スーパーの入り口に山積み特売されていた中華三昧を懐かしさから思わず買ってしまった。袋入り麺を買うのは震災の年に発売されたマルちゃん正麺以来だから14年ぶりだ。中華三昧を食べるのは44年ぶりではなかろうか。久しぶりに食べたが旨い麺だと思った。
中華三昧は1981年に発売された。当時インスタントラーメン市場は飽和状態で前年割れの年が続いていた。各社は新製品開発に力を入れ、高級化路線は停滞を打破する武器だった。大半の製品が35円から40円で売られる中で中華三昧は120円というプレミアム価格で発売された。中国四千年の幻の拉麺と謳うだけあって即席麺らしくない店の麵のような食感が売りだった。液体スープと粉末スープの二つが付いているのも驚きだったし、それまでのインスタント麺と比較しても確かにおいしかった。ただ頻繁に即席めんを食べる貧乏人には価格の敷居が高かった。また普通のインスタントラーメンに戻った。

インスタントラーメンの歴史は1958年のチキンラーメンに始まる。当時は即席ラーメンと呼んでいた。ラーメンが鍋を必要とせずお湯をかけるだけでできるというのは当時は大ニュースだった。スープは麺に噴霧されていて添付されていない。その頃店で食べると40円だったラーメンとほぼ同じ35円の値付けはかなり高く、しばらくは苦戦したが徐々に消費者の間に浸透した。年末に30円に値下げされ価格はその後10年間続いた。翌59年には6000万食が生産され、60年には同様の商品が30数社から発売され即席麺市場は年間4億食を超え競争の時代に入った。下の写真は新発売当時のパッケージ。即席ラーメンがどんなものか分かるように中身が見える窓があり、上部にはCHICKENではなくCHIKINとある。当然卵を乗せる凹はない。

チキンラーメンは宣伝も派手だった。当時のテレビは全部生放送だったが、柔道ドラマの全枠提供をしていた日清食品は3分強のCM枠を使って、どんぶりにチキンラーメンを入れお湯をかけタレントが話をつなぎ3分経ったらふたを開けて食べるという広告だった。本当に3分で出来上がることだけを訴えるCMだった。しかしその広告を何度も見ていた私は当時チキンラーメンを食べた記憶がない。出前でとるラーメンは確か40円だったし、立ち食いのきしめんは20円だった。即席めんの30円は高すぎたのだ。
インスタントラーメンを一番食べた時期は下宿生活の大学生時代だ。金がなかったせいもあるがとりあえず空腹を満たせばよいという貧乏学生にとってはありがたい存在だった。4畳半の下宿のひと口コンロで小さな鍋に湯を沸かし麺を放り込み、残っている野菜があればそれも加えて鍋からそのまま食べた。特に仕送りが着く前の一週間はこれで飢えを凌いだ。
同級生の一人がアメリカに留学して暫くしてから何か欲しいものはあるかと聞いたら、インスタントラーメンを送ってくれ、それも新聞紙に包んで送ってくれるとありがたいと言ってきた。当時はアメリカのスーパーで日本の食品を見つけるのは大変だったので簡単に調理できるラーメンは貴重だったらしい。かつ食べ終わった後に包み紙の新聞で日本のニュースをゆっくり読むのは最大の楽しみだったと後で聞いた。
隆盛だった袋物即席めん市場も1971年に日清がカップヌードルを100円で発売するとカップ麺が主流となり始め袋麺は勢いを失いはじめる。カップヌードルの発泡スチロール容器は包装材であり、調理器でもあり、食器になるというマーケターにとってはえらくショッキングなパッケージだった。同時にこのあたりからインスタントラーメンが国際化されていく。
食べ終わった中華三昧のパッケージを眺めながらそんなことを思い出した。それにしても44年前に120円で売り出された中華三昧が特売とは言え99円で売られているのもある意味ショックだった。
中華三昧は1981年に発売された。当時インスタントラーメン市場は飽和状態で前年割れの年が続いていた。各社は新製品開発に力を入れ、高級化路線は停滞を打破する武器だった。大半の製品が35円から40円で売られる中で中華三昧は120円というプレミアム価格で発売された。中国四千年の幻の拉麺と謳うだけあって即席麺らしくない店の麵のような食感が売りだった。液体スープと粉末スープの二つが付いているのも驚きだったし、それまでのインスタント麺と比較しても確かにおいしかった。ただ頻繁に即席めんを食べる貧乏人には価格の敷居が高かった。また普通のインスタントラーメンに戻った。

インスタントラーメンの歴史は1958年のチキンラーメンに始まる。当時は即席ラーメンと呼んでいた。ラーメンが鍋を必要とせずお湯をかけるだけでできるというのは当時は大ニュースだった。スープは麺に噴霧されていて添付されていない。その頃店で食べると40円だったラーメンとほぼ同じ35円の値付けはかなり高く、しばらくは苦戦したが徐々に消費者の間に浸透した。年末に30円に値下げされ価格はその後10年間続いた。翌59年には6000万食が生産され、60年には同様の商品が30数社から発売され即席麺市場は年間4億食を超え競争の時代に入った。下の写真は新発売当時のパッケージ。即席ラーメンがどんなものか分かるように中身が見える窓があり、上部にはCHICKENではなくCHIKINとある。当然卵を乗せる凹はない。

チキンラーメンは宣伝も派手だった。当時のテレビは全部生放送だったが、柔道ドラマの全枠提供をしていた日清食品は3分強のCM枠を使って、どんぶりにチキンラーメンを入れお湯をかけタレントが話をつなぎ3分経ったらふたを開けて食べるという広告だった。本当に3分で出来上がることだけを訴えるCMだった。しかしその広告を何度も見ていた私は当時チキンラーメンを食べた記憶がない。出前でとるラーメンは確か40円だったし、立ち食いのきしめんは20円だった。即席めんの30円は高すぎたのだ。
インスタントラーメンを一番食べた時期は下宿生活の大学生時代だ。金がなかったせいもあるがとりあえず空腹を満たせばよいという貧乏学生にとってはありがたい存在だった。4畳半の下宿のひと口コンロで小さな鍋に湯を沸かし麺を放り込み、残っている野菜があればそれも加えて鍋からそのまま食べた。特に仕送りが着く前の一週間はこれで飢えを凌いだ。
同級生の一人がアメリカに留学して暫くしてから何か欲しいものはあるかと聞いたら、インスタントラーメンを送ってくれ、それも新聞紙に包んで送ってくれるとありがたいと言ってきた。当時はアメリカのスーパーで日本の食品を見つけるのは大変だったので簡単に調理できるラーメンは貴重だったらしい。かつ食べ終わった後に包み紙の新聞で日本のニュースをゆっくり読むのは最大の楽しみだったと後で聞いた。
隆盛だった袋物即席めん市場も1971年に日清がカップヌードルを100円で発売するとカップ麺が主流となり始め袋麺は勢いを失いはじめる。カップヌードルの発泡スチロール容器は包装材であり、調理器でもあり、食器になるというマーケターにとってはえらくショッキングなパッケージだった。同時にこのあたりからインスタントラーメンが国際化されていく。
食べ終わった中華三昧のパッケージを眺めながらそんなことを思い出した。それにしても44年前に120円で売り出された中華三昧が特売とは言え99円で売られているのもある意味ショックだった。







