マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2024年03月

朝食の時はいつもコーヒーを飲むが、寒い冬の午後は暖かい緑茶か紅茶のことが多い。しかしお湯を沸かすのが段々面倒になってきて、最近はペットボトルの緑茶をチンして飲むことが増えてきた。楽ではあるが風情がない。紅茶もティーバッグで淹れるのだが、それなりには楽しめるのだがなんだか物足りない。メーカーは「ティーバッグはリーフティーより下に見られるが、早く抽出するために同じ茶葉を細かくカットしているだけでランクが下ではない」と言うが、ミルクも砂糖も入れない自分にはただの温かい茶色の飲料に思える時もある。
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これは香りの問題で、コーヒーは豆を挽いて蒸すときにの香りで美味しく感じるし、紅茶もポットで蒸らしてからカップに注ぐときに香りが立つ。ティーバッグにはそれがない。鼻をつまんで飲むと味を感じにくくなるが、それと同様なことが起きるのでしょうね。香りの重要さは昔コーヒーキャンディや紅茶キャンディを試作している時にいつも感じていた。いくら良い素材で作っても香りに欠けるので本物っぽいコーヒーや紅茶の感じは出ない。結局ミルクを加えてお茶を濁していた。

ティーポットで淹れればいいのだけれど、洗い物や茶葉のゴミが出るのでその処理が歳をとると面倒になる。ティーポットは何種かあるし銀のティーセットもある。昔新婚旅行でカナダに行ったときになけなしの金で買ったものだ。当時は1ドル360円で、持ち出せる外貨は500ドルの制約があった。親父からもらった100ドル札もあったが、家内へのイヌイット製のショールと職場の同僚へのお土産以外に買ったのはこのセットだけだった。買えなかったのだ。
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この銀のセットは飾っておくには良いのだが手入れが大変。すぐに曇って黒くなり磨くのも手がかかる。この写真も磨いて10日くらいだが既に曇り始めている。銀磨きクリームもけっこう高価なので結局使わなくなって食器戸棚の奥に押し込められた。

紅茶はコーヒー、ココア(チョコレート)、タバコ、アルコールとともに世界の五大嗜好品と呼ばれてきた。少なからずの習慣性、依存性を持つ。その中では紅茶は最も健康的な嗜好品かもしれない。紅茶にはコーヒー同様カフェインが含まれるがタンニンも多く含まれ、それがカフェインと結合してカフェインの効果(興奮、覚醒、利尿、消化促進、強心)を和らげると言われている。タンニンは腫瘍の増殖や転移を抑制したり、血栓の形成を予防したり、強い抗酸化作用を持ち、ボケ防止にも効果があるとのことなので紅茶は老人にぴったりの飲み物である(日本茶も同様)。たまにはポットで淹れた紅茶をゆったり呑んでみることにしよう。

ここ20年以上花粉症に悩まされている家内が毎年この季節になると買い込む商品がある。「じゃばら」だ。ゆずに似た小型の柑橘類で酸味と苦みが強いのが特徴。邪払(邪気を払う)と書かれることもある。これが花粉症に効くらしい。
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もとは和歌山県の北山村に自生していた他の地域には見られない柑橘類で、鬼も逃げ出すその酸っぱさから邪気を払う「じゃばら」と呼ばれ、地元では食酢として使われていたという。1977年にある村人がたった一本だけになってしまった「じゃばら」を「変なミカンだが独特の味でうまい」と村の特産品にできないかと村議会に働きかけ、1982年に村営農場をが造成されて本格栽培が始まり、1985年初収穫を得た。1999年には村営ブログを立ち上げ農産加工品のネット販売も開始された。しかし特産品化を狙った「じゃばら」は思ったようには売れず、毎年果実がだぶついて2000年には撤退まで考えた。

その頃毎年20キロの大量の「じゃばら」を購入する県外の顧客に村の職員が購入理由を聞くと、「子供の花粉症に効く」との返事が返ってきた。そこで村長は「花粉症対策」をキーワードにして楽天市場での試験的出店を始めた。同時に花粉症に悩む1000人を対象に無料のモニター調査を実施したところ18000人もの応募があり、モニターの46%が症状が緩和されたとの回答を寄せた。「じゃばら」にはビタミンAとC、カロチンなども含まれているが、フラボノイドの一種であるナリルチンが多く含まれており、これが花粉症に効くのではないかと言われている。楽天市場の初月販売は2万円だったが、モニター調査終了後の翌月は55万円まで上がり、2001年の総売り上げは2600万円を計上した。テレビ番組で取り上げられることも増え「じゃばら=花粉症に効果」が浸透し始めた。
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翌2002年ネット販売の予約を開始すると果汁製品は1日半で完売し、2003年は1時間で完売した。総販売金額も2002年が5000万円、2005年は1億7700万円、2006年は2億2200万円と順調に伸び、田舎の小さな村でもネットの力を利用すれば大きなビジネスができることを証明した。村の税収が6000万円であることを考えるると2億はすごい数字だ(収益は約1500万円)。この頃は楽天市場やアマゾンでも発売するとすぐ売り切れることが多く、花粉の時期には家内はいつもPC画面ととにらめっこだった。

たった一本の木から始まった「じゃばら」栽培も現在は9ヘクタール7000本の規模になり、人口たった366人(1980年の790人から半減)の村の15人が管理する村一番の産業となった。建設省出身の村長と三重県から移住したIT責任者の二人の「よそ者」の尽力もあり、かつての「幻の果実」は特産品となり、村の財政を救う「奇跡の果実」と呼ばれ、ふるさと納税品にもなって過疎の北山村の社会的インフラを立て直す起爆剤になったのだ。

明治のチェルシーが今月いっぱいで販売中止と発表された。菓子の仕事をしていた人間からするとちょっとショックだったし、寂しい気がする。日本のキャンディのリーディングブランドだったし、とてもおいしい飴だった。なによりもあの「歌いたくなるよな一日 あなたにもわけてあげたい ほらチェルシー もひとつチェルシー」のCMソングとスコットランドの風景をバックにした広告が頭に残っている。
2024-03-05
市場環境や顧客ニーズの変化で収益が落ち込み販売を終了せざるを得ない、というのが終売の理由らしいが、一時代を築いたブランドがピークの数分の一とは言えまだ数億の売り上げがあるのに消えていくのはなんだか悲しい。

チェルシーは1971年に明治製菓が今までにない特徴とおいしさを求めて開発・発売したスカッチキャンディだった。多くの飴はロープ状の飴を型で打ち抜いて作るが(スタンピング製法)、チェルシーは流し込み(デポジット)という小さな型に熱い飴を流し入れて冷ます製法だった。この製法だと設備は大掛かりになるが表面が滑らかになりバターの含有も増やせる。ミルクリッチな味と滑らかな舌触りはそれまでの日本のキャンディにはなく、一気にトップブランドとなった。80年代に私はホールズという飴を担当していて、製品としては直接競合はしないが同じキャンディカテゴリーのトップシェアのブランドをベンチマークにして追いかける立場だった。

明治製菓はそのチェルシーに加えて1988年に果汁グミを発売し、2年後の1990年には群雄割拠のキャンディ市場で16.8%のシェアを獲得し、カンロを抜いてNo.1カンパニーとなった。私が所属していた菓子事業部でもチェルシーに対抗するバタースコッチを発売しようと開発を始めた。森永製菓から招聘した開発部長とともに試作を始めたのだが、何度トライしてもチェルシーを超える製品はできない。開発部長も「いや~チェルシーはおいしい」と半分お手上げだった。結局チェルシーとの真っ向勝負を避け側面攻撃策をとり、バタースカッチでなくミント味とラム味のスカッチ二品を「エナ」というブランドで発売した。
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スコットランドを想起させるタータンチェックのパッケージとスティック形状でチェルシーと差別化を図り、アリッサ・ミラノが歌うCMソングのTV広告でサポートしたが惨敗だった。2年ですごすごと撤退した。そのくらいチェルシーは強かった。そのチェルシーが売り上げ不振で終売となるなんて。

経営資源の効率化を追求するとこうなるのかもしれないが、明治は諦めが早すぎるようにも見える。数年前には60億もの売り上げがあったカールの東日本での販売を中止したし、94年の歴史があったカルミン、クリームキャラメル、根強いファンのいたサイコロキャラメルも終売になった。2011年に医薬品事業と統合することになって、利益率がダントツに高い医薬品と比べると菓子の経営的な魅力が薄れたのかもしれない。ガムからも撤退し、キャンディ、キャラメルもなくなった明治の菓子事業はこれからはチョコレートとグミに選択集中することになるんだろうなあ。

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