マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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2025年11月

鮮烈なデビューだった。1961年14歳の時にヘレン・シャピロの「子供ぢゃないの」のカバーでデビューした。その声量、パンチ力、歌唱力、リズム感。ゴムまりのように弾んでいた。翌62年には7枚のシングルを出し、「すてきな16才」「ヴァケイション」などがヒットした。当時全盛を極めていたマナセプロや渡辺プロの所属ではなかったと思うが歌番組を席巻していた。おまけに田辺製薬の「アスパラでやり抜こう」のテレビ広告が連日ヘビロテで流され弘田三枝子の顔を見ない日はないくらいだった。
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同時期にデビューしライバル視されていた中尾ミエは事務所から弘田三枝子のようにパンチを利かせて歌えないかと言われたが、すごいパワーで彼女には敵わないとお手上げだったとコメントしていた。子供のころからかまやつひろしの父親であるティーブ釜萢にジャズを習い、米軍キャンプ巡りで歌唱力を培った。数年後にはヒット曲に恵まれないようになりジャズやR&Bを歌う機会が増えるようになる。1965年にはニューポート・ジャズ・フェスティバルに東洋人として初めて出演した。66年にはスイングジャーナルのジャズヴォーカル女性歌手部門でトップとなり5年間その地位を維持した。
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1969年に「人形の家」で歌謡界にカムバックした。曲はオリコン1位となり同年のレコード大賞の歌唱賞も受賞した。同時にダイエットと美容整形により大幅なイメージチェンジをし、70年にはその経験を基に書いた「ミコのカロリーBOOK」がミリオンセラーとなりファッションリーダー的な存在となった。ただ中尾ミエによるときれいになってダイナマイト娘と呼ばれたパンチが急になくなったと評された。その後渡米、結婚、出産を経験し幅広いジャンルの唄を歌い続けた。テレビで姿を見る機会は減ったが、見るたびに容貌が変わり声量が落ちているように思われた。
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私は当時テレビをあまり見なくなっていたが、たまに懐メロ特集番組で弘田三枝子を見かけた。色白で痩身、表情がなくなって人形のように見えた。歌唱には過去の面影は残っていなかった。ちょっと痛々しかった。2020年自宅で倒れ私と同い年の歌手は心不全で亡くなった。73歳だった。戦後世代にはアメリカンポップスはコニー・フランシス、日本でのカバーは弘田三枝子だった。あれだけの歌手は未だでていない。

才能にも恵まれていたが努力の人だったと思う。曲を憶える時やレコーディング時の準備はすごかったと聞く。根が真面目だったのだろう。それが自分が書いたダイエット本どうりの弘田三枝子で居つづけなければならないと思い込む原因ではなかったのだろうか。デビューしたあの頃のままでいてくれたら今でもパンチの効いたポップスや ジャズヴォーカルが聞けたのではないかと残念でならない。合掌。
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毎日のようにクマのニュースが流れる。先日は山形新幹線の駅の車庫にクマが侵入して運休になったことが報じられていたし、自宅の庭、旅館や小学校に入り込んだとのニュースもいくつかあった。クマに襲われた人もかつてないくらい多い。4人の死者と60人の負傷者を出している秋田を中心とした東北地方だけのことかと思っていたら、関東でも東京都下の日の出町や八王子などでも目撃されている。東京都も「TOKYOくまっぷ」なる目撃情報サイトを開設している。
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関東地方でクマの目撃情報がないのは千葉県だけらしく、私が住む神奈川県も静岡県や山梨県方面からクマの目撃ラインがどんどん近づいている。足柄山の金太郎伝説があるものの神奈川県のツキノワグマは生息数が非常に少なく県の絶滅危惧種に指定されているくらいだ。それなのに今年は毎月7件から13件の目撃情報があったと県が発表している。全国ベースでは2023年と比べて目撃件数は1.4倍、年率18%で増えている。
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私はクマに詳しいわけではないしそんなに興味を持ってたわけでもなかったがこれだけニュースになると気にはなる。クマの数が激増してエサが足りなくなって人里まで降りてくるようになったらしい。そのうえに今年はクヌギなどのブナ科の植物の生成が悪く凶作でクマの餌となるドングリが激減したのでエサを求めて都会まで来る。冬眠の季節なのでその前に栄養を貯えこむ必要があるのだろう。

確かにクマの数は増えているようで、農水省の発表では北海道に生息するヒグマの推定個体数は1990年の「春クマ駆除制度」廃止の影響でこの30年間で倍増し、1991年の5514頭が2023年には1万1661頭へと増えている。本州のツキノワグマは(日本ツキノワグマ研究所長の米田氏によると)1970年の3千頭から3万5千頭へとこの半世紀で10倍強になったと推定される。ただ最近では農水省の資料では増加または安定化とある。四国では生息分布域が12%縮小し、九州では絶滅とのことだ。

北大の坪田教授によるとクマはもともとは肉食性だったが進化の過程で雑食性になり現在の日本のクマは食料の8~9割を植物から摂取する。残りの1~2割はアリやハチなどの昆虫で、生息地にサケやマスが遡上すれば捕食することもあるが獣を襲って肉を食べることには積極的ではないそうだ。つまり頭数が増え、主食のドングリなどが不作のためエサを求めて人里に降りてくるのだろう。

ネットでは人的被害をなくすため見つけ次第駆除すべきと言う意見と、原因は人間サイドにもあるのでクマとの共生を求めて生活圏の住み分けや緩衝帯の設置などの自然環境を整備すべきだとの意見が飛び交っている。時間のかかりそうな解決案に対しては日常的にクマとの接点がある住民からは、現場のことが分かっていないと反論も多い。

頼みの猟友会も高齢化し後処理まで考えるといつまでもボランティアに頼っているわけにはいかない。命がけの仕事だから。自衛隊や警察官への狩猟訓練も簡単ではないだろう。南知床の自治体のように野生鳥獣専門員(法人)を置き、野生動物の管理を猟友会でなく自治体から委託された法人がクマやキツネなどの駆除対応をしているところもある。自治体職員と法人職員が即座に対応できるのが強みとのこと。全ての地区で可能とは思えないが一つの方法ではある。

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