マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2023年05月

家具を見るために元町商店街に出かけた。我が家の家具のほとんどが元町家具だ(本来は横浜家具と呼ぶらしいが我が家では元町家具と呼んでいる)。家内の実家が元町に店を出していたこともあり、嫁入り時に持ってきた家具も元町家具だったし、ライティングビューローや椅子などは家内が子供時代から使っていた数十年物のアンティークだった。松下家具の製品で店の上層階に非売品で展示してあるくらいの椅子だった。傷んだので自分で直して今はこんな感じだ。
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元町に来るのは数年ぶりだ。しかし歩いてすぐ左手にあるはずの松下家具がない。その先にあった籐専門の家具屋もない。右手のユニオン横の地下にあった家具店もない。どうしたのだろうか。元町に6店あった家具店は店頭の巨大な赤椅子で有名なダニエルと1928年創業の手造り家具の松下信平商店だけになってしまった。椅子だけでなくゲートレッグテーブルなども買った老舗の松下家具が閉店したのはショックだった。
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結局松下信平商店に行ったのだが店の人も家具店の閉店が続くと嘆いていた。

家具業界はバブル末期の1991年の2兆7千億円をピークに下がり続け、2000年代初頭には1兆円を切るまで落ち込んだ。その後ニトリやIKEA、無印良品が市場を引っ張り、コロナでで屋内に意識が向いたこともあって2020年には1兆5千億円まで回復した。一見順調そうに見えるが事態は深刻のようだ。

ニトリやIKEA、無印が順調でもそこで売られている家具のほとんどは海外生産だ。彼らは自社工場を持たない家具販売会社だから国内の伝統的家具メーカーへの恩恵はない。技を磨いて作り上げた家具が売れず、ほとんどの家具メーカーは赤字だという。売れているニトリでも家具単体では赤字で、社長は「ベッドで利益が出なくても布団やシーツで利益が出るので十分だ」と話している。本体で利益が出なくてもカートリッジや紙で儲けるコピー機メーカーや替え刃で利を生み出す剃刀メーカーと同じだ。

ニトリやIKEA、無印良品のような総合インテリア販売会社のように周辺商品がある会社はまだよいが、古くからある家具製造や販売専門会社は苦戦を強いられている。元町だけでなくこの近所でもみなとみらいの大塚家具の基幹店舗が今年閉店したし、横浜駅西口にあった大型家具専門店も何年か前にラウンドワンになってしまった。家具製造業はもっと大変で借り入れをしてやっと存続している会社が多いとのこと。職人さんの待遇も平均42歳で年収320万くらいではなりたがる人もいなくなるのではないか。家具メーカーと街の家具屋さんの奮闘を祈るしかない。
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私のブログの自己紹介には「外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人」と書いてあります。広告業、菓子(ガム・キャンディ)、清涼飲料水、OTC(大衆薬)、医療用医薬品業界で働きました。こう並べてみても他が全部消費財分野なので医療用医薬品だけが異質な感じがします。ブランド広告が打てない、プロモーション規制などの制約が多い業界なのです。

今思うと間違えて入ってしまった会社に近いのかもしれません。転職での間違いは二種類あるように思います。会社を間違えることと業界を間違えることです。会社の間違いはカルチャー、意思決定方法、上司などに入社した後に驚くことですが、この医療用医薬品会社への転職は後者だと思います。ずっとマーケティングで食べていましたしOTC(風邪薬)の経験もあったので医療用医薬品でもなんとかなるだろうと考えていました。入社時の職種が調査とマーケティングサービスだったのもそう考えた理由の一つでした。数年後に製品チームに配属替えになり抗癌剤チームを任された時から地獄の毎日になりました。チームの雰囲気は良かったものの病理や薬理が分からないと仕事についていけません。外資でしたからそれらに関する用語を日本語と英語の両方で覚えなければならないのも大変でした。
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入社時には消費財で培ったブランディング知識を医療用医薬品で活かしてくれとの上司からの要望でした。しかし外資は上が変わると組織や人事がいっぺんに変わります。次の上司の私への最初の一言は忘れもしない「なぜおまえはここにいるのか?」でした。消費財しか経験のない人間が抗癌剤の管理業務を遂行できるのかを全く信じていない発言でした。ま、実際にできていなかったのですが。

医療用医薬品会社のマーケティング担当はほぼ全員営業出身者です。実績を上げた営業部員が本社に回されます。製品や顧客のことを知っているのでなんとか格好は付けられます。ただマーケティング実務の経験に欠けるのと、外資の場合は英語を使わなくてはならないので大抵は最初に苦労します。なんとか慣れて形ができてくるとこれがマーケティングだと誤解します。それでも業界的には広告が打てず、学会やコンベンション、説明会などのプロモーションが中心なのでなんとかなるのです。上にもマーケティングに精通した人がいないので本当のマーケターがどの会社でも少ないと考えられます。

この背景には商品の特性があると思います。入社して一番驚いたのが会社のインシュリンやパーキンソン薬などの主要製品のほとんどが死ぬまで使い続けねばならない製品でした。それまでは今日のユーザーが明日は飲んだり食べたりしない確率が高い飲料や食品の仕事だったので、一度顧客を掴まえたら死ぬまで毎日使ってもらえる業界があるなどとは考えてもいませんでした。生命にかかわるのでブランドスイッチも限定されます。価格も国が薬価を決めるので価格競争もない。それに原価もとんでもなく低い(開発には時間と金がすごくかかるが)。

ブランドイメージなどで売りが影響される消費財と違って、エビデンスがないとドクターに使ってもらえない商品なので効能効果が最重要項目です。開発部門のひとが放った言葉が忘れられません。「この薬でなければ患者の命が救えないとなったらどの先生もうちの薬を使わざるを得ない。となると営業もマーケも無くても売れるよね」。そんな薬だけではないのですがそのプライドに驚愕させられました。

なんとか生き永らえ、ヘッドハンターからも消費財から医療用医薬品に転職して生き延びているのはあなただけだと言われましたが数年が限界でした。またOTC業界に戻って私のサラリーマン人生は終わりました。辞めると伝えたとき「なぜおまえはここにいる」と言った上司が、「なぜ辞める。もう少し我慢できないのか」と言ったことだけが慰めでしたね。



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