住んでいるマンションでは毎年二回減災訓練がある。今日がその日だ。休日の朝に室内のインターホンのスピーカーから巨大地震が発生したとの案内放送が流れ、室内待機の後、火災が発生して延焼中なので避難しろとの指示が出る。同じ内容の放送が敷地内のスピーカーからも流れ住民の退避が始まる。

働いていた頃はせっかくの休日の朝に放送で起こされるのは3時にベッドに入る自分には少し腹立たしく、訓練に参加することは少なかった。今は管理組合の理事長なので参加せざるを得ない。訓練は退避後広場に集合して消火器やAEDの使用訓練があり(時には地震体験車やはしご車を消防車から出してもらうこともある)その後会議室に移動して消防署員や防災専門家による講話がある。本日の講話は「高層マンションにおける防災」というタイトルだった。
マンションは高層階になるほど地震の揺れ幅が大きく、家具などの転倒、落下、移動による被害が大きくなることは阪神淡路や東日本大震災で実証されている。怪我だけでなく通路や出口ドアを塞ぐことによって避難障害を招くこともある。それらを防ぐために背の低い家具に変えたり、人がいない方向に倒れるように家具の向きを変えたり、窓際には重量物や移動しやすいものを置かないようにする。大きな家具はL字金具で壁に固定したり、ストッパーを併用したりする、などが実物とともに紹介された。
記憶ではかつては防災訓練と呼んでいたと思う。今は減災訓練だ。「防災」が災害を未然に防止し被害をゼロに近づけるための努力なのに対し、「減災」は災害は起こるものだと考え被害を最小に抑えるための事前対策と定義づけられる。自然をねじ伏せようという考えから自然には敵わないと現実的になったような気がする。この変化は1995年の阪神淡路大震災の経験から来たらしく、その後「減災」が一般的になったようだ。
国や地方自治体は「自助」「共助」「公助」で災害に備えよと言う。まず自分および同居家族で身を守り備蓄品や持ち出し品を準備する。次に隣近所や町内会、自治会などのコミュニティで助け合う。最後に国や自治体の対策や制度を利用する。ただ防災に詳しい人は「公助」は期待しないほうが良いという。国や市のプライオリティはまず公共施設や病院、学校に置かれ民間の共同住宅はその後になるだろう。
「公助」がないわけではない。私の両親は阪神大震災で被災した。寝室の箪笥が倒れてあわや直撃だったらしい。電気ガス水道すべてが止まり、その夜自衛隊の給水車が来たので二人で9階から階段でおり、寒い中並んで水を貰い、階段をまた昇って部屋にたどり着いたら二度と下に降りる気力も体力もなかったらしい。老人から死んでいく、と妹が言っていた。だから「自助」が第一で「共助」がそれに続く。ただ、困った時だけの「共助」は機能しない。普段から協力したり、少なくとも顔見知りになっておかないと非常のときに役に立たない。
今日のような減災訓練に、毎年同じことをしているから今年は参加しない、という老人もいる。繰り返しが大事なんだよ。災害発生時はだれもがパニックに陥る。パニックになると準備したことしか実行できない。それも十分に準備したことしか。消火器は扱えるかもしれないが、パニック時にAEDがちゃんと扱えるか自分でも自信がない。毎年同じ訓練を受けて体で覚えないと駄目なんだけどね。

働いていた頃はせっかくの休日の朝に放送で起こされるのは3時にベッドに入る自分には少し腹立たしく、訓練に参加することは少なかった。今は管理組合の理事長なので参加せざるを得ない。訓練は退避後広場に集合して消火器やAEDの使用訓練があり(時には地震体験車やはしご車を消防車から出してもらうこともある)その後会議室に移動して消防署員や防災専門家による講話がある。本日の講話は「高層マンションにおける防災」というタイトルだった。
マンションは高層階になるほど地震の揺れ幅が大きく、家具などの転倒、落下、移動による被害が大きくなることは阪神淡路や東日本大震災で実証されている。怪我だけでなく通路や出口ドアを塞ぐことによって避難障害を招くこともある。それらを防ぐために背の低い家具に変えたり、人がいない方向に倒れるように家具の向きを変えたり、窓際には重量物や移動しやすいものを置かないようにする。大きな家具はL字金具で壁に固定したり、ストッパーを併用したりする、などが実物とともに紹介された。
記憶ではかつては防災訓練と呼んでいたと思う。今は減災訓練だ。「防災」が災害を未然に防止し被害をゼロに近づけるための努力なのに対し、「減災」は災害は起こるものだと考え被害を最小に抑えるための事前対策と定義づけられる。自然をねじ伏せようという考えから自然には敵わないと現実的になったような気がする。この変化は1995年の阪神淡路大震災の経験から来たらしく、その後「減災」が一般的になったようだ。
国や地方自治体は「自助」「共助」「公助」で災害に備えよと言う。まず自分および同居家族で身を守り備蓄品や持ち出し品を準備する。次に隣近所や町内会、自治会などのコミュニティで助け合う。最後に国や自治体の対策や制度を利用する。ただ防災に詳しい人は「公助」は期待しないほうが良いという。国や市のプライオリティはまず公共施設や病院、学校に置かれ民間の共同住宅はその後になるだろう。
「公助」がないわけではない。私の両親は阪神大震災で被災した。寝室の箪笥が倒れてあわや直撃だったらしい。電気ガス水道すべてが止まり、その夜自衛隊の給水車が来たので二人で9階から階段でおり、寒い中並んで水を貰い、階段をまた昇って部屋にたどり着いたら二度と下に降りる気力も体力もなかったらしい。老人から死んでいく、と妹が言っていた。だから「自助」が第一で「共助」がそれに続く。ただ、困った時だけの「共助」は機能しない。普段から協力したり、少なくとも顔見知りになっておかないと非常のときに役に立たない。
今日のような減災訓練に、毎年同じことをしているから今年は参加しない、という老人もいる。繰り返しが大事なんだよ。災害発生時はだれもがパニックに陥る。パニックになると準備したことしか実行できない。それも十分に準備したことしか。消火器は扱えるかもしれないが、パニック時にAEDがちゃんと扱えるか自分でも自信がない。毎年同じ訓練を受けて体で覚えないと駄目なんだけどね。


