静かに2022年が終わろうとしている。今年も何事もなく安寧な一年だった。11月に母を亡くしたが、100歳近くまで生きたし老衰だったので悲しみよりもホッとした気持ちの方が強い。これで自分と家内の両親は居なくなった。自分より若い友人やかつての仕事仲間も何人か亡くなった。自分が人生の第四コーナーに既に差し掛かっていることを思い知らされる。
現役の時は62~63歳くらいまでは働こうと思っていた。一応役員だったので働けるだろうと考えていた。しかしちょうど60歳の時に会社が解散され定年退職となった。あれから15年が過ぎ、後期高齢者になってしまった。外資7社で働き、平坦ではなかったけれどしんどくて楽しい35年だった。それと比べると引退後は平安である。まずストレスがない。刺激も少ないが、仕事がらみ、会社の人間関係、外人との交渉などのストレスがない。残された年月は長くはないだろうが、自分で使える時間はたっぷりある。周りには動けるうちにとあちこち旅行をする人、昔の仲間と会うために同窓会を企画する人、ボランティア活動に精を出す人、働き続ける人などいろいろだが、自分はほとんど何もしていない。
何もしていないが、日々の買い物と昼食と夕食の担当になって既に15年だ。荷物を持って歩く買い物は軽い運動になるし、メニューを考え調理するのは多少はクリエイティビティを要求される仕事ではある。あとは月に数回ブログを書き、少額の株の売り買いをしボケを遅らせる努力はしている。その他には地元の仲間と年に数回のゴルフに出かけ、昔の同僚とのプレイを加えると月一ペースくらいになる。多分周りから見れば何もしていないと思われる活動量・運動量レベルだろう。
もともと大勢の人とつるむのはそんなに好きではなかったし得意でもなかった。私は団塊世代で子供のころから「まわりはみんな敵だ、死ぬまで競争だ」と言われて育った。その競争に負け、30代半ばでやっと追いついた。面白そうな仕事を探しながら家族を養うために待遇の良い会社を選んだこともある。一度きりの人生だし、なんとかなるだろうの多少の自負や持って生まれた楽観主義もあった。大学を退学処分された経験から「あれよりでかいダメージは受けないだろう」と高をくくっていたことも事実だ。プロダクトマネジャーというどちらかと言えば個人プレーの多い職種だったことも自分に合っていたのかもしれない。職安に通った時期もあったがなんとか勤め終えることができた。
子供も独立し夫婦二人で事もなく日々が過ぎていく。団塊世代は最後の食い逃げ世代とか、終電に間に合った世代とか言われる。確かに右肩上がりの経済、年金など恵まれた面もあったが、人生の最終コーナーでコロナによって規制される数年が続くとは予想だにしなかった。外に出る機会は減り、人に会うことも少なくなった。しかしこれも人生。良いほうに考えれば老人らしく安寧な落ち着い日々なのかもしれない。贅沢は言うまい。「日々これ好日」とつぶやきながら新しく来る年を迎えよう。

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現役の時は62~63歳くらいまでは働こうと思っていた。一応役員だったので働けるだろうと考えていた。しかしちょうど60歳の時に会社が解散され定年退職となった。あれから15年が過ぎ、後期高齢者になってしまった。外資7社で働き、平坦ではなかったけれどしんどくて楽しい35年だった。それと比べると引退後は平安である。まずストレスがない。刺激も少ないが、仕事がらみ、会社の人間関係、外人との交渉などのストレスがない。残された年月は長くはないだろうが、自分で使える時間はたっぷりある。周りには動けるうちにとあちこち旅行をする人、昔の仲間と会うために同窓会を企画する人、ボランティア活動に精を出す人、働き続ける人などいろいろだが、自分はほとんど何もしていない。
何もしていないが、日々の買い物と昼食と夕食の担当になって既に15年だ。荷物を持って歩く買い物は軽い運動になるし、メニューを考え調理するのは多少はクリエイティビティを要求される仕事ではある。あとは月に数回ブログを書き、少額の株の売り買いをしボケを遅らせる努力はしている。その他には地元の仲間と年に数回のゴルフに出かけ、昔の同僚とのプレイを加えると月一ペースくらいになる。多分周りから見れば何もしていないと思われる活動量・運動量レベルだろう。
もともと大勢の人とつるむのはそんなに好きではなかったし得意でもなかった。私は団塊世代で子供のころから「まわりはみんな敵だ、死ぬまで競争だ」と言われて育った。その競争に負け、30代半ばでやっと追いついた。面白そうな仕事を探しながら家族を養うために待遇の良い会社を選んだこともある。一度きりの人生だし、なんとかなるだろうの多少の自負や持って生まれた楽観主義もあった。大学を退学処分された経験から「あれよりでかいダメージは受けないだろう」と高をくくっていたことも事実だ。プロダクトマネジャーというどちらかと言えば個人プレーの多い職種だったことも自分に合っていたのかもしれない。職安に通った時期もあったがなんとか勤め終えることができた。
子供も独立し夫婦二人で事もなく日々が過ぎていく。団塊世代は最後の食い逃げ世代とか、終電に間に合った世代とか言われる。確かに右肩上がりの経済、年金など恵まれた面もあったが、人生の最終コーナーでコロナによって規制される数年が続くとは予想だにしなかった。外に出る機会は減り、人に会うことも少なくなった。しかしこれも人生。良いほうに考えれば老人らしく安寧な落ち着い日々なのかもしれない。贅沢は言うまい。「日々これ好日」とつぶやきながら新しく来る年を迎えよう。
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