マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2023年03月

専業主夫になって15年。毎日台所に立つ。台所で毎日使うものの一つがサランラップだ。ブロッコリーを水にくぐらせた後ラップに包んでチンしてサラダに加えるのと、残った食材を保存するときに使う。他のラップも何種類か使ったが、サランラップに勝るものはなかった。保存性が高いし、カットしやすく、しなやかなのに強度もある。冗談だとは思うが「アルミホイールはどのメーカーでも構わんが、ラップはサランラップしか使うな」と遺言を残したという話を昔読んだことがある。
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サランラップの品質は抜きんでている。しかし圧倒的なリーディングブランドのサランラップは日本最初のラップではない。呉羽化学がクレラップを市場導入した二か月後に発売された。二番手商品である。かつサランラップはもともとアメリカのダウ・ケミカルが軍事用に開発したもので、登録商標も日本ではダウ・ケミカルと旭化成の共有である。ちなみにブランド名は食品用ラップとして販売された時の開発者二人の妻の名前であるサラ(Sarah)とアン(Ann)から由来している。

サランラップの発売は昭和36年8月だった。大卒の初任給が1万2千円の時代に7メートル巻き(現在は主に20メートル)で100円の高価格だったので苦戦が続き、浸透するまで5年かかった。追い風となったのは電気冷蔵庫の普及である。発売時には1割に届かなかった冷蔵庫の普及率は昭和43年には8割を超えた。便利なゆえに何でも冷蔵庫に放り込んでいた主婦は庫内が意外に乾燥していることに気づく。新発売時の広告コピーは「夏だ。スイカだ。サランラップだ。」だったが、「おいしさを保てる」から「みずみずしさを保てる」に路線変更して主婦に訴えた。旭化成が単独提供していたフジテレビの人気番組「スター千一夜」でのCM投入も浸透を後押しした。

同時に、揺籃期であったスーパーマーケットへのアプローチもサランラップの伸長に勢いをつけた。スーパーで生鮮品がサランラップでくるまれて売られるようになり、主婦はラップの便利さに目覚めた。当然スーパーでの販売増を生み、デパートや雑貨店が販路の中心だったクレラップを一気に追い抜いた。

最近では冷蔵庫・冷凍庫での保存だけでなく、電子レンジを使うときや、おにぎりを握るときにも必須のものとなり、その存在感は増すばかりだ。



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風邪を引いたらしく鼻水が止まらない。家内に風邪薬はないかと聞いたら二種類持っていた。普段はパブロンを飲んでいるはずだが、持っていたのは知らないブランドだった。近所の薬局で勧められたらしい。推奨販売というやつだ。
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別にこの小林薬品の製品がどうのではないが、推奨販売で思い出した。チェーン店やスーパーが無かった頃は推奨販売は一般的だった。近所のよろずやや個人商店に買い物に行くとおばさんがいて、「子供のズック靴を洗いたいんだけど」と聞けば、「だったらこれがいいよ」と勧めてくれた。魚屋や八百屋でもお勧めを聞くと「今日はこれが安くておいしいよ」とよく言われたものだ。

今はスーパーやコンビニで「おしゃれ着洗いにはどの洗剤がお勧めですか」と聞いても店員さんは多分答えられない。その代わりに製品情報を流しているのが広告である。客は入店する前から、今日はセーターを洗うからアクロンを買おうと思って入ってくる。コンビニには約3000種の商品が売られている。店の人が全部の製品を憶えることすら不可能で製品特徴などなおさらである。製品情報はテレビや雑誌から得られていて、これをマーケティングではプリセリング(事前販売)と呼ばれる。

逆の言い方をすると、スーパーやコンビニなどのセルフサービス店はテレビや新聞などのマス広告が一般的になって初めて可能となった業態なのである。マスメディアによるプリセリングなしでは成り立たない。プリセリングがあるので店員さんに聞くことなく棚から製品をピックアップしてカゴに入れられる。もうひとつ必要なものはブランドである。他の製品と棚で区別するために必須である。つまりセルフ店が存在するためには広告とブランドがマストだ。

このような状況の中で推奨販売が残されている数少ない販路が薬局である(他にもワインショップや化粧品店などにも推奨販売が残っている)。素人が製品差を判別しにくい商材を扱うチャネルだ。家内が薬屋で症状を説明し、薬剤師が勧めたものを買ったパターンですね。薬屋に行って症状を伝えると多くの場合トップブランドでないものを勧められる。これはほとんど成分が同じだが小売店がマージンが大きいものを売りたがるためだ。利益額が倍くらい違うこともある。かつて医薬品や化粧品が定価で売られていた再販価格対象品のときはもっとえげつなかった。

大手のメーカーは推奨されるようなインセンティブを付けたり、推奨が期待できない場合は(マージンが薄い)指名買いを増やすために広告を用いる。昔担当していたコンタックやバファリンは指名買い率が70%くらいだった。これも一種のプリセリングなのだが、薬局で「バファリンください」というと「ほぼ同じ成分で値段の安いのがありますがどうします?」とバッサミンとかバッサリンを勧められることが時々あった。なんだかパッケージも似ていたなあ。
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子供のころから広告が好きだった (30)

最初の大学は哲学科美学美術史学専攻だったので、卒業したら美術館は無理だろうから画廊で働くのだろうかと思っていた。しかし退学処分を喰らってしまい、翌年もぐり込んだ大学は文学部新聞学科だったが年齢や能力的に新聞社や雑誌社、
通信社は駄目だろうと考えていた。広告コピースクールに通っていたし書くことが好きだったので広告の仕事に就こうと決めた。

コピーライターになりたいと何社かの入社試験を受けたが、最初からコピーライター希望は駄目という会社もあったし、面接で落とされた会社もあった。最終的には外資系の会社に採用されたが配属されたのは媒体局だった。広告代理店は制作と営業だけだと思っていたので、電話で媒体局配属と聞いても漢字が思い浮かばなかった。だからコピー以外は全く知らずに広告の仕事を始めたことになる。

文学部だったのでマーケティングも統計も経済も分からずにスタートし、おまけにテレコだのCCだのHHだのPTだの業務用語が分からずに苦労した。広告用語辞典を買って知らない言葉はすぐ調べた。そんなころ広告批評という雑誌が創刊され、創刊号から買い始めた。伊丹十三、なだいなだ、開高健など知った論客が広告論を戦わせ、クリエイティブ中心だが論文の転載や時事ネタ、昔の名広告、流行っている広告の分析などもあった。編集長は天野祐吉で権威に対して批判的な姿勢が気持ちよく、これは次の編集長の島森路子にも引き継がれた。
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世の中には多くの広告賞があるがたいていは業界の内輪での選定だったり、出稿量が大きな会社の広告が選ばれたりだが、広告批評のランキングは独自の視点で選ばれ、マイナーな広告主や地方の広告にも光が与えられた。代理店からメーカーのプロマネに転職した後も購読し続けた。当時の外資系としてはめずらしいユーモア広告やナンセンス広告(米国本社や社内でも叩かれた)も好意的にコメントをしてくれてずいぶん助けられた。トライデントガムの泉谷しげる、上田馬之助と美保純のシリーズや初期のクロレッツのCM(岡本麗と尾身としのり)は広告批評のおかげで長続きしたと言っても過言ではない。

日本の広告だけでなく、海外の広告にも目が向けられていた。同じ社内で隣のグループだったリステリンのアメリカでの広告も「おどし広告の原点」として取り上げられたことがある。
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そんな広告批評だったがマスメディアからネットへの移行という時代の波には逆らえず、2009年に休刊されてしまった。そのご
天野祐吉と島森路子の二人の編集長はともに2013年に他界されたので復刊はほぼないだろう。サラリーマン引退後に若い人に読んでもらえたらと創刊号からの100余冊をオークションに出したらすぐ買い手が付いた。
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買い手の方からこの本で広告の勉強をしますとメールが来てうれしくなった。新しい読み手もきっと楽しんでくれるでしょう。記憶に残る雑誌でした。



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子供のころから広告が好きだった (29)

広告の仕事をしていた時に「サブリミナル広告」という言葉を聞いた。サブリミナル? 聞いたことがない言葉だった。調べるとサブリミナルは潜在意識下の意味で、サブリミナル広告とは知覚できない程度の長さの広告を流して気が付かないうちに広告メッセージを視聴者に刷り込ませる手法だ。かつてアメリカで実施された有名な実験があった。1957年にニュージャージー州の映画館で上映中の映画に「コカ・コーラを飲もう」「ポップコーンを食べよう」という3000分の1秒のメッセージを5分間隔で挿入したところ、館内の売店の売り上げがコカ・コーラが18%、ポップコーンが58%上がったという。当時コカ・コーラの仕事をしていたのだがちょっと信じられない結果だと思った。

その後同じグループや他のグループが同様な追加実験をしたが効果は認められなかった。映画館の話は作り話だとか、記事や論文は多くあるが効果を実証したデータは存在しないとされた。しかしこうしたサブリミナル広告は、無意識のうちに人を操作しようとする、洗脳する、公共の利益に反するとされ、1970年代にアメリカやカナダで禁止された。我が国でも1995年にNHKが、1999年に民放連がサブリミナル的な表現方法を禁じることとなった。

サブリミナル広告に興味津々だった広告人やテレビ業界人はCMの1秒24コマの1コマに関連のない画像やメッセージを挿入したり、番組の中でも同様の実験をしたらしい。そういう一種の遊びが許されている時代であったが、24分の1秒では気づかれてしまい非難や抗議を受けて、90年代の規制でそれらも消えた。

サブリミナル広告にちょっと似た調査手法にタキストスコープというものがある。専用の機器で24分の1秒よりは長いが一瞬だけ画像や文字を見せ、再認できるかどうかを調べる調査である。パッケージデザインやブランドロゴを開発してどれが一番認識しやすいかを調べるために何度か使用した。役には立ったが色などが目立つものが優位になるので、ブランドイメージとの一致とかを調べるために伝統的なシェルフテストに戻った記憶がある。

広告メッセージを刷り込ませるためにはサブリミナルよりも反復の方が有効ではなかろうか。広告業界には広告は同一視聴者に3度見せないと効かないというThree Hit Theoryというものがあり、メディアプランナー時代はどうやって安価に幅広い視聴者に3回以上見せる媒体計画を作るかを考えていた。3+リーチというやつですね。あまり多い回数に接すると広告効率は落ち、うるさいと反感を買うこともあるのでいまでも重要な指標なのではなかろうか。

結婚したとき1年ほど新高円寺に住んでいた。数十メートルくらいの距離に眼鏡屋があり、今ではとても許されないだろうが四六時中CMソングを大音声で流していた。50年近くたっても憶えている。
「あらお嬢さん 素敵なメガネ スッキリくっきりメガネ ツバメヤのメガネ」
今は高円寺純情商店街に引っ越したらしいが、当時はマンションの窓ガラス越しに聞こえてくるCMソングにうんざりしていた。そんなにセンスの良い歌でもなかったし。誰も文句を言わないのだろうかと思っていた。しかしあるときその店にフラフラと入って行きメガネを作ってしまった。刷り込まれてしまったのだ。そう、ことほどさように反復広告は効くのである。



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シンガポールに居を構える投資家のジム・ロジャーズは数年前に「20年後に日本は没落する」と言っています。日本が持つ巨大な債務、急速に進む少子高齢化、(移民や規制緩和など)過度の保護主義などが問題点とされています。昨年5月テスラのイーロン・マスクも「出生率が死亡率を上まわるような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう」とツイッターに投稿し議論を巻き起こしました。それくらい2008年をピークに急激に減り続けている日本の人口は目を引く現象なのです。
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このままだと我が国の人口は2050年に1億人、2100年には現在の半分の6000万人(低位推計では4900万人)に減ると予測されています。予測に用いられている合計特殊出生率は1.33-1.32ですが、2005年に過去最低の1.26を記録後上昇に転じたもののこの6年は連続して下降し2019年が1.36、2020年が1.34、2021年が1.30となっています。安倍政権下の「新三本の矢」では2020年の合計特殊出生率を2014年の1.42から1.8(人口を増やすためには2.08が必要なので1.8でも減少します)に回復させると謳っていましたが未達でした。1.3台を維持しているのに人口減が予測より早く、出生数が100万人を割り込んでいるのは出産が可能な女性(15~49歳)の婚姻数が減少しているためです。2023-02-28 (4)
先日発表されたように2022年の出生数は初めて80万を切りました。この速報には在日外国人の数字が含まれているので、後日発表される日本人の出生数は77万くらいと予測されます。
私が生まれた年の出生数は267万でしたから三分の一以下です。一方死亡者数は2003年から100万人を超えていて、2005年には出生数を追い越しました。出生数は2016年に100万を切り、2020年は84万人、2022年は80万人を割りました。2040年にはワーストシナリオでは70万人を切るとされています。2021年は出生数から死亡数を引くと63万人の人口減となりました。この差は年々大きくなり、10年後に団塊世代が亡くなり始めると毎年日本の人口は150万人減ると考えられます。10年で1500万人です。下図を見ればイーロン・マスクでなくとも日本は消滅すると思いたくなります。
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出生数が下がっている理由は晩婚化だとよく言われます。しかし晩婚化は未婚者の増加だけでなく中高年の結婚(再婚を含む)が増えていることも大きな原因です。2020年の女性の平均初婚年齢は29.4歳ですが最頻値は26歳で、男性も平均が31.0歳で最頻値は27歳です。そんなに遅い結婚年齢ではありません。問題は婚姻件数が減っていることで、1972年に110万組あった婚姻件数が2018年には59万件に下がっています。ほぼ半減です。その間に総人口は18%も増えているのです。

最近の婚姻件数減少の背後には結婚適齢期男女の経済的な問題があると思われます。この世代の多くは就職氷河期に社会に出たものの大手企業に入れず、非正規雇用だったり中小企業で働き平均年収300万円未満の若者です。昇給にも恵まれず社会保障費や税金の負担増に苦しめられている人たちです。もし共働きで結婚はできたとしても子供を持つのを躊躇するのは十分理解できます。こうして日本は生涯無子率一位の国になってしまいました。
2023-01-12
現政権は「異次元の少子化対策」を掲げていますし「こども家庭庁」を4月に立ち上げますが、対策に必要とされる数兆円は現時点では財源の目途が全く立っていません。少子化対策は喫緊の課題でどの政党も反対しないので早急に手を打ってもらいたいものです。日本が消えるのも老人ばかりの国になるのも老人は見たくないです。



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