子供のころから広告が好きだった (19)

高度成長期のサラリーマンは夏でも長袖のワイシャツを着ていた。学生も制服の下には長袖のワイシャツを着ていた。父親もワイシャツを腕まくりし、上着を抱えて毎日出勤していた。あの頃のワイシャツはみんな少しだぶついた白のワイシャツだった。
暑い夏が来そうな昭和36年の5月1日。朝刊の広告に多くのサラリーマンが驚いた、と思う。当時売れっ子モデルだった岡田真澄を使った帝人の広告だ。
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YシャツにかわるYシャツ。<テイジン・テトロン・ホンコンシャツ> それはセミスリーブ <半袖>のオフィスシャツ。ネクタイOK、上着OK、フォーマルでスマート、えりは流行のボタンダウンなど。そで丈は短め、そで幅は細め、スリムなシルエットが新鮮!

サラリーマンはびっくりした。半袖のワイシャツ? 会社に行くんだぜ。これは遊び用のシャツじゃないか。それまで半袖シャツと言えばアロハシャツか開襟シャツしかなかったのだから、驚いて当然だった。石津謙介がデザインし汗をかいても乾きやすいテトロン製の半袖シャツはこうして世に出た。
男たちの抵抗は続いたが、当時の混雑した冷房のない通勤電車や扇風機だけのオフィスで過ごすサラリーマンはだんだん半袖シャツを着るようになった。着てみれば仕事はしやすいし、洗濯屋に出さなくても家で洗えるし確かに便利だった。東レがセミ・スリーブシャツで追いかけたことも市場拡大に勢いをつけた。
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しわになりにくく乾きやすいテトロンという素材のメリットだけでなく、胸ポケットが二つそれもフラップ付き、それまでのゆったりシャツとちがって細身のデザイン、若者に人気のボタンダウン、袖口の切込みなど新しい機能やデザインが満載だった。洗ってすぐ着られる、アイロン不要は主婦にも受け入れられる要素だった。薄くて透ける、と不評の面もあったがテトロンシャツは市場浸透をし続け、5年後にはワイシャツの全需要の5割を占めるまでに至った。

この頃はテトロンだけでなくトレロン、カシミロンといろんな合成繊維を使用した衣類が発売された時期だが、テトロンが一番知名があった。ちなみにテトロンは帝人と東レが共同で商標を持っていて、帝人のテ、東レのトにナイロンのロンを加えたものだと言われている。そのテトロンを使ったホンコンシャツは後年のクールビズや省エネファッションの先駆けともなった大ブーム商品だったが、父親が半袖シャツを着て出勤していた記憶は全くない。



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