マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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カテゴリ: 老化

先日仲間うちのゴルフコンペに参加した。16人のうち100以上打ったのは5人で、私はその一人だった。4番ホールのティショットを打った時腰に電気が走った。あ、ぎっくり腰かなと思ったが何とかプレイは続けられた。しかし9番でまた痛くなった。なんとか40台で終えて昼食休憩で回復できるかもと期待したが、一時間近く座っていたらひどくなった。

午後は棄権も考えたが久しぶりのコンペなので恐る恐る続けた。腰が痛いので手打ちになり球は左に飛ぶ。スコアはボロボロになりやっと終えることができた。以前にも腰痛があってもプレイすることはあったがここまで痛むことはなかった。腰をかばうばかりにいつもとは違う筋肉痛が翌日以降も続いた。
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10年くらい前まで地元のゴルフサークルの幹事をしていたことがある。引退した老人数十人のグループで、車の運転をしなくなった高齢者には送迎のバスつきゴルフは楽ちんだった。ただ段々「18ホール廻るのが辛くなったのでもう案内状を送っていただかなくて結構です」という老人が何人か出た。よく考えると自分がその年齢になっている。その老人たちを最近見かけることがないし、亡くなった方も多い。自分も先月78回目の誕生日を迎えた。若いつもりでいたがスコアと体の痛みは正直だ。

もともと運動神経がある方ではないし、体力もない。付き合いで始めたゴルフだし、80台で廻ったこともあるが若い時でもせいぜい90台の半ばで回るへなちょこゴルファーだった。最近は100を切ることが難しくなった。飛距離も体力も落ちた。先日のコンペも初心者中心の会だからと誘われて参加したのだが、回を重ねるたびに若い人のスコアは縮まり、老人のスコアは悪化の一途だ。最近は上級者も加わり両ハーフとも30台で回る人もいる。迷惑をかけているのではと思うとプレイそのものが楽しくなくなる。変なプライドもあってゴールドティから廻る気にはなれない。

こうなると残されたのは段階的撤退の道だ。まず大きなコンペには参加しない。昔の仲間とか親しいゴルフ仲間とスコアを気にせず半日楽しむだけでよいではないか。3か月前に車も廃車にしたしピックアップしてくれるゴルフ仲間も多くはない。うまくもない自分に声を掛けてもらえるだけ幸せではなかろうか。お声がかからなくなった時がゴルフを辞めるタイミングだろう。ゴルフ業界では私の属する団塊世代がゴルフを離れる時が業界としての危機だと言っている。一人ではできない趣味だし、体力もそれなりに必要だ。いつかは諦めなければならない。そういえばシングルプレイヤーだった父親もそうやってゴルフから離れたことを思い出した。

Old soldiers never die. They just fade away.
老兵は死なず。ただ消え去るのみ。

好奇心の強さが数少ない自分の強みだと思っていた。大学を出て就職した広告代理店で上司から「ベストセラーは目を通せ、流行っている歌は聞いておけ、ヒット商品は試してみろ、人が集まる店には顔を出せ、自分で買い物をしてモノの値段を知っておけ」と言われたことを守ってきたことが影響しているのかもしれない。今何が売れていてその理由は何なのかを情報として仕入れるのではなく、自分で調べろということだった。

だから家じゅう本やビデオだらけになったし、自分の考え方や思考方法を変えるかもしれないと思って1980年に軽乗用車が買えるくらいの金額で出始めたばかりのPC(当時はマイコンと呼んでいた)を手に入れてプログラミングを憶えたし、その数年後には個人用に売られ始めたワープロも手に入れた(これは使い物にならなかった)。映画館にも毎週のように通ったし、コンサートにも行った。代理店時代もその後のメーカーでのマーケティング部も無料で手に入るチケットが貰えたので財政的に助けられた面も多かった。

しかし歳をとるにつれて好奇心が失せてきた。コンサートに行っても感動することが少なくなった。感性が鈍磨されたのだと思う。感情移入の度合いが減ってきたのだ。老眼が進んで本を読むのが面倒になる。テレビはニュース以外は見なくなった。最近のタレント、歌手や芸人の名前はほとんど分からない。映画は定期的に見ていたが近所のシネコンがなくなってからは遠くまで見に行く気力がない。流行りの場所に行くことも激減した。

そんなことを考えていたら博報堂生活総合研究所のデータを基にした「生活寿命」の記事が目に付いた。これは歳をとると大盛を頼めなくなる(42歳)、行列してまでラーメンを食べたくなくなる(43歳)、焼肉がヘビーに感じられ食べたくなくなる(51歳)、料理を作る気力がなくなる(56歳)などの食に関連する「寿命」と同様に「消費」に関しても寿命や定年があるのではないかという発想だ。新製品や新規開店に惹かれるのは何歳くらいまでなのか。食欲とはちがって気力や好奇心は何歳くらいで失せるのだろうかと興味を持った。
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新製品に興味を持つのは平均で41歳までだ。自分は菓子や飲料の新製品開発の仕事もしていたので人よりは新製品に関心を持っていると思うが、60歳で引退してからは興味は失せ気味だ。新規開店の店や商業施設に行こうと思わなくなるのは52歳。これも当たっている。今住んでいるところは徒歩圏内にショッピングモールがいくつかあるが最近はご無沙汰だ。歩いて5分の場所に最近イケアがオープンしたが訪れたのは開店後ひと月後でそれも買い物のついでに寄っただけだ。かつては良く買い物に行っていたアウトレットモールが数年前にリニューアルオープンしたが出かけたのは2か月前だった。腰が重くなっている。これは同調査で示されているモール寿命(55歳)や人ごみ寿命(49歳)も同様で、体力、気力、忍耐力、好奇心が落ちている証拠だろう。

長く生きていると耐久消費財も新たに買うことが少なくなり、保守的にもなるので消費財も今まで使っていたものと異なるものに興味を持たなくなるという一面もある。子供が同居している頃は子供と一緒に買い物や飲食をすることが多かったが、彼らが独立して家を出るとそうした機会も減る。ともに体力気力が衰えた老夫婦は限られた生活空間で新鮮味に欠ける消費生活をすることになる。でもそれらは長い間の取捨選択で残ったものばかりなのだから、それでも良いのではないかとは思う。


免許を取得して40年間車を保有してきたが、最後の車を今日廃車処分にした。廃車の引き取り業者がレッカー車で19年乗ったエアウェイブを牽引して去る時はちょっとウルッとした。ドナドナの気分だった。
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この夏で78歳になるが、まだ運転はできる。廃車前日もアウトレットまでドライブした。ただニュースでペダルの踏み間違いや逆走など高齢者の事故に接するたびに自分にも起こりうるかもしれないとは思っていた。車の処分を決めたのは、運転がだんだん億劫になってきたのと、乗る機会が減ってきたからだ。もともと運転機会は多くはなかったが、最近はめっきり減った。

免許は1985年に取得した。ゴルフを始め数年間は会社の仲間が自宅まで迎えに来てくれた。その彼が静岡に転勤になり、自分でゴルフ場までの足を確保する必要が生じ、38歳の時に勤務後に自動車教習所に通った。免許取得後中古のマツダ車を買いドライバーとなった。その後日産のエクサ、そしてホンダのエアウェイブの3台とカナダ勤務時代の会社から貸与されたGM車の4台に乗った。ゴルフ用と言っても良い利用だったが、かつてのボスが主催する年に3回のゴルフ会が高齢により中止となり、地元住民のゴルフ会はバスや乗合になり自分で運転することがほぼなくなった。昨年末いつも通っていた練習場が閉鎖になり、それ以降は月に1~2度OKストアに飲料のケース買いに使うくらいだった。(下の写真はエクサ)
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よく考えると老夫婦二人で、かつターミナル駅まで歩いて6分の住居に車は不要なのかもしれない。ほとんどの買い物は徒歩圏内で済む。立地が良いということは駐車場も高いということだ。ここに住んで30年強。毎月2万円強の駐車場料金を払ったので累計約800万円。3台の車の購入費より高いのだ。駐車場と管理費を考えるとマンションより一戸建ての方が良かったかもと何度も思った。でももうそんなことを考えることもないだろう。

次は免許の返納とゴルフ引退だろう。車がないことで多少不便を感じることがあるかもしれないが、自分が事故を起こすのではという心配もなくなる。駐車場代や車検、JAF、自動車保険代で浮く月3万で美味しいものでも食べて残された短い年月を楽しもう。

ひところ騒がれた「老後2000万円問題」を最近聞かない。もともとが政府の正式発表でもなかったし、2017年単年の家計調査データを使っていることに問題があった。2017年でなく2022年データを使うと2000万円は800万円まで下がるし、そこに反映されていなかった退職金を加えると(全員に適応はできないが)もっと下がるかプラスになる。かつ夫婦そろって65歳から30年生きられる確率は低いので(特に男性が)必要額はさらに下がる。

なぜこんなことになったのか。メディアがキャッチーな「老後2000万円不足」に飛びついたこともあるが、日本人の金融リテラシーの低さにも問題があるのだろう。深く考えもしないで「老後不安」と言う言葉に煽られ恐れおののいたのだ。そのためにある程度以上の資産を持っている高齢者までが、長生きしたらどうしようと節約に努め金を使わなくなってしまったのだ。

内閣府が発表した「令和6年度経済財政白書」によると85歳を過ぎても金融資産はピーク時(60-64歳)の1割程度しか減っていない。我が国の金融資産の7割以上を55歳以上の高齢者が保有し、70歳以上で見ても全体の4割近くを占めている。この層が金を使わないと日本経済は廻らないのだ。少し古いが総務省のデータでも世帯主の年齢別金融資産残高平均は下記のグラフのようになっている。
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80歳以上の世帯でも60歳代の純金融資産の93%を維持している。世帯主が80歳代ということはほぼ平均寿命近辺であり、平均余命は5年前後だ。残された資産は相続されるのだろうが、現役時代に苦労して蓄えた資産を使い残していることには違いない。引退したら資産を取り崩して余生を楽しむはずだったのではないのか。

20年位前に大前研一が雑誌「日経マスターズ」にこんなことを書いていた。日本人の貯金額が最大になるのは死ぬ時で、だいたい3000万円位のキャッシュを持っている。いっぽうイタリア人は死ぬ瞬間に持っているお金がなくなるように使う。死ぬときに金が残っていたら悔やむくらいに金を使って人生を楽しむ。当時この記事を読んだときは、「本当かね、いつ死ぬかなんて誰も分からないじゃないか」と思っていた。だけど他の国のデータ(イタリアのは見つからなかったが)をみると確かに75歳以上になるとピーク時の資産の約半分になっている。
2024-12-19
日本は引退後に金融資産が減らない珍しい国のようだ。相続税だって高いのにね。この違いは子供のころからの金融教育や社会人になってからのリカレント教育が存在しないことが原因かもしれない。ある年齢以上の日本人にはお金のことを話すのははしたないという風潮がまだ残っている。確かに引退後に病気になったら、認知症になったら、予想以上に長生きしてしまったらという心配はあるだろう。ただ金融資産は老後の生活のために苦労して蓄えた金のはずだ。これからは「いかに貯金を取り崩すべきか」を考えるべきだ。70歳以上の高齢者が日本の総個人金融資産2200兆円(10年前から600兆円も増えている!)の4割弱を保有するので約800兆円となる。この1割でも社会に還元すれば日本経済は確実に好転すると思う。

そのためには現在から人生の終わるときまでの収入と支出を予測して「生涯キャッシュフロー表」を作成することが「資産取り崩し計画」に最も有効ではないかと思う。私は現役時代に自分は87歳まで生きる、家内は98歳まで生きると想定してキャッシュフロー表を作り、それを毎年修正している。収入は年金中心なので予測しやすいし、これから起きそうなイベントやリフォーム、大型家電の買い替えなどを見込んで年ごとの支出を算出すればある程度の家計管理が可能になり、イタリア人ほどではないが余生を楽しもうという気にはなる。働いている時期にこれを作るときっと役に立つと思うのでお勧めなのだが。

若いころはそこそこの読書青年だった。浪人時代に、受験勉強からの逃げだったかもしれないが、本を読み始めて好きな作家が何人かできた。彼らが青年時代に読んだ本や薦める書籍を片っ端から読んだ。小説類だけでなく、旧制高校生の三大愛読書が「善の研究」「三太郎の日記」「愛と認識その出発」と聞けば理解できないままに目を通し、亀井勝一郎の人生論や青春論を夢中になって読んだ。体系だった読書ではなく手当たり次第だった。
当時は小遣いも少なかったので岩波文庫に助けられた。その頃の岩波文庫は他の文庫のような表紙カバーはなく、定価は★で表示されていて、★ひとつが50円だった。「茶の本」や「桜の園」「共産党宣言」のような薄い文庫は50円で、いつも買った後喫茶店で読み終えた。コーヒー代も50円だったので100円で何時間か楽しむことができた。
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大学も文学部に入り下宿の四畳半は本であふれていた。週に2~3冊の本を読み、読後ノートも付けていた。しかし留年ののち退学処分を受け、一年後に他の大学に編入学してからは専門書を読むことに集中せざるを得なかった。就職後は仕事がらみの本を読むことが増えた。結婚して住んだ部屋の六畳間の天井まで壁一面の本棚に本をを並べていたら、遊びに来た友人に「寝ている時に地震がきたら死ぬぞ」と脅かされた。問題は家内が私の何倍かの読書家で一日中本を読んでいる。最高は一日に13冊読んだと言っていた。二人とも図書館には行かないので本は増え続け、そのころ蔵書数を数えたら4000を少し超えるくらいだった。

歳をとりはじめると、つまり老眼が始まるとだんだん読書と縁遠くなる。新しい知識への欲求が弱くなるのもあるが、読書が苦痛になるのだ。昔買った岩波文庫や古典の全集は活字が小さい。少し読んでいると目が疲れてくる、もしくはピントが合いずらくなる。そのうち老眼鏡の数だけが増えてきて、どれがどの度なのか分からなくなる。
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もう活字の小さい本は読めない。10年くらい前から終活の一環としてレコードやCD、VHSテープと並んで書物もヤフオクやアマゾンで処分し始めた。既に2000冊くらいは捌けたと思う。売れるたびに本を梱包しながら、買った時のことやうろ覚えの内容を思い出しながら娘を嫁に出すような気持になる。しかし持っていても読むことはもうないのだ。本箱の空きスペースは年々広がり、そこに家内が本やいろんなものを並べるようになった。気が付けばドア横に通販家具で作った隠し戸棚のような扉付きの書棚も、まだ読書意欲が私ほどは落ちていない家内の新書や文庫本、洋書に侵食されてしまった。
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昔読んだ円地文子の「めがねの悲しみ」というエッセイは見えすぎてしまう悲しみを綴っていたが、両目とも眼内レンズのお世話になっている後期高齢者は、眼鏡をしても年々衰えていく視力をボヤくばかりである。

一昨日内閣府が発表した経済財政白書に年齢別に見た世帯あたりの保有金融資産というものが載っていた。世帯主の年齢別にその世帯が保有している金融資産をグラフ化したものだ。よく見るデータは20代から70代までが多く、85歳以上までカバーするものは少ない。これを紹介した日経の見出しは「ためた老後資産、85歳過ぎても減少1割、長生きで節約志向」だった。
2024-07-30
銀行や政府が発表する金融資産額は負債は勘案されていないことが多く、ほとんどが単身世帯を含んだ全世帯データで、かつ中央値ではなく富裕層含みの平均値だ。当然のことながら一部の富裕層が数字を引き上げている。しかしこのデータでは金融資産がピークの65歳でも「老後2000万円問題」をクリアしていない。昨今では物価上昇を受けて老後4000万円問題などと書き換える記事も多いし、高騰する老人ホームを利用するともっと必要となる。いつまで生きるか分からない老人は節約するしかない。

全世帯を見ても老人には参考にならないので、出典は異なるが世代別の数字を確認してみる。二人以上世帯では60歳代で1800万円、70歳代で1900万円と金融資産が増えている。他のデータでは60歳代をピークに下がっていくのだがこの金融広報中央委員会データは年齢が上がると平均資産も上がっている。世論調査とあるし中央値がきれいすぎるから多少信ぴょう性に欠けるかもしれない
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もう少し信用できる調査はないかと探したら日経CNBCのニュースにぶつかった。これも富裕層含みの数字だが二人以上の無職高齢者世帯の貯蓄額とある。家計調査だからまあ信用できる。えっ 平均で2500万もあるの!。それにここ数年微増ではあるが増え続けている。確かに子供は独立しているだろうしローンは完済だろうから理解できないわけではない。たぶん1億円以上の純金融資産を持つ148万世帯が貢献しているに違いない。そう思いたい。
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日経CNBCが良心的なのは富裕層含みではあるが平均値だけでなく、中央値(有職世帯も含んではいるが)の1604万円をベースに家計調査データを基に年齢層ごとの毎年の不足額を算定し、かつ2%のインフレを組み込んで1600万円であと何年生活できるかを計算していることだ。それによると月1~4万円の赤字でも47年は生きられると結論付けている。

これは85歳からの赤字額が激減することと、病気や老人ホームなどの支出は想定されていないためでもあるが、このグラフを見て健康だけが取柄の後期高齢者は少し安心したのであります。健康第一!健康第一! さ 安心して寝よう。おやすみなさい。
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参考までに試算に使った年齢層別の月別収入と支出、赤字額はこんな感じになるとのこと。
金融資産の6割、消費支出の4割を占める高齢者が金を使わないと日本経済は廻りませんね。
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朝食の時はいつもコーヒーを飲むが、寒い冬の午後は暖かい緑茶か紅茶のことが多い。しかしお湯を沸かすのが段々面倒になってきて、最近はペットボトルの緑茶をチンして飲むことが増えてきた。楽ではあるが風情がない。紅茶もティーバッグで淹れるのだが、それなりには楽しめるのだがなんだか物足りない。メーカーは「ティーバッグはリーフティーより下に見られるが、早く抽出するために同じ茶葉を細かくカットしているだけでランクが下ではない」と言うが、ミルクも砂糖も入れない自分にはただの温かい茶色の飲料に思える時もある。
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これは香りの問題で、コーヒーは豆を挽いて蒸すときにの香りで美味しく感じるし、紅茶もポットで蒸らしてからカップに注ぐときに香りが立つ。ティーバッグにはそれがない。鼻をつまんで飲むと味を感じにくくなるが、それと同様なことが起きるのでしょうね。香りの重要さは昔コーヒーキャンディや紅茶キャンディを試作している時にいつも感じていた。いくら良い素材で作っても香りに欠けるので本物っぽいコーヒーや紅茶の感じは出ない。結局ミルクを加えてお茶を濁していた。

ティーポットで淹れればいいのだけれど、洗い物や茶葉のゴミが出るのでその処理が歳をとると面倒になる。ティーポットは何種かあるし銀のティーセットもある。昔新婚旅行でカナダに行ったときになけなしの金で買ったものだ。当時は1ドル360円で、持ち出せる外貨は500ドルの制約があった。親父からもらった100ドル札もあったが、家内へのイヌイット製のショールと職場の同僚へのお土産以外に買ったのはこのセットだけだった。買えなかったのだ。
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この銀のセットは飾っておくには良いのだが手入れが大変。すぐに曇って黒くなり磨くのも手がかかる。この写真も磨いて10日くらいだが既に曇り始めている。銀磨きクリームもけっこう高価なので結局使わなくなって食器戸棚の奥に押し込められた。

紅茶はコーヒー、ココア(チョコレート)、タバコ、アルコールとともに世界の五大嗜好品と呼ばれてきた。少なからずの習慣性、依存性を持つ。その中では紅茶は最も健康的な嗜好品かもしれない。紅茶にはコーヒー同様カフェインが含まれるがタンニンも多く含まれ、それがカフェインと結合してカフェインの効果(興奮、覚醒、利尿、消化促進、強心)を和らげると言われている。タンニンは腫瘍の増殖や転移を抑制したり、血栓の形成を予防したり、強い抗酸化作用を持ち、ボケ防止にも効果があるとのことなので紅茶は老人にぴったりの飲み物である(日本茶も同様)。たまにはポットで淹れた紅茶をゆったり呑んでみることにしよう。

日本人の死因第一位は圧倒的に癌で2022年の死亡数の24.6%を占めています。その癌の中で死亡数が多いのは肺癌、大腸癌、胃癌、膵臓癌の順ですが、罹患数では大腸癌が最も多く、女性の死亡数ではトップに位置します(男性は肺癌が一位)。昔は大腸癌はそんなに多くなかったですが食べ物が西洋化されるにつれて罹患率が上がってきたと言われます。この頃ですね、みんな大腸のことを少し気にするようになり、食品メーカーが腸内フローラとか言い出したのは。
2023-12-03
大腸は1.5メートルほどの長さで、小腸で栄養素を吸収された食物からさらに水分やナトリウムなど搾り取り、消化しきれなかった食物繊維などを発酵分解して有益物質を産み出し、残りを便として排泄の時間まで保留するする臓器です。この腸内での発酵をつかさどるのが腸内細菌です。大腸には善玉菌、悪玉菌、日和見菌に分けられる腸内細菌が約1000種類、600~1000兆個が棲みついていると言われます。重量にすると1キロから2キロとなります。排泄される便の水分を除いた固形物重量の3割は腸内細菌だという記事を読んだことがあります。びっくりですよね。

腸内細菌は善玉菌が2割、悪玉菌が1割、残りの7割が日和見菌と言われています。日和見菌は善玉か悪玉の優勢な方に加勢する菌です。善玉菌には乳酸菌やビフィズス菌などがありますが、腸内ではビフィズス菌が圧倒的に多いのですがビフィズス菌は短命なので食事などで補わねばなりません。また加齢によって腸内のビフィズス菌は減少します。乳幼児では腸内細菌のほとんどがビフィズス菌ですが、成人になると約10%に、60歳を超えると1%以下になると言われています。つまり私のような老人の腸内にはビフィズス菌はとても少なく悪玉菌の比率が高いのです。
2023-12-05
悪玉菌が増えると腸内フローラのバランスが崩れ便秘や下痢などお腹の不調の原因になったり免疫力が落ちたります。それで老人は毎日一生懸命ヨーグルトを食べヤクルトを飲んでビフィズス菌や乳酸菌を摂取することになります。ただビフィズス菌は熱や酸に弱いので大腸に到達するころには大半は死んでしまいます。しかし死んでしまった菌にも善玉菌のえさになったり善玉菌がが退治した悪玉菌を吸着して体外に出す役割があるとの報告もあるので役には立っているのです。

またビフィズス菌を摂取するだけでは十分ではなく、ビフィズス菌の餌になるオリゴ糖や食物繊維を摂取することも重要です。チーズやぬか漬け、納豆のような発酵食品も乳酸菌を豊富に含むので積極的にとった方がいいですね。そんなことを考えていたら今日の朝食はこんな感じになりました。結婚以来48年間毎朝欠かさず食べているヨーグルトにオリゴ糖をかけ、チーズにヤクルト、食物繊維に富むフルーツ。よし完璧だ。頑張れ!大腸。

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マーケティング・経営ランキング
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歩く速度は速いと思っていた。50代の時でも通勤時に人に追い抜かれたことはなかった。最近は中年サラリーマンに追い抜かれる。今日は女子高生が横を通過していった。女高生は若くて元気だし、足も長いし… 抜かれても仕方ないか。でも衰えを感じる瞬間。
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最近ネット調査の質問票でも「以前と比べて食が細くなりましたか」などに加えて「前よりも歩く速度が遅くなったと感じることがありますか」などと聞かれることが増えた。歩行速度も老化のバロメーターなのだろう。ジジイにこんな質問しやがってと思いながら、意地でも「はい」は押さない。早く歩いているつもりでも腿が上がらなくなった実感はある。躓きそうになることも増えたので、つま先が上がった靴や靴底が突っ掛からない靴を履くようになった。

先日はフレイル(加齢による心身の衰え)を予防するために定期的な運動をスマートフォンでAIがチェックするソフトを入れた。歩数や歩行距離、移動距離、運動時間、消費カロリーなどを測定しフレイルリスクをグラフで可視化しようというものだ。AIに鞭打たれながら歩数を気にしながら歩いたり運動するのは癪だが、こんなことでもしないと動くことが面倒な年齢になってしまった。

一日一万歩を目指していた時期もあったが、歩きすぎは老人にはよくないという説もある。歳をとったのだから年齢にふさわしく、老人らしくゆったり歩くのも良いのではないか。なんかその方が人生を楽しんでいるように映るのではないか。明日からは歩数を忘れてゆっくり歩くことにしよう。


70歳代ランキング
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英国のファイナンスサービス社の調査によると、幸福度は40代を底にして70歳近辺でピークを迎えるとのことです。歳はとるものの新しい趣味を見つけたり旅行に出かけたりと楽しみを見つけること、引退して仕事がらみの不満やストレスが減少することがその理由だそうです。
アメリカのダートマス大学の145か国の調査でも47~48歳を底にしてU字カーブを描き、82歳以上で最高値に達するとのことです。40代の幸福度が低いのは、アメリカでは失業や離婚・別居などが起こる可能性が高いからだと思われます。
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10年以上前の米国科学アカデミー紀要掲載の電話によるサンプル数30万以上の調査でも、同様に50代前半を底にするU字型を示しています。ロシアやドイツでの調査も同様にU字型をしているとのことです。米英の調査では18-21歳の若い層と60代半ば以上の層が幸福だと答える割合が高く、若年層はより良い将来を予想して今後の人生への期待値が高く、60代以上では肯定的な評価が齢とともに上昇していきます。この上昇は加齢により知恵が増すこと、高齢者は否定的な記憶より肯定的な記憶を思い出しやすいことなどが要因だろうと言われています。幸福度がU字型であるということは、今はちょっと辛いけれど将来の人生は期待できるという先行き楽観主義にもつながります。

翻って日本のデータを見てみると、少し古いが2008年の内閣府の国民生活選好度調査で、「U字型は米国では見られるが日本では見られない、日本では67歳を底にして79歳にかけて幸福度は殆ど高まらない横ばいのL字型である」と指摘しています。また大阪大学の調査「なぜあなたは不幸なのか」(n=4,206)によると、30代が最も幸福で、20代がそれに次ぐとのことです。40代以降は加齢とともに幸福度が下がり、60代が最も不幸であるとしています。歳をとるたびに幸福感が希薄になるなんて英米とまったく逆ではありませんか。
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50歳前後は親の介護、子育て、仕事の負担が増えるなど幸福度を下げる要素は確かにあります。しかし長寿国日本の老人を待っているのは本当に長くて暗い老後なのでしょうか。それでは堪らないと探し出したのがハーバード大学の幸福研究でした。今まで参考にした調査は幸せかどうかを質問し、その結果を年代グループ別にまとめたものでした。一方ハーバード大学の研究はコーホート分析と呼ばれる手法で、同じ対象者(10代の男性724人、ハーバード卒とボストン育ちの裕福ではない人たちの2グループ)を75年続けて調査し、家庭生活や健康などを継続して調べたものです。

結論としては健康的かつ幸せな人生を歩むために最も重要な要因は、金銭的な裕福さでも名声でもがむしゃらに働くことでもなく、良い人間関係を築けているかでした。たった一人でもいいから心から信頼できる人がいるかどうかが重要だそうです。家柄でも学歴でも職業でもなく、人間関係それも身近な人たちとの関係の質だというのは救われますね。

幸福という言葉の意味は時を経るにつれ変化する可能性があるので、年齢とともに幸福度が下がるとか、若者は高齢者より幸福であるとは簡単には言えそうもありませんが、幸福度に影響を与えるであろう三要素(3K)、健康、家計、家族を大切にして残された人生を楽しもうと思います(後期高齢者になってしまったので残された時間はそんなにはないけど)。



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