マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2025年07月

一昨年記録的な暑さにうんざりして「今年の夏は暑かった」(https://mktrojin.livedoor.blog/archives/21472070.html)」とこのブログに書いた。昨年はさらに暑かったが書く気力がなかった。今年の夏は始まったばかりだが、書かずにはいられない。暑い!
202507080166_box_img2_A
毎日がほぼ猛暑日で午後2時には34~35度近くになる。その日数は上図のように年を追うごとに増えている。暑くなる前に買い出しに行くのだが、帰ってくるとシャツは汗だくになって着替えることになる。本当は駅近の総合スーパーまで行って買い物したいけど暑いので近所のミニスーパーで間に合わせる。肉や野菜を中心に買うのだがアイスの購入量が増えて今日もレジのおばさんに「暑いものねえ、アイスがここ数日すごく出るのよ」と同情された。

ここ何日かは北海道で40度に迫る予報が出ていて驚く。フェーン現象もあるのだろうがテレビの天気予報ではフェーン現象にはほとんど触れない。北海道周辺の海水気温が平年より約4度上昇していることが主たる原因らしい。とすると北海道の暑さはしばらく続くと考えれれる。昨年からのコメ価格の高騰でわが家は「こしひかり」「つや姫」から北海道産の「ゆめぴりか」や「ななつぼし」に切り替えたので収穫前の高温とくに夜間の高温が続くと作柄に影響が出るのではないかと心配だ。

コメだけでなく気温が上がると家畜も食欲が落ちる。鶏は卵を産まなくなり、豚も痩せ、乳牛は乳の出が悪くなる。すると鶏卵、豚肉、牛乳やバターの価格が上がる。葉物野菜も高温にやられている。それでなくても食費の値上がりに恐々としている年金生活者が次に痩せる番だろう。

下図のウェザーニュースがまとめたデータによると日本の平均気温はこの120年間上がり続けている。この25年間、特に最近の5年間の上昇は異常だ。私の部屋は南に面した角部屋だが、今朝と言っても9時過ぎだが、起きた時に(エアコンはタイマーで夜中に切れているので)室内温度は31.8度あった。また7月なんだぜ、と独り言を言いながら朝風呂に入るのが習慣になった。
202507080166_box_img0_A
風呂から上がるとエアコンのスイッチを入れる。熱中症で倒れたくないからね。もうエアコン老人にとってはAir Conditionerなどではなく、「生命維持装置」と呼んだ方がいいのかもしれない。

若いころは座右の銘とかモットーとは無縁だった。行動の指針になるようなものなど必要ない、その時々の状況に合致するようにアクションをとれば良いと思っていた。

しかし社会に出ると会社にはMission、Vision、Valueなるものが存在することを知る。Missionは「使命」と訳されるが「存在理由」の方が分かりやすい。Visionは「将来になりたい姿」、Valueは「行動指針」と訳されることが多い。簡単にまとめると、その会社は何故存在し、将来の目標をどうやって実現するのか、となる。その三つをWhy?、What?、How?を置き換えると分かりやすい。日本の企業には社訓とか社是と呼ばれるものが存在するが、グローバル企業は世界中に事務所を持ち国籍も従業員の背景も文化も異なるので、全員が同じ方向を向くためにこうしたものが必要になる。

最近は抽象的な概念を含むことが多いMissionやVisionよりも具体的な行動指針に結びつきやすいValueを重要視する会社が多い。会社によってはValueを行動規範と呼んだりクレド(Credo)という語を使ったりする会社もある。Credoとは信条や志を意味するラテン語で私がいた会社ではクリードと呼ばれていた。

クレドは1943年に米J&Jが「我が信条」として初めて考案されたが、有名になったのは1982年にそのJ&J製品に何者かによる毒物混入製品が発生した「タイラノール事件」の時だった。J&Jは「我が信条」の冒頭に「我々の第一の責任は、すべての顧客に対するものである」と明記された通り、このクレドに基づいて迅速に製品回収をして事態収拾を図り、消費者の信頼を勝ち取ったことでJ&Jの信用とクレドの効用が全米に知られることとなった。今ではクレドに従った行動をとることが上司の指示より優先されることもあるし、リッツカールトンのようにクレドを実行するために従業員に一日上限2千ドルを自由に使うことができる決裁権を与える例もあるくらいだ。

私が在籍していた製薬会社にもValueがあり、人の尊重、誠実性、卓越性の三つが挙げられていた。管理職として入社しその翌年数十人規模のグループを率いることとなった時、自分なりのValueというかモットーを提示しなければいけないと感じた。部下になる人のほとんどは私のことを知らないし、他の業界から来たよそ者が突然ボスになることに対する不安もあると思った。それで、それまでも時々使っていた「Fair, Share, Care」を思い出し最初の会議の日のプレゼンの最後に全員の前で発表した。

Fair - 誰に対しても差別することなく公平に接する。
Share - 自分が持っている知識や情報は誰にでも分け与え共有する。
Care - 他人に対して常に関心を払い、深入りしない程度に面倒を見る。

これなら会社のValueである、人の尊重、誠実性、卓越性と大きな矛盾もないし、韻を踏んでいて覚えやすいという利点もある。少なくとも「人には優しく」というメッセージは伝わったと思うし、上司の外人からも「俺のモットーよりわかりやすい」とのコメントももらった。それ以降仕事の時だけに限らず何かあったら「Fair, Share, Care」と呟きながら解決策を探ることにしている。

子供のころから広告が好きだった(39)

何十年も前に見ていた広告、聞いていたジングルをいまだに憶えている。テレビを見始めたころはNHKだけだったし、一日に数時間しか放送はなかった。翌年民放(CBC)が開局し、その二年後にTHKが放送を開始したので広告に接する機会は多くはなかった。

当時の広告は番組内で流れるものが中心で、30秒や60秒CM、時には3分の生CMも流れた。大メーカーはごぞってテレビ番組のスポンサーとなり、番組の多くは一社単独提供だった。その番組も映画や記録映画、「兼高かおる世界の旅」などの番組以外はドラマもクイズ番組も全部生放送だった。1958年にテレビに危機感を持った主要6映画会社がテレビ局への作品販売や所属俳優の派遣を停止したために各局は代替としてアメリカ製のテレビ映画を輸入し放映を始めた。やがて「うちのママは世界一」「パパは何でも知っている」「名犬ラッシー」「ララミー牧場」などは人気番組となった。

会社名に対する信頼が強い時代で、広告は今のようにブランド訴求するものは多くなく、会社名がまず前面に出て、その後にその会社の製品であることを訴える傾向が強かった。「ヤマハエレクトーン」「大正漢方胃腸薬」「カンロ健康のど飴」のように我が国のブランディングは社名+製品名の二階建てブランディングが中心で、ブランド売買が一般的なアメリカとは異なる面を持っていた(ブランド売買時に社名と密接にリンクしていると売却しにくい)。テレビ広告も社名を知らしめる目的が強く、社名の連呼や社名と製品群をまとめて訴えるものが多かった。

特に家電や医薬品など製品の機能や効能効果、アフターサービス(死語?最近聞かない)などを重要視されるカテゴリーではこの傾向が強かった。すべての提供番組の冒頭に入るナショナル(現パナソニック)のCMソングはこんなだった。

明るいナショナル 明るいナショナル
ラジオ テレビ なんでもナショナル
スクリーンショット (22)
もう片方の家電の雄である東芝の広告。

光る 光る 東芝 まわる まわる 東芝
走る 走る 東芝 歌う 歌う 東芝
輝くひかり ひかり 強いちから ちから
みんな みんな 東芝 東芝のマーク
スクリーンショット (21)
極めつけは武田薬品のジングルだろう。なにせ社名だけしか出てこないのだ。

タケダ タケダ タケダ
タケダ タケダ タケダ
タケダ ターケーダー
videoframe_19905
このシンプルさが記憶に残る原因かもしれない。いまのCMやジングルは昔より秒数が短くなっているのにいろんなものを盛り込みすぎているような気がする。

(武田薬品のジングルは下記のサイトで聴くことができます)
https://www.youtube.com/watch?v=EGc0_0DG4Zg

今日フジテレビが「検証 フジテレビ問題 反省と再生・改革」と銘打った2時間番組を放送していた。局アナ二人が司会をして社長がゲスト2名の質問を受けて答えると言う珍しい構成だったので思わず見てしまった。
スクリーンショット (23)
内容としてはこれまで報道されたものと大きく変わるものではないが、フジテレビの組織としての脆弱さ、女子アナをキャバ嬢のような接待要員にしてしまうモラルの劣化、人的資源の貧弱さ、権力を持つ者の独裁者化とそれを正せない体質などまるで旧体質の大個人商店のようだ。以前ニュースで前社長を見てこの社長で大丈夫かと思ったが、ヒットした番組を制作した人が経営能力資質に関係なく管理職から役員に抜擢されているという印象だった。

新卒で広告代理店に入社し、それ以降は広告主として35年にわたってフジテレビと付き合いがあった。70年代はテレビ局は2強2弱1番外地と言われ、TBSとNTVが2強、テレ朝(当時はNET)とフジが2弱、テレ東(当時は東京12チャンネル)が番外地だった。フジには「サザエさん」以外に視聴率を取れる番組がなく河田町の本社も活気に乏しかった。営業部員も他局と比べて切れ味に掛け、低姿勢で販促や接待に力を入れているように見えた。

70年代半ばに「欽ドン」第一弾が始まり、80年代に入るとそれまでの「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」にキャッチフレーズを変え「ひょうきん族」「笑っていいとも」など高視聴率番組が生まれた。若者にターゲットを絞ったのが成功し、ティーン向けの菓子製品を扱う仕事をしていたのでテレビ向け予算の半分近くをフジテレビに割いていた。「オールナイトフジ」も「夕やけニャンニャン」も開始時からのスポンサーだった。営業成績が上がってくると放っておいても広告枠は埋まるのでこの辺りから驕りが始まったのだと思う。同時に広告主に対する面倒見も悪くなった。ある時フジテレビの会議で関東の広告出稿の上位10社に私がいた会社の名前を見つけた社長が「それは何の会社だ」と言ったと営業部員から聞いた。トライデント、ホールズ、クロレッツ、メントスなどの菓子類とカミソリのシック製品、洗口液のリステリンなどが広告を打っていたが社名を前面に出さないので知らなかったのだろうが、クライアントに目を配っていれば知っていて当然だし、事前に説明しなかった営業部も手抜きだと思った。

80年代後半に視聴率で三冠王となり一度は日テレにその地位奪われたが、96年には「スマスマ」が始まり翌97年にはお台場に移転するなどの話題もあり2004年には三冠王を奪還した。しかしその後は過去の成功体験に囚われ改革が遅れ、視聴率的にはまた二弱に戻ってしまい今ではテレ東に追いつかれそうな状態だ。今日の番組では反省だけでなく改革案を提示していたが、企業のカルチャーや風土を変えるのは組織を変えるのと比べて困難なことが多いし時間も必要だ。今日の番組では社長が反省の言葉を並べたが、もっと社員レベルの意見や改革案を示すべきだった。またテレビ局は公器でもあるのでこうした反省と改革の進展を定期的に視聴者に提示する必要もあると思う。今のテレビ局は同業他社との競争だけでなく動きの速いネットとの争いでもある。今までのような改革ペースでは広告主の信頼を再獲得し、じり貧から抜け出すことは容易ではない。

東京都区部の6月の消費者物価指数が発表された。生鮮品を除くと対前年比で+3.1%の上昇だった。ただこれには東京都で6月から実施された水道料金の基本料金の無償化のインパクト(-34.6%)が含まれているし、5月末から再開されたガソリンの定額補助も入っている。都民でもなく3月に車を廃車処分した自分には関係がないし体感としてはその何倍にも感じられる。
スクリーンショット (17)
生鮮品を除いた食料は+7.2%と伸びが続いている。生鮮品に属するコメは+90.6%と相変わらずの高騰だし、ブラジルの鳥インフルで輸入が止まり国産鶏肉が値上がりして+10.5%と二けたアップとなった。毎日スーパーで買い物をしている専業主夫としてはこの諸物価の値上げはいつまで続くのだろうかと心配になる。大企業のサラリーマンは今年5%強の昇給があったが、年金は1.9%の増額でとても物価の上昇には追いついていない。

それで例によって今年1ー6月の家計簿をまとめてみた。食費は月平均78000円で、対前年比+9.9%とやっと一桁で収まった。支出額が増えたのは米と麺類、野菜でそれぞれ前年比で約1万円増えている。パーセントにすると+41%、+61%、+21になる。コメが高くなったので麺類の出番が増えたことがよくわかる。野菜の値上がりも結構なインパクトだったし、額は大きくないがたまごは+50%、魚類は+31%と老人の蛋白源支出も激増した。後期高齢者夫婦なので食べる量は前年と変わっていない。食品の単価が上がっているのだ。

今年上半期に値上げされた食品は6650品目と相変わらずの多さだ。その平均値上げ率も15%とけっこうな上げ幅だ。6月だけでもコメの値上がりを受けてサトウのごはんは11-14%、味の素のおかゆも10-11%、不漁の海苔製品は11-31%と値上げされた。海苔の値上げの大きさはコンビニ店頭の海苔なしのおにぎりの数が増えたことでも想像がつく。菓子ではチョコの値上げが目立つ。数年前まで110円で買えた明治の板チョコが147円に上がったと思っていたら今日は180円だった。店頭価格が変わっていない森永かロッテを買うしかない。
スクリーンショット (18)
ぶつぶつ文句を言っても食べなければ死んじゃうので、高値でも買わざるを得ない。老人は食べることだけが楽しみだからね。もう一度家計簿を見直して食費で上がった数万円をどこで帳尻合わせをしたのか調べたら、私のゴルフだった。回数もコストも半減していた。ちょっと悲しい。

↑このページのトップヘ