マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

カテゴリ: マネジメント

子供のころから広告が好きだった (32)

大学入学のため上京して生まれて初めて牛丼というものを食べた。当時新橋駅前(現ラ・ピスタ新橋)にあった吉野家としては2店目の店で値段は確か200円だったと思う。輸入自由化の前で牛肉は高価で年に何回かのすき焼きくらいでしか食べられなかった時代に、その金額で牛肉が食べられることとおいしかったことに驚いた。かつ丼や天丼が300~400円の時代だった。(写真は昭和50年代の新橋店)
1968_01
昭和50年に300円に、55年に350円に値上げされたがそれでも学生やサラリーマンにとって安価でおいしいご馳走だった。女性客はほとんどいなかった。現在のキャッチフレーズは「うまい、やすい、はやい」だが当時は「早い、うまい、安い」でファストフード的な利点を強調していた。昭和46年に日本上陸を果たし急成長中だったマクドナルドを意識していたのかもしれない。

もともと吉野家は明治32年(1899年)に日本橋に誕生した魚河岸で働く人たちむけの牛丼屋だった。関東大震災後に築地に、昭和10年に中央卸売市場が開設された後は市場内に移転した。新橋店は昭和43年にできた2店目でチェーン化を目指しはじめた頃だ。110席の大型店だったがいつも混んでいた。昭和47年には24時間営業となった。
2023-04-23 (1)
店舗数が増え広告活動も活発になった。一番記憶に残るのは「やったねパパ 明日はホームランだ」の野球少年の声と西川峰子の「ここは吉野家 味の吉野家 牛丼ひとすじ80年」のジングルだ。皮肉なことに創業80年の前年に店舗数が200を超えると輸入枠もあって輸入牛肉の調達が困難になり、フリーズドライ牛肉を使うなどして品質の低下を招いた。そのうえ急速な店舗展開による資金繰りの悪化も重なり、昭和55年会社更生法の適用を受け倒産した。

この時「学生時代にあれだけお世話になった牛丼屋をつぶしてなるのもか」と若いサラリーマンたちが、まだ開けている店を探しては、わざわざ食べに出かけるという運動が起きた。この世代に属する私もいくら値段が安いからといって他のチェーンで牛丼を食べる気にはならない。牛丼を食べるのは年に一度か二度になってしまったが、毎回吉野家まで足を運ぶ。

BSE騒動による販売停止を乗り越え再起に成功した吉野家は店舗数も1650を超え、コロナで売り上げは低下したものの直近ではほぼ二桁成長を示している。ただ原材料費や光熱費の高騰で値上げをしたものの利益率低下に苦しんでいる。コロナが落ち着き始めたことで時短協力金の減少も利益率悪化に拍車をかけている。しかし、残念ながら「つぶしてなるものか」と出かける回数を増やす気力も体力も(昔は若いサラリーマンだった)老人にはもうない。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

浜松には日本を代表する楽器メーカーが2社あります。ヤマハと河合楽器製造所です。ライバル会社であり兄弟会社のようでもあります。サントリーとニッカのような関係でしょうか。

竹鶴政孝が10年働いた寿屋(現サントリー)から独立して自分の考えるウィスキーを作るべく大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を興したように、河合小市はヤマハ風琴製作所(現ヤマハ)に弟子入りし、3年後に打弦響板の開発に成功して日本初のピアノ製造に貢献し、19年勤務の後河合楽器研究所を設立しました。何よりもすごいのは弟子入りしたのがわずか11歳だったこと。いくら天才技術者と呼ばれようがそんな少年にピアノの基幹部分の開発を全面的に任せた山葉寅楠もすごかった。竹鶴がいなかったらサントリーウィスキーはなかったであろうし、小市がいなければヤマハピアノは生まれなかったでしょう。

日本のピアノのシェアはヤマハが6割、河合が4割で推移していると言われるが、企業の規模の差は大きい。ヤマハ(株)の売り上げは約4330億円(ヤマハ発動機分は含まれていない)。一方の河合楽器は約724億円。6倍の差です。ヤマハが世界展開に力を入れ世界一のピアノシェアを誇るのに対し、河合も世界二位のシェアを維持しています。河合の売り上げ720億の中でピアノは570億と8割近くを占めるが、ヤマハのピアノを含めた楽器売り上げは2775憶と6割強でありその中でピアノは2割を占めるに過ぎません。

この事業規模の差は販売方式(ヤマハは特約店、河合は直営店)の差もあるが事業の多角化の差が大きいと思われます。ヤマハはオルガンから始まった楽器製造をピアノ、ハモニカ、シロフォンと拡げ、その後弦楽器や打楽器へと展開しました。音楽教室も全国に設立し、ポプコン開催など底辺の開拓にも力を入れたし、エレクトーンなどの電子楽器の製造も開始した。学校のブラスバンド部の楽器にははたいていヤマハのロゴがついていますよね。その後今は撤退してしまったがテニスラケットやアーチェリーなどのスポーツ用品(ゴルフクラブだけは現存)やリビング事業、リゾート事業まで幅を広げました。一方の河合も音楽教室だけでなく、絵画、英語、体育教室と教育事業に力を入れ、ピアノ材を利用した玩具なども作り、一時はゴルフ場経営までしましたが現在はピアノへの回帰が目立ちます。

ansoff-matrix02

上記はアンゾフの成長マトリクス図ですが、河合が更なる市場浸透、新素材を使ったピアノの新製品開発、海外市場開発に注力するのに対して、ヤマハはそれに加えて多角化を図っているのは明らかです。なんだかウィスキー等の酒類に執着するニッカと、酒類から発し清涼飲料、化粧品、医薬品、健康食品、レストラン事業にまで拡大するサントリーと似ています。現在の日本の人口減少、特に子供人口の減少を考えると国内での専業化は楽観できず多角化企業が有利な気もしますが、コロナ以降の海外市場拡大の困難さを考えるとこの先どうなるかは分かりません。

多角化はすればよいというものでもなく、最近では買収によって子会社を85まで増やしたRIZAPが赤字に苦しんでいるニュースがありましたね。もともとボディメイキング(ダイエット)、英会話、ゴルフスクールなど「三日坊主」になりがちなものを、個室に閉じ込めて専任トレーナが教え、かつスクール外でもスマホでチェックが入るという生徒を追い込むスタイルで成功したのですが、その後無謀と思える事業拡大で多角化に走りました。ジーンズメイト、サンケイリビング、イデアセンター、ぱど等の不振会社を買いまくったけれど「三日坊主」ビジネスで成功したビジネスモデルは通用せず、かつ人材が急拡大に追いつかず経営が行き詰まり外部から経営陣を招かざるを得なくなりました。

ヤマハやサントリーがその轍を踏むとも思えませんが、河合ならピアノ、ニッカならウィスキーという特化した専業メーカーが持つ強固なイメージ付けは持てないかもしれません。個人的にはそうした専業会社や製品を応援したくなります。そういえば昔我が家にあったピアノは河合だったし、娘が子供の頃に買った積木も河合でした。毎晩飲むウィスキーはニッカですし。

ちなみに河合楽器のピアノに記されているK.KAWAIのKは小市のKだそうです。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

知多半島の半田はミツカンの街と言ってもいいくらいで、所有する工場、本社ビル、大きな黒塀屋敷、ミツカンミュージアムなどが市の中心にあり、雨が降っている日は街中に酢の匂いが漂う。最近は「種馬発言事件」「ミツカン父子引き離し事件」が話題となり、先月元親子間の裁判が始まったと思ったら、その直後に被告である八代目会長が心不全で急死してしまった。
15167651_1225249834208500_7164725926023816867_o
もともとミツカンは養子縁組でその歴史を繋いできた企業だ。初代の中野又左衛門からして養子だったし、二代目と三代目又左衛門は盛田家からの養子、四代目は盛田の分家からの養子、五代目も盛田の血を引く養子でかつ四代目の妻の実弟だった。六代目からは先代の実子が跡を継ぎ、先日亡くなった八代目の未亡人が現在の副会長で長女が社長を務めている。八代目の次女の子供が待望の男児だと分かった時点で八代目夫婦の養子にするよう要求され、断ると離縁を迫られたとのこと。ミツカン一族は四代目から中埜に苗字を変えたが、ずっと盛田家の血が受け継がれている。

その盛田家は隣の常滑の由緒ある造り酒屋で、「ねのひ」ブランドの日本酒が愛知県では有名だ。子供の頃テレビでよく「酒~は、子の日松」と呼び出しが唄う広告が流れていた。全国的にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫の実家と言った方が分かりやすい。彼は長男だったので本来は十四代盛田久左衛門を名乗るはずだったが、井深大とソニーを創業するため実家のビジネスは弟の和昭に任せられた。

子乃日松 純米吟醸-1-e1617845629686
四代目中埜又左衛門は盛田一族である盛田善平と組んでビール造りを始める。苦労して丸三ビールを完成させ、次にドイツ風の「カブトビール」を発売しエビス、アサヒ、キリン、サッポロに次ぐブランドに育てたが、やがて事業を売却しビール事業で得た麦の知識をもとに製粉業に参入する。最初は小麦粉でマカロニを作ろうとするが失敗し、パンに切り替える。

当時名古屋古出来町の捕虜収容所にいたドイツ人技師数人を雇ってパン焼き窯を完成させ、名古屋に敷島製パンを創立し盛田善平が社長に就いた。その後ドイツ人のパン焼き専門技師であるフロインドリーブを雇い攻めに転じる。当初配送には箱車を使用していたが思い切って梁瀬自動車でフォードのトラックを買い、ボディに大きく「シキシマパン」と書いて市内を走らせた。東京の木村屋のアンパンが好評と聞けばすぐにまねをして作り、木村屋の販売が良好なのは直営店のおかげだと聞くと栄町に直営1号店、広小路に2号店、その後も東新町、上前津と拡大させた。ちなみに現在の盛田淳夫社長は善平の曾孫にあたる。
2022-09-25
愛知県と言えば名古屋とトヨタのある豊田市が思いつくくらいで知多半島が話題になることはほとんどない。名古屋も閉鎖的に見えるが、知多は家と家のつながりが他の地域よりさらに密で、かつ地元への愛着が強いように思える。盛田家と中埜家は養子縁組を繰り返してまるで同じ一族のようだし、中埜家は敷島製パン創業にも参画するだけでなく、一時はソニーの大株主でもあった。

その後の話。ミツカンは味ぽんやふりかけを発売してチルド・加工食品市場に参入し、1997年から納豆製造会社3社を吸収合併し製品ラインを拡大中である。
盛田家の十四代盛田久左衛門は善平亡き後二代目敷島パン社長を兼任し、息子の盛田和昭は家業と並行して創業時のソニーのテープレコーダーを販売して兄の昭夫を助けた。またアメリカで見学したコンビニを7‐11より3年も早く日本に導入し名古屋でココストアを展開した。シキシマパンは2003年にブランドをPascoに統一して日本第三のパンメーカーに成長した。シキシマパンの最初の技師フロインドリーブは会社を辞めた後も国には帰らず、神戸の中山手通で神戸ジャーマンホームベーカリーを開業し息子に引き継がれて現在に至っている。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

外資と日本企業の違いの一つにゼネラリスト志向vsスペシャリスト志向というのがある。日本企業の多く、特に大企業では新卒で入社して以降数年単位でいろんな部署を経験させ、仕事や会社の仕組みを覚えさせ最終的には適任と思われる業務に就かせる。いわるゆゼネラリストを育成してオールラウンドプレイヤーを作る。会社と製品のことは何でも分かるようになるが、この強みはその会社の中だけの強みであることが多く、他社ではすぐには通用しないことも多い。

一方外資系企業はその多くが新入社員の採用をしない、もしくは少数しかとらない。ほとんどが中途採用である。その採用に人事部門が係ることがすこぶる少ない。面接も採用も入社後上司となる数人で行う。採用後はすぐ前任者と同じように働き成果を出すことを期待される。つまり当該業務のスペシャリストとして採用され、他の部門への異動は限られた部門間(企画部門と営業部門など)で見られるだけである。採用時にはエージェントにどんな資質を持った人が必要かを書類にして渡す。こんな感じです(品質管理マネジャーの例)。
IMG_4541
これを読むと医薬品業界に15年以上(その内管理職経験が5年以上)、医薬品の新製品開発と申請及び承認のプロセス経験、グローバル組織やJVと一緒に働いた経験、オピニオンリーダーとの関係構築経験などが必須項目で、その他に薬剤、法規制や製造に関する専門知識、英語能力まで求められたら外資の同業で働いていたスペシャリストしか面接に進めない。当然これで採用されたマネージャーは新組織内で前職と同様の業務をこなし他部署への異動はまずない。上司と気まずい関係になったら次の会社を探すことになる、むろん同業で品質管理の仕事を。

品質管理だけでなくR&D(製品開発)、製造、マーケティング、経理・財務や物流、システムなどの専門知識が必要とされる部門も同様である。当然のことながら日本企業でもこれらの職種は専門職として存在するが、新卒社員かそれに近い社員を一から教育して育成するのが一般的だ。帝大しかなかった頃日本の企業は高等小学校を出たばかりの優秀な若者を大量に採用し社内で教育しはじめた。この社内育成システムが大卒の新卒者にも受け継がれている。育てた人材が早期退職しないように、長く働くほど給料が上がり、多額の退職金が受け取れる年功序列賃金体系とセットになった新卒の一括採用はこうして日本に根付いた。外資は日本企業が金をかけて育てた人材をかっさらっていると言うこともできる。

外資に専門職で中途入社するとあとはその部署で実績を上げて昇進するしかない。Up or Outという言葉があるように上に上がっていくか辞めるかのどちらかになる。ま、じっと首をすくめて我慢という手もあるが。組織が大きくなれば上級職へのチャンスは増えるが、そうでなければボスが昇進するか辞めるかして空席ができない限り上に行く機会は多くはない。空席ができても突然本社の外人が来たり、他の部署から横滑りでポジションを埋められることもある。するとあと2~3年待たなければいけない。外資でも昇進がないと大きな昇給は望めないので外部にそれを求めることになる。スペシャリスト(プロ)として採用された人はその技能でほかの会社でも十分に通用する人がほとんどだ。外資では転職の時に給料を上げないとあとで後悔する、と言う人は多い。




ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

現在日本には約3300の外資系企業が存在し、55万人の人が働いている。毎年約50社が新規に設立されその倍近い会社が撤退している。第二次大戦後には多くの外資系企業が日本に進出してきた。当時は外資単独では許可されず日本企業との合弁という形だった。その頃の会社で今でも存続している企業はそう多くはない。今までに数千の企業が日本市場から撤退した。撤退の理由はいろいろあろうが大きく分けると次のように考えられる。

その国特有の流通を無視する
他の国での経験(成功体験)を重視し、その国の独自性を軽視する
3年から5年での社長の交代
投下資本の回収を急ぎすぎる
雇用及び賃金面での柔軟性のなさ

分からないでもない。本国では直販で売ってきたから日本の一次卸、二次卸、時には三次卸経由なんて店に並べるまでに時間がかかりすぎるから日本でも直販ルートでとか、この方法でメキシコでは大成功を収めたのだから日本もレベルは大差ないだろうからこれで行こう、などで失敗する。外人社長が5年を過ぎても日本にいると税制面で日本人と同じような扱いになり目減り分を会社が補わなくてはならない(と昔聞いた)からその前に帰ってもらう。かつ新社長はたいてい前社長と違う方法で実績を伸ばして力量を見せようとして全社が混乱する。その上社長が変わるたびに部下は日本のビジネスを一から説明せねばならないし、全得意先に紹介しなくてはならない。トップも任期が長くないことを知っているので成果を早く出そうとする。一方競合の日本企業は、儲けは後からついてくる、まずは基盤づくりからのスタンスでやるので外資に長期的な勝ち目が薄いことが多い。自信満々で日本に進出したので誇りある自社のシステム(職務給、給与体系、昇進・評価制度など)を修正することを好まない。こうして多くの外資が失敗した。

基本には日本と株主の発言力の違いがある。我慢強い日本の株主に比べ、アメリカの株主は短期の成果を期待する。四半期病と揶揄される三か月ごとの売り上げと利益および配当を注視し、不満だと経営者の首を挿げ替えることもする。だから経営陣は発行済みの株価総額を上げることに(株価を上げること)一生懸命にならざるを得ない。当然外資が日本に上陸したのは売りと利益を上げるためなので日本の経営陣にも同様の要求をすることになる。

当然のことながら外資の良いところ優れているところも多くある。GAFAのように最初から世界市場を見据えて設立され成功を収めた会社もあるし、世界中で長く愛されている高品質の食品、飲料、日用品、精密機器製品も多い。ファッション衣料や化粧品のように強固なブランドイメージを確立した揺るぎない製品も数多い。製品以外でも

原材料の一括購入
集約された生産拠点での効率的な製造
資金と人材を集中しての研究と開発
マーケティング・ノウハウ

などは外資というかグローバル企業の圧倒的な強みだと思われる。製造面でのスケールメリットを生かした生産は嗜好性が国によって異なる消費財では利点が薄れつつあるが、半導体や医薬品、コンタクトレンズのような世界共通製品で小さくて価格が高い製品は空輸物流費も安価なので強味が維持されている。集中化された研究開発の成果はブロックバスターを生み出し続ける医薬品業界を見れば明らかだし、新製品開発も含めたマーケティング・ノウハウの重要性はコカ・コーラ、スターバックス、アップルなどの国境を越えての一貫したメッセージとブランド確立が証明している。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

外資と聞くと多くの人は、やることがドライで時に冷徹、英語ができる人が働いている、給料が高そう、が主な印象だろう。引退から十年後に2年間だけ旧財閥系の食品会社でアドバイザーとして派遣で働いたが基本的には外資しか知らないので比較は困難だが、確かにレイオフなど人員削減をしたり、ブランドや事業を売却したり、採算が取れないと分かると即日本市場から撤退したりドライな面はある。しかし最近は日本の会社も早期退職制度やM&Aを日常的に行っている。Going concern(企業の永続性)概念の浸透が進み財務の健全化のために遅まきながら何らかの手を打つ必要性が出てきたということだろうか。

英語ができる人は確かに多い。戦後の外資には英語はできるが経営を知らないタイプのトップがそこそこいたがそういう人たちは淘汰されていった。最初に入社した会社には外人が多かったせいか帰国子女の秘書や部長クラスにたくさんの英語達者がいた。得意先も外資が多かったので必要性もあり、アメリカの大学を卒業した新卒も採り始めていた。社内では帰国子女でグループができたり日本人同士なのに英語で話している光景も見られた。逆にアメリカの大学出身者同士では、卒業校の格もあるのか、妙な対抗意識があるらしくとげとげしい雰囲気も時々見かけた。私費で留学すると一千万くらいは投資しているので早く出世して回収しようという姿勢は今でも多くの外資で見られる。

転職して入った会社はマーケティング部だったせいか周りは私以外は全員アメリカの大学卒だった。かつ半数はMBAホルダーだった。みんな毎朝英字紙を読み、流ちょうな英語でプレゼンをした。時々私が理解できない英語のジョークが飛び交う。最初の大学では英語の単位を落としまくって退学処分を食らい、アメリカに行った経験もなく英語を使うことがほとんどなかった自分は最初のプレゼンで躓いた。説明をするのは記憶していることを話せばいいのだが質問が飛んでくる。質問の意味も完全にはつかみ損ねたが答えも口から出てこない。2~3分の沈黙。上司の上司である本部長が「気楽にやってくださいね」と声をかけてくれるが気楽などには決してなれない! こんなプレゼンが数回続いた。30代半ばではそう簡単に英語はうまくならない。開き直るしかない。
IMG_4634

それでこう考えた。外資の共通言語は英語ではない。共通言語は数字とロジックだ。外資で生き抜くためには英語はコミュニケーション手段として必要ではあるが、英語はあくまでConvenient LanguageであってCommon Languageではない。数字とロジックが共通言語だ。誰もが納得できるロジックを打ち立て、それを数字で裏打ちしてプレゼンや説明ができれば、英語がそんなにできなくても外資で生き残ることができる。自らを納得させるにはちょっと苦しかったがそう信じるしか方法はなかった。しかしそれで結構救われた。

数字はできるだけ暗記するようにした。資料を見ないで「当社製品がシェアを0.5上げたのに対し競合の製品Aは前年同期の17.4%から16.9%へ0.5ポイント下げました。そうです、我々がシェアを奪ったのです」と大きな声で説明するだけで聞き手(本社の外人)は信用する。前年の17.4は17.6か17.2だったかもしれないが、資料を見ながら説明するのとそらんじている(ように見せる)のでは信頼度が違う。誰もそこまでさかのぼって確認はしないし。それに外人さんは意外と数字に弱い。回帰分析をして、知名率が5%上がれば好意度は2%上昇します、その相関係数は0.878と非常に高い、と説明すると皆黙り質問もそこで途切れるのがほとんどだった。

給与に関しては確かに外資のほうが高いように見える。年功給と職務給の違いにもよるのだろうし、外資への転職リスクをオフセットしなくてはならないし、高くしないと日本の外資は優秀な人を集められるだけの評判、実績に欠けているのかもしれない。しかし目に見えない要素を考慮するとそんなに差がないように思われる。以前新聞記事で読んだのだが、日本の上場企業は従業員に払う給与の1.53倍を支出している。厚生年金保険料(18.3%)や健康保険料(11.64%)の労使折半分の負担、雇用保険料負担分(過半を会社負担)、労災保険料(全額会社負担)以外にも福利厚生費(社宅、家賃や社員食堂補助、託児所、海の家や山の家の保養所、研修所、社員のレクリエーション等)、退職給与積み立て分、慶弔見舞金などを加えると支払い給与の5割強のプラスを払っている。一方外資の場合は一握りの巨大外資以外は福利厚生費はごくわずかである。せいぜい所属する業界健保の施設を利用するかリロクラブのメンバーになるくらいのものだ。とすると外資では従業員に支払う給与の1.3倍くらいしかかからないことになる。この1.53との差額を給与として社員に払えばトータル人件費を増やすことなく見た目の給与が高くなるということだ。騙されてはいけない。


ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

社会に出るのが遅れたので33年間のサラリーマン人生だった。全部で6社、海外への出向を含めると7社ですべて外資系企業だった。30代、40代、50代各2回の転職経験だ。一番長く務めた会社が15年、短いのは11か月。事業やブランドを売却・譲渡して会社が解散し退職した会社が2社。望んで外資を選んだのではなく、26歳で大学を出ると当時は日本企業は就職試験さえ受けさせてくれず、残された道はマスコミ関係か外資しかなかった。

外資と言っても入ってみれば外人は上のほうに数人いるだけで従業員の99%は日本人の会社がほとんどだった。下っ端のころは会社とはこんなものだろう、外資も日本企業も違いはないだろうと思っていた。マーケティングに配属されブランドを任されるようになると責任を感じるようになり、若くして巨額の広告費を使えるようになると売りが上がらなかったらどうしようと少し不安だった。最初にブランド担当を経験した会社のマニュアルにはこう書かれていた。

「プロダクトマネジャーは担当製品の利益を短期的には最適化し、長期的には最大化するマーケティング計画を策定し、実行することが責務である」

社内では一応花形部署ではあるが販売目標や利益目標未達が続くと会社には居づらくなる。多分この点が外資と日本企業の大きな違いかもしれない。当時景気が良かったこともあるが外資のプロマネの平均勤続年数は3~5年だったと思う。実績を上げて他社で高いポジションに就く人もいたが、いられなくなった人も多かった。かつて外資と内資両方の証券会社経験者の友人が「投資するんだったら外資系証券会社にしたほうがいい。ファンドのリターンが悪いとすぐ馘だからね、必死だよ。その点日本の会社は優しいからね」と言っていたのも同様な理由だろう。

製品を発売するときにはなぜこの製品を世に出すのか、製品コンセプトは何か、消費者にはどんな便益があるのか、競合品と比べてどこが優れているのか、そしてそのエビデンスは、などを分厚い書類にする。発売後3年間の販売予測とP&Lを添付し、万が一計画通りに販売が進捗しなかった時に利益目標を達成するためにどのようなアクションがとれるかを書く。その書類をアメリカ本社に送り、彼らの細かい質問に答えた後、やっと市場導入のOKが出る。当然機動性は日本企業より遅く、市場機会を逃すことも多い。

市場調査もマストで製品導入前の味覚テスト、パッケージテスト、広告テストなど調査会社から見ればいい得意先だったと思う。日本のことも日本人の嗜好もよく知らない本社の人間が判断をするので、彼らに何%の消費者がこの味を好むとか、購買意向率は何%で再購買意向は何%だとか必要以上の調査をして説得せねばならない。広告はもっと面倒で当時アメリカで主流だったslice of life(日常生活シーンの中での製品使用を訴求)やテスティモニアル(一般人やタレントが製品を手に持ち利点を訴え推奨する)広告から見ると異端のようなユーモア広告やタレントを使用した認知をあげることが主眼の広告はストラテジーから外れているとクレームがつく。15秒が中心の日本ではアメリカ流は無理だといっても納得しない。結局何本ものアイデアをテストしてやっと決着がつく。テストを繰り返すたびにアイデアのとんがった部分が丸くなり当初のユニークさは消失する。

マイナス面もあったが外資ならではのプラス面もたくさんあった。まずマニュアルがしっかりしている。マーケティングだけでなく営業や他の部署でもマニュアルが存在する。ファストフード業界でもアルバイトを即戦力にしサービスや製品の品質を均等化するためにマニュアルがあるが、たいていの外資には世界中共通のブランドマネジャーのマニュアルがある。英文で書かれてはいるが用語の定義から、仕事の進め方、市場分析から始まり販売予測の方法、予算管理やマーケティング目標の設定、ブランドプランの書き方まで含まれている。生産性のあげ方、コミュニケーションの取り方、創造性をあげる方法、部下のトレーニングやモチベーションの改善法まで書かれている。前の会社でこの会社出身の上司の下で働いていた入社したばかりの同僚が「あの人のプランや書類の書き方がすごいと思っていたが、なんだこのマニュアル通りじゃないの」といった言葉が忘れられない。
1015376_525630260837131_1270227537_o
マニュアルは一冊ではなく、販売促進マニュアル、調査マニュアル、広告マニュアルから書式マニュアルまで揃っていて困ったときはこれさえ読めばなんとか格好がついた。知らないうちにすこぶるオーソドックスなマーケティング知識が身につくようになっていった。文学部卒でマーケティングなど知らずに仕事を始めた私のような人間には特にありがたかった。ここで覚えたマーケティング手法と前職時代に叩き込まれた広告効果の予測および測定方法の知識があれば転職してもしばらくは飯が食えるなと思った。まだ30代だった。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

長い間ビタミンCやアスタキサンチンなど数種類のDHCのサプリメントを使ってきた。同じ成分量ならば最も安い価格の設定、というポリシーに賛同したし、社名の由来が大学翻訳センターの頭文字だというのもなんだか気に入っていた。しかし最近の創業者のHP上のメッセージやメディアに対する反論などを読んで決めた。もうDHC製品を買うことはない。
IMG_4177
企業が信頼を得るのには長い時間を要する。しかしそれを失うのはほんのちょっとした失敗とその失敗をを隠すことで簡単に、かつ短時間で起きてしまう。思い出すだけで何件かの事例ががある。

古くは1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件で、安価であるという理由で工業用の安定剤に切り替えて使用し、ヒ素中毒で100人以上の幼児が死亡した。森永乳業は因果関係と責任を否定し続け裁判は長期化し森永製品の不買運動も起きた。会社側が中毒の原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは事件発生から15年後のことで、長引く裁判と会社の不誠実な態度もあり史上最大の不買運動となって森永乳業の信用と業績を大きく悪化させた。

1967年には「暮らしの手帖」の商品テストでポッカレモンの大瓶にはビタミンC が全く含有されていないと判明した(小瓶4種には配合されている)。ポッカレモンはビタミンCは生レモンの3倍強化されていると謳いテレビで大量のCMを流していた。かつ「生レモンの香り」をCMで訴求しながら天然レモン果汁ではなく合成レモンを使用していたことが問題視されて公取から排除命令が出された。製品回収も行われ販売元のニッカレモンは消費者の信頼を失い経営も大きく傾いた。

1985年にはパロマの室内設置型の瞬間湯沸かし器の動作不良による一酸化炭素中毒が起き、その後の20年間で21人が死亡した。当初会社は事故を把握していたが社内や業者には通知したが消費者に対しては全く告知がなく事故が続いた。パロマは会社と製品に責任はないとしていたが安全装置の劣化などが原因であることが判明すると一転して謝罪することとなり社長も辞任した。この事故により給湯器のシェアを大きく落としトップの座をリンナイに渡すこととなった。

2000年に雪印乳業で停電事故で発生したブドウ球菌に汚染された脱脂粉乳が加工乳に使われて戦後最大規模の食中毒事件を起こした。早期に発表して回収すれば大事にはならなかったかもしれないが、事実の隠蔽、発表の先延ばし、社長の失言などが相次ぎ、工場の操業停止と閉鎖、社長の退陣につながった。その後のグループ会社の牛肉偽装事件も重なり雪印グループは解体・再編へと追いやられた。それまで我が家はバターやチーズなどの乳製品は全部雪印だったがこの事件以降20年間一度も雪印製品および雪印メグミルク製品を買っていない。現在は管理は大丈夫だと思うが、信頼を失うとはこういうことだと思う。

2007年には不二家の使用期限切れの牛乳を使ったシュークリーム、同じく消費期限切れのリンゴ加工品を使ったアップルパイが判明し、その後ブドウ球菌による食中毒、異物混入事件などが次々と報道され不二家はすべての洋菓子の製造販売を休止した。スーパーやコンビニから不二家製品が撤去され社長は退任に追い込まれた。この年は不二家以外にも白い恋人や赤福の表示偽装が起き2007年の「今年の漢字」は「偽」に決まった。わが家の冷蔵庫にはいつもチョコが入っているがこの事件以降不二家のLOOKや袋物チョコの姿はない。日本人は忘れっぽいのか諦めやすいのか、上記の事故のことも多くの人がもう忘れてしまっているようだ。忘れるとまた同じことが起こる可能性があるので時々こうして思い出すことも必要だと思う。

これらの事例と比べるとDHCのケースは製造や製品の事故ではないし死者を出すような問題でもないので不祥事とは呼べないのかもしれない。しかし、残念に思うのは製品と価格に自信があるのならば、根拠を示さずに競合会社を中傷するのでなく、製品品質と価格で勝負を挑んで欲しかった、ということだ。製品を信頼し使っていただけに余計に残念に思う。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

人気ブロガーのちきりん氏が最近の投稿で家計管理と固定費の見直しの重要性を説いています。変動費を管理しようとすると、食費を切り詰めよう、交際費を節約しようという人生を楽しめない方向に進みかねないし、若い人にとっては人生を豊かにする機会や経験を犠牲にしてしまう可能性すらあります。一方固定費はあまり見直されることもなく、増えすぎるとそれを払うために働くという状態を生むことなります。固定費という、手をつけることを拒絶するような呼び方も問題なのかもしれません。
ちきりん氏が2019年時点での自分の固定費を公表しているので私もそれに倣って計算してみました。

ちきりん固定費コテイヒ 高齢者コウレイシャ世帯セタイ固定費コテイヒ
月額ゲツガク 年額ネンガク 月額ゲツガク 年額ネンガク
マンション管理カンリ積立ツミタテキン 22,250 267,000 32,420 389,040
固定コテイ資産税シサンゼイ 120,000 163,200
電気デンキ・ガス・水道費スイドウヒ 14,592 175,108 34,091 409,092
火災カサイ保険ホケン 5,000
地震ジシン保険ホケン 40,490
駐車場チュウシャジョウ 20,000 240,000
ネット回線カイセン固定コテイ電話デンワ 4,647 55,768 5,964 71,568
スマホ通信ツウシン 5,000 60,000 2,595 31,140
ネットケイ経費ケイヒ 1,750 21,000 734 8,808
コンテンツ課金カキン 4,632 55,584 498 5,976
NHK 22,920
スカパー 3,795 45,540
JAF 4,000
シェアオフィス 5,500 66,000
カード年会費ネンカイヒ 32,000 14,310
カシ金庫キンコ 14,000
スポーツジム 8,000 96,000
健康ケンコウ保険ホケン介護カイゴ保険ホケン 890,000 702,180
年金ネンキン保険ホケン 193,000
医療イリョウ保険ホケン 92,856
自動車ジドウシャゼイ 34,500
自動車ジドウシャ保険ホケン 22,830
固定費コテイヒケイ 172,782 2,073,380 189,628 2,275,530

これによると50代で兵庫県在住で独身と推定されるちきりん氏の固定費は年間で207万円、ひと月だと17万円強です。厳密にいうと光熱費は固定費ではなく健康保険&介護保険も前年の課税所得に応じて変動するので固定費とは呼べませんが便宜的に固定費としているようです。同様に前年所得で決まる住民税はここには含まれていません。
一方引退老人であるわが家の固定費は年間で227万、月あたり19万弱です。前年に年金以外に収入があったので健康保険&介護保険が例年より高めです。ちきりん氏にはない自動車関連の費用を除くと月に16万強に、健保が下がれば15万くらいになると思います。二つのブログ・アワードを受賞し現在10冊以上の著作の印税があるちきりん氏の課税所得と健保保険が高めであることも踏まえて言えることは、現役と引退老人の固定費に大きな差はない、つまり年をとっても固定費は収入の下落ほどには下がらないということです。

固定費の把握が何の役に立つのかというと、先日来話題になっている2000万円問題でしょう。無職高齢夫婦世帯の平均支出が月27万円弱であるのに対し、年金等の収入では5万円足りないから年60万、30年で2000万円が不足するから自助努力を、というものでした。現役時代に貯める、長く働く、お金に働いてもらう、収入内で生活する、が主たる選択肢でしょうが引退老人に採れる手は限られます。全国平均で見ると老人世帯では月に27万円の生活費の内固定費が約9万円ですが、大都市のマンション暮らしだと13万円くらいになると想定されます。

固定費以外に必要な支出は、食費、日用品、交通費、交際費、冠婚葬祭費、趣味への支出、被服費、医療費、家具・家電などで、全国平均では18万円位です(2017年家計調査)。とすると大都市圏でのマンション生活者は固定費13万+変動費18万の31万円位が必要となり、年金との不足額は月9万、年108万、30年で3240万となります。ゆとりのある老後生活のためにはそれに加えて月8~10万円が必要となると言われます(少し高すぎると思うが)。だからと言って生活費を削るために食費や交際費などの変動費を削減すると「非活動的な、節約ばっかりしてる人生」になってしまう、管理すべきは変動費でなく固定費だとちきりん氏言います。ただいつでも削れる変動費と比べ固定費は意識しないと削減しにくい出費です。だからファイナンシャルプランナーは保険を見直せ、携帯料金を再考しろ、光熱費を削減しろというのですね。

でも、こうやって家計の固定費を計算してみるだけでも意識は変わるかもしれません。これに加えて人生キャッシュフロー表を作成すると自分の老後が見えてきますよ。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

外資系企業を数社経験したのでいくつかの職務分掌を目にしました。その中で一番わかりやすくてよかろうと思われるものをご参考までに添付しておきます。カナダでのプロダクト・マネジャーの職務分掌です。ご参考になれば幸いです。



img037
 
img038

img039

img040



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

1010825_531112093622281_1580388289_n
(クリックすると拡大されます)

人事考課などで人を評価するときに使われる表現が本当は何を意味しているのか、を皮肉っぽく表したしたものです。例えば

リーダーシップを備えている=単に背が高い、または声がでかいだけ
注意深い思索家=なんの決定も下さない
積極的な社交家=のんべえ
卓越した判断=運が良かっただけ
強固な信条・行動規範を持っている=単なる頑固者
平均的な社員=賢明でない



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

1002869_530649907001833_2060687920_n
(クリックすると拡大されます)

新しいアイデアや提案に否定的な反応をする60の理由。

いくつかは時々使ったことがあります。例えば

いいねえ、じゃまずコミティかタスク・フォースチームを作ろうか
もうちょっと現実的に考えようか
予算はあるの?
前例がないよ
上司のOKが出ないんじゃないの?


自戒の念を込めて。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

ちょっと漠然としていますが、退職にあたり私が外資系企業で30年働いて学んだことを思い
つくまま羅列します。

自分のキャリア目標を持ってください。10年後に何をしていたいのか。そこから遡って5年
後は、3年後は。そのために
今自分がしなければいけないこと、習得せねばならないスキル・
知識は何なのかを考えてください。弱点を矯正するに
は時間と苦痛が伴います。今もってい
る自分の強みをさらに強くするようなプランを作ってください。


毎年(実際に使うかどうかは別にして)履歴書を書き直してください。そうするとこの1年間
で自分が何をしたかが明快になります。これは一種の自分史です。そのうちレジュメに書け
るような仕事をしようという発想につながります。また、これを繰り返すと自分の強み・弱
みがはっきり見えてきます。

サラリーマンなんてたいしたものではない、会社なんて、今やっている業務なんて・・・
という発想も大事です。違う道に入っても何とかしていける、何とかなるという腹のくくり
方・楽観主義も必要です。ひとところ(部署・会社)に長くいようと思うと、大きな成功を
望むより小さな失敗をしないようにという保守・保身に走る傾向が生まれます。そのために
も外で通用するエリア・強みが最低ひとつ、できれば二つ必要です。

人間の後悔には二種類あります。“あの時あれをしていれば自分の人生は違っていたかも”
という非行動後悔と、“あの時は馬鹿なことをしてしまった”という行動後悔です。最初の
後悔は一生続く後悔です。二つ目のは苦笑いを伴うがあとを引きずらない後悔です。経験と
学習というボーナスもついてきます。最初の後悔だけはしないようにしてください。結局、
人生は選択の連続です。何かを選ぶということは何かを選ばないということです。選ばなか
ったものをいつまでも振り返っていては駄目ですよ。

人のネットワークは大切にしましょう。人間一人でできること、経験できることは限られて
います。他人の経験から学び、それを疑似体験できれば(ここが大事!)人生経験の幅は広
がります。友達は大事にすること。とくに彼または彼女が困っている時には。また、我々は
百科事典にはなれません。しかし、百科事典の索引にはなれます。これは彼に聞いたら分か
る、あれはあの人に・・・というネットワークができたら楽になります。
                                         

聞き上手になってください。話し手(上司・部下・仲間)の疑問や不安の70%は話すことに
よって解消・解決されることがほとんどです。コミュニケーションの基本は聞くことだと私
は思います。聞き上手にはもうひとつの意味・意義があります。開発にしろマーケにしろ、
一種の職人芸です。耳を傾け聞きながら教わり、そして相手から一流の技術を盗むことは最
高の教育です。与えられたことから学ぶことはあまりありません。

どんな仕事をするのにも好奇心は絶対に必要です。いろんなことに興味を持って試せること
は試してみること。私がサラリーマンになったとき言われたことは、ベストセラーは目を通
せ、流行っている映画は見ておけ、流行の曲は聴いておけ、毎週買い物を自分でしろ(いま
何がいくらかを知る)でした。今世の中がどう動いているのか、自分の製品を買ってくれる
人、使ってくれる人はどんなことに興味を持っているのか、どんな行動パターンをとるのか
が分からなければ良い仕事はできません。

自分の発想パターンを作ること。問題があれば現状分析から入り、何が本当の課題なのかを
まず明らかにする。その課題が解決されればどんな便益が生まれるのかを示し、課題を解決
するための阻害要因となっているバリアは何なのかをいくつか挙げる。そのバリアごとに取
り除く方法を複数考える。その方法のプロ・コンを挙げ、必要とされるコスト・労力・時間
を推定し、重要度と緊急性を勘案してプライオリティをつけ、最初に取り掛かるアイテムを
決定する。このパターンで私はやっています。

無駄な仕事は省く。すべての作業にプライオリティを付ける。プライオリティはMagnitude
(インパクト)の大きさと緊急性の二軸でマトリクスを作り順序付けする。当然Magnitude
が大きく緊急性の高いものに高プライオリティを与えます。あとは、目的を達成できる最小
努力ですむ方法を考える。私がよく使うたとえ話は、ポスターを貼るときに裏面に均一にの
りを塗るとちょっとでもずれてしまうと張りなおすのは面倒だが、四隅をピンで留めるだけ
でも目的は達せられるし、直すときも簡単です。

メモを書くときは簡潔に。まず結論または自分のリコメンデーションから始める。必要に応
じて背景を説明する。次に提案の詳細とラショネールを述べる。あとは数量・期間・コスト
などの数値化できる情報を加える。他に考慮された選択肢とそれらが採用されなかった理由、
考えられるリスク(もしあれば)に触れ、最後に次のアクションステップと誰がいつ何をす
るのかの記述。これを癖にしておくと楽です。

楽天家であること。いろいろ悩むことも必要ですが、一般的に楽天家のほうがよい仕事をし
ます。コンサバに考えて控えめなプランを作り、もっと金を使うべきだったと後で後悔する
よりも、大きな計画を作ってサポートも十分にした方が、万が一失敗しても“打てる手は全
部打ったのだから”と考えられて後悔も少ないし、学ぶことも多いはずです。

外資系で生き抜くために英語はコミュニケーション手段として必要ではありますが、あくま
Convenient LanguageであってCommon Languageではありません。外資での共通語は、数字
とロジックです。誰もが納得できるロジックを打ちたて、それを数字で裏打ちし強化できる
ようにプレゼンや説明ができれば、英語がそんなにできなくても問題ないケースが多いと思
います。

私のモットーの、Fair, Share, Careは昔お話ししましたよね。人に対しては公平に、持って
いる情報・知識は人にも分け与える、深入りしない程度に面倒を見てあげる、です。つまり
人にはやさしく。実践できているかどうかは自信がないけれど。
 

思いつくまま書きましたが、こんなことしか思いつかなくてごめんなさい。


ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

1072252_532120023521488_1584856985_o
(クリックすると拡大されます)

組織で真の変革を起こすために必要な5要素(Vision, Skills, Incentives, Resources, Action Plan)と、その一つが欠けたらどうなるかを簡潔にわかりやすく示した図です。例えば他の4つが揃っていてもVisionがなければConfusionが起こります。Resourcesに欠ければFrustrationが生ずる、という具合です。
逆からみれば(右から)現状の問題は何が欠けているから起きているかが分かります。組織メンバーがフラストレーションを感じているのはリソースが足りないから、混乱が見られるのはビジョンが無いもしくは浸透していないから、などです。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

51754567_1899072340199242_7797956722995232768_n

国名は上から
ドイツ

アメリカ
ロシア
中国
イギリス
アイルランド
スペイン
イタリア
スイス
ベルギー
フランス
スウェーデン
日本
の順です。

よく理解できないのもあるけれど
アメリカは力で問題を解決し
中国ははなから問題など存在せず
アイルランドは黒ビールで曖昧にし
スペインは問題があっても昼寝をし
フランスはことを面倒にして問題を増やし
日本は議論するだけで結論が出ず
ってことでしょうか。



ランキング参加中です。クリックしていただけると励みになります。

↑このページのトップヘ