マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2022年12月

静かに2022年が終わろうとしている。今年も何事もなく安寧な一年だった。11月に母を亡くしたが、100歳近くまで生きたし老衰だったので悲しみよりもホッとした気持ちの方が強い。これで自分と家内の両親は居なくなった。自分より若い友人やかつての仕事仲間も何人か亡くなった。自分が人生の第四コーナーに既に差し掛かっていることを思い知らされる。

現役の時は62~63歳くらいまでは働こうと思っていた。一応役員だったので働けるだろうと考えていた。しかしちょうど60歳の時に会社が解散され定年退職となった。あれから15年が過ぎ、後期高齢者になってしまった。外資7社で働き、平坦ではなかったけれどしんどくて楽しい35年だった。それと比べると引退後は平安である。まずストレスがない。刺激も少ないが、仕事がらみ、会社の人間関係、外人との交渉などのストレスがない。残された年月は長くはないだろうが、自分で使える時間はたっぷりある。周りには動けるうちにとあちこち旅行をする人、昔の仲間と会うために同窓会を企画する人、ボランティア活動に精を出す人、働き続ける人などいろいろだが、自分はほとんど何もしていない。

何もしていないが、日々の買い物と昼食と夕食の担当になって既に15年だ。荷物を持って歩く買い物は軽い運動になるし、メニューを考え調理するのは多少はクリエイティビティを要求される仕事ではある。あとは月に数回ブログを書き、少額の株の売り買いをしボケを遅らせる努力はしている。その他には地元の仲間と年に数回のゴルフに出かけ、昔の同僚とのプレイを加えると月一ペースくらいになる。多分周りから見れば何もしていないと思われる活動量・運動量レベルだろう。

もともと大勢の人とつるむのはそんなに好きではなかったし得意でもなかった。私は団塊世代で子供のころから「まわりはみんな敵だ、死ぬまで競争だ」と言われて育った。その競争に負け、30代半ばでやっと追いついた。面白そうな仕事を探しながら家族を養うために待遇の良い会社を選んだこともある。一度きりの人生だし、なんとかなるだろうの多少の自負や持って生まれた楽観主義もあった。大学を退学処分された経験から「あれよりでかいダメージは受けないだろう」と高をくくっていたことも事実だ。プロダクトマネジャーというどちらかと言えば個人プレーの多い職種だったことも自分に合っていたのかもしれない。職安に通った時期もあったがなんとか勤め終えることができた。

子供も独立し夫婦二人で事もなく日々が過ぎていく。団塊世代は最後の食い逃げ世代とか、終電に間に合った世代とか言われる。確かに右肩上がりの経済、年金など恵まれた面もあったが、人生の最終コーナーでコロナによって規制される数年が続くとは予想だにしなかった。外に出る機会は減り、人に会うことも少なくなった。しかしこれも人生。良いほうに考えれば老人らしく安寧な落ち着い日々なのかもしれない。贅沢は言うまい。「日々これ好日」とつぶやきながら新しく来る年を迎えよう。



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そんなに数多くプレイはしないがたまにゴルフ場に行くと結構な混雑だ。アクアラインは平日朝の利用者の相当数がゴルファーだと思われるし、ゴルフ場の駐車場も混んでいる。練習場も週末は1時間待ちはざらだ。コロナ前と比べてもプレイする人の数は増えているようだし、予約がとりにくかったり値段が上がっていた経験も最近は多い。三密でないスポーツは他にもあるのだろうがなぜゴルフだけがこんな状況なのだろうか。

レジャー白書2022によると2021年のコースでプレイをしたゴルフ人口は560万人で前年比+7.7%、40万人増とある。2022年はさらに伸びていると思われるが、ピークだった1994年の1450万人には遠く及ばない。下げ止まったと言った方が正確かもしれない。しかし矢野経済研究所の調査によると、コロナ期に新規参入したゴルファーは60万人と推定されている。コロナ下で新規参加者で約1割マーケットが増えるなんて他の業態では考えられない。
2022-12-20
インスタには始めたばかりらしい女性のゴルフ姿や動画が多くある。夜間の練習場では初心者と見える人が沢山練習しているし、父親がスマホ片手に女の子をを教えていたりする。先日行ったゴルフ場でも後ろの組は父親と小学生の男の子だったし、二組前も子供との家族連れだった。ゴルフ人口が増えているだろうなと実感できる。

ただ新しいプレイヤーのほとんどは値段の安いセルフプレイのコースに行くと思われるし、仲間だけで行けばうるさくマナーやルールを教える人もそんなにいないので、それらを知らないまま廻るようになる。全員がとは言わないがディボットは埋めないし、グリーンのボールマークも直さないし、グリーン上でスパイクを引きずった跡も時々見る。一番イライラさせられるのはスロープレイだ。球はあちこちに散らばるしキャディもいないしでは仕方ないかもしれないが、「クラブ3本持って走れ!」と怒鳴る人もいない。

平日にしかゴルフをしないので正確ではないかもしれないが、若いプレイヤー(特に女性)が増えているものの、相変わらず老人比率は高い。あるデータによると男女比は8対2で、年齢別では70代が23.4%と最も多い。自分も後期高齢者なのだけれど、最近プレー後の風呂場で「ここは養老院の浴場か」と思うこともある。そのくらい年寄りが多い。

ゴルフは幅広い年齢層が楽しめる数少ないスポーツだけれど、この団塊世代を中心とした高齢プレイヤーが引退した後、今のゴルフブームが続くのだろうかと心配になる。2025年問題は社会保障や医療だけの問題ではなくゴルフ場の死活問題でもあるのかもしれない。キャディの高齢化は自動カートである程度解決できるかもしれないが、ジュニアなど若いプレイヤーや女性ををもっと取り込むためや、ルールやマナー教育のために手を打つべきで、値上げをしている場合ではないと思うのだけどね。



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横浜駅から家に帰るときは横浜そごうを通り抜ける。B2の入り口から入ると受付があり、その左側が洋菓子コーナーだ。約50店が出店している。受付からエスカレーターに向かう通路に面しているのがメインストリートで集客力のある洋菓子店が並ぶ。右側にある和菓子コーナーは入り口の横にとらや、たねやなどが並ぶ不動の店構えだが、洋菓子店は移動が激しい。
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20年位前までは一番目立つ場所はアンリ・シャルパンティエとアンテノールが占めていた。芦屋と神戸の洋菓子店だ。両店とも客足は引きも切らず、かつシャルパンティエはB1フロアに喫茶室も持っていて勢いを感じた。神戸で数年を過ごして横浜に戻ってきたので懐かしくて何度も買った覚えがある。

しかししばらくするとアンリ・シャルパンティエの集客力が落ちてきた。私の鈍感な舌でも味が変わったように感じた。ちょうど全国の百貨店に店を拡げていた時期と重なる。創業者である蟻田さんが退社されてコンサルタントに転身した頃でもある。昔両親が芦屋に住んでいたころ、家から数百メートルに開店したばかりのアンリ・シャルパンティエがあった。母親がよく買ってきて、こんなにおいしいケーキがあるんだと驚いたことを憶えている。たしかパウンドケーキも作っていて、朝食のパンを買い忘れた母親が電話で注文すると蟻田さんがバイクだか自転車で配達してくれた。そんな店だったから味が変わったのは悲しかった。

同様な経験は多店舗展開した有名な中華料理店でもあるし、同じ店なのに味が激変した洋菓子店でもある。石神井に住んでいたころ神戸の洋菓子屋に負けないくらいおいしい店があった。フランスに勉強をしに行った店主が洋菓子のとりこになり菓子を学んで帰ってきて開店したと聞いた。ひと口で素材の良さが伝わり、クリームもケーキベースもおいしかったが特にリキュールが効いていたのが印象深かった。店にはリキュールの瓶が並び、併設した喫茶室もいつも混んでいた。30年後に懐かしくなって訪れたが全く違う味になっていた。こんなはずでは、と数種食べたがどれも昔の面影はなかった。店主が変わったのか、利益志向になったのかは分からないが全くの別物だった。手を抜いたり素材を疎かにするとこうなるのだと思った。

閑話休題。その後アンリ・シャルパンティエとアンテノールは少し目立たない場所に移り、ファウンドリーが一等地に出てきた。いつも多くの客が並びクリスマス前は長蛇の列ができた。買うのが大変だったが時々家内が買ってきた。そのファウンドリーも今日はクリスマス前なのに列はなかった。その代わり人が集まっている店が数店ある。
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ガトーフェスタ ハラダ、ニューヨーク パーフェクトチーズとN.Y.シティサンドだ。残念ながら3店とも食べたことがない。パーフェクトチーズは家内が何度か買いに行ったのだが食べたいケーキはいつも売り切れだと言っていた。コロナで外出が減り知らないうちに店が様変わりしていた。たまには街歩きをせねばと思ったが、多分「たねや」に足が向かうのだろうな、老人は。でも急がないとここもヨドバシになってしまうかもね。



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家電量販店からメールが来た。今日は電池の日です、と。電池の日?...聞いたことがない。調べてみたら11月11日から12月12日までの期間を電池月間と言うらしい。電池工業会が35年前に命名したという。乾電池のプラス(+)とマイナス(-)を漢数字の十一にみたてて電池の日とし、その2年前に制定したバッテリーの日(12月12日)までの一ヵ月を電池月間と呼ぶのだそうだ。プラスとマイナスを数字化するのはユニークだが、このバッテリーの日の発想が妙におかしい。野球のバッテリーの守備位置が1と2と表記されるので12月12日を「カーバッテリーの日」と命名し、1991年にバッテリーの日に改名したらしい。なんとかの日というのは数百あるがこの命名はちょっと苦しい。
2022-12-11
気になったので家中の電池を数えたらとんでもない数があることが分かった。リモコンが9個、時計7台、懐中電灯が6個、ラジオ2台、電子チューナー2台、その他シェーバー、EMS、距離計、電動歯ブラシ、CDプレイヤーなど電池を使用する機器が30を超える。ひとつに電池2個を使っているとして60個の乾電池。他にもカメラやストロボも電池やボタン電池を使用するのでスペアを加えると100近い電池が家にはある。最近はゴミを出すのが嫌なので充電式の電池を使っている。充電器も2個ある。
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自分も知らなかったが、乾電池は日本で生まれた。それまで湿電池は存在したが持ち運びに問題があった。長岡の尾井先蔵が1887年に時計用の乾電池を発明し尾井乾電池と呼ばれた。日の目を見るまでに時間がかかったが、シカゴ万国博覧会で地震計の電源として注目され、その後日清戦争時に電信機の電源としてその威力を発揮し「日本の勝利は乾電池によるもの」と言われたという。単一型、単二型という規格ができ、戦後には単四、単五型が誕生し、マンガン電池からアルカリ電池、リチウムイオン電池と進化しつつある。
2022-12-11 (1)
あまりに身近にありすぎてありがたみを感じることが少ないが、地震や台風で停電の時には乾電池がないと情報もとれないし光源もなくて不便この上ない。1970年ころ単一電池は100円だったが、今では100均で2個100円、アルカリ電池や充電式単三電池が100円で売られている。こんなに便利で安価な生活用品なのだから苦し紛れの「電池の日」命名には目をつむってもいいかと思う。



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