子供のころ住んでいた名古屋ではしょっちゅう赤福のコマーシャルが流れていた。「伊勢の名物赤福も~ちっ」と唄っていたのは藤田まことと記憶している。ただ赤福を食べる機会はそんなになかった。地元の人はお参りは熱田神宮に行くので伊勢まで出かける人は少なかったし、まだ名古屋駅の売店で売っていなかったような気がする。

最初に食べたのがいつだったかは覚えていないが、あんこのまろやかさと品の良い甘さは印象的だった。ヘラですくって食べるのも気に入った。ひと箱全部食べたいくらいだったが家族で分けると一人3個くらいだった。翌日までとっておくと餅が堅くなって少し食感が変わるのが残念だった。
赤福は伊勢神宮の近所で売られ始めて300年以上が経つ伊勢を代表する銘菓、いや三重県を代表する名物かもしれない。創業は宝永4年(1707年)だから富士山が噴火して宝永山ができた年だ。赤福以外に三重の名産品には松阪牛と御木本真珠、桑名のしぐれ蛤くらいしか思い出せるものない。真珠と牛肉は高価なので手ごろなお土産としては貝新の志ぐれ煮か赤福餅しかないのではなかろうか。父親は出張で時々三重に行ったのだが、おみやげは赤福ではなく大抵は貝新のあさりの志ぐれ煮だった。個人的にはあさりよりしじみ煮の方が好きで今でも時々買う。貧乏性なんだろうな。

東京に来てから赤福のことは忘れていた。赤福を買うようになったのは菓子の仕事をするようになってからだ。会社のチューインガム工場が名古屋にあり、キャンディの製造を依頼していた名糖産業もその近所だったので、当時担当していたホールズや開発中だったクロレッツの打ち合わせのため毎月のように名古屋出張があった。たまにはお土産をと思って駅の売店を覗くのだが昔から知っている納屋橋饅頭やきよめ餅は存在感がなくなって見知らぬ菓子ばかりになっていた。ただ赤福だけがいつも一等席に陳列されていた。名古屋名物ではないけどおいしくて安いので懐かしくて手に取った。8個入りが500円か600円だったと思う。
その頃には新幹線の他の駅でも売られていたし、社内販売でも扱われていたように記憶している。赤福は1960年代から積極的な拡大政策をとっていたし、1975年にフジテレビが「赤福のれん」という9代目主人の浜田ますをモデルにした連続ドラマを十朱幸代主演でオンエアし人気を博したことも影響していたのかもしれない。
しかしこの拡大政策が裏目に出て大量生産された赤福餅を賞味期限内に売りきることが困難になる。2000年代に入ると製造日と消費期限の偽造、冷凍製品の販売、売れ残り製品の再利用問題が発覚し、駅売店や百貨店での販売自粛や本店の臨時休業などが発生した。その後も元社長が経営する関連企業が暴力団との関係を報じられるなど不祥事が相次いだ。
最近やっと落ち着いた感じの赤福だが、8個入りの価格も2004年に720円に上げてから、760円(2016年)、800円(2022年)、900円(2023年)とこの10年で3回の価格改定だ。ヘラも木製から紙製へと変更するなど昔からのファンが失望しているのかもしれない。ネット上ではサイズが小さくなった、あんが甘くなった、食べるたびに味が違うなどのコメントが目立つ。可愛さ余って憎さ百倍的状態かもしれない。

赤福は企業として売り上げ的にはほぼ単品経営なのだが、季節商品をいくつか持っている。今月は夏季限定の「赤福水ようかん」が企画販売されたので高島屋で予約して手に入れた。初めて食べたのだがなんとなく赤福のあんこを感じるし寒天分が少なめで食感はともかく餡の味が前面に出るのは好ましいい。ただ水ようかんの製造はデリケートでちょっとでも配合を誤ると固まらなかったり、硬くて水ようかんぽくなかったりする。赤福の水ようかんもまだ改良の余地は十分にある。でもその前に赤福餅の品質の安定化が先ではないかと思っている。

最初に食べたのがいつだったかは覚えていないが、あんこのまろやかさと品の良い甘さは印象的だった。ヘラですくって食べるのも気に入った。ひと箱全部食べたいくらいだったが家族で分けると一人3個くらいだった。翌日までとっておくと餅が堅くなって少し食感が変わるのが残念だった。
赤福は伊勢神宮の近所で売られ始めて300年以上が経つ伊勢を代表する銘菓、いや三重県を代表する名物かもしれない。創業は宝永4年(1707年)だから富士山が噴火して宝永山ができた年だ。赤福以外に三重の名産品には松阪牛と御木本真珠、桑名のしぐれ蛤くらいしか思い出せるものない。真珠と牛肉は高価なので手ごろなお土産としては貝新の志ぐれ煮か赤福餅しかないのではなかろうか。父親は出張で時々三重に行ったのだが、おみやげは赤福ではなく大抵は貝新のあさりの志ぐれ煮だった。個人的にはあさりよりしじみ煮の方が好きで今でも時々買う。貧乏性なんだろうな。

東京に来てから赤福のことは忘れていた。赤福を買うようになったのは菓子の仕事をするようになってからだ。会社のチューインガム工場が名古屋にあり、キャンディの製造を依頼していた名糖産業もその近所だったので、当時担当していたホールズや開発中だったクロレッツの打ち合わせのため毎月のように名古屋出張があった。たまにはお土産をと思って駅の売店を覗くのだが昔から知っている納屋橋饅頭やきよめ餅は存在感がなくなって見知らぬ菓子ばかりになっていた。ただ赤福だけがいつも一等席に陳列されていた。名古屋名物ではないけどおいしくて安いので懐かしくて手に取った。8個入りが500円か600円だったと思う。
その頃には新幹線の他の駅でも売られていたし、社内販売でも扱われていたように記憶している。赤福は1960年代から積極的な拡大政策をとっていたし、1975年にフジテレビが「赤福のれん」という9代目主人の浜田ますをモデルにした連続ドラマを十朱幸代主演でオンエアし人気を博したことも影響していたのかもしれない。
しかしこの拡大政策が裏目に出て大量生産された赤福餅を賞味期限内に売りきることが困難になる。2000年代に入ると製造日と消費期限の偽造、冷凍製品の販売、売れ残り製品の再利用問題が発覚し、駅売店や百貨店での販売自粛や本店の臨時休業などが発生した。その後も元社長が経営する関連企業が暴力団との関係を報じられるなど不祥事が相次いだ。
最近やっと落ち着いた感じの赤福だが、8個入りの価格も2004年に720円に上げてから、760円(2016年)、800円(2022年)、900円(2023年)とこの10年で3回の価格改定だ。ヘラも木製から紙製へと変更するなど昔からのファンが失望しているのかもしれない。ネット上ではサイズが小さくなった、あんが甘くなった、食べるたびに味が違うなどのコメントが目立つ。可愛さ余って憎さ百倍的状態かもしれない。

赤福は企業として売り上げ的にはほぼ単品経営なのだが、季節商品をいくつか持っている。今月は夏季限定の「赤福水ようかん」が企画販売されたので高島屋で予約して手に入れた。初めて食べたのだがなんとなく赤福のあんこを感じるし寒天分が少なめで食感はともかく餡の味が前面に出るのは好ましいい。ただ水ようかんの製造はデリケートでちょっとでも配合を誤ると固まらなかったり、硬くて水ようかんぽくなかったりする。赤福の水ようかんもまだ改良の余地は十分にある。でもその前に赤福餅の品質の安定化が先ではないかと思っている。




























