外資系企業7社で33年間過ごしたサラリーマン人生だった。いろんな面でドライだと考えられている外資でも人間関係や人との絆はちゃんと存在していたように思う。
新卒で入社したのは広告代理店。コピーライター志望で入ったが配属されたのは媒体局のコカ・コーラ専属のメディアプラニング部門だった。楽しくて働きやすい部門だった。3年後にマーケティング局に転属になり、労働組合の書記長をすることになった。会社側の代表が人事局長のI氏で実直で優しい人物で、組合側から見ると比較的楽な交渉相手だった。数年後にヘッドハンターからの電話で面接に行くとI氏がいた。当時は55歳が定年だったので定年退職後に製薬メーカー(ワーナーランバート)の人事のトップとして入社し、菓子事業部が人を探していた時に私のことを思い出したらしい。知っている人が上層部にいるのは心強い。即入社を決めた。
菓子の仕事は面白く毎日が充実していた。数年後に管理職になったがもう少し現場の仕事がしたかった。会社の医薬品部門にスミスクラインから転職した人がいて、数年後にまたスミスクラインに戻った。コンタックの担当が欠員となった時に私のことを思い出し面接に呼ばれた。簡単な宿題が出てそれを提出したら採用が決まった。ただ入社後数か月で日本の製薬会社のOTC部門を吸収合併し会社の雰囲気が悪くなったのと上司との折り合いも良くなくて退職し、元上司の口利きもあってワーナーランバートに出戻った。人材が潤沢でない外資系企業ではこうした出戻りはよくあることだ。
また菓子の仕事に戻り、カナダでの海外勤務を終えて日本に戻ったら私の後任で一時的に赴任していたアメリカ人が戻る場所がなくて居残っていた。同じポジションに二人いるのも妙だが仕事を無理に二分割するのはもっと理不尽だった。昔から知り合いのエージェントに頼んで次の仕事を見つけてもらった。ヘッドハンターに依頼したのはこの時だけだ。
紹介されたのはペプシコーラだった。ペプシマンキャンペーンの頃で業績は上向きだった。新製品開発チームや開発会議の新設、人員補強など組織の強化に取り組んだが半年後に事業はサントリーに売却移管された。マネジメントや開発、工場要員などは不要とされ生まれて初めてハローワーク通いを数か月経験した。その間ペプシ事業の売却を知ってマーケティング人材採用のため来社した関西の製薬会社の元人事部長が採用に動いてくれて調査部長の職を得て神戸に転居した。
神戸での最初の2年は快適だったが、その後新設の抗癌剤のチームを任されてからが大変だった。消費財の経験しかないマーケターがこなせる仕事ではない。毎日今日が最後の出社日になるかもと思いながら電車に乗った。そんな時東京のヘッドハンターから電話があり、消費財と医療用医薬品の両方の経験を持つマーケターを探しているが面接に来ないかとのことだった。バファリンの会社だった。
バファリンがOTCと医療用の両方を持っているとは知らなかったし、失敗だったと思った医療用医薬品への転職がこんなところで役に立つとは思わなかった。日本法人のカナダ人社長に面接されたが私がカナダで働いていたことにも興味を持ったようだった。翌月には本社の社長との面談があった。面接中に「ペプシにいたのか。本社の交渉相手は誰だった」と聞かれた。彼も以前ペプシに在籍していたとのことで結局それが決め手になったのか採用されて最後の勤務先となった。
もともと転職志向があったわけではないし英語も不得手だった。知人がエージェントに私の名前を出したこともあるが、私のことを知っている人が誘ってくれたことも何度かあった。まだ外資に行く人が多くなかった時代なので、個人的ネットワークが重要だった。転職してからかつての部下や仲間を採用することはよくあったし私も何度かしたことがある。その人の強みと弱みを知っているから強いところを活かすポジションをあてがえば失敗は少ない。自分の首がかかっているから採用にも慎重になる。日本の企業で働いたことがないから比較はできないが、組織に頼ることが少ない外資系企業の方が人と人とのつながりや絆が強いのではなかろうかと思ったことは何度もあった。昔の仲間とは今でも繋がっている。
新卒で入社したのは広告代理店。コピーライター志望で入ったが配属されたのは媒体局のコカ・コーラ専属のメディアプラニング部門だった。楽しくて働きやすい部門だった。3年後にマーケティング局に転属になり、労働組合の書記長をすることになった。会社側の代表が人事局長のI氏で実直で優しい人物で、組合側から見ると比較的楽な交渉相手だった。数年後にヘッドハンターからの電話で面接に行くとI氏がいた。当時は55歳が定年だったので定年退職後に製薬メーカー(ワーナーランバート)の人事のトップとして入社し、菓子事業部が人を探していた時に私のことを思い出したらしい。知っている人が上層部にいるのは心強い。即入社を決めた。
菓子の仕事は面白く毎日が充実していた。数年後に管理職になったがもう少し現場の仕事がしたかった。会社の医薬品部門にスミスクラインから転職した人がいて、数年後にまたスミスクラインに戻った。コンタックの担当が欠員となった時に私のことを思い出し面接に呼ばれた。簡単な宿題が出てそれを提出したら採用が決まった。ただ入社後数か月で日本の製薬会社のOTC部門を吸収合併し会社の雰囲気が悪くなったのと上司との折り合いも良くなくて退職し、元上司の口利きもあってワーナーランバートに出戻った。人材が潤沢でない外資系企業ではこうした出戻りはよくあることだ。
また菓子の仕事に戻り、カナダでの海外勤務を終えて日本に戻ったら私の後任で一時的に赴任していたアメリカ人が戻る場所がなくて居残っていた。同じポジションに二人いるのも妙だが仕事を無理に二分割するのはもっと理不尽だった。昔から知り合いのエージェントに頼んで次の仕事を見つけてもらった。ヘッドハンターに依頼したのはこの時だけだ。
紹介されたのはペプシコーラだった。ペプシマンキャンペーンの頃で業績は上向きだった。新製品開発チームや開発会議の新設、人員補強など組織の強化に取り組んだが半年後に事業はサントリーに売却移管された。マネジメントや開発、工場要員などは不要とされ生まれて初めてハローワーク通いを数か月経験した。その間ペプシ事業の売却を知ってマーケティング人材採用のため来社した関西の製薬会社の元人事部長が採用に動いてくれて調査部長の職を得て神戸に転居した。
神戸での最初の2年は快適だったが、その後新設の抗癌剤のチームを任されてからが大変だった。消費財の経験しかないマーケターがこなせる仕事ではない。毎日今日が最後の出社日になるかもと思いながら電車に乗った。そんな時東京のヘッドハンターから電話があり、消費財と医療用医薬品の両方の経験を持つマーケターを探しているが面接に来ないかとのことだった。バファリンの会社だった。
バファリンがOTCと医療用の両方を持っているとは知らなかったし、失敗だったと思った医療用医薬品への転職がこんなところで役に立つとは思わなかった。日本法人のカナダ人社長に面接されたが私がカナダで働いていたことにも興味を持ったようだった。翌月には本社の社長との面談があった。面接中に「ペプシにいたのか。本社の交渉相手は誰だった」と聞かれた。彼も以前ペプシに在籍していたとのことで結局それが決め手になったのか採用されて最後の勤務先となった。
もともと転職志向があったわけではないし英語も不得手だった。知人がエージェントに私の名前を出したこともあるが、私のことを知っている人が誘ってくれたことも何度かあった。まだ外資に行く人が多くなかった時代なので、個人的ネットワークが重要だった。転職してからかつての部下や仲間を採用することはよくあったし私も何度かしたことがある。その人の強みと弱みを知っているから強いところを活かすポジションをあてがえば失敗は少ない。自分の首がかかっているから採用にも慎重になる。日本の企業で働いたことがないから比較はできないが、組織に頼ることが少ない外資系企業の方が人と人とのつながりや絆が強いのではなかろうかと思ったことは何度もあった。昔の仲間とは今でも繋がっている。
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