マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2022年09月

知多半島の半田はミツカンの街と言ってもいいくらいで、所有する工場、本社ビル、大きな黒塀屋敷、ミツカンミュージアムなどが市の中心にあり、雨が降っている日は街中に酢の匂いが漂う。最近は「種馬発言事件」「ミツカン父子引き離し事件」が話題となり、先月元親子間の裁判が始まったと思ったら、その直後に被告である八代目会長が心不全で急死してしまった。
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もともとミツカンは養子縁組でその歴史を繋いできた企業だ。初代の中野又左衛門からして養子だったし、二代目と三代目又左衛門は盛田家からの養子、四代目は盛田の分家からの養子、五代目も盛田の血を引く養子でかつ四代目の妻の実弟だった。六代目からは先代の実子が跡を継ぎ、先日亡くなった八代目の未亡人が現在の副会長で長女が社長を務めている。八代目の次女の子供が待望の男児だと分かった時点で八代目夫婦の養子にするよう要求され、断ると離縁を迫られたとのこと。ミツカン一族は四代目から中埜に苗字を変えたが、ずっと盛田家の血が受け継がれている。

その盛田家は隣の常滑の由緒ある造り酒屋で、「ねのひ」ブランドの日本酒が愛知県では有名だ。子供の頃テレビでよく「酒~は、子の日松」と呼び出しが唄う広告が流れていた。全国的にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫の実家と言った方が分かりやすい。彼は長男だったので本来は十四代盛田久左衛門を名乗るはずだったが、井深大とソニーを創業するため実家のビジネスは弟の和昭に任せられた。

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四代目中埜又左衛門は盛田一族である盛田善平と組んでビール造りを始める。苦労して丸三ビールを完成させ、次にドイツ風の「カブトビール」を発売しエビス、アサヒ、キリン、サッポロに次ぐブランドに育てたが、やがて事業を売却しビール事業で得た麦の知識をもとに製粉業に参入する。最初は小麦粉でマカロニを作ろうとするが失敗し、パンに切り替える。

当時名古屋古出来町の捕虜収容所にいたドイツ人技師数人を雇ってパン焼き窯を完成させ、名古屋に敷島製パンを創立し盛田善平が社長に就いた。その後ドイツ人のパン焼き専門技師であるフロインドリーブを雇い攻めに転じる。当初配送には箱車を使用していたが思い切って梁瀬自動車でフォードのトラックを買い、ボディに大きく「シキシマパン」と書いて市内を走らせた。東京の木村屋のアンパンが好評と聞けばすぐにまねをして作り、木村屋の販売が良好なのは直営店のおかげだと聞くと栄町に直営1号店、広小路に2号店、その後も東新町、上前津と拡大させた。ちなみに現在の盛田淳夫社長は善平の曾孫にあたる。
2022-09-25
愛知県と言えば名古屋とトヨタのある豊田市が思いつくくらいで知多半島が話題になることはほとんどない。名古屋も閉鎖的に見えるが、知多は家と家のつながりが他の地域よりさらに密で、かつ地元への愛着が強いように思える。盛田家と中埜家は養子縁組を繰り返してまるで同じ一族のようだし、中埜家は敷島製パン創業にも参画するだけでなく、一時はソニーの大株主でもあった。

その後の話。ミツカンは味ぽんやふりかけを発売してチルド・加工食品市場に参入し、1997年から納豆製造会社3社を吸収合併し製品ラインを拡大中である。
盛田家の十四代盛田久左衛門は善平亡き後二代目敷島パン社長を兼任し、息子の盛田和昭は家業と並行して創業時のソニーのテープレコーダーを販売して兄の昭夫を助けた。またアメリカで見学したコンビニを7‐11より3年も早く日本に導入し名古屋でココストアを展開した。シキシマパンは2003年にブランドをPascoに統一して日本第三のパンメーカーに成長した。シキシマパンの最初の技師フロインドリーブは会社を辞めた後も国には帰らず、神戸の中山手通で神戸ジャーマンホームベーカリーを開業し息子に引き継がれて現在に至っている。



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子供のころから広告が好きだった(7)

昭和30年代の中ごろお年玉や小遣いを貯めてテープレコーダーを買った。周りにテープレコーダーを持っている家はなかったと思う。確か1万数千円したので子供ながら清水の舞台から飛び降りる決断だった。ソニーは1951年に一般用製品を売り出し、裁判所や小学校を皮切りに浸透させ、本格的に家庭に売り込みをかけたころだった。
夕方に電器屋のおじさんが配達してくれて茶の間で使い方の説明が始まった。デモテープが一巻ついていて廻すと音楽が流れだした。

とっても可愛い坊やだな
どこから来たのと聞いたらば
僕は空の子朝日の子
光と一緒に飛んできた
ソニーソニーソニー
S-O-N-Y SONY
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マスコットのソニー坊やのテーマ曲だ。おじさんは次に録音の仕方を説明し、なにか話せと石鹸箱サイズのマイクを私に向けた。なにを話せばいいのか分からないのと声を撮られるのが恥ずかしいので黙っていると、突然父親が夕刊を音読し始めた。再生すると確かに父親の声だったが、本人はちょっと違うという顔をしていた。最初のIt's my SONYだった。当時トランジスタラジオが大ヒットし、テープコーダーという名称で家庭用テープレコーダーを本格発売し始めたソニーは日の出の勢いだった。

その後も学生時代の4畳半の下宿には父親から奪い取ったマイクロテレビがあったし、会社員になってからは5年の勤続表彰でもらったウォークマンで音楽を聴く毎日だった。日本を代表する家電メーカーで、高品質の自負からかテレビや音響製品など大抵競合品より値段が高かった。でも、あの頃身の回りにはいつもソニー製品があった。
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最近はソニーが軸足を他の領域に移したせいもありSONYの4文字にお目にかかることが少なくなった。うちの中を探してみたら大枚をはたいて買ったテープレコーダで録音したテレビの音楽番組や「夢で逢いましょう」、ラジオドラマ吉永小百合の「お父さん!大好き」などのテープと、カナダ時代に会議の内容を確認するために使っていたマイクロカセットコーダー、飛行機の中で音楽を聴くときに使っていた初期のノイズキャンセリング・ヘッドフォンくらいしか見当たらなかった。

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かつて日本の首相がフランスを訪れた時、当時のド・ゴール大統領が「日本からトランジスタのセールマンがやって来た」と言ったことがあった。ソニーはその頃の日本の勢いを象徴する会社であり製品だった。日本が元気のない最近、ソニーのような会社、井深さんや盛田さんのような起業家、技術者や経営者がまた出てこないだろうかと老人は期待しているのですが。



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コロナが流行し始めてから外出はめっきり減った。近くのスーパーに毎日食料を買いに行くのと月に一回のゴルフと床屋だけになった。その前から外食は多くはないのだけれど、コロナ禍の2年半で合計数回に激減した。一番苦労しているのは外食産業と分かってはいるが、感染を危惧して外で食事をすることを控えるようになった。
2022-09-13
発生以来のコロナ関連倒産企業数は9月時点で4000件を超え、その中で飲食店が最も多い。2020年秋から始まったGo to Eat神奈川版の第一弾の中心は12500円分が10000円で買える食事券で、2022年の第二弾はそれが12000円分になった。魅力的と言われればそうかも知れないが、ほとんど外食をしない老人には使いきれないと感じた。

そんな時にいつものスーパーで買い物をしペイペイで払ったら、なじみの店員さんに「かなペイ使ってないの?」と聞かれた。20%還元ですごく貯まるとのこと。帰ってさっそくダウンロードした。かながわペイ、略してかなペイは新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金を活用した事業で、大型店での買い物や飲食が10%、中小型店では20%のポイントが還元される。ペイペイは基本的に0.5%還元だし、楽天カード決済は1%だからこの20%還元はとてつもなく大きい(世田谷ペイの30%還元には及ばないが)。使い始めてちょうど20日だが既に7400ポイント(1ポイント=1円)貯まった。
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ダウンロード数が150万ということは県民の6人に1人の割合だし、第一弾は70億円分のポイント還元をして終わった。第二弾は予算規模を50億に縮小して進行中で、このペースで行けば普通に食品や日用品の購入で11月末までに上限の3万ポイントは達成できるかもしれない。年金生活者にこの3万は大きいが、予算を使い切って11月末日前に終了してしまう可能性があることがちょっと気がかり。それとペイペイなどと比べると精算時の画面タップ数が多く、時間がかかることがネックです。レジがすいている時間に使うのがお勧めです。



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先月の17日から一週間崎陽軒のシウマイ弁当からマグロが消え、かわりに鮭の塩焼きが入った。具材の変更は59年ぶりだという。変更の理由は、「新型コロナの感染拡大による世界的なサプライチェーンの混乱などの影響で原材料のマグロの必要数量を確保することが難しくなったため」、と発表された。当日朝から売店には人が並び、20~30分で売り切れる店が続出した。その後も数個単位で入荷するたびに即売り切れのようだった。
2022-09-05
テレビの報道などではマグロの入荷数量が減ったことで値段が上がり買い負けたのが理由だと説明があった。本当にそうだろうか、とへそ曲がりの老人は思った。その期間中も、それに先立つ数週間もスーパーや魚屋ではマグロが並んでいたし、近所の中央卸売市場にもマグロは並んでいた。毎日のように市場の様子をアップしている市場の理事のFBにも、品薄と円安でじわり値上げ、の表現はあったがマグロはいつものように鎮座していた。

買い負けた?本当にそうなら何故一週間だけなのか。円安もマグロの値段も一週間では元に戻らないだろう。状況は同じなのに、何か腑に落ちない。一週間後に値段の上がったマグロを手当てできるんだったらその前の週でも可能だろう。それが企業の責任じゃないのか。ましてハマのソウルフードとまで言われているシウマイ弁当ですよ。そこで思った。一時的にでも売り上げを増やすせこい便法ではないかと。たった一週間のためにパッケージを変えるだろうか(下記参照)。急にマグロの確保が難しくなったにしては手際が良すぎる。
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推測するに、これはこの5月に就任した新社長のアイデアではなかろうか。なにか斬新なことをして社内外の注目を集めたい、と思ったとしても不思議ではない。崎陽軒四代目社長は40才の若さで、かつ先代の父親と比べるといかにも心もとない。5年前のNHKの「覆面リサーチ ボス潜入」という番組で、当時専務だった新社長が変装して社内の問題点を覆面調査し、改善点を洗い出すという一種のドキュメンタリーだったが、あまりのボンクラぶりに「これが次期社長?崎陽軒危うし!」と思ったのは私だけではないはずだ。

そんなことを考えていたら、シウマイ弁当が来月10月1日から40円値上げで900円になるとのニュースが入ってきた。ひょっとしたら、この値上げを正当化するためにマグロを出しにして原材料の高騰を訴え、一週間だけシャケに切り替え、10日後の値上げ発表の布石にしたのであればボンクラ社長もそれなりに考えているのではなかろうかとは思った。ま、まっとうな方法とは言い難いが。それにしても、シャケの立場がない!



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