最初に入社した会社には外人が多かったせいか帰国子女の秘書や部長クラスにたくさんの英語達者がいた。得意先も外資が多かったので必要性もあり、アメリカの大学を卒業した新卒も採り始めていた。社内では帰国子女でグループができたり日本人同士なのに英語で話している光景も見られた。逆にアメリカの大学出身者同士では、卒業校の格もあるのか、妙な対抗意識があるらしくとげとげしい雰囲気も時々見かけた。私費で留学すると一千万くらいは投資しているので早く出世して回収しようという姿勢は今でも多くの外資で見られる。

転職して入った会社はマーケティング部だったせいか周りは私以外は全員アメリカの大学卒だった。かつ半数はMBAホルダーだった。みんな毎朝英字紙を読み、流ちょうな英語でプレゼンをした。時々私が理解できない英語のジョークが飛び交う。最初の大学では英語の単位を落としまくって退学処分を食らい、アメリカに行った経験もなく英語を使うことがほとんどなかった自分は最初のプレゼンで躓いた。説明をするのは記憶していることを話せばいいのだが質問が飛んでくる。質問の意味も完全にはつかみ損ねたが答えも口から出てこない。2~3分の沈黙。上司の上司である本部長が「気楽にやってくださいね」と声をかけてくれるが気楽などには決してなれない! こんなプレゼンが数回続いた。30代半ばではそう簡単に英語はうまくならない。開き直るしかない。
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それでこう考えた。外資の共通言語は英語ではない。共通言語は数字とロジックだ。外資で生き抜くためには英語はコミュニケーション手段として必要ではあるが、英語はあくまでConvenient LanguageであってCommon Languageではない。数字とロジックが共通言語だ。誰もが納得できるロジックを打ち立て、それを数字で裏打ちしてプレゼンや説明ができれば、英語がそんなにできなくても外資で生き残ることができる。自らを納得させるにはちょっと苦しかったがそう信じるしか方法はなかった。しかしそれで結構救われた。

数字はできるだけ暗記するようにした。資料を見ないで「当社製品がシェアを0.5上げたのに対し競合の製品Aは前年同期の17.4%から16.9%へ0.5ポイント下げました。そうです、我々がシェアを奪ったのです」と大きな声で説明するだけで聞き手(本社の外人)は信用する。前年の17.4は17.6か17.2だったかもしれないが、資料を見ながら説明するのとそらんじている(ように見せる)のでは信頼度が違う。誰もそこまでさかのぼって確認はしないし。それに外人さんは意外と数字に弱い。回帰分析をして、知名率が5%上がれば好意度は2%上昇します、その相関係数は0.878と非常に高い、と説明すると皆黙り質問もそこで途切れるのがほとんどだった。

給与に関しては確かに外資のほうが高いように見える。年功給と職務給の違いにもよるのだろうし、外資への転職リスクをオフセットしなくてはならないし、高くしないと日本の外資は優秀な人を集められるだけの評判、実績に欠けているのかもしれない。しかし目に見えない要素を考慮するとそんなに差がないように思われる。以前新聞記事で読んだのだが、日本の上場企業は従業員に払う給与の1.53倍を支出している。厚生年金保険料(18.3%)や健康保険料(11.64%)の労使折半分の負担、雇用保険料負担分(過半を会社負担)、労災保険料(全額会社負担)以外にも福利厚生費(社宅、家賃や社員食堂補助、託児所、海の家や山の家の保養所、研修所、社員のレクリエーション等)、退職給与積み立て分、慶弔見舞金などを加えると支払い給与の5割強のプラスを払っている。一方外資の場合は一握りの巨大外資以外は福利厚生費はごくわずかである。せいぜい所属する業界健保の施設を利用するかリロクラブのメンバーになるくらいのものだ。とすると外資では従業員に支払う給与の1.3倍くらいしかかからないことになる。この1.53との差額を給与として社員に払えばトータル人件費を増やすことなく見た目の給与が高くなるということだ。騙されてはいけない。


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社会に出るのが遅れたので33年間のサラリーマン人生だった。全部で6社、海外への出向を含めると7社ですべて外資系企業だった。30代、40代、50代各2回の転職経験だ。一番長く務めた会社が15年、短いのは11か月。事業やブランドを売却・譲渡して会社が解散し退職した会社が2社。望んで外資を選んだのではなく、26歳で大学を出ると当時は日本企業は就職試験さえ受けさせてくれず、残された道はマスコミ関係か外資しかなかった。

外資と言っても入ってみれば外人は上のほうに数人いるだけで従業員の99%は日本人の会社がほとんどだった。下っ端のころは会社とはこんなものだろう、外資も日本企業も違いはないだろうと思っていた。マーケティングに配属されブランドを任されるようになると責任を感じるようになり、若くして巨額の広告費を使えるようになると売りが上がらなかったらどうしようと少し不安だった。最初にブランド担当を経験した会社のマニュアルにはこう書かれていた。

「プロダクトマネジャーは担当製品の利益を短期的には最適化し、長期的には最大化するマーケティング計画を策定し、実行することが責務である」

社内では一応花形部署ではあるが販売目標や利益目標未達が続くと会社には居づらくなる。多分この点が外資と日本企業の大きな違いかもしれない。当時景気が良かったこともあるが外資のプロマネの平均勤続年数は3~5年だったと思う。実績を上げて他社で高いポジションに就く人もいたが、いられなくなった人も多かった。かつて外資と内資両方の証券会社経験者の友人が「投資するんだったら外資系証券会社にしたほうがいい。ファンドのリターンが悪いとすぐ馘だからね、必死だよ。その点日本の会社は優しいからね」と言っていたのも同様な理由だろう。

製品を発売するときにはなぜこの製品を世に出すのか、製品コンセプトは何か、消費者にはどんな便益があるのか、競合品と比べてどこが優れているのか、そしてそのエビデンスは、などを分厚い書類にする。発売後3年間の販売予測とP&Lを添付し、万が一計画通りに販売が進捗しなかった時に利益目標を達成するためにどのようなアクションがとれるかを書く。その書類をアメリカ本社に送り、彼らの細かい質問に答えた後、やっと市場導入のOKが出る。当然機動性は日本企業より遅く、市場機会を逃すことも多い。

市場調査もマストで製品導入前の味覚テスト、パッケージテスト、広告テストなど調査会社から見ればいい得意先だったと思う。日本のことも日本人の嗜好もよく知らない本社の人間が判断をするので、彼らに何%の消費者がこの味を好むとか、購買意向率は何%で再購買意向は何%だとか必要以上の調査をして説得せねばならない。広告はもっと面倒で当時アメリカで主流だったslice of life(日常生活シーンの中での製品使用を訴求)やテスティモニアル(一般人やタレントが製品を手に持ち利点を訴え推奨する)広告から見ると異端のようなユーモア広告やタレントを使用した認知をあげることが主眼の広告はストラテジーから外れているとクレームがつく。15秒が中心の日本ではアメリカ流は無理だといっても納得しない。結局何本ものアイデアをテストしてやっと決着がつく。テストを繰り返すたびにアイデアのとんがった部分が丸くなり当初のユニークさは消失する。

マイナス面もあったが外資ならではのプラス面もたくさんあった。まずマニュアルがしっかりしている。マーケティングだけでなく営業や他の部署でもマニュアルが存在する。ファストフード業界でもアルバイトを即戦力にしサービスや製品の品質を均等化するためにマニュアルがあるが、たいていの外資には世界中共通のブランドマネジャーのマニュアルがある。英文で書かれてはいるが用語の定義から、仕事の進め方、市場分析から始まり販売予測の方法、予算管理やマーケティング目標の設定、ブランドプランの書き方まで含まれている。生産性のあげ方、コミュニケーションの取り方、創造性をあげる方法、部下のトレーニングやモチベーションの改善法まで書かれている。前の会社でこの会社出身の上司の下で働いていた入社したばかりの同僚が「あの人のプランや書類の書き方がすごいと思っていたが、なんだこのマニュアル通りじゃないの」といった言葉が忘れられない。
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マニュアルは一冊ではなく、販売促進マニュアル、調査マニュアル、広告マニュアルから書式マニュアルまで揃っていて困ったときはこれさえ読めばなんとか格好がついた。知らないうちにすこぶるオーソドックスなマーケティング知識が身につくようになっていった。文学部卒でマーケティングなど知らずに仕事を始めた私のような人間には特にありがたかった。ここで覚えたマーケティング手法と前職時代に叩き込まれた広告効果の予測および測定方法の知識があれば転職してもしばらくは飯が食えるなと思った。まだ30代だった。



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6月1日から多くの食品が値上がりするとどの局も報道していましたね。6月1日出荷分から値段が上がるものとその値上がり率は下記のようです。

ネスプレッソ10杯 13%
カップヌードル 11%
サッポロ一番 11%
赤いきつね 11%
からあげくん 10%
味の素 8%
森永ピノ 7%
森永チョコモナカ 7%
明治エッセル 7%
富士そば 6%
CoCo壱番屋 6%
ブルドッグソース 6%
ミツカン穀物酢 5%

6月だけで食品の1500以上の品目が値上げを予定しているとのこと。7月にはそれを上回る2100もの食品が値上げされます。値上げ幅も2~3%などではなく10%以上のものも数多くあります。パン類やコーヒーは昨年から小刻みに値上げされているし、7月以降に値上げされる食用油やすり身、冷凍食品の一部は20%の値上げが想定されているようです。
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帝国データバンクの調査によると今年中に値上げをした又はする予定がある食品や飲料は8300にもなるという。食品飲料会社の65%が値上げをする予定で平均値上げ幅は13%と高い。いままで値上げを我慢してきた分もあるのでしょうが、原油や小麦の値上がりに加えてウクライナ侵攻でエネルギー価格がさらに上がったこと、最近の円安で輸入価格が円ベースで上昇したことなどが背景にあるということです。それにしても13%は大きい。相当なインパクトが家計にのしかかかります。

どのくらいの負担増になるか計算をしてみると(高齢年金世帯で参考にはならないが)食品+飲料への支出の6割のアイテムが平均13%上がるとすると7.8%の支出増となり我が家の場合金額では年間約58000円の増加となります。食費だけではなく光熱費の値上がりも大きい。電気は9か月連続で単価が上がりガスもガソリンも水道(横浜市は昨年7月に+12%に)も値上げされている。我が家の1~5月の光熱費は対前年比で未曽有の+29.8%増で、このまま行けば年間の光熱費は毎月前年比で+1万円、年間で12万円増ととんでもない金額になります。食品飲料の増加と合算すると約18万円の負担増で一ヵ月分の年金が消えることを意味します。

このような多くの商品の値上げは前例がなく1979年の第二次オイルショックの時のようなCPIの上昇が起きるかもしれません。節約はしようとは思いますが食品の節約には限界があるし、先の短い老人ゆえ残りの人生を我慢して生きるのも寂しい気もします。問題はこれがいつまで続くかで、第一次・第二次オイルショック時の狂乱物価のように約一年で収束すればいいのだけれど、今の原油価格、穀物価格、円安が継続されるとなると一年では済まないかもしれません。消費者物価指数は3月から上がり始めたように見えますが実際は昨年夏から上がっています。一昨年に下げられた携帯料金が物価上昇を隠していただけで、そのインパクトが今年の4月から消えたので一気に上がったように見えるだけです。つまり物価は約10か月前から上がっているのです。この物価上昇が一年以上続くことは確かだと考えた方がよいと思います。
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かつて1974年にCPIが23%上昇したとき、多くの企業は物価高に対応できるように従業員の賃金を上げることができた。私の月給も30%近く上がったと記憶しています。残念ながら日本の現在の状況では賃金の上昇はは物価の上昇に追いつかないことが懸念される。このままだと日本がますます貧しい国になっていくようで悲しい。



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