マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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カテゴリ: マーケティング

消費財メーカーのマーケティング部門に転職してブランド担当となった時は自分のキャリアパスなんか考えていなかった。面白そうな仕事だと思っていたしそれまでの代理店での経験がある程度は使えるだろうくらいに考えていた。英語では苦労したが製造現場や営業活動など新鮮な発見がたくさんあった。

その頃は小さなマーケティング組織でマーケティング・ディレクターの下にプロマネは私を入れて4人だった。私以外の3人は全員アメリカの大学を卒業していて、かつ2人はMBAホルダーだった。後で気付くのだが彼らは明確なキャリアパスを持っているようだった。当時でも私費で留学すれば1000万円はかかったはずだ。帰国後にその投資を回収すべく給料の高い外資のマーケティングに職を得て上位のポジションに上がることを考えるのは当然だ。そのために転職を繰り返すこともいとわない。単純に仕事が面白そうだからと考えていた私とは将来設計が違った。

一般的にマーケティング職、特にブランド担当の職位は下から順番にあげると次のようになる。

アシスタント・プロダクトマネジャー
プロダクトマネジャー
シニア・プロダクトマネジャー
カテゴリー・マネジャー
マーケティング・ディレクター
事業部長
ゼネラル・マネジャー
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最初のアシスタント・PMはジュニア・PMと呼ぶ会社もある。私がいた会社はプロダクト・スーパーバイザーと呼んでいた。若い新人や営業から異動してきた社員は大抵ここから始める。小さなブランドを担当するか大ブランドのプロマネの補助をしながら経験を積んでPMになる。
MBA保有者はプロダクトマネジャーから始めることが多い。ケーススタディを数多くこなし知識と疑似体験が評価されるからだ。アメリカなどでは大学を出てアシスタントPMを経験してから大学院に行きMBAをとってプロマネとして働き始めるマーケターが多い。出身校によって待遇が変わることが多く、私がいた会社のひとつではMBAのトップ10校出身者は1000万、それ以外は800万と初任給に差をつけていた。

その上にはシニア・プロダクトマネジャー職を置く会社もあるが、多くの会社ではカテゴリー・マネジャーという商品群を束ねるポジションがある。その下に数人のプロダクトマネジャーが属する。
そして数人のカテゴリー・マネジャーを統括するのがマーケティング・ディレクターで日本語ではマーケティング部長と訳されることが多い。カテゴリー・マネジャーだけでなく調査部門や、新製品担当グループがある場合はそれらのグループもマーケティング・ディレクター傘下となることがほとんどだ。

その上には事業部長が位置し、マーケティングだけでなく営業部門、製造、品質管理、お客様相談室なども管轄範囲となる。取締役又は執行役員であることが多い。
そして最上位にはゼネラルマネージャー。CEOとか代表取締役社長のタイトルの会社も多い。マーケティング部門からだけ昇格するわけではないが、外資系ではマーケ出身者の比率が高い。いま思いつくくだけでもネスレ日本の高岡浩三氏、コカ・コーラと資生堂で社長だった魚谷正彦氏、ユニバーサルスタジオから刀の森岡毅氏、リーバイスとトリンプで社長を務めた土居健人氏などがいる。高岡氏はネスレ一筋だったが、他の3人は数社の転職を経て上まで上り詰めた。外資系では転職派が主流だが、どちらが良いのか今の私には分からない。

昔広告の仕事をしている時習ったものの中に「AIDMA」というものがありました。広告接触から購買に至るまでの過程を示したものです。Attention(注目)Interest(興味)Desire(欲求)Memory(記憶)Action(行動)の頭文字をとったもので、広告を見て興味を持ち欲しくなって製品名を憶えて購入するという順番で購買行動は起きるというもので広告マンはよく使っていました。ただいくら注目を惹く広告でも興味がなければ惹きつける力はありません。全15段の全面広告や長尺TV広告を打ってもマンションに興味のない戸建て既購入者や電気カミソリに関心のない主婦に広告を注目させる効果はほとんどありません。逆にスペースは小さくても仕事を探している人は求人広告を熱心に熟読します。Interestの方がAttentionより先にあるのではないか、という議論をしていたことを思い出しました。
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時代も移りメディア状況も変化し一世紀を経たAIDMAも修正を加えねばならなくなりました。インターネットやSNSの発達で購買行動にも変化が生まれました。その変化をとらえて電通が発表したのが「AISAS」です。AttentionとInterestまでは同じなのですが、その次がSearch(ネットで調べる)、Actionで、最後がShare(購入したものの感想や評価をネット上で共有する)の流れになりました。eコマースの隆盛でDesire(欲求)とMemory(記憶)が消えてしまったのはすごいですね。興味を持ったら調べて比較する。納得したらポチッとして、購入後には製品が良くても悪くても自分なりの評価を書きこむ。自分の購買行動を振り返ってもその通りですものね。コミュニケーションが双方向になって口コミの力が増強され、消費者にとってはありがたく、メーカーにとってはうかうかできない状況になりました。

このシリーズも3回目なので3にかかわるテーマを選びました。

Three Hit Theory(スリーヒット理論)
ずいぶん昔ですが広告の仕事をしている時にちょっと流行った理論です。Ad Ageにも特集されたことがありました。曰く、広告は3回目から効く。消費者は広告に複数回接触することで段階的に態度変容を起こし、最終的には購買に至るというのがその主旨でした。こんな流れになります。

1st Hit:認知
最初の接触は消費者に商品の存在を認知してもらうことです。注意を引き、記憶に残ることが目的になります。そのために刺激的なクリエイティブ、キャッチーなコピー、ユニークな表現などで消費者の注意をひきつけます。「なに?この商品」と思わせる工夫ですね。

2nd Hit:理解・興味
2回目の接触では商品をより深く理解してもらい、興味を持ってもらうことが目的です。どんな価値がその商品にはあるのか、使うことによる自分にとってのメリットは何なのかを伝えるのです。広告のなかの機能の説明、使用シーン、問題解決シーンなどが有効です。「面白そう」「役に立つかも」と思わせれば成功です。

3rd Hit:行動喚起
3回目の接触では購買意欲を高め、行動を喚起することが目的です。購入を促すような直截的なメッセージがあるといいですね。たとえば新発売キャンペーンの情報、どこで売っているかの案内などで購買の後押しをするわけです。クーポンの案内とか、自社のECサイトに誘導してより詳細な製品説明も有効です。

この3つの目的を同じ広告でカバーするの困難です。複数回、異なる角度からの情報提供が必要となります。新聞広告等なら可能かもしれません。伝統的メディアだけでなく、店頭POP、オンライン広告などを組み合わせれば比較的安価に実行できるかもしれません。Web広告を使えば一度サイトを訪れたユーザーに2度目3度目の広告メッセージを効果的に提供できます。
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この理論に触発されたのかどうかは分かりませんが、そのころ3+リーチを重要視するメディアプランが台頭してきました。広告効果を評価するには到達率と接触回数が良く用いられますが、通常は1回以上接触した率をリーチと呼び、接触者の平均視聴回数を平均フリークエンシィと呼びます。80%のターゲットに平均3回メッセージを届けた、とか言います。ただ平均3回接触には1回だけの人もいれば20回接触する人もいます。1回や2回では効果が薄いので3回以上、しかしあまり多く接触すると飽きられるしコスト効率も悪くなるので10回まで、つまり3回から10回接触する人を最大化するメディアミックスやメディアプランを苦労して作ったものでした。いまならデータも多いし、ネットなら双方向なので接触データがとりやすいから楽にできそうですね。

マーケターは物事を数字でとらえたり数字でくくったりするのが好きですね。マーケターが使う数字でくくったフレーズや語呂合わせをいくつか紹介します。
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3C
自社を取り巻く利害関係者を分析するときに使われます。Customer、Competitor、Companyの3つです。顧客は誰なのか、どんなニーズを持っていて更なるセグメンテーションは可能なのか。競合会社は誰か、どんな強みと弱みを持っているのか、彼らの特徴・経営資源・差別化ポイントは何なのか。それらの顧客と競合に対応するために自社はどんな強みと弱みを持っているのか、自社の経営資源は、技術やブランド力は、などを分析して市場機会と脅威を把握し戦略を練ります。マーケティング戦略立案のスタートポイントとして有効です。一番大事なCは、もちろんCustomerです。

4P
マーケティングの教科書に最初に出てくるのは4Pであることが多いですね。古いと言われながらまだ生き延びているマーケティングの4P。Product、Price、Place、Promotionの4つのPで始まる要素を組み合わせれば売れる仕組みができるというE.マッカーシーが考案したものです。顧客が望む価値を持つ製品、競合的な価格、製品を効率的に配荷する流通、購買意欲を高める販促活動の4つです。初心者にマーケティングとは何かを説明するには便利な道具ですが、消費者の視点に欠けているのが弱みです。

4C
4Pが売り手の観点から見たマーケティングとすると4Cは買い手サイドから見たマーケティングです。R.ラウターボーンが提唱したCustomer Value、Customer Cost、Convenience、Communicationの4つで4Pの4要素に対応しています。顧客は何(価値)を買いたいのか、いくら(金銭や情報収集時間など)支払うのか、どこでどのように買いたいのか、どうやって顧客との(一方的な情報発信でなく)対話をするのか、と言い換えることができます。4Pと合わせて使うとより立体的な戦略が構築できます。

7S
マッキンゼーが提唱した組織の有効性を高めるための7つの要素です。3つのハードと4つのソフトからなります。ハードの3SとはStrategy、Structure、Systemでソフトの4SはShared Value、Skills、Staff、Styleです。簡単にまとめるとまず自社の戦略を見直し、組織構造を変え、システムを整備します。次に共通の価値観を社員間に浸透させ、組織および個人のスキルを高め、人材の育成をします。そしてそれらが完成されることによって企業の文化(Style)が変わるというわけです。この7要素はそれぞれ独立しているのではなく相互に影響しあっているので、これらの要素全体を整合性のある状態に持っていくことが重要です。ハードの3Sは比較的簡単にコントロールしやすいのですが、ソフトの4Sは組織文化や人材に係わるのでコントロールが容易ではなく、時間をかけて醸成することが必要になります。

根拠がはっきりしないものもあるが、マーケティングの世界には数字がらみの法則がいくつかあります。覚えておくと参考になるかもしれないのでいくつか紹介しましょう。
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1対5の法則
新規に顧客を獲得するためにかかるコストは既存顧客を維持するコストの5倍かかる。
既存客は既に製品を購入しているためブランド認知があり、製品特徴や他社製品との差も理解しているので再購入の可能性が高い。新規顧客獲得よりも既存客の維持の方に力を入れたほうが賢明という考え方です。(成熟市場では有効なことが多い。しかし新規客も狙わないと長期的にはじり貧になる)

5対25の法則
顧客離れを5%改善すれば、利益は最低でも25%改善される。
1対5の法則にあるように既存客は新規顧客ほど日常的には手がかからないので利益率が高い。そんなに手をかけなくても再購入してくれる確率が高いので、既存客を失うとその数倍以上の営業利益が消えてしまう。リピータは大事です。ロイヤルティが利益に大きく貢献するということですね。

1人の不満足は66人に伝播する
製品やサービスに満足した消費者は平均7人にそのことを話すが、不満を感じた消費者はその不満を11人に話す。その11人がそれぞれ5人に話すとされ、合計66人に不満が伝わる。その根拠はよく分からないが、満足より不満を訴えたいという心情は理解できます。最近はネットの口コミでネガティブコメントをよく見かけますが、ネットの広範囲・急速な拡散性を考えると66人以上に伝播することは十分に考えられます。

20:80の法則(パレートの法則)
ABC分析をすると上位20%の顧客が80%の売り上げを占めることがよくあります。同様に2割の販売員が全社の8割の売り上げを担っている事例もあるし、2割の製品が会社の利益の8割を産み出すこともあります。クレームの80%は特定の問題や少数の顧客から発生することも多くあります。ウェブサイトの80%のトラフィックは20%のページに集中する。もちろんすべてには当てはまらないがビジネス戦略を立案するときにABC分析をすると注力すべき対象が明確になることが多い。

プロスペクト理論
これは数字は付いていないが有名な理論で、人間は同じ価値でも得することよりも損することに対してより敏感に反応する「損失回避性」と呼ばれる心理傾向を持ちます。同じ金額の利益を得た時の喜びよりも、同額の損失を出した時の悲しみの方が大きいと感じます。100円引きの商品を買って「得した」と思うのより、買った翌日に100円値下げされているのを見る方が同じ100円でもショックや落胆が大きいのですね。

この一か月キャベツの価格が激しく動いた。都内ほどは高くはならなかったが最近は498円から398円、そして今日は298円だった。ブロッコリーとほうれん草は398円だった。以前は野菜類の値段は248円とか138円の中間値もあったのだが、最近は100円単位で上下している気がする。しかし、どうしてみんな末尾が98円で終わるのだろうか。
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これは端数価格戦略と呼ばれる、敢えて切りの悪い価格を提示することによって大台を意識させないでお得感、値ごろ感を演出する手法だ。「大台割れ価格」と呼ばれるだけあって本来は1000円でなく998円とか980円、10万円でなく9万9800円とかで用いられてきたが、それが低価格帯にも適用されるようになった。同じ20円引きでも600円を580円に値引きするより、値引き率は低いが1000円を980円に値引いたほうが桁数が変わって心理的インパクトが大きいからだ。

昔は端数などは使わなかった。個人商店などの小売店から見れば計算して小銭でお釣りを出すのは手間だからだ。レジもなかったしね。肉屋に行けば「100匁200円」の手書きの値札があった(古っ!)。端数価格の浸透ははスーパーマーケットとキャッシュレジスターの成長とともにあったと言っても過言ではないだろう。

またこの端数価格戦略には、仮にスーパーで100グラム100円の肉と98グラム98円の肉が並んでいたら同じグラム単価でも98円の方を選んでしまう人が多いであろうという心理的マジックもある。端数効果だ。ただ8で終わるのは八が末広がりの意味を持つ日本だけのことかもしれない。アメリカなどではほとんどが9とか.99(99セント)が用いられる。
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以前電鉄系のスーパーで表示価格を98円ではなく97円にしたらどうなるかという実験をした記事を読んだことがある。たしかそこそこの効果はあったというのが結論だったが、その後広まる気配がなかったのは日本人の末広がり信仰のせいなのだろうか。

ただこの末端価格は消費税抜きの価格であることがほとんどなので、内税表示では大台を超えてしまって意味をなさない。これがスーパーなどでいまだに税抜きの本体価格を大きく表示して、税込み価格をおまけのように小さく付け加える値札に固執する背景になっている。

ジャム理論は選択肢が多いと人は決められない「決定回避の理論」だった。選択肢がある程度以上になると選択が難しくなり決めるのが困難になる。その数は5~9という説もあれば、3~5という説もある。それ以下であれば消費者は比較的簡単に決定することができるはずだ。そこで3という数字の出番になる。

もとは商品やサービスは三段階に分けて提示すると真ん中の選択肢を選びやすいという「ゴルディロックスの原理」と呼ばれる経済学用語で、「ゴルディロックスと三匹のくま」という童話に端を発している。ゴルディロックスという少女が三つの選択肢からちょうどよい温度のスープやちょうどよい硬さのベッドを見つけていくことから、欧米では「ちょうどよい」へと誘導する手段をゴルディロックの原理と呼ばれていたらしい。

わが国では三種類を表すのに松竹梅がよく用いられる。ゴルディロックスと同様に三つの選択肢がある場合には極端を嫌う日本人の多くは無意識に真ん中を選んでしまう。これが松竹梅の法則で、価格や品質が違う三種の製品を提示して、一番売りたい製品を真ん中に位置させるというのがポピュラーな販売方法だ。鰻屋や寿司屋でもよく見られる松定食、竹定食、梅定食。松はおいしそうだがちょっと贅沢すぎるし、失敗したらもったいない。梅を頼むとみみっちいと思われそうだ。その結果真ん中の竹が選ばれる。
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実証データはあるらしいのだが、よく言われるのは松:竹:梅の比率は2:5:3となることが多いそうだ。半分の人は竹を選ぶ。選択肢が竹と梅の二つになると3:7になるらしい。ま、これは価格の設定にもよるだろう。一番売りたいものを真ん中に設定したいのなら、松と竹の価格さを大きめに取り、竹と梅の差は小さめにする。例えば松が5000円ならば、竹は3000円で梅は2000円位が妥当かもしれない。竹の3000円に2000円を足せば松を頼めるがプラス2000円はちょっとね、でも2000円の梅にあと1000円を足せはおいしいもの、上質なものが手に入るのならと考えると竹に落ち着く、というわけだ。(上のうな重の例はこの説とは異なりますね。この店は安価な鰻がウリなので松を薦めたいのでしょう。)

選択肢が4以上になると「決定回避の法則」が働いて、買わないという選択をさせてしまう可能性が高くなる。選択肢がふたつだと上記の竹と梅のように安い方に流れて利益率は下がる。松竹梅の法則は選択肢を3にすることで真ん中の買ってほしい商品を選ばせるように誘導し、「買うか買わないか」の選択から「どれを買うべきか」の選択に論点を切り替えてしまう所が効果的と言えるところだ。

15年くらい前にこんなCMがあった。ホームセンターの一角にベビーカー売り場があり4種類の製品が陳列されている。若い夫婦がその前に立ちざっと見た後に1台を選んで買っていった。その後20種類近いベビーカーが並べられると、買いに来た夫婦は悩んだ末に選ぶことができず買わずに帰ってしまった。
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CM画像にはプリンストン大学のシャフィール博士の「選択肢が多い方がより良いものが選べると思うでしょう。選択肢が増えすぎると人はむしろ何も選べなくなるんだよ」のスーパーインポーズが挿入されていた。

このCMを機に「決定回避の法則」は少し知られるようになった。マーケティングの分野ではこの法則は「ジャム理論」とか「ジャムの実験」の名前で語られることが多い。コロンビア大学のアイエンガー教授が1995年に行ったジャムの試食販売実験に基づいている。教授はスーパーマーケットの入り口近くで24種類と6種類のジャムの試食販売を繰り返し、種類の多さが売り上げにどう影響するかを調べた。11
その結果は24種類のジャムを陳列した場合は通行客の6割が立ち寄って試食したのに対し、6種類の時は4割しか試食しなかった。しかし試食後に購入した人の比率は24種類の時がわずか3%であったのに対し、6種類の時はその10倍の30%だった。実購買者比率は24種の時が60%x3%で1.8%だったが、6種の時は40%x30%の12%となり6倍強の差がついた。

「6種類ならともかく24種類全部試食したのかい」と突っ込みたくなるところだが、6種の方がコンバージョン率が高いのは明らかだ。ただ集客率が高いのは24種の方なので、陳列数が多いのが一概に悪いとは言えない。またこれはジャムの場合なので、製品のカテゴリーや消費者のタイプによっては状況が変わることも忘れてはいけない。私も先日台所の照明を蛍光灯からLEDに変えようとヨドバシに出かけたが、30くらいの種類があって戸惑った。日本製ならどれでもそんなに変わらないだろうと考えて、一番安い製品を選んだ。関与度の低い製品だとどれにするか考えるのが面倒になり、私のようなコスト志向の消費者は選択肢が多くても苦にすることはあまりない。

売るサイドから見ると集客のためにはある程度の種類を揃えなければならない。消費者の混乱を避けるためには、製品の特徴をシンプルに表した説明文、その店での売り上げランキング、お店のおすすめなど消費者をうまくガイドするような方法を加えておけば混乱は最小化できるはずだ。

ちなみに上記の広告は大和証券グループの広告だと初めて気づいた。よいCMだとは思うのだが広告主を想起できないのは広告としてはどうなんだろうか。(下のサイトで見られます)
https://youtu.be/lJZjF8IbfSk

3年前に「物価の優等生 - バナナ 鶏卵 牛乳」という記事を投稿したが、この2年で状況は激変してしまった。特に鶏卵は値上がり率第1位で、2018年の卸売価格がキロ180円だったのに対し、2023年4月には350円まで上がった。トウモロコシなどの飼料の値上がりと鳥インフルエンザが影響していたのが大きな理由だが、最近は多少落ち着いて今日現在は250円まで下がってはいる。近所のスーパーの3年前と今日の価格はこんな感じだ。
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卸価格が倍になるから小売価も倍になるのは仕方がない。それでも1953年の卸価格が224円だったことを考えれば鶏卵はまだ物価の優等生であることは確かだろう。ケーキ屋さんとレストランは苦労していると思うけど。

もう一人の優等生であるバナナにも値上げが。バナナは殆どが輸入なので最近の円安で仕入れ値が上がるのは仕方がない。原油高で輸送費も上昇しているし、全体の75%を占めるフィリピン産バナナがコロナ禍で国内での移動制限などの影響で供給量が下がったり、日本国内では在宅勤務や巣ごもり需要でバナナの消費が増え需給バランスが崩れたことも値段が上がった原因と言われる。昨年卸売価格は5割ほど上がったが、最近は南米からの輸入量が増えて価格に落ち着きが見られる。3年前と本日の価格は下記のとおり。
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2割の値上がりは他の果物に比べると許容範囲内かもしれない。昨年6月にはフィリピン大使が「現在のままではフィリンピンのバナナ生産者にとって現実的でもフェアでもない」として全国のスーパーマーケット業界団体に値上げを申し入れるという異例の事態が起きた。毎日スーパーで果物を買うが、輸入物のグレープフルーツやキウイだけでなく国産のフルーツも大型化や高級化で値上げが目立つ。バナナの価格はこの20年ほとんど変化がなかったから大使の気持ちも分からないではない。
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牛乳もこの3年で値段が上がったものの一つだ。近所のスーパーでは大手でない1リットルパックはずっと178円で売られていた(大手は200円ちょい)。しかし牛の飼料の値上がり、それもほとんどが輸入なのでさらに円安によるコスト増(2年前に比べて7割上昇)、牛舎の送風機や牛乳を保管するための電気代の値上がりなどもあり、昨年の11月に続いて今年の8月に再度の値上げに踏み切った。

11月の値上げ以降毎月消費量は5%下がっているが、再度の値上げを決定したのは多くの酪農家の生産コストが出荷価格を上回り赤字経営に陥っているためだ。それに加えコロナ禍で外食需要が低迷し乳製品の消費が落ち込んだため生産者団体は牛乳の生産を3%減産することを酪農家に求めている。このまま減産と需要減が続くと更なる値上げを余儀なくされ一層の牛乳離れが始まることが危惧される。

ちなみに今日スーパーで売られていた3年前178円だった同じ牛乳には42%アップの252円という値札が付いていた。



マーケティング・経営ランキング
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みどりのおばさん、ニッセイのおばさん、そしてヤクルトおばさんを日本の三大おばさんと言うらしい。かつてはヤクルト婦人販売員と呼ばれ、最近のヤクルトのHPではヤクルトレディと呼ばれている。今でこそヤクルトを始めとする乳酸菌飲料は市民権を得ているが、ここまで来るには大変な苦労があったらしい。
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ヤクルトの創業者代田稔が腸内の悪い菌を退治する特殊乳酸桿菌の培養に成功したのは1930年だった。これをLカゼイ・シロタ株と名付け、後にヤクルト菌と呼ばれるようになった。ヤクルトとはエスペラント語でヨーグルトを意味するヤフルトを語源としている。代田は1935年に代田保護菌研究所を福岡に設立し乳酸菌飲料の製造と販売を始めたが、それは普及活動のための普及会経由の細々とした販売で、ヤクルト本社が東京にできるのは20年後の1955年まで待たねばならなかった。

私は名古屋で生まれ育ったが、名古屋では同じ1955年に発売されたエルビーの方が有名だった。ヤクルトを見た記憶が全くない。当時は乳酸菌など馴染みはないしビフィズス菌などは聞いたこともなかった。お腹の中に菌を取り込む飲料などほとんどの人は「菌を飲むなんて」と拒絶反応を示した。全国に販売組織を整備したヤクルトが力を入れたのが啓蒙のための広告活動と婦人販売員チームの設立だった。

1963年に導入された婦人販売員は自転車や手押し車に製品を乗せて自宅近くの顧客に届ける配達部隊だった。そのほとんどが当時は外で働くことが珍しかった主婦だった。やがて全国に広がり誕生して20年後には5万6千人のヤクルトおばさんを擁するようになった。その後競合も増え、宅配以外にスーパーなどでの販売も始まったこともあり、2006年には5万人に減り、現在は3万3千人のヤクルトレディが個人宅や会社のオフィスに毎日ヤクルトを配達している。

もちろんヤクルト躍進の原因は婦人部隊だけでなく、ジョア、ミルミルや最近では入手困難だったヤクルト1000などの絶え間ない新製品導入と、1968年に採用されたプラボトルの採用がある。特にプラボトルはそれまでの回収に手間のかかる重い瓶から婦人部隊を解放し、えぐれた中央部は飲みやすさと製造ラインでの安定をもたらした。
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啓蒙活動は国内にとどまらず海外でも行われている。海外での世界水上選手権のテレビ中継でヤクルトのビッグボトルが必ず映される。効果があるのだろうかと疑問に思っていたが、試飲イベントや啓蒙活動を継続していくうちに海外での販売国数は40か国まで増えたという。ヤクルトレディもアジアを中心に8万人に上り、海外で販売されている日本の飲料としてはナンバーワンとなった。main96
通常のヤクルトは65mlで物足りないと思っていたが、フィリピンには1リットル入りのヤクルトがあるらしい。飲みごたえはありそうだが、このシール蓋では開けたら飲み切らなくてはならないし、ヤクルトレディが運ぶには大きすぎるし重すぎる。でもこの発想は好きだし、これを許すヤクルト本社もなかなかのものだ。

昔チューインガムの仕事をしている時に競合会社からビフィズス菌入りのガムが発売された。米国本社の人間に説明をしたら、ビフィズス菌などは全く知らず、乳酸菌(lactic acid bacteria)の話をしたら「お前たちはバクテリアを食べるのか」と言われそれ以上説明する気は失せた。その頃のことを思い出すと現在「アメリカヤクルト株式会社」が存在するなんて時代が変わったと痛感させられる。

ちなみにヤクルトレディは店売りの2倍の数を販売しているとのことだ。


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日本のメーカーのパッケージ変更での失敗例です。
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キリンレモンは子供っぽいイメージを大人っぽいイメージに変化させようと佐藤可士和デザインのボトルに変えましたが(左から2番目のボトルです)、酒のような印象を与えて売り上げが激減し、高校生に依頼するなどして元のデザインに近いパッケージに再度変更をしました。その後90周年を記念して会社の象徴である麒麟を加え20代~30代をターゲットにしてリニューアルしたものが右端のボトルです。
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森永の「ウィダーinゼリー」は発売20年を機にそれまでの「マルチビタミン」や「プロテイン」などの機能性訴求から「エネルギー」、「カロリーハーフ」などのカロリー別の商品展開に切り替え、パッケージも英語を多用したものに変更しました。しかしそれまで培ってきた「10秒チャージ」や「ビタミン簡単摂取」などの製品コンセプトが伝わらなくなり、10%の売り上げダウンに見舞われました。やむなく4か月後に「マルチビタミン」などの機能性重視の名称に戻し、パッケージも再刷新して巻き返しを狙いました。それでも以前の販売量に戻るには2年近くかかったとのことです。

残念なことにこの二つのデザインとも佐藤可士和の作です。デザインとしては斬新かもしれませんが、変化が大きすぎてそれまでのユーザーに受け入れられなければ失敗になってしまいます。有名なデザイナーに頼めば大丈夫、とはいかないようです。


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パッケージを変更してうまくいくこともあればそうでないこともあります。下記の二例はパッケージデザインやロゴを大幅に変更したものの、不評ですぐに元に戻した例です。
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長年使われてきたおなじみのトロピカーナのブランドロゴ、ストローが刺さったオレンジ、NO PULP(果肉なし)表示を大胆に変更し、ロゴのフォントを変え、かつ縦書きにし、オレンジのイラストをカットして果汁の入ったグラスに変更し、商品説明も大幅に省略した新しいパッケージに変えました。しかし消費者からの苦情が多く寄せられ売り上げが20%下がったため、数か月後に戻のパッケージに戻すこととなりました。
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これもおなじみのGAPのロゴです。極めてシンプルな紺地にブランド名の白抜きです。これを白地に黒の文字に変え、フォントも変更し、かつ小文字を用い右肩には紺の四角を加えました。導入後クレームが寄せられわずか6日後に使用を中止して以前のロゴに戻しました。変更と再変更、回収などで巨額の損失を出したとのことです。

デザインのシンプル化はパッケージ変更の際の有効な方法ではありますが、長年使われてきて製品と一体化したイメージを消費者に持たれている場合は、消費者の違和感や失望を招くこともあります。上記二例も当然事前に消費者調査を実施しているとは思うのですが、現ユーザーの思い入れまではとらえられなかったのかもしれません。


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パッケージデザインの変更は菓子や飲料だけでなく他のカテゴリーでもよく行われています。

昭和産業のオレインリッチはピュアなひまわり油であることを強調するために、白地から黄色に変えひまわりの絵を前面に出しました。ボトルの形も変え、キャップシール上のフレーズも「オレイン酸たっぷり」から「あっさりおいしい」に変更、同時にブランド名と「コレステロールゼロ」の表示も小さくしました。非常に大幅な思い切った変更だと思います。パッケージ変更後の売り上げは3割増となりました。
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三和酒類の「いいちこ」は長年使ってきた「下町のナポレオン」を捨て、紙パックから透明なガラスボトルに変更しました。これも大胆な変化です。発売後CMも一新し売り上げは150倍となり、日本蒸留酒ランキングで第一位、世界蒸留酒の第三位の製品となりました。
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JAうごの「あきたこまち」は和服姿の秋田美人の写真と大きな製品名を、イラストレーター西又葵の美少女イラストに変更し、発売後一ヵ月でそれまでの2年分を売り上げました。主婦が購入者であるお米のパッケージとしては異色です。この成功を基に味噌、シチュー、カレーにもこの路線を展開中です。
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これらの3例もシンプル化、消費者があまり気にしない情報の削除、現代的なグラフィックや容器の変更など大胆な変化が成功の要因だと思われます。捨てる勇気も必要ということでしょうか。



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発売された製品がいつもうまくいくとは限りません。製品改良をしたり、広告コピーを直したり、広告量を増やしたりが一般的ですが、パッケージデザインを変更するのも一つの方法です。いくつかの成功例をご紹介します。
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昨年大幅なリニューアルをした高カカオチョコレートの代表格である明治のザ・チョコレートは2016年に発売されました。販売は思ったほどでもなく担当(女性)は思い切ったパッケージ変更を企画しました。カカオ豆をフィーチャーしたデザインからロゴのTHEを強調したシンプルなデザインに変え、同時に形状も正方形から長方形に変えました。社内会議では上司から「このデザインでは売れない」と散々だったのですが、発売すると販売計画の倍を売り上げるヒットとなりました。
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ココナツサブレは発売後50年ぶりにパッケージデザインを変更しました。外から中身が見えるようにするのと、同時に5枚ずつの分包も実施しました。購買層・ユーザーが高年齢化していたのを若返らせるためにプロモーションとしてエビ中パッケージも作成し若年層の取り込みにも成功し売り上げ増につなげました。
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東ハトのキャラメルコーンは英語のブランドロゴ、コーンのイラスト、製品の写真をシンプルにし、日本語のロゴと「遺伝子組み換えコーン不使用」表示を省き、空いた上部スペースに目玉と鼻をユーモラスに加えるという思い切ったパッケージ変更を一気に行いました。この変更で販売量は3割上がったそうです。

上記の3ブランドに共通しているのは、デザインのシンプル化です。とかく新発売時にはあれもこれも加えたがる傾向があり、グラフィックもコピーも重くなります。ビジーになって店頭で目立たないことも多く、シンプルにすることでアピール度が上がったのだと思います。


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企業が今まで世の中に存在しなかった全くの新製品(新カテゴリー)を発売することは稀です。多くの新製品は既に類似品が発売されている市場に投入される「me-too」と呼ばれる後発品です。後発品を世に送るときに考慮すべきポイントを考えてみましょう。
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まず考えられるのは、先行品にない付加価値を付け加える。新しい技術、成分や製法を消費者に分かるように伝える。新しい味やフレーバーも有効です。お掃除ロボットiRobottを追いかけた国産メーカーがコーナー用のブラシを付けたり形を三角にしたのはこの例ですね。

先行品が既にどのような製品なのかを消費者に示しているのですからこれを利用しない手はありません。先行品を否定するのではなく、先行品のやり方に乗っかる方が賢明です。中華のCook Doに対し「うちのごはん」は醤油ベースの和で参入、今度はそれに対抗してCook Doが「きょうの大皿」を発売したのはこれに近いかもしれません。

同じブランドでもターゲットを変える方法もあります。これはラインエクステンション品ですが、カップヌードルライトは女性に訴求するため麺を短くし(音を立ててすすらなくてよい)カロリーも198に抑えて市場に出ました。

製品そのものに付加価値がつけにくい場合は、その道の権威やセレブリティをエンドーサーとして使う手があります。

先行品が使っていないパッケージ容器や包装形態で市場に参入する。例えば先行のボトルや缶に対してパウチで発売するとか。

先行品との区別がつきやすく、製品特徴が分かりやすく覚えやすいネーミングを用いる。

自社が持つアセットを利用するために社名、親ブランド、ラインエクステンションを使うのは認知を獲得するための投資が少なくて済む。

性能面で先行品と差がつけられなければ、価格ベネフィットを訴求することも考える。または同額で内容量を増量する。安売りしたくなければ、先行品とは異なる内容量で価格も変え、価格の直接比較を回避する。味の素がキューピーの寡占状態だったマヨネーズ市場に参入する時に小さめのサイズと値段で入りました。消費者はスーパーの棚の前でグラム単価を計算しないので価格差はあいまいなまま購入することになりました。当時はプライスカードに100g当たりの価格なんてなかったのです。


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トライアル(初回購入)はある程度のブランド認知率と取扱店率があれば獲得できます。大事なのはどうやって新規客をリピーター、ロイヤルユーザーにするかです。安定した販売と利益を維持、伸長させるためにはリピーターは欠かせない存在です。
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飽きやすいユーザーを満足させ続けるにはメーカーも努力を続けねばなりません。長期間にわたり同じ製品や同じ品質で売り上げを増加す続けることはできません。ブランド価値を上げるため日々のKAIZEN が必要です。品質だけでなく安全性を高める、不良品率を下げる、見た目を時代に合ったものにする、効率化により製造コストを下げそれを原資として品質改善に充てる、などが必要です。

顧客を正当に扱うことも必要です。かつて1983年にコカ・コーラが、1996年にキリンビールがこれで失敗しました。大規模な消費者調査や味覚調査はしたのですが、突然味を変えられたら何十年とその製品を飲んできた消費者は「これは俺のコークではない」「ラガーじゃない」と落胆したに違いありません。

顧客の購入や使用実態を調査することは重要ですが、使っている理由や満足している理由ばかり着ていては本当の事情は分かりません。美味しいからとかいつもこのブランドだからなど無難な回答が返ってきます。なぜ使用をやめたのか継続しないのかの問いに対しての方が消費者は正直な答えをくれます。そしてその原因を取り除く努力をすべきです。

スイッチングコストを創出して顧客を引き留めるのもロイヤルティ維持に有効です。スイッチングコストとは今まで使ってきたり買ってきた製品やサービスを止めることによって発生するコストのことです。企業が会社のコンピュータシステムを変更すれば大きなコストが発生します。個人でもいつも使っている航空会社や携帯電話を切り替えると、それまで貯めていたポイントやマイルが使えなくなります。
会員制クラブやメンバーシップもスイッチングコストと同様に顧客を逃がさない方法です。



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競合と比べた場合に明確な機能的な差があったり、数値化できるデータがあれば優位性の立証は楽なのですが、いつも機能面での優位差やデータがあるとは限りません。技術が進んだ現在ではよくあることですが、メーカー間の開発力の差は少なくなりつつあり、機能的な差があまりないケースが多くなりました。そんな時は差を創り出すしかありません。製品に大きな手を加えずに付加価値を加えて「差」を産み出すのです。
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方法としては、新用途の提案、新市場への位置づけ、新ユーザーへの訴求、使用を阻害している原因を取り除く、パッケージや容器の改良、先取戦略などです。

新しい用途の提案例としては、焼き肉のたれを焼き肉以外に使うよう勧めるCMがありますし、古くは風邪をひいたとき胸に塗って呼吸を楽にする薬だったヴェポラブをこめかみに塗って頭痛に効くと宣伝していたことがあります。

新ユーザー獲得例としては、J&Jのベビーオイルはその名の通り赤ん坊用のオイルでしたが、赤ちゃんの敏感な肌に良いのなら若い女性にも良いに違いないとターゲットを拡げて成功しました。龍角散の老人用飲み込み補助ゼリーを子供用の「お薬のめたね」への転用例もあります。

使用を阻害する原因除去例としては、シャンプーの使い過ぎは髪と肌を傷めると考える人が多かった頃に、そんなことはないとメッセージを送った結果、朝シャンと夜の二回シャンプーをする女性が増えました。

パッケージの改良例は、シャンプーやリンスのパッケージをポンプ式にすることで一回当たりの使用量が増えた例が有名ですし、古くは味の素がボトルの穴を大きくし使用量と売り上げが上がり提案者が社長賞をもらった例があります。その他にもガラスからプラボトルへ、そして中身の見えるよう縦に透明部分を作る、キャップがメジャーになるなどの改善例があります。

先取り戦略というのは、どの会社もやっていることをさも自社だけがやっているように見せることです。かつてアサヒビールが「製造後三日以内に店頭へ」のキャンペーンを打っていた時期がありますが、どのメーカーも同じことをしていますが、広告を見た消費者はスーパードライだけが製造後すぐ出荷していると思ったでしょう。ドモホルンリンクルは「毎日4時間機械を止めて分解掃除」とCMで言っていましたが、どの工場でもラインの切り替えや清掃のため機械を止めて掃除をするのは日課です。富山常備薬は「一般医薬品承認基準内最大量を配合」と謳いますが、同じカテゴリーの競合品も同じ成分を同じだけ配合しています。承認基準の最大量を入れるのは通例ですが、一社だけがそれを訴えるとその製品だけが効き目が強いように消費者は思ってしまいます。これらの会社はあまりに当たり前でCMで言うようなことではないが言ったもの勝ちと思っているのでしょう。消費者は馬鹿にされています。

ネーミングの成功例は、2004年に「ネピア モイスチャーティッシュ」から「鼻セレブ」に変えたことで売り上げが10倍になった例が有名ですね。


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広告メッセージを消費者に認知・記憶してもらうためには対競合の差別化ポイントや治験などのエビデンスが有効ですが、そうしたものを見つけたり作成するのが困難なこともあります。そんな時に使えそうなのがEEEFASです。
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EEEFASとはExperience、Expert Opinions、Examples、Facts、Analogies、Statisticsの頭文字をとって並べたものです。

Experience
客観的なエビデンスや量的調査などのデータがない時に、一例でも二例でもよいので個人の実体験に基づいた意見や感想が有効なことはよくあります。

Expert Opinions
市井の一個人の経験に基づいた意見も効果はありますが、その道の専門家の意見であればさらに説得力が増します。学者や研究者、大学教授など権威の意見や、彼らが書いた書物や発表された文献なども含みます。

Examples
当該製品、類似製品や同じ成分が入って製品のパフォーマンスや、効果の発現例があれば援用できます。他の国の事例なども参考にできます。

Facts
過去に起きた事例や使用例などは実際にあったことなので説得力に富みます。

Analogies
直接飲用できるデータや同種の製品がない場合は、類似の製品の効能効果例を引用したり、それらの結果から当該製品への効果の類推をします。

Statistics
官公庁統計、調査結果、治験や実験の結果など数字で示されると信じられる確率が上がります。


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毎日テレビで、ネットで大量の情報が流れています。情報の洪水の中で記憶に残り、ブランドやメッセージの認知を上げるためには、何らかの策を講じなければいけません。よく用いられている方法には下記のようなものがあります。
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競合製品との有意な差を憶えやすい表現で表す。
M&M'sのチョコレートがこの典型例でしょうか。糖衣のため夏でも溶けて柔らかくならない利点を「お口で溶けて手で溶けない」と謳っています。海外では「Melts in your mouth, not in your hands」ですね。

憶えやすくするためにスローガンやジングルを利用する。
インテルのチップを使ったPCには「Intel inside」と頭韻を踏んだラベルが貼ってあります。日本版は「インテル入ってる」と脚韻を踏んだ表現で広告でも使っています。
アート引越センターやニトリのサウンドロゴは一度聴いたら憶えてしまいますよね。

視覚に訴えて記憶を強化する。
KFCのカーネル・サンダースおじさん、不二家のペコちゃん、ナイキのスウォッシュ、アップルの齧りかけのリンゴなど憶えやすく、製品との結びつきが強固です。

その他では会社の知名度が高い企業がよく使う「二階建てブランド」です。あの会社の製品ならの安心感で差別化を狙っています。「大正漢方胃腸薬」なんて典型ですね。漢方胃腸薬は何種類もありますが大正がついていることの信頼感。三菱パジェロもそうでしたが、この手法はブランド売買が一般的でない日本独特の手法ですね。


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企業やブランドの認知、イメージ、製品特徴、競合製品との差別点などは企業が発する広告や広報などのメッセージが重要な役割を果たしています。メッセージが送られてから製品が使用されるまでのフローをまとめてみました。
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企業がマスメディア、WEBや店頭広告などで配布したメッセージは視聴者、読者に届けられます。届いたメッセージは100%見られたり読まれたりするわけではありません。企業からのメッセージに注目する人はそんなに多くはありません。その注目した人の何割かが認知をし記憶してくれます。しかし記憶はしたものの製品やサービスに好意を抱き、態度変容する人はわずかです。態度変容したものの製品を購入して試用する人はさらにわずかとなります。試用した人が使用後に製品の評価をし気に入ってくれれば再使用者となりリピーターやロイヤルユーザーになってくれる可能性が残ります。

このメッセージの流れの中で最も重要なポイントは「認知・記憶」です。広告を見ても認知され記憶されないと店頭でその製品を見ても購入につながる確率は下がります。いくら大量の広告を流しても認知・記憶につながらないと無駄打ちになります。逆にわずかな量の広告やPRでも論理的または情緒的エビデンスがあったり、対競合差別化ポイントや消費者ベネフィットが明確に伝わるメッセージであれば、認知が容易になり記憶される確率がグンと上がります。

東京では毎日約3000本のテレビコマーシャルが流れます。情報の洪水の中で、製品の明確な対競合差別化ポイントを、インパクトがある記憶されやすいメッセージに転換して、繰り返し発信し続けることが態度変容につながることになります。


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競合製品と有意な差を持つポジションを見つけるのは容易ではありません。市場と競合の分析をし、競争の少ない戦場を探し出すことは非常に重要です。「敵のいない、または少ないところで戦う」ことが最強の戦術であることを忘れないでください。そのためにヒントをいくつか紹介します。
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最近チョコザップの成功で不振から抜け出しかけているライザップは、もとはダイエット・スクールで成功した会社です。競合との違いは、専属のトレーナーが一対一で個室で(廻りの視線を気にしないでできる)トレーニングをし、かつ毎日スマートフォンで毎食の内容を写真で送らせ食事のアドバイスまでするフォローの良さと、痩せない場合は全額返金するというメソッドで成功を収めました。ダイエットは多くの人が始めるものの、ほとんどが途中で挫折します。そうしないように生徒を追い込んで最後まで面倒を見るという「三日坊主にしない」方法で差別化したのです。後発組が市場と競合を分析し、競合がやらない方法で新しいいポジショニングを見つけた例です。このビジネスモデルを英会話やゴルフレッスンに拡大中です。

製品でなくユーザーの違いで競合と差別化する方法もあります。ミラービールはかつて労働者が仕事を終えた後の飲むビールと位置付けし「It's Miller Time」とう広告キャンペーンを打っていました。最近のヒット商品では家庭用に普及していた魔法瓶を個人用保温水筒として発売した例があります。爆発的に売れ、ペットボトルの代わりに持ち運ぶ人が増えています。エコでもあります。これも家庭から個人へとターゲット層で差別化した例です。

通常は食後に飲んでいた消化薬を「食べる前に飲む」と差別化した胃腸薬がありますし、逆に食前に打っていたインスリンを食後に打てるようにした超速攻性のインスリンも10年ほど前に開発されました。これによって食前に思っていたほど食べられずに低血糖になることを回避できるようになりました。時間軸で差別化した例です。

競合状態が厳しい市場に参入する時に参入市場に別の名前を付けて異なるカテゴリーであるかのような印象を与える手法もあります。カルビーのフルグラはケロッグなど競合がひしめくシリアル市場でなく朝食市場の製品として参入しました。おいしさ、時短、健康をキーワードにして、シリアルと戦うのでなくパンや和食の朝食市場で戦う方を選びました。市場も大きいですしね。これは昔ケロッグが参入時に朝食市場に入ろうとして大キャンペーンを打ち失敗したことを逆手にとったような作戦でしたね。

大塚のポカリスエットは発売時に清涼飲料やスポーツ飲料でなくアルカリイオン飲料という消費者が理解できない健康飲料として世に出ました。競争を避けるために(そして売れているとは言い難いゲータレイドといっしょにされたくなかったのでしょう)既存製品とは異なることをアピールしたのです。苦戦をしたもののその後もアイソトニック飲料、イオンサプライ飲料、リフレッシュメント・ウォーター、ボディ・リクエストなどとショルダーフレーズを変えながら、最終的には清涼飲料ブランドとして確立されたポジションを占めるようになりました。

上記の例はポジショニングと言いながらセグメントやターゲットを含めた戦略となっています。50年前にコトラーがSTPという概念を発表しました。Segmentation、Targeting、Positioningの略です。どの市場で、誰に向かって、製品をどう位置付けるかというフレームは今でも通用するツールですし、ひとつひとつ別個のものとして分けるのも無理があるような気がします。


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ポジショニングとは、製品やサービスが使用者・消費者の意識の中で、競合と比較されてどのように見られているか、位置づけされているかを簡潔に述べたものです。
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ここで重要なのが、「消費者の意識の中で」と「競合と比較されて」の二点です。よくメーカーの人が「わが社の製品のポジショニングは」と語りますが、ポジショニングはメーカーが決めるのではなく、消費者が決めるのです。消費者の頭の中の競合と比べたマップ上のどこに自社製品が位置するのかなのです。ですからメーカーがポジショニングを語るのであれば、消費者調査を実施し、その結果に基づいて語らねばなりません。

ポジショニングを考えるときに必要な要素も上記に加えてあります。参考にしてください。
次に縦軸と横軸を設定し、ポジショニングマップを作ります。下記は一例です。
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健康イメージと価格を二軸としています。当然かもしれませんが健康的と思われるブランドは値段が高いのでこのような右上がりの図になります。健康イメージが高く値段が安い右下は採算ベースに乗らないでしょうが、値段が安い左上には既存ブランドがないのでチャンスがあるかもしれません。そんなバーガーは無理だと思われるかもしれませんが、敵のいないところで戦うブルーオーシャン戦略が最強のマーケティングです。かつてアメリカでマツダがRX-7を発売する前に作ったマップの話を聞いたことがあります。

ホイールスペースと価格の二軸でマップを作ったところ、大きな車ほど高価なので上記と同様の右上がりの図になりました。その図の空いたところ(小さくて値段が高い)を狙って小型でツーシーターで高性能、高めの価格の車にもチャンスがあると考え、「スモール ラグジュアリー スポーツ」と位置付けられたカテゴリーを創ったRX-7は、二台目の車、息子や娘に買い与える車としてアメリカ市場に浸透しました。そしてその成功を基に導入された日本でも熱狂的に受け入れられました。

ポジショニングマップはけっこう役に立ちます。

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製品やサービスの売り上げは顧客を獲得することから始まります。最初は新規顧客ですね。新規顧客を獲得するためには何が必要でしょうか。

まずブランド認知が必要です。認知がないということはブランド名を憶えていないということなので、最初から消費者の選択肢から外れてしまいます。ブランド認知を上げるためにはテレビなどのマス広告やWEB広告、PR、パブリシティ、店頭でのPOP、サンプリングや展示会などの販促活動などがあり、これらを商品の特性や重要販路に従って組み合わせます。

ブランド認知が得られたら、次にブランドの特徴を知ってもらうことが必要になります。
特徴が伝えられたら、次はその特徴が競合製品と比べてどこがすぐれているのかを伝えます。
同時にそのブランドを使用すると、消費者はどのような便益が得られるのかを伝えます。

これらはこの順番に必要になるのではなく同時に伝わることがほとんどです。
この3つはFABと憶えておくと忘れませんよ。
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Feature  は製品の特徴や機能でその製品が存在する理由となります。
Advantage  は同じカテゴリー内の競合製品と比べたときの優位な点です。
Benefit  は消費者がその製品を使った時に得られるメリット、利点です。

この三つが消費者に伝わると、当該製品のポジショニングが明確になります。

ちなみにポジショニングとは次のように定義されます。

「ポジショニングとは、製品やサービスが使用者・消費者の意識の中で、競合と比較されてどのようにみられているか、位置づけされているかを簡潔に述べたもの。」


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幅広くかつ短期にブランド認知を上げるためにはテレビなどの広告が有効ですが、ブランドによっては十分な予算がないなどの理由でマスメディア広告が使えないことがよくあります。しかしマス広告を使わなくても認知率を上げる方法はあります。

認知は情報と経験の二つから築かれます。この二つを最大限に利用することです。
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情報にはテレビ広告などのマスメディアが含まれますが、SNSやCGM(Consumer Generated Media)などのソーシャルメディア、自社HPや自社ECサイトなどの自社メディア、パブリシティ、IRや口コミ利用などのPRメディアを利用すれば安価にかつ信頼度の高いブランドに関するメッセージを送ることができます。ネット経由の情報はマスメディア以上に拡散スピードがありますし、双方向性もあります。また購買者や使用者からの口コミ情報は購入時によく参考にされていますし、実際に使った人の意見は貴重ですし信用もされます。

同時に店頭での情報も重要です。店頭での露出、特にパッケージは最も雄弁なセールスマンです。大量陳列や特売時にはパッケージを目立たせることを考えてください。その他にも店内のPOP、ポスターやプライスカードなどの販促物を利用しましょう。

経験から認知を改善させるためには、店頭などでの試食・試飲、できれば購入してもらって製品の味や特長、調理法などを知らしめると同時にブランド名を憶えてもらう方法があります。店頭や街頭、イベント会場などでのサンプリングやクーポン配布もブランド認知に貢献します。実際に使ってもらう経験は強い武器になるので試食や試飲だけでなくモニターとしての使用、試着、車の試乗なども有効です。

スターバックスは1986年に誕生して、今では世界中で知らない人はいないくらいのコーヒーチェーンになりました。しかし皆さんはスターバックスの広告を見たことがありますか? たぶんないと思います。なぜなら設立以来彼らは一度も広告を打ったことがないからです。広告なしでも深煎りコーヒー、バリスタがいる、シアトル生まれ、シレーンのロゴ、煙草の煙から逃れてコーヒーの香りが楽しめる、などの認知は世界中で十分に浸透しています。広告を打つことなく、PR、店頭での情報、実飲用などでブランド認知とイメージ確立に成功した典型的な例です。


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ブランド名を前面に出して販売している製品ではブランド認知は生命線と呼んでい良いくらい重要です。ブランド認知がないということは製品特徴も理解されないし、指名買いも期待できません。最初から購入の選択肢からが外れることを意味します。

特に後発商品、卸や小売りのマージンが競合より低い製品、取扱店率が低い製品はブランド知名率を上げて指名買いを狙う方法が一般的です。

ヴィックスドロップが日本で発売された時に日本初の集中TVスポットキャンペーンを打ちました。楠トシエの「クリクリ三角ちいさなドロップ」のCMソングで一気に知名を上げ、低い配荷率、薄い小売マージンにもかかわらず指名買いで一気にトップブランドに駆け上がりました。

昔担当していたコンタック600もバファリンも競合と比べてマージンが劣ります。小売店は売りたがりません。推奨販売はほぼゼロですからTV広告で知名を上げ指名買いを促進するしかなかったのです。両ブランドとも指名買い率は70%でした。

ブランドの認知があるということは消費者に親しみ、好意、安心感、確信を与えます。高いブランド認知商品は、メーカーが長期間製造・販売しているという安心感、大量の広告でサポートをしているヒット商品で、多くの人がその製品を使っているという親近感を与えるからです。認知率と売り上げには強い相関があります。現在は安価ですぐ結果の分かるネット調査がありますから定期的に認知率の調査をすると良いでしょう。
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ブランド認知率には上記の三種類があります。トップ・オブ・マインド(第一想起率)は「コーラ飲料でご存じの銘柄は何ですか」の問いに最初に答えたブランドです。二番目以降で答えられたブランドが非助成想起ブランドになります。ブランド名が出なくなった後で「ではxxxというブランドはご存じですか」と提示されたブランドを知っている場合が助成想起銘柄になります。

当然非助成想起で答えられたブランドの方が助成想起より強く、現在使用中またはこれから使いたいブランドであることが多く、助成想起で答えられたブランドは過去使っていた又は名前だけは知っているブランドであることが多いと言われています。


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長いあいだ衝動買い率の高いチューインガム、キャンディや飲料の仕事をしてきたせいか、売り上げを上げるために配荷率(取扱店率)とブランド認知率の二つの重要性をいつも考えていました。

売りを上げるための方策のひとつは配荷率を上げることです。取り扱っている店が少なければ購入のチャンスは減ります。衝動買い率が高い製品やカテゴリーでは低い配荷率は致命的になります。配荷率を上げるためには、卸店や小売店に対する様々なトレードプロモーション、自社の営業部員に対する十分なトレーニングや刺激付けとなるセールスコンテスト、セールスインセンティブなどが有効です。

二つ目はブランドの認知率を上げることです。製品の名前を知らないということは、製品特徴も理解されないし指名買いも期待できません。知名率を上げるにはマスメディアやネットでの広告、店頭のPOP、デモンストレーション販売、サンプリング、ターゲットに訴求できるイベントなどが有効です。

配荷率とブランド認知率の重要性を示すには下記の図が有効かもしれません。
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この大きな四角はあるブランドにとっての消費者市場と考えてください。縦軸が配荷率、横軸がブランド認知率を表しています。上記のケースでは配荷率が60%、認知率が40%と想定しています。

左下の緑色の部分は、配荷もあり認知もある市場です。配荷率が60%、認知率が40%ですから市場全体の24%を占めます。この面積(24%)は販売量と高い相関を持ちます。

その右の青い部分は配荷はあるものの、認知がありません。ですから店に行ってもそのブランドを購入する確率はすこぶる低いはずです。全体の36%です。

左上の黄色のエリア(全体の16%)は認知があるものの配荷がない市場です。そのブランドを買おうと思っても店に並んでいないので購入にはつながりません。

その右の白いエリアは配荷も認知もないので売れる確率はほぼゼロです。

衝動買い率の高い商品であれば緑色のエリアと配荷のある青のエリアで売れる可能性がありますが、指名買い製品の場合はみどりの24%エリアでしか販売は期待できません。営業とマーケティングのメンバーは協力して販売促進や広告活動を通して配荷率を上げ、認知率を上げで売り上げにつながる緑色のスペースを拡大しなければいけません。

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プロダクトマネジャーの責務は、担当製品の売り上げと利益を最大化することです。売り上げを最大化するには次の3要素を最大化する必要があります。顧客数と単価と購入回数です。式にするとこんな感じです。

売り上げ = 顧客数 X 平均単価 X 平均購入回数
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売り上げを建物に例えると、顧客数は間口、平均購入回数は奥行き、平均単価は高さでしょうか。製品によって建物の形は異なります。激辛カレー客や激辛ラーメン客は数は多くないかもしれないが熱狂的なリピーター顧客が多いので、間口は狭いが奥行きの深い建物になりますね。値段が高ければ平屋から3階建て5階建てになるでしょう。

顧客数を分解すると、現顧客、新規顧客、過去顧客(購入中止顧客)となり、平均単価は平均購入単価と1回あたりの平均購入点数に分けられます。とすると上記の売り上げ式は次のようになります。

売り上げ =(現顧客+新規顧客ー購入中止顧客) X 購入単価 X 購入点数 X 購入回数

ただ昨今の日本の経済状態を考えると、購入単価を上げる(値上げ)と購入点数を上げる(まとめ買い)ことは容易ではありません。顧客数を増やすことと購入回数を上げることに注力する方が賢明だと思います。

顧客数を増やすことも簡単ではありません。新規に顧客を獲得するためには現顧客を維持するための5倍の努力(コスト)が必要との説があります。現顧客を維持しつつ、新規客の獲得努力をし、購入中止顧客数を減らす、この3つ同時にするのは大変です。比較的容易なのは、購入中止顧客を減らすことと、過去顧客を引き戻すことだと思います。調査などで購入中止の理由が分かれば手の打ちようがありますし、過去顧客も製品の特長や利便性を知っているのですから新規を獲得するよりは容易です。

新規顧客の獲得が困難な時は、現顧客の購入頻度を上げる、又は一回の購入量を上げるプロモーションが有効です。単なる大量陳列、値引きキャンペーンや懸賞キャンペーンだけでなく、家庭内在庫を積み上げ、他ブランドへのスイッチを減らすようなクーポン、ボーナスパック、マルチパックなども考慮に値します。

あと忘れてならないのは、配荷率を上げる、ブランド認知率を上げる日々の営業活動と広告・PR活動です。これが基本です。


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プロダクトライフサイクル(PLC)理論の図とよく似たものにイノベーター理論の図があります。製品の誕生から成熟への過程を製品と市場の変化から見たのがPLCだとすると、それを製品の購入者・消費者サイドの変容から見たのがイノベーター理論となります。
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新製品や新しいカテゴリーが普及するには次の5つの消費者層が順に採用すると言われています。

まずイノベーターと呼ばれるマニアックな人たちが飛びつきます。好奇心や冒険心にあふれ、新しいものやサービスをを進んで採用し、時にはオタクと見られるが本物を見抜く力を持つ人たちです。

次に流行に敏感で、自ら新製品に関する情報収集を行って採用するかどうかを判断する人をアーリーアダプターと呼びます。他の消費者への影響が大きく、人数的にもイノベーターよりも多いのでオピニオンリーダーとも呼ばれます。インフルエンサーですね。

新製品の採用には比較的に慎重だが、流行り始めたものは積極的に取り入れる人たちがアーリーマジョリティです。コストパフォーマンスを重視する層で、最大グループであるレイトマジョリティに影響を与えるのでブリッジピープルとも呼ばれます。

新製品に関しては懐疑的で、周りを見ながら採用を決める人たちをレイトマジョリティと呼びます。追随者ですね。彼らが採用する時は製品は既に成熟期に入っています。フォロワーとも呼ばれます。

最後に来るのがラガードと呼ばれる最も保守的な人たちです。流行や世の中の動きに関心が薄い人で、古いものを好みます。イノベーションが伝統になるまで採用をしない人たちです。

面白い理論とは思いますが、本当にこんなにきれいに分けられるのだろうか、が本心です。検証もできないし、きれいな正規分布になっているのもできすぎですね。ただほとんどの製品が最初の16%の段階で息絶えてしまうので、そこをキャズムの溝と呼んだり、成功するためには大きなアーリーマジョリティをとらえることが必須であり、そのためには影響力のあるアーリーアダプターへの対応が重要だという点は納得できますね。


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どのマーケティングの入門書にも出てくるものにプロダクトライフサイクル理論があります。R・バーノンが提唱した工業製品にも人間の生涯と同様に誕生から成長を経て成熟に至るサイクルがあるとする理論を転用し、製品の一生を導入期、成長期、成熟期、衰退期の4期に分け各ステージの製品特徴や施策をまとめたものです。
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どんな製品でも永遠に成長し続けることはできません。いつかは寿命がきます。発売され市場に浸透していく導入期。新しい顧客を獲得しながら成長していく成長期。ピークを過ぎ成長が緩やかに下がっていく成熟期。代替品の出現などで市場の縮小が始まりサポートも打ち切られる衰退期では一部の大手を除き撤退がはじまります。多くの製品が経験する栄枯盛衰です。各ステージでの製品特徴や企業がとるべき手をまとめると次のようになります。


導入期
まだ新製品であるため認知率は低く需要も高くないので、製品だけでなくカテゴリーの拡大を狙い、どのような製品なのか、使うとどんなベネフィットがあるかなどの啓蒙活動に重点を置きつつ製品の認知を高める。生産設備や販促・広告に資金が必要で利益が出ることはほぼない。

成長期
認知も売り上げも上昇するが、競合の参入も多くなり競争が激化する。消費者ニーズも多様化するため差別化のための製品改良も必要となる。販売増による製造コストの削減が可能になるが、継続した販促・広告は必要である。マーケティング活動は製品特徴や対競合差別化点を強調しながらブランド力を高め、市場に浸透することを狙う。

成熟期
市場の成長は鈍化し、売り上げと利益は頭打ちとなる。競争はさらに激しくなり、価格競争が始まる。広告や販促の対売上比率は下がるが、この時期は競合との差別化を図りつつブランドロイヤルティとマーケットシェアの維持に注力する。同時に再活性化やリポジショニングの可能性を探ったり、弱小ブランドは生き残りをかけて特定ターゲットを狙ったニッチ戦略へのシフトも考える。

衰退期
製品やカテゴリーの陳腐化が始まり、市場の縮小が始まる。値引き競争が激しくなり売りも利益も低下し、撤退する競合が増加する。投資を抑えながらの既存顧客の維持が主な戦略となる。ブランドの残存価値を他の製品に転用できないかを考える、もしくは撤退の時期を考慮する。

しかしすべての製品がこの道を通るわけではありません。成長期の前で撤退を余儀なくされる製品もあれば、導入直後から爆発的ヒットとなる製品もあります。製品カテゴリーのユニークさ、競合や市場の予期せぬ変化、日々の生活での必要度、技術の革新性などにより計画したようには進まないのがマーケティングの面白さでもあります。

昔「ライフサイクル理論は信用しない!」と言っていた上司がいました。売りと利益が下がった言い訳やA&Pの増額にこの理論を援用する部下がいたのでしょう。たしかにリステリン(1879年発売)やコカ・コーラ(1886年発売)のように100年以上もオリジナル製品に手を加えずブランドの歴史を保っている製品も存在します。ピークを迎えた後に大容量ボトル、新フレーバーの追加、甘味料の変更、ゼロカロリー、広告コピーの変更などを絶え間なく実行して延命を図っているのですね。ライフサイクル理論はあくまで一つの判断基準として参考程度に利用するために頭の片隅に入れておいた方がよいのかもしれません。

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多くの会社にマーケティング部門があり、プロダクトマネジャー制を採用している会社が多く存在します。1931年にP&G社のMcElroyが書いた800語のBrand Manに端を発して始まった一人のマネジャーが製品の開発から販売までを担当するシステムは、効率化と業績向上を求める企業に受け入れられ、瞬く間に全米に、そして世界に広まりました。
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それまで独立した各部門が実行していた一連の仕事を一人のプロマネで可能にしたのには次のような背景がありました。

1. 製品やサービスは消費者のニーズに合わせるもので、消費者を製品に合わせるのではないというマーケティング概念が組織中に浸透した。
2. 技術の革新が類似した商品を誕生させ、対競合製品や自社内での他製品との差別化の重要性、ブランディングの必要性が増大した。
3. マスメディアとセルフサービス業態であるスーパーマーケットチェーンの隆盛により、配荷や広告など一人のプロマネで実行管理できる領域が広がった。
4. 企業が複雑かつ巨大化し、トップマネジメントが個々の製品や市場を把握することが困難となり、プロマネへの権限の委譲が必要となった。
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当然のことながらプロマネ制には利点もあれば欠点もあります。利点としては、

1. 担当製品の集中管理が可能となり、問題の早期発見や機会損失の回避が可能となる。
2. トップマネジメントの決断やプライオリティ付けを容易にする。
3. 社内の全部門と係るため将来の上級幹部となるための絶好のトレーニングとなる。

逆に欠点としては、

1. 担当製品にしか関心を持たず、全社的な視野を欠く恐れがある。
2. 他部門に対して指示的になったり、優越感を持つことがある。
3. 年齢が若く実務経験も浅いことが多く、サポート部門が抱える問題に無頓着になりやすい。

アメリカではプロマネはMBAを取る前や取ったばかりの20代の若者がほとんどです。日本でも外資ではアメリカ帰りのMBA、日本企業では営業出身者が多いようです。自分の裁量で製品の設計、販促や広告計画などを決められる一方、予定どうりに販売や利益が達成できなかった場合は社内で居心地が悪くなることもあります。外資3社でプロマネを経験した実感は「世の中で一番面白い仕事」、「責任は重く権限は少ない」です。


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マーケティングという言葉は昔からあったようですが、現在使われる近代「マーケティング」は1908年にフォードモータースがT型フォードを発売したときに始まったとされます。まだ100年強の歴史しかないのですね。
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フォードはそれまで自動車会社の熟練工たちが一人で組み立てていた工程を分業化し、ベルトコンベアを使用して流れ作業を可能にしました。これによって大量生産が可能になり、同時に価格も大幅に下がりました。当時競合会社が2000ドルで売っていた車を850ドルという圧倒的な価格差を持つ設定で一気に優位性を確保しました。平均年収が600ドルの時代ですから魅力的な価格でした。T型フォードは累積1500万台を売り上げ、販売が伸びるにつれ1925年には300ドルまで価格を下げることに成功しました。

コトラーのマーケティング1.0で示された少品種の大量生産・大量販売の典型例です。「売れるものを作る」ではなく「作ったものを売る」の時代です。当然大量生産システムには副作用もありました。単純労働になったため熟練労働者が不要になり離職率が上がり、生産ラインを止めないために単純作業を繰り返す工員の肉体的、精神的な負担は相当なものだったはずです。チャップリンの「モダンタイムス」を思い出しますね。

一方我が国のマーケティングはそれから50年ほど遅れて始まりました。1955年に日本生産性本部の斡旋で当時東芝の社長だった石坂泰三を団長とするトップマネジメント視察団が訪米し、多くの業界団体や企業を見学し、帰国後に「これからの日本にはマーケティングが必要である」と発表しました。翌年にはマーケティング視察団を派遣し、その結果を翌年に「マーケティング原理と事例」という本にまとめて日本生産性本部から発刊されました。

戦後から復興しつつあった日本は生産性向上が実を結びつつあったのですが、生産した大量の製品を消化させるためのマーケティングは日本経済に必須だったのです。1957年には日本マーケティング協会が設立され企業によるマーケティング活動への取り組みが始まり、「マーケティング原理と事例」の執筆陣であった東大、横浜国大、早稲田、明治などでマーケティングの講義が始まりました。ここで学んだ学生が卒業後企業に入り、マーケティングを実務で実践することでマーケティングは生きた学問となりその後の高度成長に貢献できる要素のひとつとなりました。


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先日地域のゴルフコンペがあり表彰式の時に次回から連絡はLINEにしようと幹事から提案があった。約30人のグループでLINEをしていないのはたった一人だけだった。彼は周りの助けを得ながらその場でLINE登録をした。平均年齢が60代半ばの集団でもこの浸透度だからLINE恐るべし。

そういう私も友人や離れた家族とはLINEで連絡するし、学生時代の同窓生との連絡や打ち合わせはLINEとZOOM会議がほとんどでメールの使用はめっきり減ってしまった。モビルス(株)が最近発表した調査によると20歳以上の男女の77%が普段LINEを使っていて断トツのNo.1のSNSである。ちなみに2位のYouTubeが67%、3位のTwitterが50%、4位のInstagramが43%だ。驚くべきは60代の85%、70代の75%がLINEを使っていることだ。
2023-05-30 (1)
20~50代でもLINEの使用率は高いので高齢者だけに強いFacebookのようにはならないとは思うが、それでも60代の85%は驚きだ。高齢者は携帯電話と固定電話の使用率も断トツに高い。シニア層では通話定額サービスなどを利用しての予約や問い合わせに音声による連絡手段がいまだ主流であるのに対し、若年層ではLINE電話など非通信業者の利用率が高いのと、20代、30代では固定だけでなく携帯での音声通話を利用しない人が30%も存在する。確かに街で若い人が電話しているのをあまり見ない。たいていは黙々とLINEでメッセージを打っている。非音声コミュニケーションが中心になっているのだろうか。

LINEがメールにとって代わり、若い人の間では電話の代わりになった(かつ無料だ)。LINEは日本独自のSNSだが友人やグループ間でのコミュニケーション以外にどういう使われ方をしているのだろうか。考えられるのは情報収集やクーポン・割引情報のための利用だ。ユーザーの85%はいくつかの企業や組織の公式アカウントに登録している。平均で10くらいだろうか。
2023-06-01
登録が多いのはショッピング(64%)、メーカー(48%)、飲食店(41%)などだが、シニア層では行政・自治体や医療機関も上位に来ている。数えてみたら私も18の公式アカウントに登録していた。最近は多くのセールスキャンペーンがLINE上で実施されているし、LINE経由でしか配布されない情報や購入できない特売商品が増えているような気がする。
2023-06-01 (2)
同調査によると、LINEの公式アカウントに最も求められているのはクーポンや割引情報だ。二番目がサービスの最新情報。高齢者間では不明点の問い合わせの需要も多い。今のLINEは折り込みチラシやコールセンターの役割を担っているようにも見える。この点がLINEが浸透した理由かもしれない。私のような後期高齢者でもドラッグストアに行く前にクーポンを確認し、店頭でスマホの画面を提示して1割前後の割引で買うのは日常になってしまった。LINE恐るべし。


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私のブログの自己紹介には「外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人」と書いてあります。広告業、菓子(ガム・キャンディ)、清涼飲料水、OTC(大衆薬)、医療用医薬品業界で働きました。こう並べてみても他が全部消費財分野なので医療用医薬品だけが異質な感じがします。ブランド広告が打てない、プロモーション規制などの制約が多い業界なのです。

今思うと間違えて入ってしまった会社に近いのかもしれません。転職での間違いは二種類あるように思います。会社を間違えることと業界を間違えることです。会社の間違いはカルチャー、意思決定方法、上司などに入社した後に驚くことですが、この医療用医薬品会社への転職は後者だと思います。ずっとマーケティングで食べていましたしOTC(風邪薬)の経験もあったので医療用医薬品でもなんとかなるだろうと考えていました。入社時の職種が調査とマーケティングサービスだったのもそう考えた理由の一つでした。数年後に製品チームに配属替えになり抗癌剤チームを任された時から地獄の毎日になりました。チームの雰囲気は良かったものの病理や薬理が分からないと仕事についていけません。外資でしたからそれらに関する用語を日本語と英語の両方で覚えなければならないのも大変でした。
2023-04-27 (2)
入社時には消費財で培ったブランディング知識を医療用医薬品で活かしてくれとの上司からの要望でした。しかし外資は上が変わると組織や人事がいっぺんに変わります。次の上司の私への最初の一言は忘れもしない「なぜおまえはここにいるのか?」でした。消費財しか経験のない人間が抗癌剤の管理業務を遂行できるのかを全く信じていない発言でした。ま、実際にできていなかったのですが。

医療用医薬品会社のマーケティング担当はほぼ全員営業出身者です。実績を上げた営業部員が本社に回されます。製品や顧客のことを知っているのでなんとか格好は付けられます。ただマーケティング実務の経験に欠けるのと、外資の場合は英語を使わなくてはならないので大抵は最初に苦労します。なんとか慣れて形ができてくるとこれがマーケティングだと誤解します。それでも業界的には広告が打てず、学会やコンベンション、説明会などのプロモーションが中心なのでなんとかなるのです。上にもマーケティングに精通した人がいないので本当のマーケターがどの会社でも少ないと考えられます。

この背景には商品の特性があると思います。入社して一番驚いたのが会社のインシュリンやパーキンソン薬などの主要製品のほとんどが死ぬまで使い続けねばならない製品でした。それまでは今日のユーザーが明日は飲んだり食べたりしない確率が高い飲料や食品の仕事だったので、一度顧客を掴まえたら死ぬまで毎日使ってもらえる業界があるなどとは考えてもいませんでした。生命にかかわるのでブランドスイッチも限定されます。価格も国が薬価を決めるので価格競争もない。それに原価もとんでもなく低い(開発には時間と金がすごくかかるが)。

ブランドイメージなどで売りが影響される消費財と違って、エビデンスがないとドクターに使ってもらえない商品なので効能効果が最重要項目です。開発部門のひとが放った言葉が忘れられません。「この薬でなければ患者の命が救えないとなったらどの先生もうちの薬を使わざるを得ない。となると営業もマーケも無くても売れるよね」。そんな薬だけではないのですがそのプライドに驚愕させられました。

なんとか生き永らえ、ヘッドハンターからも消費財から医療用医薬品に転職して生き延びているのはあなただけだと言われましたが数年が限界でした。またOTC業界に戻って私のサラリーマン人生は終わりました。辞めると伝えたとき「なぜおまえはここにいる」と言った上司が、「なぜ辞める。もう少し我慢できないのか」と言ったことだけが慰めでしたね。



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40代半ばの時に上司から海外赴任の打診を受けた。マーケティング部員の多くがアメリカの大学やビジネススクール出身者で、外資系企業で幹部候補生になるためには海外経験が必須と考えたのだろうと思う。当時私はアメリカ本土に行ったことすらなかった。最初の提案はマーケティングディレクターのポジションでタイのバンコック勤務だった。家に帰って家内に話すと「一人で行ってください」とつれない反応だった。上司に話すと単身ではなく家族で行った方がいい、広い一軒家でプールもあるしメイドも何人か付くと再度説得されたが、家内を説得できなかった。

数か月後にカナダ勤務の話が来た。上司本人も米国本社勤務の経験があり、世界中から人を集め少しギスギスしたアメリカ本社より、忍耐強い国民性のカナダの方がよいだろうとの判断だった。新婚旅行でカナダに行ったことがあったので今度は家内も簡単にOKを出した。その後カナダの人事の人が面接に来たり、事前に夫婦でトロントを訪れ秘書の助けを得て住居や現地の学校を決めたり急に忙しくなった。帰国して娘の中学の休学手続きやベルリッツでの英語特訓を受けさせたりしたあと、親子3人でトロントに旅立った。初の海外勤務にしては歳をとりすぎているし英語が得意でないので不安だったが社長の「お前はTechnical Competenceがあるから大丈夫だ」の一言を信じての決断だった。
2023-04-21 (1)
カナダではDentyneというガム(日本でもニッキ味のガムとして知られていた)のプロマネのポジションでアシスタントが一人ついた。実務は彼がほとんど仕切っていたのでお飾りのような上司だったが、十数人のマーケティング部員のほとんどが20代でマーケティングの経験に乏しかったのでコーチのような立場だった。当然英語では苦労した。1対1で話すときはゆっくり話してくれるが、会議で議論が白熱すると耳がついていかず会議中に同時に2か所で話が始まると(これがまたよく起こるのだ)もうお手上げだった。菓子部門は200人くらいの規模だったが全員の顔と名前を一致させるのに苦労した。ファーストネームと苗字の両方覚えなければならないからだ。
Dentyne
3か月くらいたった時に上司の女性が突然米国本社勤務となり、代わりに私がカテゴリーマネジャーになってしまった。Dentyneの他にTrident、Bubblicious、Cinnaburst、Chicletsなどの製品群でカナダのチューインガム市場の6割を持ち、世界でも数少ない世界一のリグレー社を上まわるシェアを誇る部門だ。当然なぜ自分のボスが日本人なのだという不満が出たらしい。上司のディレクターがカナダにとってPacific Rimは重要な地域で将来転職するときに日本人のボスの下で働いた経験は有利になる、と説得したとのことだ。以降他の部署との会議が増え、採用のために名門クィーンズ大学やWオンタリオ大学に人寄せパンダで(東洋人でもこのポジションに就ける!の意)出かけたりした。

カナダはアメリカ以上の多国籍人種国で、娘の高校のクラスには25の国籍があったし、会社にも北米、中米、アジアなど人種の坩堝だった。こういう事情を反映してか広告で大勢の人数が出るときはカナダの母集団に近い人種構成にしなくてはいけなかったし、社員の構成も同様だった。採用担当が「政府の要請にこたえるためにはイヌイットが一人足りないんだ。一人営業用に採用しに行かなくちゃならない」と言ったときは少し驚いた。

毎日英語疲れでぐったりして帰り、時にはスーツのままでベッドに倒れこんだりした。最初の頃は毎晩深夜まで予習していて苦労したはずの娘はだんだんカナダに慣れ、「この国のほうが授業が面白い」と言い出した。暗記するのではなく自分の頭で考えたことを皆の前で発表し、質問や議論が始まる。MBAのケーススタディのようなことを子供のころからやっているのだから日本人は敵わないだろうと思う。日本人は彼女一人の高校では香港からの移民グループに溶け込んでたくましくなった。家内も日本ではできなかった楽器の個人レッスンやトロント大学での聴講などしっかり街に馴染んだ。任期を終えて私は帰国したがその後家内は7年、娘は10年をカナダで過ごすことになった。仕送りだけが私の仕事になった。



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菓子を扱う会社のマーケティング部に転職してプロダクトマネジャーとして最初に担当したのが発売されて間もないホールズというキャンディだった。その前に働いていた広告代理店でヴィックスの仕事もしていたので知らない領域ではなかったが、代理店とメーカーでは仕事の範囲が大きく異なる。代理店でメディアや調査は経験したが広告制作は未経験だったし、製品の企画や開発はメーカーでなければタッチできない。ちょっと不安だった。

数か月後に次のクリエイティブを作ることになった。外資系ではテレビ広告は世界中で用いられているフォーマットにのっとることが多く、当時スペインやメキシコで使われていた、空気のきれいではない場所でせき込む、ホールズをなめる、のどと気分が軽快になって空中に舞い上がって海岸や花畑などに着陸する、という流れだった。海外でも10年以上使われているパターンで本社もこれをなぞることを強く要請する。他の国の成功例を踏襲できるのは外資の強みでもあるのだが、その国の独自性を無視することもある。
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そもそもホールズの導入自体がそれに近かった。米国人社長が発売を勧め社員が舐めてみたが不味い。飴は甘くておいしいのが普通で、こんなおいしくない飴は売れないと皆が言った。消費者テストの結果もそれを裏付けた。それでも社長はテスト販売をしろと命じ、山梨でのテストマーケティングが始まった。1年間を予定したテスト販売は計画をはるかに上回る実績を示し、テストは短縮され即販売エリアが拡大され短期間でトップブランドに躍り出た。その時社長はこう言った。「日本人の嗜好は独特だから他国で売れたからといって売れるとは限らない、と皆が言った。どこの国に行っても同じようなことを言われたが、他の国で成功を収めたのにはそれなりの理由があるからだ。結局売って見なければ分からないということだよ」。

そんな背景があったので広告に関しても本社の要望を断ることは困難だった。ホールズの広告は新発売時の高速道路の料金所から始まり、会議室や駅のホームなど当時はたばこの煙まみれだった場所に変わりながら、同じ流れが維持された。同じパターンで制作していると空中に舞い上がるシーンが有名になって、「ああ、あの飛び上がる広告の商品ね」と記憶されるようになった。
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ワンパターン広告の大量投下で事業部最大の製品となったが、もともとは英国のコフドロップが前身である。アメリカでも医薬品として売られているので本社は効果を前面に出した表現を求め、こちらは薬事法で効果表現には制約があると答える。製品情報が広告の中心となる米国と、視聴者が広告にエンターテインメント性を求める我が国との違いの狭間でゆらゆらしているうちに、数種ののど飴が発売されホールズは勢いを失った。「のどスッキリ」表現よりも「健康のど飴」のネーミングの方が訴求力が強いのだ。この時はやられた!と感じた。
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今ではコンビニで売られているキャンディの三分の一くらいが「のど飴」を謳っている。ホールズのど飴を販売したこともあったがヒットはしなかった。FMCG(Fast Moving Consumer Goods)とはよく言ったもので消費財の怖さを経験させられた製品でもあった。




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子供のころから広告が好きだった (31)

わが家には電気洗濯機が発売されて間もないころに攪拌式の洗濯機があった。母親はそれまでの洗濯板と固形石鹸の洗濯の重労働から解放された。合成洗剤など存在しない時代だったので洗濯機に使っていたのは粉せっけんだった。大きな箱の粉せっけんを買ってきてそれをバケツに移し替えて使っていた。

日本初の合成洗剤は第一工業製薬のモノゲンで誕生は1937年だ。1964年に改良されて名前もモノゲンユニになり洗濯機が普及しつつあった一般家庭に浸透した。このころの第一工業は他にもナンバーワンやアルコなどの洗剤も販売していた。うっすら憶えている広告がある。アヒルのような鳥のキャラクターだったと思うが、アニメーションのCMだった。
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明日は楽しい日曜日 雨が降らなきゃいい天気 アルコ慌ててお洗濯 (一部失念)泡だらけ 泡だらけ モノゲンで泡だらけ

記憶だけで書いているが、メロディとアルコ鳥が忙し気に洗濯をして干している絵を鮮明に覚えている。しかしわが家でモノゲンを使っていた記憶はない。記憶にあるのは花王のワンダフルとニュービーズだ。当時の洗剤はみんな結構大きな箱入りだった。重さも4‐5キロはあっただろう。箱の上には取っ手が付いていて買った後はぶら下げて持ち帰った。一回の使用量もコップ一杯くらいだったと思う。
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ニュービーズの広告はたいてい母親と娘の洗濯か取り込みシーンがあり、最後に洗濯物の匂いを嗅ぎながら「白さと香りのニュービ~ズ」で終わっていた。一方ワンダフルは子供が汚した服をきれいに洗いあげて、水でもきれいに落ちる「低温パワーのワンダフル」のコピーを強調していた。ワンダフルは白さを訴えていた時期もあるが、1973年に発売されたP&Gの全温度チアーが「水でも お湯でも ぬるま湯でも」のコピーで1977年にシェアを二桁台に乗せたことに対する対抗策でもあった。そのワンダフルも1979年に11.9%のシェアを獲得した後は同社のザブやニュービーズに押されて80年代後半に終売となった。下の写真は当時のワンダフルのCMから。箱の大きさがすごい。
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それ以前の洗剤の広告ではなんといっても「金銀パールプレゼント」キャンペーンで有名なライオン油脂のブルーダイヤだ。「うれしい白ですブルーダイヤ」の直後に挿入された金銀パールプレゼントのサウンドロゴは今でも覚えている。洗濯や洗剤に興味などなかった子供が記憶しているくらいだから相当量の広告を投下したのだろう。このキャンペーンが始まった1966年3月には競合であるモノゲンも「金の指輪プレゼント」を牟田悌三、大村崑を使ったCMで流していたのだがこちらは全く記憶に残っていない。広告量の問題か、サウンドロゴの問題かどうかは今となっては分からない。
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専業主夫になって15年。毎日台所に立つ。台所で毎日使うものの一つがサランラップだ。ブロッコリーを水にくぐらせた後ラップに包んでチンしてサラダに加えるのと、残った食材を保存するときに使う。他のラップも何種類か使ったが、サランラップに勝るものはなかった。保存性が高いし、カットしやすく、しなやかなのに強度もある。冗談だとは思うが「アルミホイールはどのメーカーでも構わんが、ラップはサランラップしか使うな」と遺言を残したという話を昔読んだことがある。
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サランラップの品質は抜きんでている。しかし圧倒的なリーディングブランドのサランラップは日本最初のラップではない。呉羽化学がクレラップを市場導入した二か月後に発売された。二番手商品である。かつサランラップはもともとアメリカのダウ・ケミカルが軍事用に開発したもので、登録商標も日本ではダウ・ケミカルと旭化成の共有である。ちなみにブランド名は食品用ラップとして販売された時の開発者二人の妻の名前であるサラ(Sarah)とアン(Ann)から由来している。

サランラップの発売は昭和36年8月だった。大卒の初任給が1万2千円の時代に7メートル巻き(現在は主に20メートル)で100円の高価格だったので苦戦が続き、浸透するまで5年かかった。追い風となったのは電気冷蔵庫の普及である。発売時には1割に届かなかった冷蔵庫の普及率は昭和43年には8割を超えた。便利なゆえに何でも冷蔵庫に放り込んでいた主婦は庫内が意外に乾燥していることに気づく。新発売時の広告コピーは「夏だ。スイカだ。サランラップだ。」だったが、「おいしさを保てる」から「みずみずしさを保てる」に路線変更して主婦に訴えた。旭化成が単独提供していたフジテレビの人気番組「スター千一夜」でのCM投入も浸透を後押しした。

同時に、揺籃期であったスーパーマーケットへのアプローチもサランラップの伸長に勢いをつけた。スーパーで生鮮品がサランラップでくるまれて売られるようになり、主婦はラップの便利さに目覚めた。当然スーパーでの販売増を生み、デパートや雑貨店が販路の中心だったクレラップを一気に追い抜いた。

最近では冷蔵庫・冷凍庫での保存だけでなく、電子レンジを使うときや、おにぎりを握るときにも必須のものとなり、その存在感は増すばかりだ。



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風邪を引いたらしく鼻水が止まらない。家内に風邪薬はないかと聞いたら二種類持っていた。普段はパブロンを飲んでいるはずだが、持っていたのは知らないブランドだった。近所の薬局で勧められたらしい。推奨販売というやつだ。
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別にこの小林薬品の製品がどうのではないが、推奨販売で思い出した。チェーン店やスーパーが無かった頃は推奨販売は一般的だった。近所のよろずやや個人商店に買い物に行くとおばさんがいて、「子供のズック靴を洗いたいんだけど」と聞けば、「だったらこれがいいよ」と勧めてくれた。魚屋や八百屋でもお勧めを聞くと「今日はこれが安くておいしいよ」とよく言われたものだ。

今はスーパーやコンビニで「おしゃれ着洗いにはどの洗剤がお勧めですか」と聞いても店員さんは多分答えられない。その代わりに製品情報を流しているのが広告である。客は入店する前から、今日はセーターを洗うからアクロンを買おうと思って入ってくる。コンビニには約3000種の商品が売られている。店の人が全部の製品を憶えることすら不可能で製品特徴などなおさらである。製品情報はテレビや雑誌から得られていて、これをマーケティングではプリセリング(事前販売)と呼ばれる。

逆の言い方をすると、スーパーやコンビニなどのセルフサービス店はテレビや新聞などのマス広告が一般的になって初めて可能となった業態なのである。マスメディアによるプリセリングなしでは成り立たない。プリセリングがあるので店員さんに聞くことなく棚から製品をピックアップしてカゴに入れられる。もうひとつ必要なものはブランドである。他の製品と棚で区別するために必須である。つまりセルフ店が存在するためには広告とブランドがマストだ。

このような状況の中で推奨販売が残されている数少ない販路が薬局である(他にもワインショップや化粧品店などにも推奨販売が残っている)。素人が製品差を判別しにくい商材を扱うチャネルだ。家内が薬屋で症状を説明し、薬剤師が勧めたものを買ったパターンですね。薬屋に行って症状を伝えると多くの場合トップブランドでないものを勧められる。これはほとんど成分が同じだが小売店がマージンが大きいものを売りたがるためだ。利益額が倍くらい違うこともある。かつて医薬品や化粧品が定価で売られていた再販価格対象品のときはもっとえげつなかった。

大手のメーカーは推奨されるようなインセンティブを付けたり、推奨が期待できない場合は(マージンが薄い)指名買いを増やすために広告を用いる。昔担当していたコンタックやバファリンは指名買い率が70%くらいだった。これも一種のプリセリングなのだが、薬局で「バファリンください」というと「ほぼ同じ成分で値段の安いのがありますがどうします?」とバッサミンとかバッサリンを勧められることが時々あった。なんだかパッケージも似ていたなあ。
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ネットの時代と言われて久しい。老人はネットも利用するが使う範囲が限られていて、いまだにテレビがメディア接触の中で最も長い。博報堂の2022年データでも60代の男性は毎日2時間14分、女性は2時間37分テレビを見ている。4媒体にPCやスマホなどを加えたメディア接触時間の約半分がテレビに費やされている。最も安価な娯楽、手っ取り早い暇つぶしの代表格テレビの面目躍如である。(ここでも70才代は無視されているが今は文句は言わない)2022-08-24
日本人の平均メディア接触時間は451分で15年前より33%、1時間10分も伸びている。今週電通が2022年の総広告費を発表したが、7兆1千億円を超え史上最高額となった。かつて2007年に一度だけ7兆越えをしたがその後リーマンショックで激減し、回復しかけたらコロナでまた大きく下がった。史上最高とはいえ15年かけてやっと2007年レベルに戻ったということだ。その15年間でメディア接触時間が33%も伸びているにもかかわらずだ。広告は景気に敏感だからこれを見るだけでも日本経済の最近の不振ぶりが分かる。
2023-02-26 (3)
市場規模は回復したのだが、中身は15年前と大きく異なっている。15年前は市場の1割にも及ばなかったインターネット広告が、一昨年マス4媒体(TV、ラジオ、新聞、雑誌)を初めて抜き、昨年は14%伸長してその差をさらに拡げた。構成比で43.5対33.8と約10ポイントの差をつけている。一方の伝統メディアはラジオは対前年比で+2%伸びたが、新聞が‐3%、雑誌が‐7%と減少し、マス4媒体の75%を占めるTVが‐2%と縮んだことが差を拡げられた原因だ。老人はテレビ中心だが若者はスマホ中心でテレビ離れが顕著である。
2023-02-26 (1)
新卒で広告代理店で働き始めたとき広告費はGDP(当時はGNPを使っていたが)の1%だった。同様に1%だったものに防衛費とパチンコ産業があった。50年前は同じ規模だったが防衛費は6兆1千億円(2021年度)、広告費は7兆1千億円と伸び、GDP比1.1%と1.3%となっている。伸びているというのは正確ではないかも知れない。GDPが伸び悩んでいるが正解かも。その一方でパチンコ産業は衰退傾向とは言え14兆6千億円(2022年)と増加しGDP比でも2.6%まで上昇している。IT化とパチスロという新カテゴリーが加わったことも大きいが、広告だって日本経済が成長していれば50年間でこのくらい伸びていてもおかしくはないのだけれど。

インターネットは情報収集や調べ物には至極便利なのだが、広告が勝手に飛び込んできてうるさい(特にリスティング広告)。昔テレビはInvasive Media(勝手に広告が侵入してくるメディア)と言われたが、YouTubeやゲームでも冒頭部や途中で広告に中断されてイラっとさせられる。個人情報も勝手に収集されているようで気分もよくない。ま、先の短い老人の情報を抜いても使い道は老人ホームか墓地か葬儀場くらいなんだけどね。



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以前にも書いたことがあるのだが、ここにきてフェイスブックの凋落ぶりが酷い。実使用者数を表すアクティブユーザーは2015年をピークに下がっているし、ユニークユーザー(重複を除いたユーザー数)も下がり続けている。昨年2022年のUUランキングでは辛うじてアプリのベスト10に入っているが、前年比でマイナスなのはフェイスブックだけである。三年連続でマイナスということはいまだに縮み続けているということだ。年齢別にみると60代では二年連続で二けた成長だが、20代では三年続けて15%減少だ。
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フェイスブックはSNSの中でも老人率が最も高いと言われているが、マクロミルが毎年新成人に対して行っている調査でもその弱体化は目を覆いたくなるほどである。10年前はLINEやTwitterと並んでいたのが既にインスタや新興のTikTokにも抜かれてしまった。新成人の使用率は1割を切っている。もうフェイスブックは中高年と老人のためのSNSと呼んでもいいくらいだ。その老人も最近はインスタ慣れが始まり、長文を書かなくても写真でコミュニケーションがとれるインスタが重宝されている。この頃のスマホのカメラ機能はすごく進歩しているしね。このままではフェイスブックはMIXIのようになることだってありうるかもしれない。
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それにしてもLINEの伸長はすごい。日本特有なのだろうが最近はグループ仲間の連絡はほとんどLINEで行われている。私もゴルフ仲間や学生時代の知人とはLINEでコミュニケーションをとる。遠くに住んでいる家族や親戚、友人との連絡もLINEだ。無料で電話もできるし。

フェイスブックと同じMetaグループのインスタも便利ではあるが、高齢者の一人としてはフェイスブックにもうちょっと頑張ってもらいたい。十数年使っていて使い慣れているし、いくつかのグループの管理人もしている。生存確認にも使えるし、訃報を告知・シェアするのにも重宝だ。ここ何年かで知人の逝去の報に接したが、その内の4人はフェイスブック経由だった。(いまだにその4人が友達リストに残っているのを見るのは辛いけど)

SNSの浸透ぶりはすごいなと思っていたらマクロミルの萩原さんが日経の郵送調査をまとめてくれていた。最近の調査はネット調査がほとんどなのでSNSへの関心度や利用度が高く出るのは当然でバイアスありと考えた方がよい(当然郵送調査にもバイアスはあるが)。日経の読者層は年齢が高そうなので単純には比較できないかもしれないが、LINEの利用率が66%でインスタが37%は妥当な数字のように見える。フェイスブックは31%だが「利用したことがある」が25%と他のSNSと比べて高く、ライトユーザーや過去ユーザーが多いように思われる。327058315_727663208723214_6500917639380833664_n
一般的にライトユーザーや過去ユーザーが多い製品やサービスはブランド力が弱い、または峠を過ぎたと考えられる。数字だけを見ているとフェイスブックはそれに当てはまるような気がする。コロナ禍で自宅にとどまる時間が増えたシニア層がアプリ利用に目覚めて老人の利用は増えているが、若者の参入ができていないので長期的には衰退だろう。少子化対策同様の「異次元の若年層取り込み対策」でもしない限り衰退の一途をたどりそうだ。



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昔ドロップは筒状(穴あきドロップ)か缶入りしかなかったように思う。筒状の物は湿気でくっついて棒状になったし、缶入りは開けるのに苦労した。今でも時々無性に舐めたくなるのがこのドロップ。思わずレジ横の棚に手を伸ばしてしまう。果汁入りとは書いてあるが果汁感はあまりない。口に入れてしばらくすると割れるのは砂糖より安い水飴の含有量が多いからだろう。近所のスーパーでは100円強で売られているのだが、利益は出るのだろうか。ま、ドロップそのものは缶の半分くらいしか入っていないが…

缶入りは佐久間製菓のサクマ式ドロップスとサクマ製菓のサクマドロップスとがあり、今回衝動買いしたのは後者の製品。そんなに差はない。もともと池袋にあった佐久間製菓がサクマ式ドロップスを製造販売していたが戦争中に倒産し、戦後元番頭だった人が再建した佐久間製菓と、同じころ元社長の息子が渋谷に起こしたサクマ製菓の二社だから製品が類似していても当然かもしれない。同じような缶に入っているが色が異なる。佐久間製菓が赤が基調でサクマ製菓は緑が基調。佐久間の缶はこんな感じです。
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当然のことながら商標争いが起き、裁判の結果佐久間製菓がサクマ式ドロップスを名乗り、サクマ製菓は社名を用いたサクマドロップスを使用することで決着がついた。消費者から見るとちょっと紛らわしい。菓子の仕事をしているころ、業界の人はこの二社を池袋佐久間と渋谷サクマとか(略して池サクと渋サク)、漢字の佐久間とカタカナのサクマと呼んで区別していた。野坂昭如原作のアニメ映画「火垂るの墓」で主人公清太が終戦後の8月22日に飢えと病で死んだ妹の節子を自ら火葬し、その骨片を彼女の大好物だったドロップの缶に収めたのは赤い缶の佐久間製菓のサクマ式ドロップ缶だった。

サクマ式ドロップスは戦争中は生産中止だったので、清太が腹巻の中にしまって大切に持っていた節子の骨片を収めたドロップ缶は数年前から持っていたものだと思われる。その清太も一月後に三ノ宮駅で衰弱死してしまうという悲しい話だった。
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甘いものといえばキャラメルかドロップだった時代がありました。もう遠い昔です。先日の報道で佐久間製菓が2023年1月で廃業するというニュースが流れたのでこの記事を加筆再掲しました。原材料の高騰とそれを価格転嫁できなかったことが理由らしいが、寂しいと思うのと同時に戦後をひきずっていたあの懐かしい時代が終わったという感傷に襲われました。あのハッカ味、なつかしいね。

ちなみにニュースが流れた後佐久間製菓のドロップスは品切れが起き、ネットでは数千円で売られています。今日近所のスーパーに行ったらサクマ製菓のサクマドロップスも棚から消えていました。
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浜松には日本を代表する楽器メーカーが2社あります。ヤマハと河合楽器製造所です。ライバル会社であり兄弟会社のようでもあります。サントリーとニッカのような関係でしょうか。

竹鶴政孝が10年働いた寿屋(現サントリー)から独立して自分の考えるウィスキーを作るべく大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を興したように、河合小市はヤマハ風琴製作所(現ヤマハ)に弟子入りし、3年後に打弦響板の開発に成功して日本初のピアノ製造に貢献し、19年勤務の後河合楽器研究所を設立しました。何よりもすごいのは弟子入りしたのがわずか11歳だったこと。いくら天才技術者と呼ばれようがそんな少年にピアノの基幹部分の開発を全面的に任せた山葉寅楠もすごかった。竹鶴がいなかったらサントリーウィスキーはなかったであろうし、小市がいなければヤマハピアノは生まれなかったでしょう。

日本のピアノのシェアはヤマハが6割、河合が4割で推移していると言われるが、企業の規模の差は大きい。ヤマハ(株)の売り上げは約4330億円(ヤマハ発動機分は含まれていない)。一方の河合楽器は約724億円。6倍の差です。ヤマハが世界展開に力を入れ世界一のピアノシェアを誇るのに対し、河合も世界二位のシェアを維持しています。河合の売り上げ720億の中でピアノは570億と8割近くを占めるが、ヤマハのピアノを含めた楽器売り上げは2775憶と6割強でありその中でピアノは2割を占めるに過ぎません。

この事業規模の差は販売方式(ヤマハは特約店、河合は直営店)の差もあるが事業の多角化の差が大きいと思われます。ヤマハはオルガンから始まった楽器製造をピアノ、ハモニカ、シロフォンと拡げ、その後弦楽器や打楽器へと展開しました。音楽教室も全国に設立し、ポプコン開催など底辺の開拓にも力を入れたし、エレクトーンなどの電子楽器の製造も開始した。学校のブラスバンド部の楽器にははたいていヤマハのロゴがついていますよね。その後今は撤退してしまったがテニスラケットやアーチェリーなどのスポーツ用品(ゴルフクラブだけは現存)やリビング事業、リゾート事業まで幅を広げました。一方の河合も音楽教室だけでなく、絵画、英語、体育教室と教育事業に力を入れ、ピアノ材を利用した玩具なども作り、一時はゴルフ場経営までしましたが現在はピアノへの回帰が目立ちます。

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上記はアンゾフの成長マトリクス図ですが、河合が更なる市場浸透、新素材を使ったピアノの新製品開発、海外市場開発に注力するのに対して、ヤマハはそれに加えて多角化を図っているのは明らかです。なんだかウィスキー等の酒類に執着するニッカと、酒類から発し清涼飲料、化粧品、医薬品、健康食品、レストラン事業にまで拡大するサントリーと似ています。現在の日本の人口減少、特に子供人口の減少を考えると国内での専業化は楽観できず多角化企業が有利な気もしますが、コロナ以降の海外市場拡大の困難さを考えるとこの先どうなるかは分かりません。

多角化はすればよいというものでもなく、最近では買収によって子会社を85まで増やしたRIZAPが赤字に苦しんでいるニュースがありましたね。もともとボディメイキング(ダイエット)、英会話、ゴルフスクールなど「三日坊主」になりがちなものを、個室に閉じ込めて専任トレーナが教え、かつスクール外でもスマホでチェックが入るという生徒を追い込むスタイルで成功したのですが、その後無謀と思える事業拡大で多角化に走りました。ジーンズメイト、サンケイリビング、イデアセンター、ぱど等の不振会社を買いまくったけれど「三日坊主」ビジネスで成功したビジネスモデルは通用せず、かつ人材が急拡大に追いつかず経営が行き詰まり外部から経営陣を招かざるを得なくなりました。

ヤマハやサントリーがその轍を踏むとも思えませんが、河合ならピアノ、ニッカならウィスキーという特化した専業メーカーが持つ強固なイメージ付けは持てないかもしれません。個人的にはそうした専業会社や製品を応援したくなります。そういえば昔我が家にあったピアノは河合だったし、娘が子供の頃に買った積木も河合でした。毎晩飲むウィスキーはニッカですし。

ちなみに河合楽器のピアノに記されているK.KAWAIのKは小市のKだそうです。



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記録があるなかで最も暑かった6月が終わりもっと暑いだろうと思われる7月が始まった。先月は地球温暖化を実感させられる暑さだった。6月で最高気温が40度を超えるなんて想像もしなかった。子供の頃住んでいた名古屋の夏も暑かったが、たまに33度になるとみんなが「暑い!」と叫んでいたような気がする。当時の日本の最高気温は1933年に記録された山形の40.8度だと新聞で読んで、33度でもこんなに暑いのに40度を超えたら人間は生きていけるのだろうかと思った。この最高気温記録は70年以上保持されたのだが、最近では毎年のように40度以上が記録されている。

政府は節電要請を発令し、テレビは毎日のようにできる限り外に出るな、熱中症に気を付けろ、クーラーを適切に使用しろ、水分の補給は忘れるなと言っている。老人は食料品の買い出し以外外に出ないし、前年より3割強値上がりした電気代を気にしながらクーラーを回し、冷えたペットボトルのお茶を飲む。それにしてもこの電気料金の上昇はひどいね。
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お茶ばかり飲んでいると飽きるので時々炭酸飲料も飲む。今日は三ツ矢サイダーを久しぶりに買ってきた。昔コーラなどの着色炭酸飲料の売りが下がったときに三ツ矢サイダー、キリンレモン、スプライト、7-UPなど透明飲料のブームがあったし、数年前にも小さなブームはあったが最近は無糖炭酸や強炭酸飲料に押されて影が薄い。適度の炭酸と甘さで老人にはちょうどいいのだけれど。
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三ツ矢サイダーは日本で最も古い清涼飲料だと言われる。1881年に英国人化学者ウィリアム・ガランが平野鉱泉(現在の兵庫県川西市)の水が理想的な鉱泉だと認め、その三年後(1884年)に民間の工場によって製造発売された「三ツ矢平野水」と「三ツ矢タンサン」がルーツとされる。ただ当時の製品は甘味料は入っておらずただの発泡水だった。色も透明ではなく黄色っぽかったという。1907年に帝国鉱泉(株)からサイダーフレーバーエッセンスを加えた「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」が発売され、1968年にはシャンペンの文字が消え現在の「三ツ矢サイダー」となった。製造元も大日本麦酒から朝日麦酒(株)へと変わったが1954年までは平野工場で製造されていた。
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三ツ矢サイダーの前身の「三ツ矢タンサン」が発売された1884年と言えば薬剤師ジョン・ペンバートンがコカコーラを発明した2年前のことだし、ドクターペッパーが発売された1985年の前年だ。1894年のペプシコーラの発売よりも10年も早い。世界最古の炭酸飲料と言われるシュウェップス(1783年創業)には及ばないが、こんな138年の歴史を持つ炭酸飲料が日本にあることを誇りに思いたい。戦後コカコーラが日本で製造販売されると決まったとき、もうサイダーやラムネはお終いだと言われたがどっこい生き残っている。ラムネはコロナでイベントが減り屋台での売りが壊滅的で大変らしいが、三ツ矢サイダーは健在だ。まだまだ頑張ってね。



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もう40年以上朝食には必ずヨーグルトが付いている。新婚旅行でカナダに行った時ホテルの朝食がおいしかった。メニューはパン、コーヒー、グレープフルーツにヨーグルトという今考えればごく普通の献立だったが、一人暮らしが長かったのでロクな朝食を食べていなかった自分にはごちそうに思えた。思わず「おいしい!」と言ったばかりに帰国してから毎朝同じ四品のメニューが出るようになった。最近ではパン、果物やヨーグルトの種類やブランドは時々変わるが基本的には変化はない。飽きずに40数年。
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ヨーグルトは明治、森永、グリコの御三家に時々特売しているローカルブランドのローテーションだが、やっぱり一番多いのは明治のブルガリアヨーグルトかな。

子供の頃ヨーグルトは小さなガラス瓶に入っていて毎朝牛乳屋さんが配達するものだった。本格的なヨーグルトはなくてゼラチンや寒天で固めた甘い製品ばかりだった。そんなにおいしいとも思えずたまに食べたいと思うのはフルーツ味のヨーグルトだった。ブルガリアヨーグルトを食べたのはその十数年後の大学生時代だった。まだ牛乳パック状の容器で開けると蓋ができず一度に全部食べて食事の代わりにしたりもした。

ブルガリアヨーグルト開発のきっかけは1970年の大阪万博というのは有名な話だ。会場のブルガリア館でヨーグルトを試食した明治の社員が感銘を受け開発に着手した。当時の明治乳業もヨーグルトを販売していたが甘くないプレーンヨーグルトを始めて食べて「これが本物の味だ!」と思ったという。分けてもらったサンプルをもとに乳酸菌の菌種選定からスタートし、試作を重ね何度もヨーロッパを訪問して翌1971年に「ブルガリアヨーグルト」を発売しようとしたらブルガリア大使館から待ったがかかる。ヨーグルトは民族の魂のようなものなので日本の民間企業には貸与できないとのこと。仕方なく「明治プレーンヨーグルト」の名前で市場導入をした。予想されたことながら甘いヨーグルトしかない市場で苦戦を強いられ一日に数百個しか売れず、かつ「酸っぱすぎる」「腐っている」「味が変、不良品ではないか」というクレームも相当来たらしい。

しかし本物の商品が浸透しないと日本の市場は成長しないと信じ、そのためにはヨーグルト発祥の地ブルガリアの名前を冠することが必要と考えた明治はプレーンヨーグルトにかける熱い思いを大使館に伝え続け、製造設備や品質管理、流通管理の説明を繰り返して承認を得て1973年12月に「明治ブルガリアヨーグルト」を世に出すことができた。
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その後も売れ行きは芳しくなかったが新聞広告でヨーグルトの食べ方の説明やテレビ広告であの「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴを浸透させ、甘く食べられるように砂糖の小袋を店頭で添付するなどの地道な努力を重ねた。1981年にはそれまでの牛乳パック転用の容器から専用の密閉式パッケージを開発したことで販売量が増加し市場に定着した。
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牛乳パックの時は500㎖、81年の新容器発売時は500g、87年には550gに増量したが95年に500gへ、2009年に450gへ、2018年には400gへと減量が続き添付の砂糖も2014年にカットされた。2018年の減量の時は「明治よ、お前もか!」と落胆した。容器と容量の変更、ミリリットルとグラム表示変更もあってブルガリアヨーグルトのパッケージ変更は20回以上に及ぶ。

それでもトップの位置を守っているのはブルガリアの名を冠したこと、記憶に残る「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴに加え、競合の森永ビフィダスの正方形パッケージやグリコ朝食ヨーグルトの円筒形パッケージと比較すると明治の長方形パッケージは正面の面積が大きく店頭での訴求力が強いことが考えられる。それと相撲ファンにとってはあの少し哀愁を帯びた表情と人のよさそうなブルガリア出身の琴欧州の化粧まわしだろうか。
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外資と日本企業の違いの一つにゼネラリスト志向vsスペシャリスト志向というのがある。日本企業の多く、特に大企業では新卒で入社して以降数年単位でいろんな部署を経験させ、仕事や会社の仕組みを覚えさせ最終的には適任と思われる業務に就かせる。いわるゆゼネラリストを育成してオールラウンドプレイヤーを作る。会社と製品のことは何でも分かるようになるが、この強みはその会社の中だけの強みであることが多く、他社ではすぐには通用しないことも多い。

一方外資系企業はその多くが新入社員の採用をしない、もしくは少数しかとらない。ほとんどが中途採用である。その採用に人事部門が係ることがすこぶる少ない。面接も採用も入社後上司となる数人で行う。採用後はすぐ前任者と同じように働き成果を出すことを期待される。つまり当該業務のスペシャリストとして採用され、他の部門への異動は限られた部門間(企画部門と営業部門など)で見られるだけである。採用時にはエージェントにどんな資質を持った人が必要かを書類にして渡す。こんな感じです(品質管理マネジャーの例)。
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これを読むと医薬品業界に15年以上(その内管理職経験が5年以上)、医薬品の新製品開発と申請及び承認のプロセス経験、グローバル組織やJVと一緒に働いた経験、オピニオンリーダーとの関係構築経験などが必須項目で、その他に薬剤、法規制や製造に関する専門知識、英語能力まで求められたら外資の同業で働いていたスペシャリストしか面接に進めない。当然これで採用されたマネージャーは新組織内で前職と同様の業務をこなし他部署への異動はまずない。上司と気まずい関係になったら次の会社を探すことになる、むろん同業で品質管理の仕事を。

品質管理だけでなくR&D(製品開発)、製造、マーケティング、経理・財務や物流、システムなどの専門知識が必要とされる部門も同様である。当然のことながら日本企業でもこれらの職種は専門職として存在するが、新卒社員かそれに近い社員を一から教育して育成するのが一般的だ。帝大しかなかった頃日本の企業は高等小学校を出たばかりの優秀な若者を大量に採用し社内で教育しはじめた。この社内育成システムが大卒の新卒者にも受け継がれている。育てた人材が早期退職しないように、長く働くほど給料が上がり、多額の退職金が受け取れる年功序列賃金体系とセットになった新卒の一括採用はこうして日本に根付いた。外資は日本企業が金をかけて育てた人材をかっさらっていると言うこともできる。

外資に専門職で中途入社するとあとはその部署で実績を上げて昇進するしかない。Up or Outという言葉があるように上に上がっていくか辞めるかのどちらかになる。ま、じっと首をすくめて我慢という手もあるが。組織が大きくなれば上級職へのチャンスは増えるが、そうでなければボスが昇進するか辞めるかして空席ができない限り上に行く機会は多くはない。空席ができても突然本社の外人が来たり、他の部署から横滑りでポジションを埋められることもある。するとあと2~3年待たなければいけない。外資でも昇進がないと大きな昇給は望めないので外部にそれを求めることになる。スペシャリスト(プロ)として採用された人はその技能でほかの会社でも十分に通用する人がほとんどだ。外資では転職の時に給料を上げないとあとで後悔する、と言う人は多い。




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現在日本には約3300の外資系企業が存在し、55万人の人が働いている。毎年約50社が新規に設立されその倍近い会社が撤退している。第二次大戦後には多くの外資系企業が日本に進出してきた。当時は外資単独では許可されず日本企業との合弁という形だった。その頃の会社で今でも存続している企業はそう多くはない。今までに数千の企業が日本市場から撤退した。撤退の理由はいろいろあろうが大きく分けると次のように考えられる。

その国特有の流通を無視する
他の国での経験(成功体験)を重視し、その国の独自性を軽視する
3年から5年での社長の交代
投下資本の回収を急ぎすぎる
雇用及び賃金面での柔軟性のなさ

分からないでもない。本国では直販で売ってきたから日本の一次卸、二次卸、時には三次卸経由なんて店に並べるまでに時間がかかりすぎるから日本でも直販ルートでとか、この方法でメキシコでは大成功を収めたのだから日本もレベルは大差ないだろうからこれで行こう、などで失敗する。外人社長が5年を過ぎても日本にいると税制面で日本人と同じような扱いになり目減り分を会社が補わなくてはならない(と昔聞いた)からその前に帰ってもらう。かつ新社長はたいてい前社長と違う方法で実績を伸ばして力量を見せようとして全社が混乱する。その上社長が変わるたびに部下は日本のビジネスを一から説明せねばならないし、全得意先に紹介しなくてはならない。トップも任期が長くないことを知っているので成果を早く出そうとする。一方競合の日本企業は、儲けは後からついてくる、まずは基盤づくりからのスタンスでやるので外資に長期的な勝ち目が薄いことが多い。自信満々で日本に進出したので誇りある自社のシステム(職務給、給与体系、昇進・評価制度など)を修正することを好まない。こうして多くの外資が失敗した。

基本には日本と株主の発言力の違いがある。我慢強い日本の株主に比べ、アメリカの株主は短期の成果を期待する。四半期病と揶揄される三か月ごとの売り上げと利益および配当を注視し、不満だと経営者の首を挿げ替えることもする。だから経営陣は発行済みの株価総額を上げることに(株価を上げること)一生懸命にならざるを得ない。当然外資が日本に上陸したのは売りと利益を上げるためなので日本の経営陣にも同様の要求をすることになる。

当然のことながら外資の良いところ優れているところも多くある。GAFAのように最初から世界市場を見据えて設立され成功を収めた会社もあるし、世界中で長く愛されている高品質の食品、飲料、日用品、精密機器製品も多い。ファッション衣料や化粧品のように強固なブランドイメージを確立した揺るぎない製品も数多い。製品以外でも

原材料の一括購入
集約された生産拠点での効率的な製造
資金と人材を集中しての研究と開発
マーケティング・ノウハウ

などは外資というかグローバル企業の圧倒的な強みだと思われる。製造面でのスケールメリットを生かした生産は嗜好性が国によって異なる消費財では利点が薄れつつあるが、半導体や医薬品、コンタクトレンズのような世界共通製品で小さくて価格が高い製品は空輸物流費も安価なので強味が維持されている。集中化された研究開発の成果はブロックバスターを生み出し続ける医薬品業界を見れば明らかだし、新製品開発も含めたマーケティング・ノウハウの重要性はコカ・コーラ、スターバックス、アップルなどの国境を越えての一貫したメッセージとブランド確立が証明している。



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外資と聞くと多くの人は、やることがドライで時に冷徹、英語ができる人が働いている、給料が高そう、が主な印象だろう。引退から十年後に2年間だけ旧財閥系の食品会社でアドバイザーとして派遣で働いたが基本的には外資しか知らないので比較は困難だが、確かにレイオフなど人員削減をしたり、ブランドや事業を売却したり、採算が取れないと分かると即日本市場から撤退したりドライな面はある。しかし最近は日本の会社も早期退職制度やM&Aを日常的に行っている。Going concern(企業の永続性)概念の浸透が進み財務の健全化のために遅まきながら何らかの手を打つ必要性が出てきたということだろうか。

英語ができる人は確かに多い。戦後の外資には英語はできるが経営を知らないタイプのトップがそこそこいたがそういう人たちは淘汰されていった。最初に入社した会社には外人が多かったせいか帰国子女の秘書や部長クラスにたくさんの英語達者がいた。得意先も外資が多かったので必要性もあり、アメリカの大学を卒業した新卒も採り始めていた。社内では帰国子女でグループができたり日本人同士なのに英語で話している光景も見られた。逆にアメリカの大学出身者同士では、卒業校の格もあるのか、妙な対抗意識があるらしくとげとげしい雰囲気も時々見かけた。私費で留学すると一千万くらいは投資しているので早く出世して回収しようという姿勢は今でも多くの外資で見られる。

転職して入った会社はマーケティング部だったせいか周りは私以外は全員アメリカの大学卒だった。かつ半数はMBAホルダーだった。みんな毎朝英字紙を読み、流ちょうな英語でプレゼンをした。時々私が理解できない英語のジョークが飛び交う。最初の大学では英語の単位を落としまくって退学処分を食らい、アメリカに行った経験もなく英語を使うことがほとんどなかった自分は最初のプレゼンで躓いた。説明をするのは記憶していることを話せばいいのだが質問が飛んでくる。質問の意味も完全にはつかみ損ねたが答えも口から出てこない。2~3分の沈黙。上司の上司である本部長が「気楽にやってくださいね」と声をかけてくれるが気楽などには決してなれない! こんなプレゼンが数回続いた。30代半ばではそう簡単に英語はうまくならない。開き直るしかない。
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それでこう考えた。外資の共通言語は英語ではない。共通言語は数字とロジックだ。外資で生き抜くためには英語はコミュニケーション手段として必要ではあるが、英語はあくまでConvenient LanguageであってCommon Languageではない。数字とロジックが共通言語だ。誰もが納得できるロジックを打ち立て、それを数字で裏打ちしてプレゼンや説明ができれば、英語がそんなにできなくても外資で生き残ることができる。自らを納得させるにはちょっと苦しかったがそう信じるしか方法はなかった。しかしそれで結構救われた。

数字はできるだけ暗記するようにした。資料を見ないで「当社製品がシェアを0.5上げたのに対し競合の製品Aは前年同期の17.4%から16.9%へ0.5ポイント下げました。そうです、我々がシェアを奪ったのです」と大きな声で説明するだけで聞き手(本社の外人)は信用する。前年の17.4は17.6か17.2だったかもしれないが、資料を見ながら説明するのとそらんじている(ように見せる)のでは信頼度が違う。誰もそこまでさかのぼって確認はしないし。それに外人さんは意外と数字に弱い。回帰分析をして、知名率が5%上がれば好意度は2%上昇します、その相関係数は0.878と非常に高い、と説明すると皆黙り質問もそこで途切れるのがほとんどだった。

給与に関しては確かに外資のほうが高いように見える。年功給と職務給の違いにもよるのだろうし、外資への転職リスクをオフセットしなくてはならないし、高くしないと日本の外資は優秀な人を集められるだけの評判、実績に欠けているのかもしれない。しかし目に見えない要素を考慮するとそんなに差がないように思われる。以前新聞記事で読んだのだが、日本の上場企業は従業員に払う給与の1.53倍を支出している。厚生年金保険料(18.3%)や健康保険料(11.64%)の労使折半分の負担、雇用保険料負担分(過半を会社負担)、労災保険料(全額会社負担)以外にも福利厚生費(社宅、家賃や社員食堂補助、託児所、海の家や山の家の保養所、研修所、社員のレクリエーション等)、退職給与積み立て分、慶弔見舞金などを加えると支払い給与の5割強のプラスを払っている。一方外資の場合は一握りの巨大外資以外は福利厚生費はごくわずかである。せいぜい所属する業界健保の施設を利用するかリロクラブのメンバーになるくらいのものだ。とすると外資では従業員に支払う給与の1.3倍くらいしかかからないことになる。この1.53との差額を給与として社員に払えばトータル人件費を増やすことなく見た目の給与が高くなるということだ。騙されてはいけない。


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社会に出るのが遅れたので33年間のサラリーマン人生だった。全部で6社、海外への出向を含めると7社ですべて外資系企業だった。30代、40代、50代各2回の転職経験だ。一番長く務めた会社が15年、短いのは11か月。事業やブランドを売却・譲渡して会社が解散し退職した会社が2社。望んで外資を選んだのではなく、26歳で大学を出ると当時は日本企業は就職試験さえ受けさせてくれず、残された道はマスコミ関係か外資しかなかった。

外資と言っても入ってみれば外人は上のほうに数人いるだけで従業員の99%は日本人の会社がほとんどだった。下っ端のころは会社とはこんなものだろう、外資も日本企業も違いはないだろうと思っていた。マーケティングに配属されブランドを任されるようになると責任を感じるようになり、若くして巨額の広告費を使えるようになると売りが上がらなかったらどうしようと少し不安だった。最初にブランド担当を経験した会社のマニュアルにはこう書かれていた。

「プロダクトマネジャーは担当製品の利益を短期的には最適化し、長期的には最大化するマーケティング計画を策定し、実行することが責務である」

社内では一応花形部署ではあるが販売目標や利益目標未達が続くと会社には居づらくなる。多分この点が外資と日本企業の大きな違いかもしれない。当時景気が良かったこともあるが外資のプロマネの平均勤続年数は3~5年だったと思う。実績を上げて他社で高いポジションに就く人もいたが、いられなくなった人も多かった。かつて外資と内資両方の証券会社経験者の友人が「投資するんだったら外資系証券会社にしたほうがいい。ファンドのリターンが悪いとすぐ馘だからね、必死だよ。その点日本の会社は優しいからね」と言っていたのも同様な理由だろう。

製品を発売するときにはなぜこの製品を世に出すのか、製品コンセプトは何か、消費者にはどんな便益があるのか、競合品と比べてどこが優れているのか、そしてそのエビデンスは、などを分厚い書類にする。発売後3年間の販売予測とP&Lを添付し、万が一計画通りに販売が進捗しなかった時に利益目標を達成するためにどのようなアクションがとれるかを書く。その書類をアメリカ本社に送り、彼らの細かい質問に答えた後、やっと市場導入のOKが出る。当然機動性は日本企業より遅く、市場機会を逃すことも多い。

市場調査もマストで製品導入前の味覚テスト、パッケージテスト、広告テストなど調査会社から見ればいい得意先だったと思う。日本のことも日本人の嗜好もよく知らない本社の人間が判断をするので、彼らに何%の消費者がこの味を好むとか、購買意向率は何%で再購買意向は何%だとか必要以上の調査をして説得せねばならない。広告はもっと面倒で当時アメリカで主流だったslice of life(日常生活シーンの中での製品使用を訴求)やテスティモニアル(一般人やタレントが製品を手に持ち利点を訴え推奨する)広告から見ると異端のようなユーモア広告やタレントを使用した認知をあげることが主眼の広告はストラテジーから外れているとクレームがつく。15秒が中心の日本ではアメリカ流は無理だといっても納得しない。結局何本ものアイデアをテストしてやっと決着がつく。テストを繰り返すたびにアイデアのとんがった部分が丸くなり当初のユニークさは消失する。

マイナス面もあったが外資ならではのプラス面もたくさんあった。まずマニュアルがしっかりしている。マーケティングだけでなく営業や他の部署でもマニュアルが存在する。ファストフード業界でもアルバイトを即戦力にしサービスや製品の品質を均等化するためにマニュアルがあるが、たいていの外資には世界中共通のブランドマネジャーのマニュアルがある。英文で書かれてはいるが用語の定義から、仕事の進め方、市場分析から始まり販売予測の方法、予算管理やマーケティング目標の設定、ブランドプランの書き方まで含まれている。生産性のあげ方、コミュニケーションの取り方、創造性をあげる方法、部下のトレーニングやモチベーションの改善法まで書かれている。前の会社でこの会社出身の上司の下で働いていた入社したばかりの同僚が「あの人のプランや書類の書き方がすごいと思っていたが、なんだこのマニュアル通りじゃないの」といった言葉が忘れられない。
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マニュアルは一冊ではなく、販売促進マニュアル、調査マニュアル、広告マニュアルから書式マニュアルまで揃っていて困ったときはこれさえ読めばなんとか格好がついた。知らないうちにすこぶるオーソドックスなマーケティング知識が身につくようになっていった。文学部卒でマーケティングなど知らずに仕事を始めた私のような人間には特にありがたかった。ここで覚えたマーケティング手法と前職時代に叩き込まれた広告効果の予測および測定方法の知識があれば転職してもしばらくは飯が食えるなと思った。まだ30代だった。



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10年使った食洗機が不調になったので買い替えた。5台目の食洗機になる。最初に買ったのは30年以上前。家内が夕食後家族がテレビを見ているのに自分だけ台所で洗いものをしているのは不公平だと言い出した。家電店に行って説明を聞き、日本では主食のコメが茶碗にこびりつくのでノズル式では落としきれないので洗濯機のように水をためて洗う日立の食洗機がいいですよと薦められて選んだ。大きな炊飯器のような形状だった。期待したほどの洗浄力はなかったけど。

その後カナダに転勤となり借りたマンションには当然ビルトインの食洗機が備わっていた(すごい運転音だった)。日本に戻って買ったのはTOTOの二階建ての食洗機。量が少ない時は下の部分だけで洗えるし、多い時や大皿を洗う時は上下運転できた。これを結構気に入っていたので、壊れた時にまた同じものに買い替えた。次に購入したのが4台目の10年使ったパナソニック。可もなく不可もなくの印象だった。

今回最初に見に行ったのはビックカメラのアウトレット店。斜めドラム洗濯乾燥機も数年前ここで買った。が、その時あった食洗機は一台も見当たらない。次に向かったのは正規のビックカメラ。駄目だ、3台だけの展示、2台がパナソニックであとは知らないブランド。最後にヨドバシカメラ。ありましたよ、さすがヨドバシ。しかし展示台数は僅か6台(レギュラー3台、プチ3台)、それも全部パナソニック。日立、東芝、三菱、シャープ、象印、TOTOはどうした!  仕方がない、ネットで買おうと価格コムで調べて発注。

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1971年から食洗機を売っているパナソニックのシェアはもともと高かったが、2003年に100万台近くあった市場はその後10数万台に縮小、同時に他のメーカーは将来性を見いだせずに撤退してしまったとのこと。現在製造しているメーカーはパナソニック、アクア(旧三洋電機)とSKジャパンの三社のみ。つまり日本メーカーはパナ1社だけ。パナも市場拡大のため2012年に小家族向けのプチ食洗機を発売するなどしているが、いまでも日本での食洗機の普及率は3割くらいだという。

こうしたメーカーの撤退は食洗機だけの問題ではないかもしれない。洗濯機だっていつのまにか国産は日立とパナソニックの2社だけになってしまった。NEC、富士通ゼネラル、三菱は既に撤退し、東芝は美的集団、三洋はハイアール、シャープはホンハイ傘下に入ってしまった。テレビも同様で、純国産はパナソニック、三菱の2社のみで、ソニーも基幹のディスプレイをサムソンなどから調達しているとのことだし、NECと日立は撤退、東芝はハイセンスに譲渡され、三洋はパナソニックに統合され、シャープはホンハイに買収されてしまった。その三菱も2024年3月の出荷をもって撤退するとの報道が最近あった。

かつては「家電大国」と自負し、特に白物家電はその技術とデザインで輸出の花形でもあった。しかし安価な労働コストを求めてアジアに製造拠点を移し、技術供与をしているうちに中韓台に並ばれ、価格競争力を失って追い抜かれ、ついに過去のパートナーや下請け企業に買収されるようになってしまった。日本製品の強みは痒いところに手の届く利便性や機能だったが、そのために開発コストと価格の上昇を招いた。増加するシンプルな機能で十分と考える消費者や、生活家電は国によってニーズや仕様が異なることに無頓着だったのかもしれない。機能・性能以外のところでの差別化が不十分だった気もするし、その機能も使わないものが多すぎる。製品の設計・企画やデザインの革新性に欠けていたことは、ルンバの自走式掃除機やダイソンのトルネード掃除機、これもダイソンの羽なし扇風機を初めて見た時のショックを思い出せば十分ではなかろうか。



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昔はガムと言えば板ガムのことだった。

WL社に入社して最初のアサインメントはブレス・フレッシュナーの新製品担当でした。アメリカではサーツやクロレッツがあり当時の社長はトライデントやホールズに次ぐ新製品として期待をしていました。その頃競合としては圧倒的シェア#1のグリーンガムがあり、かつ市場の7割は板ガムでした。なんとかしてグリーンに一泡吹かせたいと考えていました。

クロレッツ発売の一年前に2in1を出しています。2in1のもとはサーツですが、過去に二度の失敗があったため名前を変えました。2in1が先に発売されたのは、2in1の有効成分がレチンだけなのに対しクロレッツはレチンとクロロフィル(後にこのをコンビネーションをアクチゾルと命名)なのでクロレッツが先に発売されると後から来る2in1の効果が弱く見えるからです。過去のサーツ失敗がミントだったのでキャンディに変えて世に送られました。

ですからクロレッツにキャンディの可能性は殆どなかったのですが、ガム、ミント、キャンディの三種で開発を始めました。効能効果の面から見ると、食べてすぐ製品全部が胃の中に入るミントが一番高いのですが(口臭の原因の一番は口の中、次が胃だそうです)サーツの失敗とミント市場があまりに小さいので諦めました(数年後フリスクが成功したときは、やられた~と思いました)。二番目に効果の高いキャンディはガムが成功してから出すことにし、ガムにフォーカスすることにしたのです。

ガムには板、糖衣、ブロック(風船ガム)、スラブ(トライデント)などがありますが、効果の高いのは糖衣でした。ガムベースの中の有効成分は全部がガムの外に出るわけではありませんが、表面の糖衣部分は溶けて口の中から胃に届くからです。それに当時の工場には板ガムの製造設備はありませんでした。糖衣しか選択肢がなかったと言っていい状況でした。数台の銅製の釜(コーティング・パン)がありその中に成形したガムを入れ回転させながら時々工員さんが手で糖液をかけて熱風で乾かし懐かしのチクレットを作っていました。チクレットの売上げはずっと下降していて、工場に行くと「チクレットとダイナミンツの設備が遊んでるからこれでなんか新製品作ってよ」と言われたものです。
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糖衣に決めて試作を繰り返しなんとか満足できる製品ができたので、翌年のテスト・マーケティングの説明のために営業幹部会議に参加しました。プレゼン後あるマネジャーから「今頃糖衣ガム? 糖衣は戦後のガムだよ、ギブミー・チューインガム時代のガムだよ。チクレットを見れば分かるでしょ。売れるわけないだろ。今の世の中は板ガムなんだよ。なに考えてるの!」とボロクソに言われました。包装形態も最初はチクレットと同じ小箱入りで考えていたのですが、これも鉄道担当マネジャーに「包み紙がないガムは扱ってもらえない」と言われ鉄道売店を主力販路と考えていたので滅茶苦茶落ち込んで帰ったのを覚えています。


この悔しさがあったので包装形態をなんとかしたい、見返してやりたいと思うようになり、その頃森永から入社された製品開発部長とスティック包装、糖衣ガムの個包装の検討を始めました。効果感を強めるためにメントール含有を増やし、個包装工程で立てられた粒が倒れてしまう問題も工場サイドの尽力や包材をセロファンからアルミに変えることなどでなんとか解決し、多分世界初の個包装でスティック包装の糖衣ガムが誕生しました。包装機への投資も承認が取れテストマーケティングが始まりました。正式発売後は苦戦しましたが、テレビ広告がヒットしたこともあり品切れ状態が長く続くことになり、営業からは何故増産できないのだと苦情の毎日でした。高速糖衣機と包装機の追加もあり当初の目標の数倍の販売量を達成できました。その後競合社の同じサイズの糖衣ガムの発売が続き、ガム市場が一気に板から糖衣に大きく切り替わるなんで想像もしていませんでした。

久しぶりにクロレッツを買い、味わいながら昔のことを思いだしてつい書いてしまいました。老人の昔話でごめんなさい。




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