マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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カテゴリ: 横浜

毎朝の朝食はパンだ。コーヒーと果物、ヨーグルトにパンで50年続いている。小麦粉の値上がり以降パンの価格もそれなりに上がったのに味が落ちた製品も多く、サイズも小さくなったような気がする。小麦粉の含有量を減らしているのかもしれない。特にロールパンは小さくなったと思うので一番おいしい超熟の山型食パンを買うのだが毎日だとそれにも飽きてくる。それで近所のスーパーでおいしいパン探しを始めた。
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最初に東急ストアにタカキベーカリーの石窯フランスパンがあることを思い出した。広島のパンメーカーでデニッシュペストリーで知られる。デンマーク女王が来日した時に広島工場を見学され、東京の記者たちが「なぜ広島に」と驚いた話は有名だ。アンデルセンやリトルマーメイドという店名のほうが分かりやすいかもしれない。ここのパンはリーズナブルな値段で美味しい。近所のそごうの地下にもアンデルセンがあるが石窯パンは置いていない。

値段も加味して選ぶならオーケーストア。ちょっと大味な感じはするがフランスパンは1本168円だし、ミニクロワッサンは5個で150円だ。ここはパンもピザも価格を考えれば大満足。ランチタイムにはピザを買うサラリーマンで一杯だ。一番安いのは4分の1カットが129円。2枚食べるとちゃんとした昼食になる。クロワッサンもバターリッチでほかの店の大一個300円の半額だから毎日のパンにはもってこい。ピカールのフランス直送の冷凍クロワッサンは1個約120円でおいしいが、オーブンを温めて20分強焼いてクリスピーになるまで待つと30分はかかってしまう。忙しい朝にはちょっと不向きかもしれない。

結局よく買うのは地元横浜のポンパドウルに落ち着く。ここも値段は高い。1969年の創業当時から他店の菓子パン15円に対し50円の値付けで高級・高品質を訴求して差別化してきたからだ。元町本店は宮殿風の店構えと赤い買い物袋といつでも焼き立て(一日に8回焼く)が売り物だったが、ポリ袋有料化以降はあの赤い袋がなくて寂しい。製品開発に熱心で毎月12日には新製品が発売されるし、今月3月は1日と12日の2回も新製品が出る。いずれも400円前後とちょっとお高いけど。毎年新年には干支にちなんだパンを作るという遊び心もある。下の写真は酉年の干支パン、「おいしさトリプル」のダジャレ付きだった。
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こんな努力が実を結んでいるのだろう。創業から56年を迎えても客を飽きさせず惹きつけている。先日も元町に行ったら店の前は人で一杯だった。店内には焼きたてを強調する「一店舗一工房」のパネルが誇らしげに掲げられている。店も手を加えてモダンになっている。宮殿風とはいかないが窓や開口部を大きくして商品を見やすくし店内へ誘導するのを容易にしている。その下の1969年の創業時の写真と比べると違いが分かりますね。
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4月からプラごみの出し方が変わると横浜市からの案内が来た。去年から市内の9区で試行したものを全市に展開するという。そのあとに市の広報誌でも告知をするくらいだから市としても力を入れているのだろう。「ヨコハマ プラ5.3計画」というスローガンが掲げられ、燃やすごみに含まれるプラスティックを年間で市民一人当たり5.3kg削減するのが目的だという。
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年間一人当たり5.3kgだと二人世帯では10.6kg。一日当たり29グラムのプラごみを減らすのは毎日ごみを分別して捨てている老人世帯にとってはかなりアグレッシブな目標に思える。17年も専業主夫をやっているが、毎日買い物をすれば肉や魚だけでなく何種類かの野菜は石油由来の包装紙に包まれているし、調味料はほとんどがプラ容器だ。プラスティック資源をリサイクルして再生させようというのは理解できるが、これだけ多岐にわたって利用されているとアルミ缶のように97%再生というわけにはいかないだろう。

ごみの分別にも時間を使わねばならない。横浜市の場合はガイドラインが時々変わるのだ。昔引っ越してきたころは市の焼却炉は強力だから何でも燃やせると言われ、細かい分別は要求されなかった。プラが適当に混ざっている方が焼却温度が上がって燃費節約にもつながると聞いた。そのうち細かく分別指示が出て、それが時々変更される。食品ラップ、タッパー、食品保存袋やプラスティックのスプーンなどはリサイクルできるゴミだと思っていたら2022年のガイドラインでは燃えるゴミに分類されていた。今年の4月からはラップ、ポリ袋、チャック付き保存袋はプラスティック資源に分類し直されている。つまり燃えるゴミではなく再生されるプラごみになるのだ。
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これでは毎回ゴミを捨てるたびにマニュアルを読まねばならない。多くの人は今まで通りの分類をするだろう。マンションのゴミ置き場では毎回回収前に清掃員のおじさんが全部のプラごみの袋を開けて確認作業をしている。先月ごみ収集業者が管理不適切とされて市から業務改善命令を受けたらしく新しい業者に変わった。市が業者に管理の徹底を求め、管理業者がマンションの管理組合・清掃員に更なる徹底を依頼したための作業だと思う。他人のゴミをチェックさせるのは気の毒だと思う。

マイクロプラスチックが問題となりプラ製品やPETを避ける消費者も増えている。こんな水際作戦をとるより元を規制したほうが効率的なのではなかろうか。ポリ袋をやめてマイバッグに切り替えた人も多いのだから、プラスティック・トレーでなく経木を使うとか、プラボトルでなく再利用が簡単なガラスボトルに変えるなどを行政がリードして徹底すればプラゴミの量は減るのではなかろうか。私の世代は昔そうやって暮らしていたのだからできないことではないと思うのだが。

崎陽軒のシウマイ弁当は好きな弁当なのだけど値段が弁当の割には少し高い。街の弁当屋やコンビニ弁当と比べる気はないが、一日に2万7千も売れる日本一の弁当ならもう少しコスト削減できるのではなかろうかと考えるのは外資でコストを削れと言われ続けてきた習い性かもしれない。つい最近来月から1000円越えへ値上げとの発表があり、値上げ前に食べねばと買ってきた。
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現在は950円だが来月からは1070円になる。米がこれだけ上がっているから仕方ないかもしれないが、強気の120円の値上げ、パーセントにしたら13%アップ。1980年代に横浜に引っ越してきた時は600円だった。それから25年経っても710円だった。ハマのソウルフードだと思って毎月のように食べていた。蒸かしているからご飯が冷めてもおいしいし量もたっぷりある。2008年に値上げして780円になったが、2010年には30円値下げして750円となった。いいところがあるじゃないかと思ったが、その後は2014年に二回の値上げ、2016年と2018年にも値上げして860円となり、2022年には900円に2023年には950円と価格改定した。原材料や人件費が多少上がったのかもしれないが、2000年からのデフレが20年間続いた世の中で5回の値上げはちょっと許しがたい。努力が足りなかったんじゃないの。その間にJAS法違反もあったし。

それで過去の値上げを調べると、1954年に100円で発売してから次が18回目の値上げだ。プラス1回の値下げ。4年に一回の値上げが多いのかどうかは判断できない。ただ消費者物価指数の伸びと比較して作表してみるとこんな感じになる。
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上の黒点付きの黄色の線がシウマイ弁当の値段の移り変わりで、下の青の線が消費者物価指数。両方とも1953年をゼロの起点としている。70年代以降シウマイ弁当の価格はCPIをコンスタントに若干上回るくらいで推移していたが、乖離が目立ち始めるのは2008年以降かな。そこからは一般的な物価の値上げを下に見るように上昇している。一時は全国展開も考えた崎陽軒だったが、ヨコハマ再集中でブランド力を強化したものの、地元民と出張客だけでは更なる売り上げ拡大は困難とみて値上げに踏み切ったのだろうか。客を甘く見るとやけどをすると思うのだが。

そう思うのも2022年に頼りなさそうに見える慶応出の四代目が社長になり、就任して数か月後にシウマイ弁当からマグロの照り焼きを外し代わりに鮭の塩焼きを入れたことから始まる。その理由がコロナ禍の世界的なサプライチェーンの混乱でマグロの必要量を確保できなくなった、という信じられないものだった。近所の中央卸売市場やスーパーにはいつもと同じようにマグロは並んでいる。買い負けたなんて社長が言ってはいけない。そう思っていたら一週間後にマグロに戻した。サプライチェーンは一週間では急変したりはしないものだ。一週間後に手に入るのだったらその前の週にも手配できただろうと思う。頑張ってマグロを提供し続けるのが経営責任じゃなかったのか。パッケージまで鮭のものに変えたのに、それをまた戻すなんて節度がない。それに鮭が気の毒だ。その数日後こんどは翌月からシウマイ弁当を40円値上げして900円にするとの発表があった。とんでもないドタバタがあったのだ。

穿った見方をすればこの40円の値上げを正当化するためにマグロを出しにして原材料の高騰を訴え、一週間だけ鮭にお勤めをしていただき、やっぱり鮭では務まらないから高価なマグロにもどしますから値上げの方ををよろしくね、とあのボンクラ社長が言っているような気がした。購買者のことなんか全く考えていないみたいだ。若社長が専務時代に出たNHKの崎陽軒のドキュメンタリーでその頼りなさ、心もとなさを晒しだし「えっ!これが次期社長?崎陽軒危うし!」と思ったが、その気持ちはいまだ変わっていない。1000円という心理的な閾値を超えた今度の値上げは崎陽軒にとっては要注意ですよ。

衝動買いした都内のマンションが住みづらかったので、元町に店を持っていた義父の勧めもあって建ったばかりのパークシティ本牧に部屋を借りた。1987年だった。浜っ子の家内は本牧の米軍宿舎をフェンス越しに覗いていたことをを憶えているので、あこがれの街に住めると喜んでいるようだった。ただ駅からは遠くJRなら石川町、東急線なら桜木町からバスを使わなければならなかった。数年後には地下鉄が延伸されるという話だった。広い平らな原っぱにタイル張りの新築マンションが9棟建っていた。本牧原という住所名にピッタリの風景だった。
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小3の娘は毎日片道2キロの道を草をかき分けながら間門まで通学しなければならなかったが、そのおかげで喘息が治った。買い物も便利とは言えず、週末には車で元町ユニオンに出かけた。不動産屋は駐車場なんかいりませんよ、原っぱにとめておけばいいんですと言ったが、そうもいかず原っぱの一角の7千円の駐車場を借りた。

数か月後に状況が変わった。89年春の開業を目指すマイカル本牧の工事が始まったのだ。そんなことは聞いていなかった。まわりの草は刈られて整地され、目隠しのフェンスが建てられそこにアーティストたちが思い思いの絵を描いた。白地バックに鮮やかな色で描かれたポップな絵画は夏の太陽に映えて、日本ではないような光景だった。
騒音と埃には悩まされたが予定通りにマイカル本牧は完成した。高級ブティックやブランド店も嬉しかったが、スーパーと映画館や劇場が併設されているのが一番ありがたかった。すぐマイカルカードを作った。
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出来上がった建物は壁はごく薄いベージュがかった黄色、屋根は三角でオレンジ色というスペインを想起させる配色で全10棟。わが家の前の道は「イスパニア通り」と名付けられていた。コンセプトはアーバンリゾートで、180ものショップやレストラン、スポーツ施設などが入っていた。前宣伝も派手だったので開店時から大変な混雑となった。もともとバス便しかない場所なのでバスはいつも満員、車で来る人も多く駐車場待ちの車が道路をふさぐので週末は車に乗る気がしなくなった。おまけに地主が強気になって7千円の駐車場は一気に2万円に跳ね上がった。マイカル本牧は大規模な流通実験として全国的にも注目され観光バスの目的地にもなったので店も道も混んだ。初年度はディズニーランドを超える1500万人が訪れたという。

食品や日用品はサティで買い、時々は5番街のブティックで買い物をし、夕食後に毎週のようにシネコンで映画を見た。足の便が悪いせいか最終回は我々夫婦二人だけのことがほとんどだった。家から1分で行けるのは楽だった。家内はスポーツジムに通い、見たい演目があるとアポロシアターにも足を運んだ。オフィサーズクラブにも飲みに行った。食事を作るのが面倒な時は走って行ってピザやハンバーガーが買えた。なんとなく生活が彩を帯びたような気がした。

しかしオープンから2年もしないうちにバブルが弾けた。電車の便がない本牧は寂れはじめると一気に下降が始まる。売り上げが下がると高い賃料が足かせになる。閉店後にプティックの店員が「今日はブレスレットが1個売れただけだった」と話しているのを聞いたことがある。5番街のカステルバジャック、アクアスキュータム、ベネトンなどはさっさと撤退した。アポロシアターも客が来なくなり、マンションのポストに週末の公演の無料券が何回も入っていた。客が少ないと演者にすまないと思ったのだろう。しかしクラシックバレエやクラシックコンサートの公演の時は初めて見る客が多いようで拍手をしてはいけないところで大きな拍手が起きたりした。レストランも閉店が続きマイカルが目指した未来都市、小粋なアーバンリゾート構想はガラガラと崩れ始めた。

結局地下鉄が延伸することもなく陸の孤島のようなってしまったマイカル本牧。バブルの崩壊だけでなく、93年にはランドマークタワーが完成したみなとみらい21地区に客を奪われるようになると業績はさらに悪化した。経営再建のため大半の建物を売却したが状況は変わらず、2011年にイオンに吸収合併される形でマイカルそのものが消滅してしまった。マイカル本牧、22年の短い生涯だった。

午後近くのコンビニに買い物に出たらハンドマイクで叫ぶ声が聞こえた。向かいのKアリーナのコンサートに入場する人の整理をしているらしい。細い通路を蟻のように多くの人が一列に並んで歩いている。帰ってネットで調べたらJay Chouのコンサートらしい。老人にはなじみのない名前だがSSS席が3万3千円とあった。最近のコンサートは値段が高いね。2万人も入る大ホールなのに。
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Kアリーナは昨年秋にオープンした世界最大級の音楽アリーナだ。こけら落としはゆずやスピッツ、キンプリなどで大きく騒がれ、最初の3か月は稼働率80%を誇っていたが、最近は月に8日くらいの稼働となっている。先月末にはジャネットジャクソンのコンサートがあったがたいした話題にもならなかった。勢いが削がれたようにも思える。原因の一つは帰り道の混雑にあるらしい。

この辺りに住む住人はKアリーナでコンサートがある日は会場の近くには寄り付かないようになった。それほど人の流れが多いのだ。帰り道が一本しかなく、終演後2万人が順番に会場を出てきてもほとんど歩くことができず、通常なら10分かからない横浜駅まで1時間40分から2時間かかるという。いくつかのテレビ番組でも報道されていたが、帰りには下の写真のようになるらしい。これじゃコンサートの感動が半減しそうだ。
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Kアリーナは首都圏で外人向けの賃貸マンションなどを展開しているケンコーポレーションが開発したのだが、初のアリーナ事業でホールばかりに目が行き人流をコントロールする道路事業をタイムリーに横浜市と協同することに気が廻らなかったのだろうか。現在アリーナの北側に通行者用のデッキを作っているが、完成は6月末だという。昨年9月の開業から1年近く経っての完成だから不手際を誹られても仕方がないのかもしれない。
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このデッキが完成すれば帰路の大混雑はかなり改善されると言われているが、デッキそのものがアリーナと帷子川の間にあって道幅を大きくはとれていない。開通後は現在の一本の横浜駅までの帰り道が三本位になりそうだが、会場を出てからしばらくは相変わらずの混雑が残ると思われる。Kアリーナの隣にはヒルトンホテル、アンパンマンミュージアムがあり、アリーナ前の空き地にはオフィス、ホテル、ミュージアム、専門学校、商業施設から構成される「リンケージテラス」が2026年に着工されるのでこの近辺の混雑はどうも解消されそうもない。老人はじっと家に閉じこもっているしかないのかも。

先月の17日から一週間崎陽軒のシウマイ弁当からマグロが消え、かわりに鮭の塩焼きが入った。具材の変更は59年ぶりだという。変更の理由は、「新型コロナの感染拡大による世界的なサプライチェーンの混乱などの影響で原材料のマグロの必要数量を確保することが難しくなったため」、と発表された。当日朝から売店には人が並び、20~30分で売り切れる店が続出した。その後も数個単位で入荷するたびに即売り切れのようだった。
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テレビの報道などではマグロの入荷数量が減ったことで値段が上がり買い負けたのが理由だと説明があった。本当にそうだろうか、とへそ曲がりの老人は思った。その期間中も、それに先立つ数週間もスーパーや魚屋ではマグロが並んでいたし、近所の中央卸売市場にもマグロは並んでいた。毎日のように市場の様子をアップしている市場の理事のFBにも、品薄と円安でじわり値上げ、の表現はあったがマグロはいつものように鎮座していた。

買い負けた?本当にそうなら何故一週間だけなのか。円安もマグロの値段も一週間では元に戻らないだろう。状況は同じなのに、何か腑に落ちない。一週間後に値段の上がったマグロを手当てできるんだったらその前の週でも可能だろう。それが企業の責任じゃないのか。ましてハマのソウルフードとまで言われているシウマイ弁当ですよ。そこで思った。一時的にでも売り上げを増やすせこい便法ではないかと。たった一週間のためにパッケージを変えるだろうか(下記参照)。急にマグロの確保が難しくなったにしては手際が良すぎる。
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推測するに、これはこの5月に就任した新社長のアイデアではなかろうか。なにか斬新なことをして社内外の注目を集めたい、と思ったとしても不思議ではない。崎陽軒四代目社長は40才の若さで、かつ先代の父親と比べるといかにも心もとない。5年前のNHKの「覆面リサーチ ボス潜入」という番組で、当時専務だった新社長が変装して社内の問題点を覆面調査し、改善点を洗い出すという一種のドキュメンタリーだったが、あまりのボンクラぶりに「これが次期社長?崎陽軒危うし!」と思ったのは私だけではないはずだ。

そんなことを考えていたら、シウマイ弁当が来月10月1日から40円値上げで900円になるとのニュースが入ってきた。ひょっとしたら、この値上げを正当化するためにマグロを出しにして原材料の高騰を訴え、一週間だけシャケに切り替え、10日後の値上げ発表の布石にしたのであればボンクラ社長もそれなりに考えているのではなかろうかとは思った。ま、まっとうな方法とは言い難いが。それにしても、シャケの立場がない!



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わが家から帷子川を挟んだ対岸に建設中の「Kアリーナ横浜」。隣にはヒルトンホテルとオフィスビルも来年秋に完成です。世界最大級の2万人収容の音楽アリーナは今月から予約受付が始まったとのこと。今年の一月には下の写真のようだったのに半年で工事はかなり進みました。初めて見た人は異様な形状にたいてい驚きます。
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主に外人向けの高級賃貸マンションで知られるケン・コーポレイションが進める大プロジェクトです。都心の電柱によく広告を掲載してましたね。オフィス事業は経験があるのだろうがエンターテインメント事業に参入した大丈夫なのだろうかと老人はちょっと心配です。それにアリーナの内面図を見ると屋根がないように見えます。みなとみらい地区の屋外コンサートの音声が聞こえるくらいだから、数百メートルしか離れていないアリーナの2万人の歓声は相当響くに違いない。ただでコンサートが聴けるのは悪くはないけど。
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しかし2万人入る会場に屋根がないわけはないだろうと他の記事を調べたらこんな写真もありました。梁組があるようなのできっと天井はあるのでしょうね。
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もうひとつ心配事が。同じみなとみらい地区には1万人収容のピアアリーナもすぐ近くにあり、大小ふたつのホールを持つみなとみらいホール(現在改装中)もあるし、隣駅の関内には関内ホールと横浜文化体育館跡に武道館とは別に5000人収容のメインアリーナも建設中です。ハコばかり作って大丈夫なんだろうか。ちゃんと稼働するのか、人が来るのか心配です。以前ブーニンを聴きに行ったみなとみらいホールは三分の一しか客が入っていなくてブーニンはちょっと不満そうだったし、本牧に住んでいた時目の前にあったアポロシアターは毎回ガラガラでバレエやコンサートの無料チケットがマンションのポストによく入っていて2、3度見に行ったことがあります。(その後閉館されてしまった)。
もし同日にコンサートが重なったら帰りは大変だと思う。最寄りの地下鉄新高島駅は小さな駅だし本数も多くはないので何万人が横浜駅まで列を作って歩くことになるのでしょうね。でも近所にこういう施設ができることは街の活性化にもつながるので期待はしているのです。k01_o



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ユーミンの唄「海を見ていた午後」で有名になった山手のドルフィンの前の坂を上がったところにある米軍の消防署 Fire station No.5。20年ほど前に火事を出したことで有名です。消防署が燃えるなんて、と驚きました。そのうえ電源喪失でシャッターが開かなかったため自力で消火ができず、横浜市消防局の消防車15台が駆けつけて消火をしたとか。
前を通るたびに看板に書かれた標語「Learn not to burn」は火事の前からあるのか、火事の後に書かれたのかとても気になります。少なくともこの20年は火を出してはいないのですが…
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そのユーミンが昨夜キャラメルママ、尾崎亜美とともにNHKの音楽番組に出ていました。見た目はそんなに変わらないけど声が低くなり声量も落ちました。以前は一息で歌えたフレーズが途中でブレスが入ります。デビュー50年で67歳になったのだから仕方がないのでしょうが、すこし悲しい。でもいい番組でした。



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久しぶりにハマのソウルフード崎陽軒のシウマイ弁当買いました。月一くらいで食べていたのですが最近はすこしご無沙汰でした。冷めてもおいしいのが特徴ですね。テレビの駅弁ランキングで取り上げられることはほぼ無いけれど(多分駅弁とは見られていないからかも)一日に1万7千食の販売量は日本一ではないでしょうか。コロナで旅行客やイベントが減り32%減少したが、ピーク時には2万5千食あったと最近の記事にありました。

中身は昔ながらのシウマイ5個、鶏の唐揚げ、マグロの照焼、玉子焼き、蒲鉾、筍煮、切り昆布と千切り生姜、あんず、そして御飯。ちなみに1954年の発売当時は、手握りのシウマイ4個、エビフライ、ブリの照焼、玉子焼き、蒲鉾、福神漬け、昆布佃煮、筍煮、そして御飯。御飯は今と同じように俵型の型押しだったが、ゴマと小梅は付いていなかったとのこと。主役のシウマイは、1974年に4個から5個に増え、エビフライがホタテフライに変わり、椎茸の甘煮も加わっている。その後ブリの照焼はマグロの照焼に変わり揚げ物は鶏のから揚げになった。レンコン炒めが入っていた時期もあったし、発売当時の酒悦の福神漬けは1981年に姿を消している。HPでそんなことを確認し、昔はちょっとおかずが違っていたなあ、エビフライは残して欲しかったなあと思いながら、はい、完食。評判がいまいちのあんずがいつ加わったか分らないのが残念。ちなみに下の写真が発売当時の復刻版です。

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弁当としては安くはないのに(現在860円)長い間これだけの販売量を維持しているのはおいしいだけではなく差別化のための色んな工夫がされているからでもあります。シウマイが冷めても硬くならいのはホタテのすり身を加えているからだし、ご飯も高熱の蒸気で蒸しあげているから冷めた後もいつまでもモチモチなのだそうです。そのご飯は固く型押ししてあるので意外とお腹いっぱいになるのです。シウマイが小さいのは揺れる車内でもこぼさないようにと一口サイズにしたのだそうです。容器がプラスティックでなく経木なのも好感が持てます。プラスティックだとふたを開けた時に水滴がご飯の上に垂れてご飯の味を損なう可能性があるからです。

横浜本社で作られたシウマイ弁当は昔ながらの紐かけ式ですが、東京工場で作ったものは蓋式です。熟練職人は一時間に300個の紐かけをするそうですが、いずれは全部蓋式になると思われます。真っ赤な衣装のシウマイ娘(最近はシウマイおばさん比率が高いが)も崎陽軒のイメージ確立に貢献したけれど、焼売弁当でもシュウマイ弁当でもない「シウマイ弁当」のネーミングが一番大きな差別化の要因かも知れませんね。(写真は1950年頃のシウマイ娘と1955年に建てられたシウマイショップー現在の崎陽軒本店)
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