しばたはつみと朱里エイコ。ほぼ同世代で同時代を生き、歌謡曲やスタンダードからジャズまでカバーした実力派の女性歌手だった。音楽一家に生まれ、若いころに単身渡米して修行したことや、なかなかヒットに恵まれず不遇の時代があったことなどの共通点も多かった。小柄だが声量があり、パンチのきいた歌い方やルックスまでちょっと似ていた。

しばたはつみはピアニストとヴォーカリストを両親に持ち、9歳から米軍キャンプで歌い始めた。その後スマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手となり、数多くのCMソングを歌った。小川ローザの「OH!モーレツ」や弘田三枝子やシルヴィ・バルタンも歌った「レナウン娘(ドライブウェイに春がくりゃイェイェイェイェ~イ)」が有名だが当時はだれが歌っているか知らなかった。20歳の時渡米し2年を過ごして帰国し、しばたはつみの名前で活動を始めた。テレビに出始めたころ家内の幼馴染の愛称「奥目ちゃん」にそっくりだったのでわが家では「奥目ちゃん」と呼んでいた。
海外での活動が多かったせいか国内でのヒット曲は「マイ・ラグジュアリー・ナイト」くらいであまりない。ただ「サウンド・イン”S”」にMCとしてレギュラー出演していた時に歌ったアメリカンポップスやジャズナンバーが印象的だった。70年代にはジャズピアニストの世良譲に師事してジャズを学んでいる。ビッグバンドをバックに歌うジャズのスタンダード曲はYouTubeで聞くことができる。個人的には当時広告代理店でコカ・コーラを担当していた時に彼女が歌った「Come on in Coke '77」が記憶に残っている。張りのある高音の伸びが特徴の歌手だった。東京音楽祭の最優秀歌唱賞、日本ジャズヴォーカル賞大賞などの受賞歴がある。
朱里エイコはオペラ歌手と舞踏家の家庭に生まれた。佐々木功のバンドで歌ったりしていたが、18歳の時オーディションで選ばれて2年の契約で単身渡米し、英語学校に通いながら歌やダンスのレッスンに励んだ。当時はEiko Tanabeの名前で全米のホテルやナイトクラブで歌った経験を持つ。帰国して朱里エイコの名前でリサイタルをし、レコードデビューをするもするも前評判ほどは売れず、歌の修業をするために再度渡米。一人でホテルとの契約やバンドメンバーへの給料の支払いなどをしつつ、各地でワンマンショーを成功させた。1971年に一時帰国して発売した「北国行きで」がヒットしたが、ヒットと呼べるのはこの一曲だけだった。

1975年に再々度渡米してからは日本とアメリカを往復する生活となった。カーネギーホールなどでも公演をし、ステージで英語を駆使してパフォーマンスができる数少ない日本人アーティストとなった。小柄だが豊かな声量、ダイナミックな動きでLittle Dynamiteと評されもした。ただ彼女が目指したのはステージ・エンターテナーだったが日本での活躍の場は限られ、交通事故や家族とのトラブルもありメンタルも強靭とは言い難かったため傷心の期間が長かったという。失踪事件も何度か起こしている。
しばたはつみとの共通点は声やルックス以外にもある。レナウンの「イエイエ」のCMソングを歌い、コカ・コーラの「うるおいの世界」を歌ったことだ。特に「うるおいの世界」は布施明、森山良子、かまやつひろしと競作になったが彼女のヴァージョンが一番だと思う。
そんな二人だったが、しばたはつみは急性心筋梗塞で2010年に、朱里エイコは虚血性心不全で2004年に、二人とも突然にかつひっそりと亡くなった。享年57歳と58歳だった。夭逝というにはふさわしくない年齢かもしれないが、最後のシングルを出したのが33歳と41歳の時だったから、その後の20年前後を目立った活躍の場を持つことなく過ごさざるを得なかったのは辛かっただろうと思う。体調を整え再起の準備をしている時だったので無念なままの孤独な他界だったと思う。合掌。

しばたはつみはピアニストとヴォーカリストを両親に持ち、9歳から米軍キャンプで歌い始めた。その後スマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手となり、数多くのCMソングを歌った。小川ローザの「OH!モーレツ」や弘田三枝子やシルヴィ・バルタンも歌った「レナウン娘(ドライブウェイに春がくりゃイェイェイェイェ~イ)」が有名だが当時はだれが歌っているか知らなかった。20歳の時渡米し2年を過ごして帰国し、しばたはつみの名前で活動を始めた。テレビに出始めたころ家内の幼馴染の愛称「奥目ちゃん」にそっくりだったのでわが家では「奥目ちゃん」と呼んでいた。
海外での活動が多かったせいか国内でのヒット曲は「マイ・ラグジュアリー・ナイト」くらいであまりない。ただ「サウンド・イン”S”」にMCとしてレギュラー出演していた時に歌ったアメリカンポップスやジャズナンバーが印象的だった。70年代にはジャズピアニストの世良譲に師事してジャズを学んでいる。ビッグバンドをバックに歌うジャズのスタンダード曲はYouTubeで聞くことができる。個人的には当時広告代理店でコカ・コーラを担当していた時に彼女が歌った「Come on in Coke '77」が記憶に残っている。張りのある高音の伸びが特徴の歌手だった。東京音楽祭の最優秀歌唱賞、日本ジャズヴォーカル賞大賞などの受賞歴がある。
朱里エイコはオペラ歌手と舞踏家の家庭に生まれた。佐々木功のバンドで歌ったりしていたが、18歳の時オーディションで選ばれて2年の契約で単身渡米し、英語学校に通いながら歌やダンスのレッスンに励んだ。当時はEiko Tanabeの名前で全米のホテルやナイトクラブで歌った経験を持つ。帰国して朱里エイコの名前でリサイタルをし、レコードデビューをするもするも前評判ほどは売れず、歌の修業をするために再度渡米。一人でホテルとの契約やバンドメンバーへの給料の支払いなどをしつつ、各地でワンマンショーを成功させた。1971年に一時帰国して発売した「北国行きで」がヒットしたが、ヒットと呼べるのはこの一曲だけだった。

1975年に再々度渡米してからは日本とアメリカを往復する生活となった。カーネギーホールなどでも公演をし、ステージで英語を駆使してパフォーマンスができる数少ない日本人アーティストとなった。小柄だが豊かな声量、ダイナミックな動きでLittle Dynamiteと評されもした。ただ彼女が目指したのはステージ・エンターテナーだったが日本での活躍の場は限られ、交通事故や家族とのトラブルもありメンタルも強靭とは言い難かったため傷心の期間が長かったという。失踪事件も何度か起こしている。
しばたはつみとの共通点は声やルックス以外にもある。レナウンの「イエイエ」のCMソングを歌い、コカ・コーラの「うるおいの世界」を歌ったことだ。特に「うるおいの世界」は布施明、森山良子、かまやつひろしと競作になったが彼女のヴァージョンが一番だと思う。
そんな二人だったが、しばたはつみは急性心筋梗塞で2010年に、朱里エイコは虚血性心不全で2004年に、二人とも突然にかつひっそりと亡くなった。享年57歳と58歳だった。夭逝というにはふさわしくない年齢かもしれないが、最後のシングルを出したのが33歳と41歳の時だったから、その後の20年前後を目立った活躍の場を持つことなく過ごさざるを得なかったのは辛かっただろうと思う。体調を整え再起の準備をしている時だったので無念なままの孤独な他界だったと思う。合掌。













