ヒット曲もあり、人気もあったのに事件を起こし消えてしまったり目に触れる機会が激減した歌手が何人もいる。まず思い出すのが荒木一郎だ。

荒木一郎は新劇俳優として舞台で活躍した後1950年代から80年代まで多くの映画やテレビドラマに出演した荒木道子を母に持つ歌手であり俳優だ。俳優としてスタートしたが作詞作曲もこなし、1966年にDJを務めたラジオ番組「星に唄おう」のテーマ曲「空に星があるように」を作詞作曲し歌手デビューを果たす。
空に星があるように 浜辺に砂があるように 僕の心に たったひとつの 小さな夢がありました
抒情的なつぶやくように唄うバラードだった。豊かな感受性と繊細な感性を感じさせる曲だった。「星に唄おう」は当時住んでいた名古屋の東海ラジオの番組だったのでよくラジオで流れていたし、テレビの歌番組にも出演して唄っていた。その前年からグループサウンズブームが始まり、ザ・スパイダーズやブルーコメッツなどがヒットを飛ばし音楽番組はGS一色だったのでこうしたバラードはかえって目立ち、レコードは60万枚以上売れて同年のレコード大賞の新人賞を獲得した。この年には映画「893愚連隊」で新人男優賞も受賞している。
翌67年にはそれまでの曲調とは全く異なるグループサウンズ調の「いとしのマックス」が5枚目のシングルとしてリリースされた。アコースティックギターを抱えバックバンドのマグマックス・ファイブを率いて軽快に唄った。
真っ赤なドレスを君に 作ってあげたい君に 愛しているんだよ 素敵な君だけを
ヘイヘイ マックス Want you be my LOVE そして君と踊ろう
この曲はデビュー曲を上回る125万枚のミリオンセラーとなり同年の紅白歌合戦にも出演した。映画にも毎年数本出演し、この勢いで当分人気は上がり続けるだろうと誰もが思った。ところが1969年に女優希望の女子高生に対する猥褻行為で訴えられ、不起訴にはなったもののメディアに叩かれて謹慎生活に入り芸能活動は中断された。確か新聞記事ではカメラテストをすると自宅に招いて犯行に及んだと記憶している。その後は映画出演などは継続されていたが、今度は1977年にはクラブ歌手からレッスン中に性的ないたずらを受けたと訴えられた。損害賠償を請求され非を認めて謝罪をしたものの納得しない相手と婚約者が荒木に暴力をふるい、荒木が告訴して二人が暴力容疑で逮捕されるという事態に至った。
この事件の影響のせいか1980年代からは活動を大幅に減らしているがシンガーソングライターや文筆業の仕事は継続されている。沢田研二や原田芳雄などの歌手への歌詞や楽曲の提供や、桃井かおりのマネジャーを務めたこともある。マジック評論家としても活躍し著書も出している。自伝小説の執筆や2016年にはデビュー50周年コンサートの開催もした現在81歳のマルチタレントは表舞台から少し下がったところでその存在感をいまだに保持している。

荒木一郎は新劇俳優として舞台で活躍した後1950年代から80年代まで多くの映画やテレビドラマに出演した荒木道子を母に持つ歌手であり俳優だ。俳優としてスタートしたが作詞作曲もこなし、1966年にDJを務めたラジオ番組「星に唄おう」のテーマ曲「空に星があるように」を作詞作曲し歌手デビューを果たす。
空に星があるように 浜辺に砂があるように 僕の心に たったひとつの 小さな夢がありました
抒情的なつぶやくように唄うバラードだった。豊かな感受性と繊細な感性を感じさせる曲だった。「星に唄おう」は当時住んでいた名古屋の東海ラジオの番組だったのでよくラジオで流れていたし、テレビの歌番組にも出演して唄っていた。その前年からグループサウンズブームが始まり、ザ・スパイダーズやブルーコメッツなどがヒットを飛ばし音楽番組はGS一色だったのでこうしたバラードはかえって目立ち、レコードは60万枚以上売れて同年のレコード大賞の新人賞を獲得した。この年には映画「893愚連隊」で新人男優賞も受賞している。
翌67年にはそれまでの曲調とは全く異なるグループサウンズ調の「いとしのマックス」が5枚目のシングルとしてリリースされた。アコースティックギターを抱えバックバンドのマグマックス・ファイブを率いて軽快に唄った。
真っ赤なドレスを君に 作ってあげたい君に 愛しているんだよ 素敵な君だけを
ヘイヘイ マックス Want you be my LOVE そして君と踊ろう
この曲はデビュー曲を上回る125万枚のミリオンセラーとなり同年の紅白歌合戦にも出演した。映画にも毎年数本出演し、この勢いで当分人気は上がり続けるだろうと誰もが思った。ところが1969年に女優希望の女子高生に対する猥褻行為で訴えられ、不起訴にはなったもののメディアに叩かれて謹慎生活に入り芸能活動は中断された。確か新聞記事ではカメラテストをすると自宅に招いて犯行に及んだと記憶している。その後は映画出演などは継続されていたが、今度は1977年にはクラブ歌手からレッスン中に性的ないたずらを受けたと訴えられた。損害賠償を請求され非を認めて謝罪をしたものの納得しない相手と婚約者が荒木に暴力をふるい、荒木が告訴して二人が暴力容疑で逮捕されるという事態に至った。
この事件の影響のせいか1980年代からは活動を大幅に減らしているがシンガーソングライターや文筆業の仕事は継続されている。沢田研二や原田芳雄などの歌手への歌詞や楽曲の提供や、桃井かおりのマネジャーを務めたこともある。マジック評論家としても活躍し著書も出している。自伝小説の執筆や2016年にはデビュー50周年コンサートの開催もした現在81歳のマルチタレントは表舞台から少し下がったところでその存在感をいまだに保持している。
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