子供のころから広告が好きだった (32)
大学入学のため上京して生まれて初めて牛丼というものを食べた。当時新橋駅前(現ラ・ピスタ新橋)にあった吉野家としては2店目の店で値段は確か200円だったと思う。輸入自由化の前で牛肉は高価で年に何回かのすき焼きくらいでしか食べられなかった時代に、その金額で牛肉が食べられることとおいしかったことに驚いた。かつ丼や天丼が300~400円の時代だった。(写真は昭和50年代の新橋店)

昭和50年に300円に、55年に350円に値上げされたがそれでも学生やサラリーマンにとって安価でおいしいご馳走だった。女性客はほとんどいなかった。現在のキャッチフレーズは「うまい、やすい、はやい」だが当時は「早い、うまい、安い」でファストフード的な利点を強調していた。昭和46年に日本上陸を果たし急成長中だったマクドナルドを意識していたのかもしれない。
もともと吉野家は明治32年(1899年)に日本橋に誕生した魚河岸で働く人たちむけの牛丼屋だった。関東大震災後に築地に、昭和10年に中央卸売市場が開設された後は市場内に移転した。新橋店は昭和43年にできた2店目でチェーン化を目指しはじめた頃だ。110席の大型店だったがいつも混んでいた。昭和47年には24時間営業となった。

店舗数が増え広告活動も活発になった。一番記憶に残るのは「やったねパパ 明日はホームランだ」の野球少年の声と西川峰子の「ここは吉野家 味の吉野家 牛丼ひとすじ80年」のジングルだ。皮肉なことに創業80年の前年に店舗数が200を超えると輸入枠もあって輸入牛肉の調達が困難になり、フリーズドライ牛肉を使うなどして品質の低下を招いた。そのうえ急速な店舗展開による資金繰りの悪化も重なり、昭和55年会社更生法の適用を受け倒産した。
この時「学生時代にあれだけお世話になった牛丼屋をつぶしてなるのもか」と若いサラリーマンたちが、まだ開けている店を探しては、わざわざ食べに出かけるという運動が起きた。この世代に属する私もいくら値段が安いからといって他のチェーンで牛丼を食べる気にはならない。牛丼を食べるのは年に一度か二度になってしまったが、毎回吉野家まで足を運ぶ。
BSE騒動による販売停止を乗り越え再起に成功した吉野家は店舗数も1650を超え、コロナで売り上げは低下したものの直近ではほぼ二桁成長を示している。ただ原材料費や光熱費の高騰で値上げをしたものの利益率低下に苦しんでいる。コロナが落ち着き始めたことで時短協力金の減少も利益率悪化に拍車をかけている。しかし、残念ながら「つぶしてなるものか」と出かける回数を増やす気力も体力も(昔は若いサラリーマンだった)老人にはもうない。

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大学入学のため上京して生まれて初めて牛丼というものを食べた。当時新橋駅前(現ラ・ピスタ新橋)にあった吉野家としては2店目の店で値段は確か200円だったと思う。輸入自由化の前で牛肉は高価で年に何回かのすき焼きくらいでしか食べられなかった時代に、その金額で牛肉が食べられることとおいしかったことに驚いた。かつ丼や天丼が300~400円の時代だった。(写真は昭和50年代の新橋店)

昭和50年に300円に、55年に350円に値上げされたがそれでも学生やサラリーマンにとって安価でおいしいご馳走だった。女性客はほとんどいなかった。現在のキャッチフレーズは「うまい、やすい、はやい」だが当時は「早い、うまい、安い」でファストフード的な利点を強調していた。昭和46年に日本上陸を果たし急成長中だったマクドナルドを意識していたのかもしれない。
もともと吉野家は明治32年(1899年)に日本橋に誕生した魚河岸で働く人たちむけの牛丼屋だった。関東大震災後に築地に、昭和10年に中央卸売市場が開設された後は市場内に移転した。新橋店は昭和43年にできた2店目でチェーン化を目指しはじめた頃だ。110席の大型店だったがいつも混んでいた。昭和47年には24時間営業となった。

店舗数が増え広告活動も活発になった。一番記憶に残るのは「やったねパパ 明日はホームランだ」の野球少年の声と西川峰子の「ここは吉野家 味の吉野家 牛丼ひとすじ80年」のジングルだ。皮肉なことに創業80年の前年に店舗数が200を超えると輸入枠もあって輸入牛肉の調達が困難になり、フリーズドライ牛肉を使うなどして品質の低下を招いた。そのうえ急速な店舗展開による資金繰りの悪化も重なり、昭和55年会社更生法の適用を受け倒産した。
この時「学生時代にあれだけお世話になった牛丼屋をつぶしてなるのもか」と若いサラリーマンたちが、まだ開けている店を探しては、わざわざ食べに出かけるという運動が起きた。この世代に属する私もいくら値段が安いからといって他のチェーンで牛丼を食べる気にはならない。牛丼を食べるのは年に一度か二度になってしまったが、毎回吉野家まで足を運ぶ。
BSE騒動による販売停止を乗り越え再起に成功した吉野家は店舗数も1650を超え、コロナで売り上げは低下したものの直近ではほぼ二桁成長を示している。ただ原材料費や光熱費の高騰で値上げをしたものの利益率低下に苦しんでいる。コロナが落ち着き始めたことで時短協力金の減少も利益率悪化に拍車をかけている。しかし、残念ながら「つぶしてなるものか」と出かける回数を増やす気力も体力も(昔は若いサラリーマンだった)老人にはもうない。
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