最低限の食糧と日常品の買い物以外は外出しなくなって数か月が過ぎた。リモートワークをしている人はストレスが溜まっているようだが、引退してから10年以上引き籠っている老人の生活はコロナ騒動下でも大きくは変わらない。
老人らしくなく起床は9時過ぎ(寝るのが3時くらいだから仕方ない)。すぐ朝風呂に入る。浴槽内で日課の軽い運動。これをすると一日が気持ちよく始まる。忙しかった現役時代にはできなかったこと。45年購読した日経を去年止めたので朝食後にテレビを見るが、CSのTBS NEWS、日テレ24ニュース、CNNとBBCだけで地上波は馬鹿らしくて見ない。結局毎日することは運動不足を解消するために毎日室内でエアロバイクを漕ぐこととネットのニュースを読むこと、食材の買い出しと昼飯と晩飯を作ることくらい。まさか人生の最終コーナーに差し掛かった時に日々こうした過ごし方をするとは予想すらしなかった。
私は団塊の世代と呼ばれる年代である。「終電に間に合った世代」とか「最後の食い逃げ世代」と呼ばれることもある。会社勤めでもそこそこの給料や処遇を得たし、年金もそれなりに受け取れる世代だ。現在のコロナ騒ぎで多くの自営業者、非正規労働者、学生などが大変な状況にあるのに、既に年金生活に入っている我々は手取りが減ることもしばらくはなさそうだし仕事の心配もしなくても済む。若い人たちを見ているとなんだか申し訳ない気持ちになる。
私の生まれた1947年の出生数は268万人。1944-1946年は戦時中だったため正式な人口統計がないのだが、日経新聞によると1947-49年生まれの団塊の世代人口は806万人で、2019年10月時点でも618万人いてその前の3年間の406万人とくらべて5割も多い。47年生まれは前年比約100万人増、+60%。現在の出生数が約100万弱であることを考えるととんでもない人数に思える。望んでその年に生まれたわけではないし、終戦後のベビーブーマーとして生まれ、「死ぬまで競争だ!」と言われて育った世代である。入学、就職、結婚、昇進と競争が激しかったのは事実である。小中学校では1クラス60人の時代で、学校によっては1学年のクラスがアルファベットで足りないところもあった。中学の時ははテニスコートをつぶして建てたプレハブ校舎だった。
受験戦争を切り抜けると次は就職戦争。女性にとっては結婚対象となる数歳上の男が少ないため結婚戦争、そして結果的に同い年結婚が増えた。友達夫婦は20代ではニューファミリーとおだてられて企業のマーケティング・ターゲットとなり、30代では企業戦士に。しかし引退してみると、高度成長にただ乗りしただけでなにも付加価値を生まなかった世代、年金などの社会保障面で得をした最後の食い逃げ世代などと評せられる。確かに前の世代が大きな仕事をしていた。オズボーンの戯曲「怒りを込めて振り返れ」にあったように、やろうとしていたことはすべて前の世代がやってしまっていたのかもしれない。
我々の世代が大学を出て社会に入ったとたん高度成長が終わりオイルショックが来た。バレル8ドルだった原油価格があっという間に23ドルに上がったことを覚えている。1974年には卸売物価は31%、消費者物価は23%も上昇し狂乱物価と呼ばれた。給料も上がったが物価に追いつけなかった。為替レートも戦後の1ドル360円が71年に308円になり73年には変動相場制となって260円まで円高となるジェットコースター相場だった。初のトイレットペーパー騒ぎが起きたのもこの頃だった。それなりの苦労もし、なんとか企業で生き延び、子供を育て、家を買い、わずかな蓄財をして老後に備えたつもりだったのに、最近の論調は団塊世代は諸悪の根源のように言う。2025年問題と呼ばれる医療・介護費が急増して70兆円を超える最大の理由が団塊の世代すべてが後期高齢者になるからだとのこと(後期高齢者の三分の一は要介護状態)。確かに人口的には巨大な塊で、かつ長生きしそうで医療費や年金で下の世代に迷惑をかけると思う。でもね、それなりに一所懸命生きてきたのですよ。こうなったらもう少し生き延びて、オイルショックやバブル崩壊に立ち会った時のようにこのコロナ騒動も最後まで見届けてやろうじゃないの。

ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。
老人らしくなく起床は9時過ぎ(寝るのが3時くらいだから仕方ない)。すぐ朝風呂に入る。浴槽内で日課の軽い運動。これをすると一日が気持ちよく始まる。忙しかった現役時代にはできなかったこと。45年購読した日経を去年止めたので朝食後にテレビを見るが、CSのTBS NEWS、日テレ24ニュース、CNNとBBCだけで地上波は馬鹿らしくて見ない。結局毎日することは運動不足を解消するために毎日室内でエアロバイクを漕ぐこととネットのニュースを読むこと、食材の買い出しと昼飯と晩飯を作ることくらい。まさか人生の最終コーナーに差し掛かった時に日々こうした過ごし方をするとは予想すらしなかった。
私は団塊の世代と呼ばれる年代である。「終電に間に合った世代」とか「最後の食い逃げ世代」と呼ばれることもある。会社勤めでもそこそこの給料や処遇を得たし、年金もそれなりに受け取れる世代だ。現在のコロナ騒ぎで多くの自営業者、非正規労働者、学生などが大変な状況にあるのに、既に年金生活に入っている我々は手取りが減ることもしばらくはなさそうだし仕事の心配もしなくても済む。若い人たちを見ているとなんだか申し訳ない気持ちになる。
私の生まれた1947年の出生数は268万人。1944-1946年は戦時中だったため正式な人口統計がないのだが、日経新聞によると1947-49年生まれの団塊の世代人口は806万人で、2019年10月時点でも618万人いてその前の3年間の406万人とくらべて5割も多い。47年生まれは前年比約100万人増、+60%。現在の出生数が約100万弱であることを考えるととんでもない人数に思える。望んでその年に生まれたわけではないし、終戦後のベビーブーマーとして生まれ、「死ぬまで競争だ!」と言われて育った世代である。入学、就職、結婚、昇進と競争が激しかったのは事実である。小中学校では1クラス60人の時代で、学校によっては1学年のクラスがアルファベットで足りないところもあった。中学の時ははテニスコートをつぶして建てたプレハブ校舎だった。
受験戦争を切り抜けると次は就職戦争。女性にとっては結婚対象となる数歳上の男が少ないため結婚戦争、そして結果的に同い年結婚が増えた。友達夫婦は20代ではニューファミリーとおだてられて企業のマーケティング・ターゲットとなり、30代では企業戦士に。しかし引退してみると、高度成長にただ乗りしただけでなにも付加価値を生まなかった世代、年金などの社会保障面で得をした最後の食い逃げ世代などと評せられる。確かに前の世代が大きな仕事をしていた。オズボーンの戯曲「怒りを込めて振り返れ」にあったように、やろうとしていたことはすべて前の世代がやってしまっていたのかもしれない。
我々の世代が大学を出て社会に入ったとたん高度成長が終わりオイルショックが来た。バレル8ドルだった原油価格があっという間に23ドルに上がったことを覚えている。1974年には卸売物価は31%、消費者物価は23%も上昇し狂乱物価と呼ばれた。給料も上がったが物価に追いつけなかった。為替レートも戦後の1ドル360円が71年に308円になり73年には変動相場制となって260円まで円高となるジェットコースター相場だった。初のトイレットペーパー騒ぎが起きたのもこの頃だった。それなりの苦労もし、なんとか企業で生き延び、子供を育て、家を買い、わずかな蓄財をして老後に備えたつもりだったのに、最近の論調は団塊世代は諸悪の根源のように言う。2025年問題と呼ばれる医療・介護費が急増して70兆円を超える最大の理由が団塊の世代すべてが後期高齢者になるからだとのこと(後期高齢者の三分の一は要介護状態)。確かに人口的には巨大な塊で、かつ長生きしそうで医療費や年金で下の世代に迷惑をかけると思う。でもね、それなりに一所懸命生きてきたのですよ。こうなったらもう少し生き延びて、オイルショックやバブル崩壊に立ち会った時のようにこのコロナ騒動も最後まで見届けてやろうじゃないの。
ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。
コメント