マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2024年04月

しばたはつみと朱里エイコ。ほぼ同世代で同時代を生き、歌謡曲やスタンダードからジャズまでカバーした実力派の女性歌手だった。音楽一家に生まれ、若いころに単身渡米して修行したことや、なかなかヒットに恵まれず不遇の時代があったことなどの共通点も多かった。小柄だが声量があり、パンチのきいた歌い方やルックスまでちょっと似ていた。
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しばたはつみはピアニストとヴォーカリストを両親に持ち、9歳から米軍キャンプで歌い始めた。その後スマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手となり、数多くのCMソングを歌った。小川ローザの「OH!モーレツ」や弘田三枝子やシルヴィ・バルタンも歌った「レナウン娘(ドライブウェイに春がくりゃイェイェイェイェ~イ)」が有名だが当時はだれが歌っているか知らなかった。20歳の時渡米し2年を過ごして帰国し、しばたはつみの名前で活動を始めた。テレビに出始めたころ家内の幼馴染の愛称「奥目ちゃん」にそっくりだったのでわが家では「奥目ちゃん」と呼んでいた。

海外での活動が多かったせいか国内でのヒット曲は「マイ・ラグジュアリー・ナイト」くらいであまりない。ただ「サウンド・イン”S”」にMCとしてレギュラー出演していた時に歌ったアメリカンポップスやジャズナンバーが印象的だった。70年代にはジャズピアニストの世良譲に師事してジャズを学んでいる。ビッグバンドをバックに歌うジャズのスタンダード曲はYouTubeで聞くことができる。個人的には当時広告代理店でコカ・コーラを担当していた時に彼女が歌った「Come on in Coke '77」が記憶に残っている。張りのある高音の伸びが特徴の歌手だった。東京音楽祭の最優秀歌唱賞、日本ジャズヴォーカル賞大賞などの受賞歴がある。

朱里エイコはオペラ歌手と舞踏家の家庭に生まれた。佐々木功のバンドで歌ったりしていたが、18歳の時オーディションで選ばれて2年の契約で単身渡米し、英語学校に通いながら歌やダンスのレッスンに励んだ。当時はEiko Tanabeの名前で全米のホテルやナイトクラブで歌った経験を持つ。帰国して朱里エイコの名前でリサイタルをし、レコードデビューをするもするも前評判ほどは売れず、歌の修業をするために再度渡米。一人でホテルとの契約やバンドメンバーへの給料の支払いなどをしつつ、各地でワンマンショーを成功させた。1971年に一時帰国して発売した「北国行きで」がヒットしたが、ヒットと呼べるのはこの一曲だけだった。
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1975年に再々度渡米してからは日本とアメリカを往復する生活となった。カーネギーホールなどでも公演をし、ステージで英語を駆使してパフォーマンスができる数少ない日本人アーティストとなった。小柄だが豊かな声量、ダイナミックな動きでLittle Dynamiteと評されもした。ただ彼女が目指したのはステージ・エンターテナーだったが日本での活躍の場は限られ、交通事故や家族とのトラブルもありメンタルも強靭とは言い難かったため傷心の期間が長かったという。失踪事件も何度か起こしている。
しばたはつみとの共通点は声やルックス以外にもある。レナウンの「イエイエ」のCMソングを歌い、コカ・コーラの「うるおいの世界」を歌ったことだ。特に「うるおいの世界」は布施明、森山良子、かまやつひろしと競作になったが彼女のヴァージョンが一番だと思う。

そんな二人だったが、しばたはつみは急性心筋梗塞で2010年に、朱里エイコは虚血性心不全で2004年に、二人とも突然にかつひっそりと亡くなった。享年57歳と58歳だった。夭逝というにはふさわしくない年齢かもしれないが、最後のシングルを出したのが33歳と41歳の時だったから、その後の20年前後を目立った活躍の場を持つことなく過ごさざるを得なかったのは辛かっただろうと思う。体調を整え再起の準備をしている時だったので無念なままの孤独な他界だったと思う。合掌。

そこからジュースを飲んだらだめよ 私がが口をつけたとこよ~

学生時代に授業をサボって友人たちと麻雀をしている時に雀荘のテレビから流れてきた歌だ。ハーフの女の子が唄っていた。当時はハーフの歌い手は山本リンダとゴールデンハーフくらいだったのでちょっと目立った。シェリー(Sherry)という名前でフランス系ハーフの17歳の小柄な美少女だった。画面を見ていた一人が「顔は外人だがスタイルは日本人だなあ」と呟いたのを憶えている。
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モデルとしても活躍していたらしいが、歌手としては十数枚のレコードを出したものの記憶しているのはデビュー作の「甘い経験」だけだ。その後テレビドラマの「オズの魔法使い」で主役のドロシーを演じて注目された。一番印象に残っているのは「うわさのチャンネル!!」でマギー・ミネンコの後釜としてバラドルの立ち位置を確保したことだ。同じハーフのマギー・ミネンコが「乳揉め~!」で人気を得たように、シェリーも「ケツ見ろっ!」と美少女らしからぬセリフを叫んでいた。

「うわさのチャンネル!!」で数年活躍したあと姿を見なくなった。結婚を機に引退して家庭に入ったのだろうと思っていた。数年前から同じ名前のアメリカ系ハーフのシェリー(SHELLY)をテレビで見かけるようになり、あの可愛かったシェリーはどうしたのだろうかと思い出した。

調べてみたら、結婚はしたものの数か月で離婚し、婚外子の女児と男児を二人出産し、大阪に移住して生活のためタコ焼きバーやスナックを経営しながら生保レディとしても働いていた。母親の介護を機に介護ヘルパーの資格を取って施設で働いたり、自らも脳梗塞で倒れて店を閉じねばならなかったりとなかなかの山あり谷ありの人生だったみたいだ。ただ66歳になった現在は「元祖バラドル」とか「元祖シェリー噂のチャンネル」の名前でフェイスブッックやインスタのアカウントを持ち、地元のラジオ局に出演したり、年に数回開催している自らのライブコンサートの案内やステージ風景を流したりとどっこいしっかり生きている。
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SNSを見ても生活感もそんなに感じられないし、ステージ映像を見る限り声もまだちゃんと出ているし歌も昔よりうまくなっている。かつてのハーフの美少女が幾多の苦難を乗り越えてたくましい大阪のオバチャンになっているのを見て安心した。

フェイスブックのなりすまし広告がひどい。今朝もスマホを開いたら前澤友作氏の写真を無断使用したなりすまし広告が飛び込んできた。半年前にも違法なネット広告について「違法なネット広告を放っておいていいのか」という記事を書いたが全く改善されていない。

先週の日経にも「SNSなりすまし、メタほぼ無回答」のタイトルの記事があった。自民党がメタ社の幹部を招き対策を聞き取ったが、具体策に乏しく、事実上無回答だったとあった。こんな大きな問題を政府でなく党が行うのもおかしいが、前澤氏が日本法人に削除要請をしても、削除権限がないから米国本社に言ってくれと言われるのはもっとおかしい。前澤氏がクレームを付けてからフェイスブック上のなりすまし広告は逆に増えている。

毎日20~30の違法広告が目に付くので一日に10件くらいを報告した。全部で50件くらいだ。その後何も変化がないし、違法広告は減らない。毎日フェイスブックからはこんな返事が来るだけだ。
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彼らの言い分は「審査はしたが(自社の)広告規定に違反するものではなかったので広告は削除されなかった」というものだ。メタ社の広告規定には「弊社のポリシーは、金銭や個人情報をだまし取ろうとする意図を含め、詐欺的または誤解を招く方法を用いている製品、サービス、スキーム、クーポンの宣伝を禁止します」とあるが、日本法人にはその権限がないのか。メタ社には詐欺広告を徹底的に排除する義務があるのだが、昨夜の「クローズアップ現代」で見たメタ社副社長のコメントを見てもそれを全く果たしていない。ほとんどのフェイスブック上の詐欺広告はLINEに誘導されて詐欺被害に遭っているのだからメタではなくLINEのサイトに責があるとでも言うのだろうか。まったくもって腹の立つ会社だ。

警察庁によると昨年のSNS型投資詐欺による被害は277億円に上るという。英語圏でも同様な被害がありオーストラリアでも昨年政府機関が米メタ社への訴訟を起こしている。負ければ高額の罰金を払わねばならないためメタ社も対策を考慮するだろうが、メタ社は米国などの英語圏を優先し、他言語での対応を後回しにしてきた経緯がある。フェイスブック広告の収入の相当部分は日本からのものだと思われる。今日日本で初のメタ社日本法人の提訴が行われた。前澤氏やホリエモン氏だけでなく無断で利用されている多くの経済評論家や有名人は今こそ声をあげるべきである。でなければいつになるか分からない「なりすまし防止法」や「オンライン安全法」の成立を待つか、フェイスブック利用を辞めるかしか我々ユーザーに残されている選択肢はない。



山の人気者 それはミルク屋 朝から晩まで 歌を振りまく
牧場は広々 歌はほがらか その節の良さはアルプスの花
娘という娘は ユ~レイティ~

低音から高音までカバーする張りのある歌声。ファルセットに切り替わるスムースさ。はじめてウィリー沖山のヨーデルをNHKのテレビ番組で見た時のインパクトはまだ憶えている。翌日から真似しようとしたがあのヨーデルは簡単ではなかった。挫折した。
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ちょっとたれ目で愛嬌のある顔だった。次にウィリー沖山の名前を見たのは25年後に横浜本牧に引っ越してきて、時々車で前を通る新山下のバンドホテルだった。「ウィリー沖山コンサート」の看板があった。ホテル内のシェルルームの支配人をしながらステージにも立っていた。ホテルに住んでいるとのことだった。バンドホテルは「窓を開ければ港が見える」で始まる淡谷のり子の「別れのブルース」の舞台だったと言われ、五木ひろしが「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」と唄ったあのホテルだ。シェルルームはプラターズやブレンダリーも出演し、尾崎豊、桑田佳祐、ゴダイゴ、安全地帯、TUBEなどの若手が腕を磨いた場所として有名だ。
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あの頃は、ウィリー沖山のような「その道の専門歌手」が多かった。ウィリーはヨーデル歌手(King of Yodelとも)と呼ばれたし、石井好子、越路吹雪、芦野宏、中原美沙緒、岸洋子はシャンソン歌手だった。その他にもタンゴ歌手の藤沢嵐子、ラテン歌手の坂本スミ子、ハワイアンのバッキー白片とアロハハワイアンズなどがいて、テレビに出てくると紹介がなくてもどんな歌を唄うのかが想像できた。

売り込む側にも便利だったのか、布施明はカンツォーネ歌手で、日野てる子はハワイアン歌手としてデビューした。加藤登紀子はシャンソンコンクール優勝歌手としてデビューしたがその後は定義困難なオバサンになったし、「メケメケ」でシャンソンデビューした丸山明宏(美輪明宏)はもっと分からないオジサンになってしまった。同じくシャンソン歌手だった平野レミはいつの間にか料理愛好家に化けた。

時代が移って「その道の専門歌手」はほとんどいなくなり、残っているのは演歌歌手だけかもしれない。毎年バンドホテルでコンサートを開き、80代半ばまで唄っていたウィリー沖山は2020年6月に老衰で亡くなった(87歳)。彼の住居でもありステージでもあったバンドホテルは目の前に視界を遮る高速道路が走るようになり経営不振から閉鎖・解体され、跡地はMEGAドンキになってしまった。

大歌手とか人気のあった歌い手とか言えなくても妙に記憶に残る歌手がいます。ふと気づくと忘れたはずの歌を唄っている自分がいます。そんな歌手のことを書いてみました。最初は伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズです。

私は子供のころから英語も分からないままアメリカのポップスを聴いて育ちました。ラジオから流れるポールアンカやニールセダカを聴いていました。だから今でもその頃の音楽をよく聴きます。YouTubeがあるので助かります。
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1950年代はアメリカの原曲を聴くか、日本語に訳されたものを聴くのが中心でした。そんな頃英語でアメリカの歌を唄うグループが現れました。それが伊藤素道とリリオリズムエアーズです。1948年に結成されリリオ・リズム・ボーイズを名乗っていましたが1952年にリリオ・リズム・エアーズに改名しました。当初は米軍キャンプでハワイアンやジャズを歌っていたのですが、テレビの人気番組「ローハイド」の主題歌を歌って人気が出ました。伊藤素道の張りのあるバリトンと鞭の音をスリッパを打ち鳴らして歌っていたのが記憶に残っています。

その後もザ・ダイヤモンズの「リトル・ダーリン」やディオンの「浮気なスー(Runaround Sue)」などのヒット曲を英語で歌っています。「アラスカ魂」も歌っていたと思います。英語もちゃんとした英語でした。米軍廻りをしていたのだから当然ですね。彼らの7年後にクレイジーキャッツが米軍で歌い始めたのですからその道(コミカルグループ)の先駆者と言ってもいいでしょう。時々々テレビに出てくるのを楽しみにしていました。14インチのブラウン管テレビでした。もちろん白黒です。
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伊藤素道あってのグループでしたが、バックには実力者も居ました。メンバーの一人だった和田昭治は1955年に谷道夫と男性四人組グループを結成しました。デュークエイセスです。和田は6年間デュークエイセスのリーダーを務めた後その座を谷に譲り作曲家に転進しました。サントリーレッド、トリスビール、湖池屋ポテトチップスなど800曲のCMソングを作曲しています。

メンバーは全員他界されたと思いますが、時々懐かしく思い出すグループです。彼らの歌声は下記できくことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=CG-vy08mBhA

本日3月の消費者物価指数が発表された。生鮮品を除く指数は対前年同月比で+2.6%だった。1月から+2.0%、+2.8%、+2.6%だから第一四半期は単純平均すれば2.5%くらいか。引退以来専業主夫で毎日の買い物を担当している身としては「そんなことはないだろう!」とちょっと疑いを持つ。それで家計簿をまとめてみた。
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我が家の1∼3月の消費支出は74万2千円だった。これはちょっと正確ではない。これ以外に家内が自分の年金での買い物(アマゾンやフェリシモの通販が毎週届く)や美容院代(結構高そうなデパート内の有名美容室)などが含まれていないからだ。そこまで把握したいのだが夫婦げんかが起きそうなので止めている。対前年比で見ると-11.8%である。ちょっと意外だった。しかし前年は車の車検があったので、それを差っ引くと+8.9%となる。ほら、2.5%に収まってないじゃないか。

内訳を見ると、食費は21万3千円で+4.5%だ。肉類が+34.4%、野菜類が+27.8%、果物類が+13.3%、乳製品が+11.6%と二けたの伸びだ。異常気象で爆上がりした野菜と果物、円安で値上がりした輸入肉と乳製品。値上がりしても食べないわけにはいかない。これは納得できる、せざるを得ない。

総務省によると電気代とガス代は5月まで続く支援策でまだ下降傾向にあるという。そうだった。わが家の光熱費は3か月で13万円で対前年比-24.1%と大幅に減っている。これは政府の補助策に加えて昨年実施した水まわりのリフォームと3台のエアコン買い替えのおかげで電気、ガス、水道代が20%以上下がったのだ。この光熱費を除いて昨年と比べてみると+8.9%は+20.0%に跳ね上がった。

それだけ昨年の光熱費が異常に高かったということだったし、政府の電気、ガス、ガソリン代の補助はある程度功を奏したといえるのだろう。ただ6月からは電気とガスの補助がなくなり、企業も33年ぶりの5%を超える賃上げをするので製品価格に反映されるに違いない。円も対ドルで34年ぶりの安値を付けていて短期で円高に転じる気配もない。小麦も油も乳製品もこれからまだ上がるだろう。贅沢をしているわけでは決してないが、年金生活者には暮らしにくい世の中になってしまった。

男子と比べると女子のプロゴルフトーナメントは隆盛である。試合数は38と男子より多く、賞金総額でも上回っている。最近の3年間では賞金女王は賞金だけで2億円を超えていて、これも男子を上回る。ただ稼いでいるのはごく一握りの選手であって多くのプロの生活はは結構大変だと思われる。

第一に、試合に出るにしても相当の出費が要る。必要な経費としてはコースまでの移動費、宿泊費、食事代、試合のエントリー費、キャディ費などで、一試合で20万から30万くらいかかると言われている。これだけの出費をしても予選を通らなければ賞金はゼロなので持ち出しとなる。年間38試合に出場するとなると経費だけで1000万円を越える。その他にコーチやトレーナーを雇えばその費用がプラスされるし、クラブやウェアにも相当の金額が必要だ。昨年(2023年)シード最下位52位の内田ことこ選手の賞金は2510万円だった。賞金以外の収入がないと仮定すると収支トントンだと思われる。100位の辻梨恵選手は559万円なので副収入がなければ赤字となる。それくらい女子プロの生活は厳しい。

先月トーナメントに出場した須江唯加選手の記事がJLPGAのサイトに載っていた。須江選手はプロ4年目で今年の賞金は182万円で75位。QTランキングが41位だったので出場試合は限定され、ウェイティング頼みである。開幕戦は沖縄だったが岡山の自宅から神戸まで出て、格安航空券を12000円で買って沖縄に飛び、格安レンタカーを一週間2万円で借り、ホテルに泊まらずにウィークリーマンションを3万円で契約してウェイティングで待ったが出場は叶わなかった。第二戦の高知へは高速を使い車で向かったがこれも出場叶わず帰りは一般道で帰ってきたという。二試合で2~30万は使ったと考えられるが収入はゼロ。シード権のない選手はこのくらいの節約をせざるを得ないのだ。(写真は須江選手)2024-04-15
2024年現在1346人のツアープロがJLPGAに登録されている。トーナメントに出ている約300人強の女子プロの内、ゴルフだけで食べているのは120人くらいだと言われている。賞金だけで生活できるのはその半分くらいで、残りの半分のプロはスポンサー契約料、ギアやウェア契約料、イベント出演料などを加えて生計を立てている。何年か前ステップツアーを主戦場とする10年選手と回った時、同伴者が「ゴルフだけで食べて行けるの?」と聞いたら、「食べていけます」との返事だった。ビジュアルに恵まれた若い選手にはスポンサーが付きやすい。プロアマにも呼ばれるし車の提供やウェア提供も多い。一種の不公平だがこうしたことが通例の世界だ。

プロになるまで道具、コーチ、練習場代、遠征費などかなりの金額を親が負担し、合格率3%の難関プロテストを潜り抜けてやっとプロになれる。なれるのはほんの一握りだ。なった後もかなりのプロはレッスンなどをしながら生計を立てる。かつ第一線で活躍できる選手生命は平均すると10年に満たない。人気のある職業だが投資のわりにリターンは大きくない。昨晩も10時ごろ練習場に行ったら時々見かける小学生らしき女の子が球を打っていた。後ろで父親がスマホで撮影している。きれいなスウィングで私より飛距離が出ている。頑張れ!と思いながら、自分が楽しむのが一番だよと心の中でつぶやいた。

午後近くのコンビニに買い物に出たらハンドマイクで叫ぶ声が聞こえた。向かいのKアリーナのコンサートに入場する人の整理をしているらしい。細い通路を蟻のように多くの人が一列に並んで歩いている。帰ってネットで調べたらJay Chouのコンサートらしい。老人にはなじみのない名前だがSSS席が3万3千円とあった。最近のコンサートは値段が高いね。2万人も入る大ホールなのに。
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Kアリーナは昨年秋にオープンした世界最大級の音楽アリーナだ。こけら落としはゆずやスピッツ、キンプリなどで大きく騒がれ、最初の3か月は稼働率80%を誇っていたが、最近は月に8日くらいの稼働となっている。先月末にはジャネットジャクソンのコンサートがあったがたいした話題にもならなかった。勢いが削がれたようにも思える。原因の一つは帰り道の混雑にあるらしい。

この辺りに住む住人はKアリーナでコンサートがある日は会場の近くには寄り付かないようになった。それほど人の流れが多いのだ。帰り道が一本しかなく、終演後2万人が順番に会場を出てきてもほとんど歩くことができず、通常なら10分かからない横浜駅まで1時間40分から2時間かかるという。いくつかのテレビ番組でも報道されていたが、帰りには下の写真のようになるらしい。これじゃコンサートの感動が半減しそうだ。
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Kアリーナは首都圏で外人向けの賃貸マンションなどを展開しているケンコーポレーションが開発したのだが、初のアリーナ事業でホールばかりに目が行き人流をコントロールする道路事業をタイムリーに横浜市と協同することに気が廻らなかったのだろうか。現在アリーナの北側に通行者用のデッキを作っているが、完成は6月末だという。昨年9月の開業から1年近く経っての完成だから不手際を誹られても仕方がないのかもしれない。
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このデッキが完成すれば帰路の大混雑はかなり改善されると言われているが、デッキそのものがアリーナと帷子川の間にあって道幅を大きくはとれていない。開通後は現在の一本の横浜駅までの帰り道が三本位になりそうだが、会場を出てからしばらくは相変わらずの混雑が残ると思われる。Kアリーナの隣にはヒルトンホテル、アンパンマンミュージアムがあり、アリーナ前の空き地にはオフィス、ホテル、ミュージアム、専門学校、商業施設から構成される「リンケージテラス」が2026年に着工されるのでこの近辺の混雑はどうも解消されそうもない。老人はじっと家に閉じこもっているしかないのかも。

33年と4カ月という比較的短いサラリーマン生活だった。退学処分を食らってふたつの大学に通ったため卒業が遅かったこと、60歳の時に会社が解散になりどさくさで再就職など考えられなかったたことがその理由だ。引退後まだ働いている仲間を見るともう少し働いても良かったかなと思うことはあった。年金がフルに支給される65歳までそんなに潤沢ではない貯えを切り崩さねばならないことが心配ではあった。

その反面仕事を辞めて感じられるメリットもいくつかはあった。ずっと外資だったので英語から解放されたこと。毎月の売り上げに一喜一憂しなくてもよいこと。通勤電車からの解放。思いっきり夜更かしができること。

横浜駅の近くに住んでいるので買い物に出かけると出社時や退社時のサラリーマンとすれ違う。出社時に楽しそうな顔をしている人はほとんどいない。自分もあんなつまらなそうな表情で通勤していたのだろうか。帰省や法事でたまに新幹線に乗ると、サラリーマンがずっと働いている。車内でも会社貸与のPCやスマホを開きっぱなしで、返信を打つためにキーを叩いている。
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乗る前の待合室でも横一列に並んだサラリーマンがせわしなげに作業している。エクセルをにらんで固まっている30代。メールを次から次へと返信している40代。隣の50代のおじさんはPCとスマホの2台使いで、スマホの画面はLINEだ。出張中もGPSで居場所を握られ、LINEで追いかけられるのでは気が休まらない。私のサラリーマン時代も会社ではPCを睨むのが7割、会議に出るのが3割だったけれど、出張の時はゆったり息抜きができた。まだ良い時代だった。
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経費削減でグリーン車を使えず、宿泊代を浮かすために日帰り出張が増えたので、かつてのような出張の楽しみは激減しているらしい。なんだか皆さんお疲れの様子だった。スマホとLINEの功罪かな。それに比べて車内のグループ旅行の高齢婦人(オバちゃんたち)の元気なこと。もすこし静かにしてもらえないだろうか。これじゃゆっくり眠ることもできない!

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