WL社に入社して最初のアサインメントはブレス・フレッシュナーの新製品担当でした。アメリカではサーツやクロレッツがあり当時の社長はトライデントやホールズに次ぐ新製品として期待をしていました。その頃競合としては圧倒的シェア#1のグリーンガムがあり、かつ市場の7割は板ガムでした。なんとかしてグリーンに一泡吹かせたいと考えていました。
クロレッツ発売の一年前に2in1を出しています。2in1のもとはサーツですが、過去に二度の失敗があったため名前を変えました。2in1が先に発売されたのは、2in1の有効成分がレチンだけなのに対しクロレッツはレチンとクロロフィル(後にこのをコンビネーションをアクチゾルと命名)なのでクロレッツが先に発売されると後から来る2in1の効果が弱く見えるからです。過去のサーツ失敗がミントだったのでキャンディに変えて世に送られました。
ですからクロレッツにキャンディの可能性は殆どなかったのですが、ガム、ミント、キャンディの三種で開発を始めました。効能効果の面から見ると、食べてすぐ製品全部が胃の中に入るミントが一番高いのですが(口臭の原因の一番は口の中、次が胃だそうです)サーツの失敗とミント市場があまりに小さいので諦めました(数年後フリスクが成功したときは、やられた~と思いました)。二番目に効果の高いキャンディはガムが成功してから出すことにし、ガムにフォーカスすることにしたのです。
ガムには板、糖衣、ブロック(風船ガム)、スラブ(トライデント)などがありますが、効果の高いのは糖衣でした。ガムベースの中の有効成分は全部がガムの外に出るわけではありませんが、表面の糖衣部分は溶けて口の中から胃に届くからです。それに当時の工場には板ガムの製造設備はありませんでした。糖衣しか選択肢がなかったと言っていい状況でした。数台の銅製の釜(コーティング・パン)がありその中に成形したガムを入れ回転させながら時々工員さんが手で糖液をかけて熱風で乾かし懐かしのチクレットを作っていました。チクレットの売上げはずっと下降していて、工場に行くと「チクレットとダイナミンツの設備が遊んでるからこれでなんか新製品作ってよ」と言われたものです。
糖衣に決めて試作を繰り返しなんとか満足できる製品ができたので、翌年のテスト・マーケティングの説明のために営業幹部会議に参加しました。プレゼン後あるマネジャーから「今頃糖衣ガム? 糖衣は戦後のガムだよ、ギブミー・チューインガム時代のガムだよ。チクレットを見れば分かるでしょ。売れるわけないだろ。今の世の中は板ガムなんだよ。なに考えてるの!」とボロクソに言われました。包装形態も最初はチクレットと同じ小箱入りで考えていたのですが、これも鉄道担当マネジャーに「包み紙がないガムは扱ってもらえない」と言われ鉄道売店を主力販路と考えていたので滅茶苦茶落ち込んで帰ったのを覚えています。
この悔しさがあったので包装形態をなんとかしたい、見返してやりたいと思うようになり、その頃森永から入社された製品開発部長とスティック包装、糖衣ガムの個包装の検討を始めました。効果感を強めるためにメントール含有を増やし、個包装工程で立てられた粒が倒れてしまう問題も工場サイドの尽力や包材をセロファンからアルミに変えることなどでなんとか解決し、多分世界初の個包装でスティック包装の糖衣ガムが誕生しました。包装機への投資も承認が取れテストマーケティングが始まりました。正式発売後は苦戦しましたが、テレビ広告がヒットしたこともあり品切れ状態が長く続くことになり、営業からは何故増産できないのだと苦情の毎日でした。高速糖衣機と包装機の追加もあり当初の目標の数倍の販売量を達成できました。その後競合社の同じサイズの糖衣ガムの発売が続き、ガム市場が一気に板から糖衣に大きく切り替わるなんで想像もしていませんでした。
久しぶりにクロレッツを買い、味わいながら昔のことを思いだしてつい書いてしまいました。老人の昔話でごめんなさい。
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