マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2024年12月

速報ではあるが2024年の東京都区部の消費者物価指数が発表された。総合指数が対前年比+2.3%、生鮮食品除きでは+2.1%、生鮮を除いた食品が+3.7%となっている。これで3年連続で物価上昇率は2%を超えたことになる。
2024-12-27
しかし年間で物価上昇はたったの2.3%、食品(生鮮品除き)が3.7%しか上がっていないというのは毎日買い物をする専業主夫としては納得できない。生鮮では野菜が26%、果物が17%上がったと言う報道はあるが、非生鮮品でも加工食品や飲料が大きく値上がりしている。コメも27%アップと言う記録的な数字だが、今調べたら米は精米したものでも生鮮食品に入るのだそうだ。知らなかった。その他にも小麦粉や油脂やミルクを使った商品は二けたの値上げをしているし、今年値上げされた食品12500品目の平均値上げ率が17%とされているので総合の2.3%と生鮮除きの食品の+3.7%はどう見ても低い。
2024-12-21
もちろん値段が上がっていない製品もたくさんあるのだが、購買者は上がったものばかりに目が向くものだ。いつも買うコーヒー豆やオリーブオイルなどは前年の二倍になっているし、生協が配達してくれる「つや姫」は5キロで夏には2538円だったが先月は4082円と61%も上がっていた。

そんなことを考えながら、今年の買い物がすべて終了したので我が家のエクセル家計簿で値上げ率を検証してみた。

2024年の食費は90万円でひと月当たりにすると75000円、65歳以上の無職夫婦二人世帯の2023年平均(72930円)より2000円多いだけだ。確か75歳以上世帯の平均はは60000円位だったと記憶している。平均値も今年はもうすこし上がっていると思はうけど。対前年比は+4.4%、生鮮三品を除くと+9.5%で、ほら+3.7%では収まっていない。
わが家の食費の中で一番の支出は菓子類で月平均で約10000円、食費の12%を占める。いくら昔菓子の仕事をしていたとしても少し多すぎるかも。その次が野菜と総菜類で月に約9000円。菓子類の対前年伸び率は4.9%、野菜は13.7%増えたが総菜類は-9.2%と縮んだ。野菜は毎日10品くらいとっているので今年の値上がりを考えたら仕方ないかもしれない。

食費の中で野菜に続くのは魚類、冷凍食品、飲料、果物、パン、外食だ。この中で伸び率が大きかったのは冷凍食品の56%、パンの29%と外食の14%。冷凍食品はお取り寄せと手抜き料理が増えたためで、パンは小麦粉の値上がりとちょっとおいしいパンをとグレードを上げたのが理由だ。外食は同窓会がいくつかあったので仕方ない。

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値上げの要因としては上の図で分かるように全部の要素が上がった。原材料も人件費も物流費も上がれば値上げは仕方ないか。前年と比べると人件費理由が3倍となり、円安要因が2.5倍となっている。つまり円安で石油が上がり、それが輸入原材料と包装資材と輸送費を押し上げ、物価が上がったために賃金を上げざるを得なかったという構造が見て取れる。この構造はあと数年は続くだろう。政府が望んだ形ではなくデフレが終わりインフレが始まるということだ。

食費以外では雑貨・日用品が10%増えた。紙製品や洗剤の値上げが大きかった。月2ペースで行ったゴルフ代も10%増えた。それらを帳消しにしてくれたのが光熱費だ。電気代が-5.8%、ガス代+給湯費が-9.6%、水道代が-4.3%と政府の補助金もあって下がったため光熱費合計でも-7.4%となり、月4万円台だった光熱費が3年ぶりに3万円台まで落ちた。加えて今年は車検がなかったことで16万ほど浮いた。

生鮮食品の野菜と果物は支出が増えたが、肉類と魚類は-18%、-23%と激減した。値上がりのせいもあるが歳のせいか肉を食べようという意欲が落ちたし、魚は前年にサブスクをやめたことが効いている。今年は何とか消費支出を前年以下に抑えられたが、これ以上インフレと戦うのは無理じゃないかと思う。残された短い人生あまり節約ばかりでは楽しくないし、食事と趣味をケチったら何のための人生かわからなくなる。健康なうちが花ですものね。

衝動買いした都内のマンションが住みづらかったので、元町に店を持っていた義父の勧めもあって建ったばかりのパークシティ本牧に部屋を借りた。1987年だった。浜っ子の家内は本牧の米軍宿舎をフェンス越しに覗いていたことをを憶えているので、あこがれの街に住めると喜んでいるようだった。ただ駅からは遠くJRなら石川町、東急線なら桜木町からバスを使わなければならなかった。数年後には地下鉄が延伸されるという話だった。広い平らな原っぱにタイル張りの新築マンションが9棟建っていた。本牧原という住所名にピッタリの風景だった。
2024-12-26
小3の娘は毎日片道2キロの道を草をかき分けながら間門まで通学しなければならなかったが、そのおかげで喘息が治った。買い物も便利とは言えず、週末には車で元町ユニオンに出かけた。不動産屋は駐車場なんかいりませんよ、原っぱにとめておけばいいんですと言ったが、そうもいかず原っぱの一角の7千円の駐車場を借りた。

数か月後に状況が変わった。89年春の開業を目指すマイカル本牧の工事が始まったのだ。そんなことは聞いていなかった。まわりの草は刈られて整地され、目隠しのフェンスが建てられそこにアーティストたちが思い思いの絵を描いた。白地バックに鮮やかな色で描かれたポップな絵画は夏の太陽に映えて、日本ではないような光景だった。
騒音と埃には悩まされたが予定通りにマイカル本牧は完成した。高級ブティックやブランド店も嬉しかったが、スーパーと映画館や劇場が併設されているのが一番ありがたかった。すぐマイカルカードを作った。
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出来上がった建物は壁はごく薄いベージュがかった黄色、屋根は三角でオレンジ色というスペインを想起させる配色で全10棟。わが家の前の道は「イスパニア通り」と名付けられていた。コンセプトはアーバンリゾートで、180ものショップやレストラン、スポーツ施設などが入っていた。前宣伝も派手だったので開店時から大変な混雑となった。もともとバス便しかない場所なのでバスはいつも満員、車で来る人も多く駐車場待ちの車が道路をふさぐので週末は車に乗る気がしなくなった。おまけに地主が強気になって7千円の駐車場は一気に2万円に跳ね上がった。マイカル本牧は大規模な流通実験として全国的にも注目され観光バスの目的地にもなったので店も道も混んだ。初年度はディズニーランドを超える1500万人が訪れたという。

食品や日用品はサティで買い、時々は5番街のブティックで買い物をし、夕食後に毎週のようにシネコンで映画を見た。足の便が悪いせいか最終回は我々夫婦二人だけのことがほとんどだった。家から1分で行けるのは楽だった。家内はスポーツジムに通い、見たい演目があるとアポロシアターにも足を運んだ。オフィサーズクラブにも飲みに行った。食事を作るのが面倒な時は走って行ってピザやハンバーガーが買えた。なんとなく生活が彩を帯びたような気がした。

しかしオープンから2年もしないうちにバブルが弾けた。電車の便がない本牧は寂れはじめると一気に下降が始まる。売り上げが下がると高い賃料が足かせになる。閉店後にプティックの店員が「今日はブレスレットが1個売れただけだった」と話しているのを聞いたことがある。5番街のカステルバジャック、アクアスキュータム、ベネトンなどはさっさと撤退した。アポロシアターも客が来なくなり、マンションのポストに週末の公演の無料券が何回も入っていた。客が少ないと演者にすまないと思ったのだろう。しかしクラシックバレエやクラシックコンサートの公演の時は初めて見る客が多いようで拍手をしてはいけないところで大きな拍手が起きたりした。レストランも閉店が続きマイカルが目指した未来都市、小粋なアーバンリゾート構想はガラガラと崩れ始めた。

結局地下鉄が延伸することもなく陸の孤島のようなってしまったマイカル本牧。バブルの崩壊だけでなく、93年にはランドマークタワーが完成したみなとみらい21地区に客を奪われるようになると業績はさらに悪化した。経営再建のため大半の建物を売却したが状況は変わらず、2011年にイオンに吸収合併される形でマイカルそのものが消滅してしまった。マイカル本牧、22年の短い生涯だった。

子供のころからアメリカのポップスが好きでラジオでニール・セダカやポール・アンカを聞いていた。英語はよくわからなかった。やがてフジテレビが「ザ・ヒットパレード」を放映しはじめ、その後も「明治屋マイマイショー」や「森永スパークショー」と続いた。それらの番組で歌われたほとんどの曲は洋楽のカバー曲でアメリカで流行っているポップスを和訳したものだった。

当時アメリカンポップスを唄っていたのは飯田久彦、ミッキーカーチス、ザ・ピーナッツ、森山加代子などでグループで歌っていたのは伊藤素道とリリオリズムエアーズくらいだった。そんなときにパラキンが現れた。最初のヒット曲はグループを抜けた水原弘の後釜で加入した坂本九が歌った「悲しき六十才」だった。その2か月後には「ビキニスタイルのお嬢さん(石川進)」と「ステキなタイミング(坂本九)」のカップリングでヒットを飛ばし、その後も1ヶ月か2ヶ月間隔で新曲を出すという、今では信じられないペースだった。翌1961年には11枚ものシングルを出した後、「上を向いて歩こう」のヒットを出した坂本九が独立した。62年にはキューピーの愛称でグループ1の人気者だった石川進も独立し、代わりに九重佑三子が加入した。
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翌年フォーシ―ズンズのカバー曲「シェリー」がヒットし、7枚のシングルが発売された。この頃がグループの最盛期だったような気がする。紅白歌合戦にも出場したし、「明治屋マイマイショー」やNHKの「若い季節」「夢で逢いましょう」に毎週のように出演していた。翌64年には九重も独立し、毎年のようにボーカリストが変わり昔のファンが離れていった。メンバーの入れ替わりが激しいグループではあったが、それだけスターを産み出したということだと思う。ボーカルは変わったがスティールギターのダニー飯田、ギターとボーカルの佐野修、同じく上野保夫、ベースの石田智、ボーカルとウクレレの増田多夢は当時の不動のメンバーだった。私がコンサートに行った時のドラムスは後にジャズドラマーとして活躍するジョージ大塚だった。

60年代後半からはヒットにも恵まれず、東芝からクラウンレコードに変わってからはポップスから歌謡曲路線に切り替わった。メンバーの離脱も進みオリジナルメンバーはダニー飯田と佐野修だけになり、かつての人気グループも存在感は希薄になった。離脱した増田多夢は91年に亡くなり、リーダーだったダニー飯田が1999年に亡くなってパラダイスキングは解散となった。

中学から高校の時期にレコードを集めて聞いていたパラキンだったが、在籍していた水原弘、坂本九、ダニー飯田、石川進、増田多夢、ジョージ大塚、みんな鬼籍に入ってしまった。あれから60年年経っているのだから仕方がないのだけどね。人気グループではあったが今思うと全員が素人っぽくて、ガツガツしていなくて、懐かしき良き時代の歌手たちだったのだと思う。

ひところ騒がれた「老後2000万円問題」を最近聞かない。もともとが政府の正式発表でもなかったし、2017年単年の家計調査データを使っていることに問題があった。2017年でなく2022年データを使うと2000万円は800万円まで下がるし、そこに反映されていなかった退職金を加えると(全員に適応はできないが)もっと下がるかプラスになる。かつ夫婦そろって65歳から30年生きられる確率は低いので(特に男性が)必要額はさらに下がる。

なぜこんなことになったのか。メディアがキャッチーな「老後2000万円不足」に飛びついたこともあるが、日本人の金融リテラシーの低さにも問題があるのだろう。深く考えもしないで「老後不安」と言う言葉に煽られ恐れおののいたのだ。そのためにある程度以上の資産を持っている高齢者までが、長生きしたらどうしようと節約に努め金を使わなくなってしまったのだ。

内閣府が発表した「令和6年度経済財政白書」によると85歳を過ぎても金融資産はピーク時(60-64歳)の1割程度しか減っていない。我が国の金融資産の7割以上を55歳以上の高齢者が保有し、70歳以上で見ても全体の4割近くを占めている。この層が金を使わないと日本経済は廻らないのだ。少し古いが総務省のデータでも世帯主の年齢別金融資産残高平均は下記のグラフのようになっている。
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80歳以上の世帯でも60歳代の純金融資産の93%を維持している。世帯主が80歳代ということはほぼ平均寿命近辺であり、平均余命は5年前後だ。残された資産は相続されるのだろうが、現役時代に苦労して蓄えた資産を使い残していることには違いない。引退したら資産を取り崩して余生を楽しむはずだったのではないのか。

20年位前に大前研一が雑誌「日経マスターズ」にこんなことを書いていた。日本人の貯金額が最大になるのは死ぬ時で、だいたい3000万円位のキャッシュを持っている。いっぽうイタリア人は死ぬ瞬間に持っているお金がなくなるように使う。死ぬときに金が残っていたら悔やむくらいに金を使って人生を楽しむ。当時この記事を読んだときは、「本当かね、いつ死ぬかなんて誰も分からないじゃないか」と思っていた。だけど他の国のデータ(イタリアのは見つからなかったが)をみると確かに75歳以上になるとピーク時の資産の約半分になっている。
2024-12-19
日本は引退後に金融資産が減らない珍しい国のようだ。相続税だって高いのにね。この違いは子供のころからの金融教育や社会人になってからのリカレント教育が存在しないことが原因かもしれない。ある年齢以上の日本人にはお金のことを話すのははしたないという風潮がまだ残っている。確かに引退後に病気になったら、認知症になったら、予想以上に長生きしてしまったらという心配はあるだろう。ただ金融資産は老後の生活のために苦労して蓄えた金のはずだ。これからは「いかに貯金を取り崩すべきか」を考えるべきだ。70歳以上の高齢者が日本の総個人金融資産2200兆円(10年前から600兆円も増えている!)の4割弱を保有するので約800兆円となる。この1割でも社会に還元すれば日本経済は確実に好転すると思う。

そのためには現在から人生の終わるときまでの収入と支出を予測して「生涯キャッシュフロー表」を作成することが「資産取り崩し計画」に最も有効ではないかと思う。私は現役時代に自分は87歳まで生きる、家内は98歳まで生きると想定してキャッシュフロー表を作り、それを毎年修正している。収入は年金中心なので予測しやすいし、これから起きそうなイベントやリフォーム、大型家電の買い替えなどを見込んで年ごとの支出を算出すればある程度の家計管理が可能になり、イタリア人ほどではないが余生を楽しもうという気にはなる。働いている時期にこれを作るときっと役に立つと思うのでお勧めなのだが。

遂に年賀状をやめる時が来た。もう50年以上続けてきたがそろそろいいだろう。終活や断捨離の一環として書籍、レコード、ビデオなどは10年くらい前から整理し始めたが、今年は衣類やPCに保存されているデータなどに手を付けようと考え、ついでに年賀状も最後にしようと決めた。

現役時代は200枚くらい書いていたが、引退すると仕事がらみの賀状が減った。やがて喪中はがきが年々増えて枚数はさらに減少し、最近では学生時代の友人や仕事仲間本人が亡くなるケースが増えた。仕方がない、平均寿命まであと4年だ。もともと私の年賀状は長文だ。こんな感じだ。
2024-12-18

「謹賀新年」だけでは寂しいと時事ネタや気になったトピックスを綴ってきたが、ネタを探すのが面倒になり中身がマンネリ化してきたのも、この辺りが潮時かと考えるようになった一因だ。若い世代を中心にSNSで新年のあいさつをする人が増え、2003年に43億枚あった年賀状は2025年は10億枚強に激減している。前年より25%も減るのはデジタル化だけではなくハガキの値上げも大きく影響していると思われる。私の周りでもLINEやメッセンジャーで「紙の年賀状止めます」と送ってくる仲間も多い。

国内の総郵便量は減り続けていて、2022年度には民営化以降初めての営業赤字となった。今回の30%強の値上げで一時的には黒字になるが、2年後にはまた赤字になると予測されている。効率化を求めて土日の配達廃止など手をうってはいるが、郵便事業は仕分けや配達など労働集約型事業なので余程の抜本的な改革をしないと現状は打破できないだろう。

他の国に住んでみると実感するが、日本の郵便事業や宅配事業はすこぶる信頼性が高い。ちゃんと配達されるし荷物が破損する率も低い。いつまどこのサービスレベルが維持できるのか、どこまでユーザーは値上げに耐えられるのかの議論が続くと思われる。

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