結婚した当時住んでいたマンションの水はおいしくなかった。コーヒーや日本茶をおいしく飲もうと小瓶入りのミネラルウォーターを贅沢だと思いながら買っていた。1瓶500ccが50円位で、たしかサントリー製だった。バーで水割りを頼むとバーテンダーが運んでくるあの水だ。バーではいつも栓が空いたまま持ってくるので中身は水道水ではないかと疑っていた。
当時売られていた水は業務用製品だけで、用途は水割り用か乳児の粉ミルク用だった。ミネラルウォーターという名前もなかった。その数年前イザヤ・ベンダサンが「日本人とユダヤ人」の中で、「日本人は水と平和はタダで手に入ると思っている」と書いて衝撃を与えた。たしかに平和ボケの時代だったが、自衛隊や在日米軍のコストが税金で賄われていることくらいは皆知っていたので平和はタダとは思わなかったが、水はタダではないという感覚はなかった。状況は今でも変わらないが、喫茶店や蕎麦屋、レストランに入るると黙っていてもどこでもお茶または水が出てくるのは日本だけだ。それもタダで。
だから1982年に1リットル以上のPETボトルが清涼飲料用に認められ翌年ハウス食品から「六甲のおいしい水」が発売された時は、高品質の水が蛇口をひねれば出てくる国で誰が金を払って水を買うのかと思った。60年代に発売された缶コーヒーは徐々に浸透しつつあったが、80年代に市場に出たポッカの缶入りほうじ茶や伊藤園の缶入り煎茶は苦戦を強いられた。まだ「お茶はタダ」の時代だったのだ。しかし主力の茶葉事業が縮小している製茶メーカーの伊藤園は簡単に諦めるわけにはいかない。89年に「缶入り煎茶」を「お~いお茶」と名前を変え、ルートセールスの強みを生かして弁当と一緒に売る戦法で扱い店舗を増やし、売り上げを前年の3倍である40億円まで伸ばした。

伊藤園が次に手掛けたのがペットボトルの緑茶飲料だ。缶と異なりリキャップできるメリットは大きい。しかし缶では気にならなかった沈殿物の存在は中身が見えるPETでは致命的だ。苦心の末茶殻をろ過する特許フィルターを開発し、1990年に1.5リットルの「お~いお茶」を発売した。その後飲料業界には追い風が吹き始める。90年代に入るとマンションの貯水タンクの水質問題が起き、安全な飲料への関心が高まった。96年にはそれまでゴミ散乱の懸念で禁止されていた1リットル未満のPET清涼飲料がリサイクル体制の確立で許可されるようになった。その頃私は飲料業界にいたが容器が足りず各社で500ミリPETボトルの争奪戦だった。そして2011年の東日本大震災。これ以降ミネラルウォーターをはじめとする飲料を災害時の飲料として備蓄する家庭が急増した。わが家にも6ケースのローリングストックが常時ある。

伸び続ける緑茶市場にはキリン生茶(2000年)、サントリー伊右衛門(2004年)、コカ・コーラ綾鷹(2012年)と飲料大手が参入し緑茶戦争の様相を呈した。これらに対応するために伊藤園は2000年には他社に先駆けてホット対応のペットボトルの開発・販売をし10万店の販売店に専用ウォーマーを無償で提供した。2001年からは九州中心にお~いお茶専用畑を契約農家と作って原材料の調達を確保し、2004年には「お~いお茶濃い味」の発売、2012年以降はシンガポール、タイ、中国、ハワイに子会社を設立するなどトップブランドを守る施策を立て続けにとってきた。また2011年には大塚食品と、2019年にはアサヒ飲料と自販機の製品相互販売契約を結んでいる。大手と比べて少ない自販機経由の販売を強化するためだ。
経営としては自社農園も自社工場も持たないファブレス経営で開発力、機動力と提携先との協力関係がビジネスドライバーとなっている。ちなみに茶系飲料は金額ではコーヒー飲料の後塵を拝しているが、生産量では圧倒的一位で伊藤園はトップシェアを維持し続けている。
当時売られていた水は業務用製品だけで、用途は水割り用か乳児の粉ミルク用だった。ミネラルウォーターという名前もなかった。その数年前イザヤ・ベンダサンが「日本人とユダヤ人」の中で、「日本人は水と平和はタダで手に入ると思っている」と書いて衝撃を与えた。たしかに平和ボケの時代だったが、自衛隊や在日米軍のコストが税金で賄われていることくらいは皆知っていたので平和はタダとは思わなかったが、水はタダではないという感覚はなかった。状況は今でも変わらないが、喫茶店や蕎麦屋、レストランに入るると黙っていてもどこでもお茶または水が出てくるのは日本だけだ。それもタダで。
だから1982年に1リットル以上のPETボトルが清涼飲料用に認められ翌年ハウス食品から「六甲のおいしい水」が発売された時は、高品質の水が蛇口をひねれば出てくる国で誰が金を払って水を買うのかと思った。60年代に発売された缶コーヒーは徐々に浸透しつつあったが、80年代に市場に出たポッカの缶入りほうじ茶や伊藤園の缶入り煎茶は苦戦を強いられた。まだ「お茶はタダ」の時代だったのだ。しかし主力の茶葉事業が縮小している製茶メーカーの伊藤園は簡単に諦めるわけにはいかない。89年に「缶入り煎茶」を「お~いお茶」と名前を変え、ルートセールスの強みを生かして弁当と一緒に売る戦法で扱い店舗を増やし、売り上げを前年の3倍である40億円まで伸ばした。

伊藤園が次に手掛けたのがペットボトルの緑茶飲料だ。缶と異なりリキャップできるメリットは大きい。しかし缶では気にならなかった沈殿物の存在は中身が見えるPETでは致命的だ。苦心の末茶殻をろ過する特許フィルターを開発し、1990年に1.5リットルの「お~いお茶」を発売した。その後飲料業界には追い風が吹き始める。90年代に入るとマンションの貯水タンクの水質問題が起き、安全な飲料への関心が高まった。96年にはそれまでゴミ散乱の懸念で禁止されていた1リットル未満のPET清涼飲料がリサイクル体制の確立で許可されるようになった。その頃私は飲料業界にいたが容器が足りず各社で500ミリPETボトルの争奪戦だった。そして2011年の東日本大震災。これ以降ミネラルウォーターをはじめとする飲料を災害時の飲料として備蓄する家庭が急増した。わが家にも6ケースのローリングストックが常時ある。

伸び続ける緑茶市場にはキリン生茶(2000年)、サントリー伊右衛門(2004年)、コカ・コーラ綾鷹(2012年)と飲料大手が参入し緑茶戦争の様相を呈した。これらに対応するために伊藤園は2000年には他社に先駆けてホット対応のペットボトルの開発・販売をし10万店の販売店に専用ウォーマーを無償で提供した。2001年からは九州中心にお~いお茶専用畑を契約農家と作って原材料の調達を確保し、2004年には「お~いお茶濃い味」の発売、2012年以降はシンガポール、タイ、中国、ハワイに子会社を設立するなどトップブランドを守る施策を立て続けにとってきた。また2011年には大塚食品と、2019年にはアサヒ飲料と自販機の製品相互販売契約を結んでいる。大手と比べて少ない自販機経由の販売を強化するためだ。
経営としては自社農園も自社工場も持たないファブレス経営で開発力、機動力と提携先との協力関係がビジネスドライバーとなっている。ちなみに茶系飲料は金額ではコーヒー飲料の後塵を拝しているが、生産量では圧倒的一位で伊藤園はトップシェアを維持し続けている。















