マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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カテゴリ: たわごと

マンションの管理組合の理事を1年してこの1年は理事長として過ごした。なりたかったわけではないがなんだか知らぬうちになってしまった。理事の時とは全く違う仕事量とプレッシャーだった。築後30年が過ぎ2回目の大規模修繕とエレベーターの更新工事準備がほぼ同時にはじまり、約10億の金額が動くのでプレッシャーがあって当然なのだが。おまけに来年度は管理会社が3年ぶりに管理委託費の値上げを求めてきているのでこれも紛糾の種だった。

私が住むマンションは400戸を超えるマンションで、十数人の旧地主の地権者、100戸近くを所有するUR、私のような普通の組合員、それに十数件の店舗からなるので関心も地元への愛着も様々だ。理事長として最初で最後の総会なので結構緊張することになる。30年以上経っているので過去に理事長や理事をやった80代の爺さん婆さんがたくさんの質問をしてくるのは予想できる。彼らは過去の細かいいきさつや、管理規約に則っているかなどの子細な点を突っつくばかりで大きなビジョンを描くことは不得手のようだ。そこを攻めると「その頃まで生きていない」と逃げを打つ。

議題も8件あり3時間の予定では終わらないかもしれない、と不安を抱えて総会が始まった。例年議題に関係ない意見を延々と述べる老人がいるので、冒頭にそのような発言を続けると発言中止、それでも辞めないと発言禁止、それでも駄目なら退場もありうると通常よりも強いメッセージを送った。1号議案は事もなく承認され、給排水管工事に関する2号議案も可決された。3号議案はエレベーター関連で諮問委員会がうまく説明してくれたのでなんとか終了。残された議案のうち管理規約の改定を含む特別決議が必要な役員数変更議案あたりから細かい質問が増え始め予定の3時間を超えた。

一番揉めそうな管理委託契約(委託費の値上げ)はまず管理会社が簡単に背景を説明した。これ以上続けると値上げする側の説明でマッチポンプになるので私が引き取って数字を使って説明した。まず近隣30のマンションの平米当たりの管理費の比較。過去からの管理費の増減。次に国交省発表の全国のマンション管理費との比較。住民アンケートによる管理会社の評価結果。最後に合い見積もりをとるまでの経過(結局どこも人手不足で新規に大規模マンションは担当できないと辞退)、値上げを受けた場合の管理費のキャッシュフロー予測、まで進んだところで元理事長の一人から説明が長すぎる、そんなことは知っているとクレームがつく。反論しようと思ったがここでもめるとさらに時間をとるのでぐっと我慢する。予想したように清掃の回数がおかしいとか管理の質の劣化が進んでいるとか旧理事長たちから質問が続出。管理会社に答えてもらってなんとか採決&承認。やっと5時間強の総会が終わる。

予想したように質問のほとんどは旧地主、元理事や理事長経験者の高齢者のみ。養老院の会議はこのようなものだろうという気がするくらいだ。初めて総会に出た若い人は多分次からは出席しないかもしれないし、役員になろうとは思わないだろうと思う。老人たちのほとんどは過去の資料を保管していて、管理組合に異議を唱えるのを趣味にしているようだ。関心を持つのは良いことなので文句を言う気はないが、将来を見据えた考察や提言があったらありがたいとは思う。総会終了後に理事会メンバーから感謝はされたがどっと疲労が出た。

部屋に戻って保管していた管理組合関連の資料をすべて処分し、個人情報を含む資料は管理事務所に持ち込んでシュレッダーにかけてもらった。もう組合活動にかかわることは二度とないだろう。仕事をしたという充実感もあったが、疲れることの方がはるかに多かった。理事長を経験したばかりにそれまでリーダーシップがあると思っていた人がそうでもなかったり、愛想のいい老人と思っていた住人が実は何度も「訴えてやる」と叫ぶモンスター・クレイマーだったりと知らなかった方が良いことも多々あった。これからは毎朝メールボックスを開くたびに管理室からの「新しい意見書が届けられました」とか「xx様からクレームが来ました」というタイトルのメールが来ているのではないかとビクビクしなくてもよいことが一番うれしい。

好奇心の強さが数少ない自分の強みだと思っていた。大学を出て就職した広告代理店で上司から「ベストセラーは目を通せ、流行っている歌は聞いておけ、ヒット商品は試してみろ、人が集まる店には顔を出せ、自分で買い物をしてモノの値段を知っておけ」と言われたことを守ってきたことが影響しているのかもしれない。今何が売れていてその理由は何なのかを情報として仕入れるのではなく、自分で調べろということだった。

だから家じゅう本やビデオだらけになったし、自分の考え方や思考方法を変えるかもしれないと思って1980年に軽乗用車が買えるくらいの金額で出始めたばかりのPC(当時はマイコンと呼んでいた)を手に入れてプログラミングを憶えたし、その数年後には個人用に売られ始めたワープロも手に入れた(これは使い物にならなかった)。映画館にも毎週のように通ったし、コンサートにも行った。代理店時代もその後のメーカーでのマーケティング部も無料で手に入るチケットが貰えたので財政的に助けられた面も多かった。

しかし歳をとるにつれて好奇心が失せてきた。コンサートに行っても感動することが少なくなった。感性が鈍磨されたのだと思う。感情移入の度合いが減ってきたのだ。老眼が進んで本を読むのが面倒になる。テレビはニュース以外は見なくなった。最近のタレント、歌手や芸人の名前はほとんど分からない。映画は定期的に見ていたが近所のシネコンがなくなってからは遠くまで見に行く気力がない。流行りの場所に行くことも激減した。

そんなことを考えていたら博報堂生活総合研究所のデータを基にした「生活寿命」の記事が目に付いた。これは歳をとると大盛を頼めなくなる(42歳)、行列してまでラーメンを食べたくなくなる(43歳)、焼肉がヘビーに感じられ食べたくなくなる(51歳)、料理を作る気力がなくなる(56歳)などの食に関連する「寿命」と同様に「消費」に関しても寿命や定年があるのではないかという発想だ。新製品や新規開店に惹かれるのは何歳くらいまでなのか。食欲とはちがって気力や好奇心は何歳くらいで失せるのだろうかと興味を持った。
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新製品に興味を持つのは平均で41歳までだ。自分は菓子や飲料の新製品開発の仕事もしていたので人よりは新製品に関心を持っていると思うが、60歳で引退してからは興味は失せ気味だ。新規開店の店や商業施設に行こうと思わなくなるのは52歳。これも当たっている。今住んでいるところは徒歩圏内にショッピングモールがいくつかあるが最近はご無沙汰だ。歩いて5分の場所に最近イケアがオープンしたが訪れたのは開店後ひと月後でそれも買い物のついでに寄っただけだ。かつては良く買い物に行っていたアウトレットモールが数年前にリニューアルオープンしたが出かけたのは2か月前だった。腰が重くなっている。これは同調査で示されているモール寿命(55歳)や人ごみ寿命(49歳)も同様で、体力、気力、忍耐力、好奇心が落ちている証拠だろう。

長く生きていると耐久消費財も新たに買うことが少なくなり、保守的にもなるので消費財も今まで使っていたものと異なるものに興味を持たなくなるという一面もある。子供が同居している頃は子供と一緒に買い物や飲食をすることが多かったが、彼らが独立して家を出るとそうした機会も減る。ともに体力気力が衰えた老夫婦は限られた生活空間で新鮮味に欠ける消費生活をすることになる。でもそれらは長い間の取捨選択で残ったものばかりなのだから、それでも良いのではないかとは思う。


大学に入学してしばらくたってからサークルに入った。文学部でまわりは女子ばかりだったし、友達もすぐにはできそうになかった。一人で早慶戦を見に行っても楽しくもなかった。サークルにでも入ろうかと選んだのが邦楽サークルだった。

浪人生の時に毎晩聴いていたCBCの深夜放送で、尺八演奏家の山本邦山がシャープス&フラッツとニューポートジャズフェスティバルで演奏した「みだれ」が流れた。ベースと尺八だけだったが感動の一曲だった。尺八の音色と息遣いが想定外だった。これはやらねばと思った。翌日栄のオリエンタル中村に出かけ楽器売り場で一本だけ置いてあった尺八を買った。2000円だった。家に帰って吹いてみたが全く音は出ない。図書館に行って奏法を読んでも駄目で、譜面などは全くのちんぷんかんぷんだった。

その尺八を持ってサークルの部室に行ったら、上級生から「こんなものは尺八ではない」と言われた。師範にお願いして一本調達した。3万5千円だった。当時の仕送りが3万だったから相当の値段だった。週一回の師範の稽古と、部室での練習で段々音が出るようになって面白くなってきた。日に何時間も吹き授業もすっぽかして練習するようになった。ただ一年後に師範が交代して相性が悪くなり、師範の教える古典でなくジャズやポピュラーや新曲を吹くようになった。
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尺八は器用な楽器ではないが単音での表現力に優れている。音色に宗教性や哲学性を感じる人もいる。顎を動かして音の高低を出せるし、ムラ息という音楽で使う楽音とは呼べない雑音まで取り入れてしまう。西洋の管楽器が息のほとんどを楽音にすることができるのに対し、尺八は吐いた息の半分くらいしか音にならない。効率の悪い楽器だ。他の楽器と合奏したり伴奏をするためにはG管だE管など長さの異なる何本もの尺八を揃えねばならないのもやっかいだ。面倒な楽器だから逆に愛着が湧く。

学生の頃は山手線の中で吹いたり、飲み屋で吹いたりした。若気の至りだ。深夜の新宿で何人かで演奏し写真週刊誌に載ったりもした。大学近くの居酒屋で客の演歌の伴奏をして、「あの学生さんにビール5本あげといて」と言われたり、店の人から「演歌居酒屋にするから働かないか」などと言われたこともあった。ただ尺八に時間をとりすぎて大学を退学処分された。

今ではほとんど吹くことはない。鍵盤楽器や弦楽器を比べると管楽器は体力が必要で老人にはしんどい趣味になってしまった。毎日吹いていれば違うのだろうが、そこまではできない。大学時代の仲間がで一人だけ尺八を吹き続け、今でも名古屋駅前で虚無僧をしている仲間がいる。駅前で見かけたら立ち止まって聞いてあげてください。日本でただ一人の慶応ボーイの虚無僧です。
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今年は2025年。「2025年問題」の年だ。私もその一員である団塊世代全員が今年75歳以上の後期高齢者になるので、社会保障費の増大、医療や介護体制維持の困難化、労働力不足という日本経済や社会に深刻な問題を及ぼすのだと言う。今年時点の後期高齢者数は2154万人。超高齢化社会だ。その背景にあるのは少子高齢化だが、2025年に3人に1人が65歳以上に、5人に1人が後期高齢者になることは何十年も前から予測できたことで、今問題にするのは政府の無策を晒すだけだと思う。それに何か危惧することがあるたびに団塊の世代がその要因であると言うのは勘弁してもらいたい。
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18年前には「2007年問題」というのがあった。団塊世代が一斉に定年退職を迎えるので労働力不足や、蓄積された技術や経験が喪失されるのではないかとの懸念があった。しかしその前年に改正高齢者雇用安定法が施行され企業は、定年廃止か定年延長か再雇用かの選択を迫られ、多くの企業が再雇用に走ったため逆に高齢労働者数は増え、大きな問題は起きなかった。
同時に「2007年問題」にはもう一つ期待されていた面があった。団塊世代の退職金が投資市場に流れ込んで市場を活性化するのではと思われたが、退職金はほとんど貯蓄に回され投資市場にはさほど流入しなかった。意外と団塊世代はカタいのだ。

その後定年を65歳に延長する会社が増え、団塊世代が65歳で定年退職になる「2012年問題」が話題となった。この時も技能継承が問題視されたが、5年前と同様に雇用延長や再雇用によって何とか乗り切った。しかし再雇用で賃金が下がるため、エンジニアの中には報酬の高い中国、韓国、台湾などの企業に技術を伝授するために再就職した人も多かった。裏切者、という声もあった。

「2015年問題」というものも存在した。団塊世代のすべてが65歳以上となり、労働人口の減少だけでなく年金をフルに受け取れる年金給付人口の急増で年金財政が悪化するのではないかとの心配が起きた。予想されたように年金財政は圧迫され、支給年齢の引き上げや現役世代の負担増が引き起こされた。団塊世代は「最後の食い逃げ世代」と呼ばれた。

そして現在の「2025年問題」だ。確かに医療費では迷惑をかけている。後期高齢者は平均で年97万円と75歳以下の人の約4倍の医療費を使う。膨張する47兆円の医療費の4割を後期高齢者が占めるのだ、それもその多くが1割負担で。申し訳ないと思う。でも望んで長生きをしているわけではない。スパゲッティ状態になってまで長生きしたいとは思わない。わが家は夫婦二人で年間30万円の後期高齢者健保を払い、昨年の医療費は二人で4万円弱だった。多少は貢献してるんだけどね。

この先には「2040年問題」という大問題が待っている。団塊ジュニア世代が高齢者になるのだ。2040年には65歳以上の高齢者が全人口の35%を占めるようになる。世界のどの国も経験したことのない超超高齢化社会だ。生きていれば私は93歳だが、多分この世にはいない。街には高齢者があふれるだろう。車いすやシニアカーだらけになるだろう。病院や介護施設も老人で一杯でケアをする人たちも老人であろう。医療費や現役世代の負担がどうなるかなんて想像もつかない。他の国も日本に遅れて同じ状態になると思われるので、この国の対応策がよいお手本になれるといいのけど。それはひとえに日本がこの2025年問題をどう乗り切って、何を学ぶかにかかっていると思うのだが。

マンションの管理人さんがひとり辞めた。年配の方だったので不思議にも思わなかったが、管理会社は少し焦っているように見えた。大手ディベロッパーだからすぐに後任は見つかるだろうと思ったが、そうはいかないようだ。すぐ採用面接にとりかかると言っていた。

そういえばマンションの管理組合の理事をしているゴルフ仲間が、昨年1年で管理人が3人辞めてしまい、突然の退職で引継ぎが十分にできないため総会が開けないと言っていた。中小の管理会社だったが、多分口うるさいクレーマーがいたのだろう、最後の一人はノイローゼのようになって辞めたらしい。思った以上に大変な仕事なのだ。
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マンション関連では建物そのものの高齢化、住人の高齢化、理事会役員の高齢化とならんで管理会社の管理人の高齢化が問題となっている。もともとマンション管理員は年配者の転職先として人気があったが、企業の定年延長や再雇用で応募者が激減している。だから欠員が生じて募集をかけても応募者が少ない。中小の管理会社は恒常的に人員不足らしいが、大手でも人手が足りず既存マンションの欠員の補充ができていないし、新規受託の依頼があっても管理員の応募が見込めないため受託できない。かつ人員不足が管理員の人件費高騰を招き、多くの管理会社が管理委託費の値上げを要求している。値上げが認められない場合は時短など仕様変更をせざるを得ないし、組合としてもそれを受けざるを得ないことが多い。最悪の場合は「もう続けられられません」と管理会社の撤退もありうる。

管理員の仕事は高齢者に向いているように思われるが3K要素が強く、その割には求められるスキルが多く対人関係対応能力も必要だ。過激な要求をされることも多く離職率が高いことも応募の減少の理由だ。どのマンションでも見られそうだが、特に高級住宅地エリアで顕著だそうだ。

理事長を半年やっていると管理スタッフ問題だけでなく今まで見えなかったこと、気づかなかったことが沢山ある。それらを解決しようとすると理事長は管理会社寄りだ、管理会社に丸め込まれている、という老人が多い。大抵彼らは理事や理事長の経験のある引退した老人なので時間だけはあり、趣味のように注文を付けてくる。管理人室にやってきて忙しいのに一時間も話し込んだ、ということはよくある。どこにもクレーマーはいるのだが、本人はクレーマーだという意識は全くなく、マンションの役に立っていると信じ込んでいるのが一番質が悪い。過去の事例や手続きなどの細かいことには執心するが、将来を見据えた提案などはほとんどしない。「そんなに長くは生きていない」と言うのが常套句だ。

私の住むマンションも来期は大規模修繕工事やエレベーター更新を控え、おまけに管理会社からは管理委託費の値上げを要求されている。はやく新しい管理人が見つかり仕事に慣れてもらいたい。理事のなりてもなく輪番でも理由を付けて断る人ばかりだ。次の総会は荒れそうな気もするが、クレーマー対策もしながら資産価値の維持や居住性向上のための先を見据えた提案をしなければと思う。あと半年何とか乗り切ろう。

9月半ばになっても毎日暑い。人に会うたびに「いつまでも暑いですね」と挨拶し、老人たちは「この季節でこの暑さは体にこたえる」と返す。私の部屋は南西向きなので朝から夕方まで日差しが入り、毎日エアコンをつけっぱなしにしないと生きていけそうにない。昨夏も史上最高の暑さだったが、今年もほぼ同じ平均気温だった。
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窓には半透明フィルムを貼り、レースと遮光カーテンを使っているのだがそれでも暑い。エアコンを使わないと朝起きた時の室内温度が33度の時もあった。シーツと枕と掛布団は汗まみれ。マンションは密閉性と保温性に優れているとはいえ暑すぎる。YKKのデータによると夏の暑さの74%は窓から流入するのだという。冬の熱流出の50%も窓からだという。わが家でも夏暑く冬寒いので二重ガラス窓にしようかとか、内窓を設置しようかとか考えたがコストや見ばえを考えてまだ決断に至っていない。
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現在住んでいるマンションも築31年目に入り窓に関するクレームも多い。窓の密閉性が劣化してすき間風が入る、サッシの遮音性が悪い、強風時にガタガタ鳴る、サッシのゴムパッキンの劣化がひどい、などなど。現在来年の大規模修繕に向けて修繕案の策定中だが、サッシの修繕は一窓20万円位、交換となると40万円位がかかり400戸を超えるマンションではとんでもない金額となる。たぶん次の大規模修繕まで申し送りになるのだろう。

そもそも断熱性に問題があるとされるアルミサッシを日本ではなぜ使い続けているのだろう。かつてカナダ勤務の時数軒のマンションで暮らしたがアルミサッシは一つもなかった。ハンドルを廻して窓を外に押し出したり、観音開きの窓ばかりでフレームも鋳物か木製のものがほとんどだった。アメリカやヨーロッパでも同様だった。最近では樹脂サッシ窓が中心で冬の寒さの厳しいイギリスやドイツ、韓国やアメリカでは新築の窓の3分の2以上が樹脂窓で、韓国では8割を占めている。アメリカでは半分の州でアルミサッシが禁止されている。アルミは樹脂の1400倍の熱を通してしまうとも言われている。日本でも北海道などでは樹脂窓の普及率が高いということは断熱性が評価されているということだ。私は国内で15回引っ越しを経験し、そのうちの10回はマンション暮らしだったが、10軒のマンションはすべてアルミサッシだった。
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(町田昌弘氏の写真集より)
なぜこんなことになったのか。アルミサッシは3社の寡占状態で、加工もしやすく利益率のすこぶる高い製品だ。住宅ブームの時に各メーカーはアルミサッシの安価なことと耐久性を武器に住宅メーカーに働きかけ、ユーザーは窓のことなど気にせずに家やマンションを購入したということだ。住んでみると夏はアルミサッシは日差しを受けて熱くなり、冬は結露を招いてカビの発生を起こす。気づいた時は既に遅くマンションでは窓は共用部なので自分で取り替えることすらできない。おまけに夏の冷房代、冬の暖房費は跳ね上がる。樹脂窓と比べると室温が夏で2度高く、冬で4度低くなることが報告されている。ここを是正するだけどCO2の発生をかなり抑えられると思うのだが。

日本人は長い間自然に近いところで暮らし、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。」という徒然草の精神が少しは残っているのかもしれない。密閉性を嫌い、開放性を好むのは現在の都会生活では快適とは呼べない。硬質塩化ビニールの樹脂窓の普及と、遮音性と密封性で劣る引き戸でなく開き戸の普及を住宅メーカーと窓メーカーは真剣に考える時期に来ている。

外資系企業7社で33年間過ごしたサラリーマン人生だった。いろんな面でドライだと考えられている外資でも人間関係や人との絆はちゃんと存在していたように思う。

新卒で入社したのは広告代理店。コピーライター志望で入ったが配属されたのは媒体局のコカ・コーラ専属のメディアプラニング部門だった。楽しくて働きやすい部門だった。3年後にマーケティング局に転属になり、労働組合の書記長をすることになった。会社側の代表が人事局長のI氏で実直で優しい人物で、組合側から見ると比較的楽な交渉相手だった。数年後にヘッドハンターからの電話で面接に行くとI氏がいた。当時は55歳が定年だったので定年退職後に製薬メーカー(ワーナーランバート)の人事のトップとして入社し、菓子事業部が人を探していた時に私のことを思い出したらしい。知っている人が上層部にいるのは心強い。即入社を決めた。

菓子の仕事は面白く毎日が充実していた。数年後に管理職になったがもう少し現場の仕事がしたかった。会社の医薬品部門にスミスクラインから転職した人がいて、数年後にまたスミスクラインに戻った。コンタックの担当が欠員となった時に私のことを思い出し面接に呼ばれた。簡単な宿題が出てそれを提出したら採用が決まった。ただ入社後数か月で日本の製薬会社のOTC部門を吸収合併し会社の雰囲気が悪くなったのと上司との折り合いも良くなくて退職し、元上司の口利きもあってワーナーランバートに出戻った。人材が潤沢でない外資系企業ではこうした出戻りはよくあることだ。

また菓子の仕事に戻り、カナダでの海外勤務を終えて日本に戻ったら私の後任で一時的に赴任していたアメリカ人が戻る場所がなくて居残っていた。同じポジションに二人いるのも妙だが仕事を無理に二分割するのはもっと理不尽だった。昔から知り合いのエージェントに頼んで次の仕事を見つけてもらった。ヘッドハンターに依頼したのはこの時だけだ。

紹介されたのはペプシコーラだった。ペプシマンキャンペーンの頃で業績は上向きだった。新製品開発チームや開発会議の新設、人員補強など組織の強化に取り組んだが半年後に事業はサントリーに売却移管された。マネジメントや開発、工場要員などは不要とされ生まれて初めてハローワーク通いを数か月経験した。その間ペプシ事業の売却を知ってマーケティング人材採用のため来社した関西の製薬会社の元人事部長が採用に動いてくれて調査部長の職を得て神戸に転居した。

神戸での最初の2年は快適だったが、その後新設の抗癌剤のチームを任されてからが大変だった。消費財の経験しかないマーケターがこなせる仕事ではない。毎日今日が最後の出社日になるかもと思いながら電車に乗った。そんな時東京のヘッドハンターから電話があり、消費財と医療用医薬品の両方の経験を持つマーケターを探しているが面接に来ないかとのことだった。バファリンの会社だった。

バファリンがOTCと医療用の両方を持っているとは知らなかったし、失敗だったと思った医療用医薬品への転職がこんなところで役に立つとは思わなかった。日本法人のカナダ人社長に面接されたが私がカナダで働いていたことにも興味を持ったようだった。翌月には本社の社長との面談があった。面接中に「ペプシにいたのか。本社の交渉相手は誰だった」と聞かれた。彼も以前ペプシに在籍していたとのことで結局それが決め手になったのか採用されて最後の勤務先となった。

もともと転職志向があったわけではないし英語も不得手だった。知人がエージェントに私の名前を出したこともあるが、私のことを知っている人が誘ってくれたことも何度かあった。まだ外資に行く人が多くなかった時代なので、個人的ネットワークが重要だった。転職してからかつての部下や仲間を採用することはよくあったし私も何度かしたことがある。その人の強みと弱みを知っているから強いところを活かすポジションをあてがえば失敗は少ない。自分の首がかかっているから採用にも慎重になる。日本の企業で働いたことがないから比較はできないが、組織に頼ることが少ない外資系企業の方が人と人とのつながりや絆が強いのではなかろうかと思ったことは何度もあった。昔の仲間とは今でも繋がっている。

先週住んでいるマンションの管理組合総会があり、その後の理事会で理事長になってしまった。嫌な予感はしていたのだが追いこまれるようにしてなってしまった。

理事は12人いて1年ごとに6人が入れ替わる。私も昨年から理事を輪番で引き受けて2年目になる。理事長は通例として2年目の6人の中から選出される。理事長はどの組合でも理事の互選で選ばれるが、なりたくない人は理事長を決める前に監事とか広報とか大規模修繕委員とか防災委員に立候補してうまく抜ける。気が付けば2年目で残っているのは2~3人だけで、彼らもなんのかんのと理由を付けて敬遠するので仕方なく引き受けてしまった。

私が住むマンションも建築後30年となり住民も高齢化している。理事のなり手はなく輪番で指名されるのだが、高齢、体調、親の介護、子供や孫の送迎などを理由に断る人が多い。月に1回の理事会も3時間くらいかかるのが普通だし、何かの担当になれば理事会以外にも月に1~2回は会合に出席しなければならない。理事の負担は軽くはない。

マンションも古くなってくると大規模修繕、エレベーターの更新、給排水管の取り換えなど金のかかるプロジェクトがまとめて出てくる。物理的、機能的劣化だけでなく社会的劣化にも対応しなくてはならない。400戸を超す集合住宅の意見をまとめるのは簡単ではなさそうだ。おまけに我がマンションは私のように部屋を買ったサラリーマンだけでなく相当数の旧地主である地権者、多くの賃貸用の部屋を持つURと立場の異なる所有者がいて、かつ部屋自体も住居だけでなく商店、医院、美容院、事務所、保育所、レストランに用いられていて所有者の管理や資産に対しての考え方も様々だ。かつURの賃貸住居を除いても賃貸に出している住戸保有者は4割を超える。賃貸居住者は一般的に管理に対して関心は薄い。

そのうえどこの管理組合にもいるように理事長経験者の御意見番的老人が必ずいる。総会には必ず出席し、最前列に座って質問をする。80代が多く経験には富むのだが将来のビジョンとかには関心がないらしく子細な点への質問が多く、最終的には私がやっていた時代には…と過去の成功体験で話が終わる。こういう人たちともうまくやらなくてはいけない。などと考えると頭が痛くなってきた。

来週には新理事長としての抱負や新年度に取り組む事業や課題を発表しなくてはならない。望んでなったわけではないのでたいした抱負はないのだがある程度の格好は付けなければならない。取り組むプロジェクトとそのプライオリティづけ、理事会の運営方法、なり手のない理事に立候補してもらうための方策、管理費や修繕積立金の値上げに対する考えなどをまとめておこう。幸いに外資でプロジェクトをまとめたりプライオリティとつけたりすることは十分学んだし、引っ越しを15回して10のマンションで暮らした経験もあるのでそれだけを頼りに考えをまとめることにしよう。

私は外資系企業でしか働いたことがありませんが、英語は得意ではありません。6回の転職を経験しましたが(採用されたら上司となる)外人さんとの採用面談はいつも不安でした。面談の後の食事がたまにあるのですが、これははもっと苦手でした。こちら側もある程度は仕事以外の話を英語でしなければならないからです。

日本で何年か過ごした外人さんの多くは日本人の曖昧さやはっきりしない態度に少しうんざりしています。なぜもっと明快に答えを言わないんだと思っている人が結構多い。それに対して、これは日本語の曖昧さに原因があり、日本人が農耕民族であることが大きな理由であると、面接後の夕食の場で説明したことがあります。つたない英語でこんなことを話しました。

日本人は農耕民族です。数千年以上も農耕で生きてきました。農耕は部落全体で同じ作業をします。春には村全員で田植えをします。何時間も腰をかがめる辛い作業です。誰かが辛いとか疲れた感じる時は他の人も辛い・疲れたと感じる時です。「I am tired」と言う必要はなく「Tired」で十分です。皆が同じ感情を共有しているからです。真夏に雑草駆除をするときも同様です。全員で同じ作業をします。この時にも「暑いね」だけで十分です。全員が暑いと思っているからです。だから農耕民族である日本人は大抵の会話でIとかYouとかHeの主語を使いません。あなた方は恋人に「I love you」と言うでしょうが我々は「Love(愛してるよ)」だけです。それで十分通じます。S⁺V⁺OのVだけで事足りるのです。

一方あなた方は狩猟民族に属します。動物を捕らえて生きてきました。狩猟も共同作業です。ただ役割分担が必要です。私は獲物の後ろから追い立てる。ジョンは左後方から、マイクは右後方から音を立てながら追い立ててくれ。そして前もって掘って枯草で蓋をした穴に誘導して獲物を落とすんだ、と言う感じですね。この作業では各人の役割が明確に決められなければ遂行できません。必然的にI、You、He、Sheの主語が必要になります。集団の言語と個人の言語。ここが両民族の言語の一番の違いではないでしょうか。

長い間ほとんど主語なしで通用する言語で物事を考えてきた民族と、SVOが揃わなければ成立しない言語で考えてきた民族の思考方法が異なって当然です。阿吽の呼吸とか以心伝心などと言う言葉は狩猟民族の国にはないでしょう。日本は農耕民族でかつ世界で最もHomogeneousな国だから余分なことは言わなくても通じるということなのです。

こんなことを話すと外人さんは、そんな視点で考えたことはなかったと少し理解したような顔をします。分かってくれたかどうかは別にして。

日本語の曖昧さの理由は他にもあるんですけどね。柔軟性がありすぎて明確な定義をしないまま外国の言葉を簡単に取り入れすぎること(カタカナ語の多いこと!)や、言葉の定義を明確にしないまま新語を作ることなどです。こうして日本語はますます曖昧になっていきます。来日した外人さんが最初に覚えて重宝するのが「どうも!」だと聞いて驚いたことがありました。確かに「サンキュー」にも「コンニチハ」にも「サヨナラ」にも使えて便利ではあります。最近も「やばいよ」が否定的にも肯定的にも使われていると知って、この先日本人と日本語は大丈夫だろうかと後期高齢者は思ったところです。

本日3月の消費者物価指数が発表された。生鮮品を除く指数は対前年同月比で+2.6%だった。1月から+2.0%、+2.8%、+2.6%だから第一四半期は単純平均すれば2.5%くらいか。引退以来専業主夫で毎日の買い物を担当している身としては「そんなことはないだろう!」とちょっと疑いを持つ。それで家計簿をまとめてみた。
2024-04-19
我が家の1∼3月の消費支出は74万2千円だった。これはちょっと正確ではない。これ以外に家内が自分の年金での買い物(アマゾンやフェリシモの通販が毎週届く)や美容院代(結構高そうなデパート内の有名美容室)などが含まれていないからだ。そこまで把握したいのだが夫婦げんかが起きそうなので止めている。対前年比で見ると-11.8%である。ちょっと意外だった。しかし前年は車の車検があったので、それを差っ引くと+8.9%となる。ほら、2.5%に収まってないじゃないか。

内訳を見ると、食費は21万3千円で+4.5%だ。肉類が+34.4%、野菜類が+27.8%、果物類が+13.3%、乳製品が+11.6%と二けたの伸びだ。異常気象で爆上がりした野菜と果物、円安で値上がりした輸入肉と乳製品。値上がりしても食べないわけにはいかない。これは納得できる、せざるを得ない。

総務省によると電気代とガス代は5月まで続く支援策でまだ下降傾向にあるという。そうだった。わが家の光熱費は3か月で13万円で対前年比-24.1%と大幅に減っている。これは政府の補助策に加えて昨年実施した水まわりのリフォームと3台のエアコン買い替えのおかげで電気、ガス、水道代が20%以上下がったのだ。この光熱費を除いて昨年と比べてみると+8.9%は+20.0%に跳ね上がった。

それだけ昨年の光熱費が異常に高かったということだったし、政府の電気、ガス、ガソリン代の補助はある程度功を奏したといえるのだろう。ただ6月からは電気とガスの補助がなくなり、企業も33年ぶりの5%を超える賃上げをするので製品価格に反映されるに違いない。円も対ドルで34年ぶりの安値を付けていて短期で円高に転じる気配もない。小麦も油も乳製品もこれからまだ上がるだろう。贅沢をしているわけでは決してないが、年金生活者には暮らしにくい世の中になってしまった。

33年と4カ月という比較的短いサラリーマン生活だった。退学処分を食らってふたつの大学に通ったため卒業が遅かったこと、60歳の時に会社が解散になりどさくさで再就職など考えられなかったたことがその理由だ。引退後まだ働いている仲間を見るともう少し働いても良かったかなと思うことはあった。年金がフルに支給される65歳までそんなに潤沢ではない貯えを切り崩さねばならないことが心配ではあった。

その反面仕事を辞めて感じられるメリットもいくつかはあった。ずっと外資だったので英語から解放されたこと。毎月の売り上げに一喜一憂しなくてもよいこと。通勤電車からの解放。思いっきり夜更かしができること。

横浜駅の近くに住んでいるので買い物に出かけると出社時や退社時のサラリーマンとすれ違う。出社時に楽しそうな顔をしている人はほとんどいない。自分もあんなつまらなそうな表情で通勤していたのだろうか。帰省や法事でたまに新幹線に乗ると、サラリーマンがずっと働いている。車内でも会社貸与のPCやスマホを開きっぱなしで、返信を打つためにキーを叩いている。
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乗る前の待合室でも横一列に並んだサラリーマンがせわしなげに作業している。エクセルをにらんで固まっている30代。メールを次から次へと返信している40代。隣の50代のおじさんはPCとスマホの2台使いで、スマホの画面はLINEだ。出張中もGPSで居場所を握られ、LINEで追いかけられるのでは気が休まらない。私のサラリーマン時代も会社ではPCを睨むのが7割、会議に出るのが3割だったけれど、出張の時はゆったり息抜きができた。まだ良い時代だった。
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経費削減でグリーン車を使えず、宿泊代を浮かすために日帰り出張が増えたので、かつてのような出張の楽しみは激減しているらしい。なんだか皆さんお疲れの様子だった。スマホとLINEの功罪かな。それに比べて車内のグループ旅行の高齢婦人(オバちゃんたち)の元気なこと。もすこし静かにしてもらえないだろうか。これじゃゆっくり眠ることもできない!

朝食の時はいつもコーヒーを飲むが、寒い冬の午後は暖かい緑茶か紅茶のことが多い。しかしお湯を沸かすのが段々面倒になってきて、最近はペットボトルの緑茶をチンして飲むことが増えてきた。楽ではあるが風情がない。紅茶もティーバッグで淹れるのだが、それなりには楽しめるのだがなんだか物足りない。メーカーは「ティーバッグはリーフティーより下に見られるが、早く抽出するために同じ茶葉を細かくカットしているだけでランクが下ではない」と言うが、ミルクも砂糖も入れない自分にはただの温かい茶色の飲料に思える時もある。
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これは香りの問題で、コーヒーは豆を挽いて蒸すときにの香りで美味しく感じるし、紅茶もポットで蒸らしてからカップに注ぐときに香りが立つ。ティーバッグにはそれがない。鼻をつまんで飲むと味を感じにくくなるが、それと同様なことが起きるのでしょうね。香りの重要さは昔コーヒーキャンディや紅茶キャンディを試作している時にいつも感じていた。いくら良い素材で作っても香りに欠けるので本物っぽいコーヒーや紅茶の感じは出ない。結局ミルクを加えてお茶を濁していた。

ティーポットで淹れればいいのだけれど、洗い物や茶葉のゴミが出るのでその処理が歳をとると面倒になる。ティーポットは何種かあるし銀のティーセットもある。昔新婚旅行でカナダに行ったときになけなしの金で買ったものだ。当時は1ドル360円で、持ち出せる外貨は500ドルの制約があった。親父からもらった100ドル札もあったが、家内へのイヌイット製のショールと職場の同僚へのお土産以外に買ったのはこのセットだけだった。買えなかったのだ。
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この銀のセットは飾っておくには良いのだが手入れが大変。すぐに曇って黒くなり磨くのも手がかかる。この写真も磨いて10日くらいだが既に曇り始めている。銀磨きクリームもけっこう高価なので結局使わなくなって食器戸棚の奥に押し込められた。

紅茶はコーヒー、ココア(チョコレート)、タバコ、アルコールとともに世界の五大嗜好品と呼ばれてきた。少なからずの習慣性、依存性を持つ。その中では紅茶は最も健康的な嗜好品かもしれない。紅茶にはコーヒー同様カフェインが含まれるがタンニンも多く含まれ、それがカフェインと結合してカフェインの効果(興奮、覚醒、利尿、消化促進、強心)を和らげると言われている。タンニンは腫瘍の増殖や転移を抑制したり、血栓の形成を予防したり、強い抗酸化作用を持ち、ボケ防止にも効果があるとのことなので紅茶は老人にぴったりの飲み物である(日本茶も同様)。たまにはポットで淹れた紅茶をゆったり呑んでみることにしよう。

私の父親は85歳で他界した。医療が進歩しているので自分はそれよりは生きられるかもしれない。勝手に86歳までは生きると決めている。それでもあと10年しか残っていない。高校のサークルの同級生男子5人のうち2人はすでに亡くなっているし、大学時代のの友人もこの3年で2人が死去した。一緒に働いていた69歳の開発部長は心筋梗塞でアメリカで客死し、かつての上司は76歳で鬼門に入った。会社の元同僚も最近2人癌で亡くなった。72歳と64歳だった。年々一年が早くなっていることを考えると残されている時間はそんなに長くないのかもしれない。
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10年前から終活らしきものを始めた。まずは断捨離からと着なくなった衣類、手紙、写真やネガを処分しアルバムを整理した。娘の子供時代の写真数百枚はネガからデジタル化して残した。アルバムは分厚くて場所を取り見ることなどほとんどないが、作業中に家内が「私のと娘のには手を付けないで!」というので途中で頓挫した。次に書籍と雑誌、レコード、CD、ビデオ、レーザーディスクなどをオークションで売ることにした。これは結構大変で、写真を撮り楽オク(今はもうない)やヤフオク、アマゾンのサイトに3000近い商品の状態や販売価格を入力するのは面倒な作業だった。
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しかし意外にも本には買い手がついた。1万円以上で売れた詩集もあれば大学時代の専門書は8000円くらいで何冊も売れた。雑誌も100冊まとめて売れたものもあるしEPレコードに1万数千円の値が付いたこともある。でもそれらは例外で平均で見れば本は数百円、LPやCDは1000円前後だったと思う。レーザーディスクは貴重なのだがプレイヤーを持っている人が少なくてほとんど売れない。本やレコードなどで2000点は売れたので本箱はすっきりした。ただ主力のアマゾンで本が売れても、私のような小口出品者は基本成約料の100円とカテゴリー別成約料の80円に加えて販売価格(+配送料)の15%の販売手数料と消費税を払わねばならず、数百円の売価だとほとんど利益は出ない。おまけに送料は262円の固定なので厚くて重い本だと送料がかさんで足が出ることになる。もう読むことはないであろう本が新しい読者を得て再度日の目を見ることが喜びで、梱包して発送するときは娘を嫁に出すような気持になる。

最後に残されていたのが遺言状だ。自筆証書遺言や公正証書遺言は面倒だしそれだけのことをするほどの資産もない。実務能力をほとんど持っていない家内が困るのを最小限にするためのものだから自分でワードで打った。葬式は簡素でいい、から始まり死亡届の出し方、生命保険の請求方法、遺族年金の請求、私の銀行口座の凍結、公共料金の名義変更、証券会社口座の解約など多岐にわたる。それらには締切日があるので結構大変だと思う。親が亡くなった時にたいていは経験しているのだろうが、家内にはその経験もない。それらをまとめて書き、「私が死んだら」のタイトルを付け区役所が発行している簡便な手続き早わかりのコピーを添付して一応完成した。これを時々書き足しPCに収め、印刷したものを自分のデスクの引き出しに入れてある。
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役に立つかどうかは分からないが何も残さずにこの世から消えるよりは助けにはなるだろうと思う。その時に家内が呆けていなければよいのだが。



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現役で働いている時は夜寝る前に風呂に入った。疲れをとってぐっすり眠り次の日に備えるためだった。引退してからは朝起きたらすぐ風呂に入る。肉体的に疲れることもほぼなくなったので、一日を気持ちよくスタートするためへと入浴の目的が変わったためだ。朝湯の効用は目が覚めて「さあ新しい一日が始まるぞ」の気分になることと朝食がおいしく感じることだ。

時間に追いかけられないから長湯もできる。今はエプソムソルトを使っていて指示通り20分くらい湯船につかる。エプソムソルトはソルトとあるが塩ではなく硫酸マグネシウムなので風呂や配管を傷めることもなく、湯冷めしにくく肌にも良いと知り合いのインスタグラムで知って使い始めてもう数年になる。ただ色がなく透明なので沐浴剤を加えて温泉ぽくしている。色があるだけで、それもにごり湯なのでちょっとした温泉気分になる。
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沐浴剤はいろいろ試したが今は「日本の名湯」と「いい湯旅立ち」の二種類。どちらもにごり湯でちょっと割高だがいろんな種類が試せる個包装品を使っている。全部で20種類以上あり、それぞれ色も異なる。毎朝今日はどの色にしようかと迷うのも楽しみのひとつだ。

「日本の名湯」はツムラからMBOで生まれた(株)バスクリンの製品で、温泉地と共同開発し湯質や香りを再現とまではいかないが表現しようとした1986年誕生のロングセラーだ。乳白色の登別カルルスと乳頭がお気に入り。「いい湯旅立ち」は2014年に倒産した白元を引き受けたアース製薬が作った白元アース(株)の製品で、同じくアース製薬を親会社とする(株)バスクリンとは兄弟会社だ。こちらは各地の温泉の名を冠してはいるが再現性はほぼ無い。ただ色は斬新で美しい。

以前は両ブランドともボトルで買っていたが、数種づつ買うと置き場所に困るし同じ製品のローテーションになって飽きるので今の個包装品に変えた。毎日風呂の色が違うのは結構たのしいですよ。こんな感じの色です。
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子供の頃夕食に刺身やおでんが出されるとき、母親はいつも小さな缶から粉からしや粉ワサビを小皿にとり、水で溶いて人差し指で捏ねていた。子供だったので当時はからしやワサビを使うことはほとんどなかったが、母親が台所で捏ねている情景ははっきり覚えている。
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やがてパウダータイプの香辛料はだんだん姿を消し、1970年にはチューブに入った香辛料がスーパーの棚に並ぶようになった。35円の粉タイプと比べると100円は高かったが、その簡便さとおいしさで家庭に浸透していった。特に粉ではあのツンとくる刺激に欠けた練りわさびが好評だった。生の本わさびは今でも高価だが、チューブ入りなら刺激も十分だし日持ちもする。1970年にSB食品が創った市場は1974年にハウス食品が参入することによってさらに拡大した。

初期の頃はアルミ製のチューブだったがプラスティックチューブに変わり、わさび、からしに加えておろししょうが、おろしにんにくがラインに追加された。1987年には本わさびを使用した本生おろしわさびと粒入りマスタードの上位品を発売し「本生シリーズ」が誕生した。我が家の冷蔵庫のポケットにもSB、ハウス、トップバリュのチューブ香辛料が常備されている。特に夏は昼食がざるそば、そうめん、ざるうどんのローテーションなのでチューブのわさびは必需品である。
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ワサビは日本固有の植物で山葵と書く。江戸時代に静岡などで自生していたワサビの栽培が始まったらしい。それが寿司の流行で急速に広まったという。子供の頃の寿司はワサビ抜きだったが、だんだんワサビを使うようになった。静岡生まれの父親は出張のたびに田丸屋の樽入りのわさび漬けをお土産として買ってきたのでワサビの味に慣れてきた。会社員時代は勤務先の近所に「そじ坊」があり、ざるそばには(本わさびではないが)わさび一本がおろし金と一緒に付いていて、すりおろすのが楽しかった。残った分は小さなビニール袋に入れて持ち帰ることができた。持ち帰っても使うことはなかったんだけどね。
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今やワサビは国際的になり、特に日本に来て寿司を堪能した外人はチューブ入りわさびをお土産にする人も多いし、アメリカやヨーロッパではちょっと高いが店で売られている。Wasabi mustardはShiitake mushroomと同じくらい通用する日本語になった。最近ではイギリス、ニュージーランド、台湾、中国、韓国などでも栽培されていて、SBの本生ワサビはベトナム産だしハウスのはインドネシアと中国産との表示がある。わさびが世界中に広まるのはうれしいのだが、その前に外国の寿司屋(日本人がやっている高級店は除く)の寿司本体のクオリティをもう少し上げてもらいたいなあ。


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やっと暑い八月が終わった。九月もしばらくは暑さが続くと気象予報士は言っているが、八月ほどではないだろう。そこそこ長く生きているが、こんなに暑い夏は初めてだった。ヨーロッパの古気象学者がこの七月の地球の平均気温が12万年ぶりの最高気温を記録したと言ったが、八月はもっと暑かったように思われる。地球が壊れかけている、そんな感じがする。
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地球温暖化と言われて久しいが、上のグラフが示すように過去40年と比べても今年は世界中が暑かった。2003年にヨーロッパでは熱波で2万2千人が亡くなったと報道されたが、昨年が1万5千人なので南欧の主要都市で軒並み40度を記録した今年は2003年並みかそれ以上の犠牲者が出るものと思われる。(昔は熱中症などという言葉が一般的ではなかったので「熱波」と言っていたのですね。)

化石燃料使用による温室効果ガスの増加による気温上昇、それによる北極の氷面積の減少による太陽光反射量低下による気温上昇、海面温度の上昇などが最近の異常気象、山火事、海面上昇を起こしていると言われる。確かに気温と同様に海面温度も今年は過去と比べて異常に高い。暑いわけだ。
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小学生の頃日本の最高気温は1933年に山形で記録された40.8度と習った。たまたまフェーン現象によって起きたその記録が永遠に維持されるかと思っていたら2007年に破られ、それ以降埼玉、高知、岐阜、静岡で41度台が続出した。少年時代を過ごした名古屋も夏の暑さで有名だったが、それでも当時耐えられないと感じた暑さは33度くらいだった。41度なんて中近東かアフリカでしか経験できないだろうと思っていたからショックだった。東京都の青梅市でも2018年に40.8度を記録している。予想もしなかった灼熱地獄だ。30度以上の真夏日、35度以上の猛暑日は当たり前になり、40度以上の酷暑日が東北地方でも記録されるようになった。

なので、この夏老人は必要最小限の外出にとどめ室内にいることが増えた。エアコンをつけっぱなしにすることになるのだが、そこに電気代の値上げが襲ってきた。数年前に東京ガスの「もらえる電気」に切り替えた我が家には政府の補助金は適用されない。十数年ぶりにエアコン三台を買い替えたので少しはセーブできているのだが電気代を気にしながら暮らしていると体に良くない。結局八月はほぼフル稼働になった。来月の請求書が怖い。
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また、この七月は東京都心の夜の最低気温は25度を下回ることが一度もなかった。ずっと熱帯夜だった。マンションは戸建てより温度保持能力が高い。かつ私の部屋は南と西に窓があり冬は暖かいが夏は地獄だ。エアコンをつけない、もしくはタイマーが切れると遮光カーテンを使っていても起きたときの室温は33度になることもある。熱中症で緊急搬送されるのはまっぴらだから、今日から九月だけどエアコンをつけっぱなしにしてベッドに入ることにしよう。


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歩く速度は速いと思っていた。50代の時でも通勤時に人に追い抜かれたことはなかった。最近は中年サラリーマンに追い抜かれる。今日は女子高生が横を通過していった。女高生は若くて元気だし、足も長いし… 抜かれても仕方ないか。でも衰えを感じる瞬間。
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最近ネット調査の質問票でも「以前と比べて食が細くなりましたか」などに加えて「前よりも歩く速度が遅くなったと感じることがありますか」などと聞かれることが増えた。歩行速度も老化のバロメーターなのだろう。ジジイにこんな質問しやがってと思いながら、意地でも「はい」は押さない。早く歩いているつもりでも腿が上がらなくなった実感はある。躓きそうになることも増えたので、つま先が上がった靴や靴底が突っ掛からない靴を履くようになった。

先日はフレイル(加齢による心身の衰え)を予防するために定期的な運動をスマートフォンでAIがチェックするソフトを入れた。歩数や歩行距離、移動距離、運動時間、消費カロリーなどを測定しフレイルリスクをグラフで可視化しようというものだ。AIに鞭打たれながら歩数を気にしながら歩いたり運動するのは癪だが、こんなことでもしないと動くことが面倒な年齢になってしまった。

一日一万歩を目指していた時期もあったが、歩きすぎは老人にはよくないという説もある。歳をとったのだから年齢にふさわしく、老人らしくゆったり歩くのも良いのではないか。なんかその方が人生を楽しんでいるように映るのではないか。明日からは歩数を忘れてゆっくり歩くことにしよう。


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専業主夫の手抜き料理 (1)

専業主夫を長くやっていると手抜き料理が増えます。でもレトルトばかりでは飽きるので、先日はタンドリチキンを作りました。と言っても、タンドリパウダーにヨーグルトとレモンを混ぜ、一晩寝かせてオーブンで焼くだけですが…
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簡単でおいしいのですがレストランで出されるタンドリチキンとは微妙に違う。どうも段取りを間違えたらしい。ということで、これはタンドリチキンではなくダンドリチキンと名付けました。
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マンションの郵便受けにチラシが入っていた。管理組合が配布したと思われる横浜市資源循環局発行の「ごみと資源物の分け方・出し方」だ。古紙として出してはいけない紙類やリサイクルできない紙類一覧と並んで、様々なごみの分類が書かれている。ゴミの分類は燃やすごみ、燃えないゴミ、小さな金属類、古布、プラスチック製容器包装、スプレー缶、缶・びん・ペットボトル、古紙(段ボール)、古紙(雑誌・その他の紙)、古紙(紙パック)、乾電池、医療機関へ、と全部で12種類もある。
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今まで燃えないゴミだと思っていたラップ、食品用保存袋、タッパー、プラスチック製のスプーンやストローが燃やすごみに区分されていて驚いた。ずっとリサイクルできるごみだと思って出していた。どおりで毎朝ゴミ置き場で管理事務所の人が燃えないゴミを確認しているわけだ。これではいけないとそれまで燃えるゴミ(家庭ごみ)とプラゴミの二種類用のゴミ箱を四分割のゴミ箱に変えた。これで燃やすごみ、プラスチック製包装容器、缶・びん・ペットボトル、その他用に分別できる。
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リデュース、リユース、リサイクルの3Rは守ろうと思うが12種もあると結構面倒で、毎回このチラシを読みながらのゴミ捨てになる。たしかこのマンションに引っ越してきた30年前は分別などなく、当時の横浜市長が「市の焼却炉は強力でなんでも燃やすことができる」と豪語していたと記憶している。それでマンションのダスターシュートになんでも放り込んでいた。本当は家庭ごみにプラスティックゴミが多少混じっていた方が燃焼温度が上がり燃費の節約になると聞いたことがある。いまではゴミ置き場は、家庭ごみ、プラゴミ、発泡スチロール、スプレー缶、乾電池、燃えないゴミ、金属類、可燃ごみ、電球などの置場があり、粗大ごみやリサイクルごみ(段ボールや新聞などの資源ごみ)置場も別に設置されている。今朝もゴミ置き場で管理事務所のおじさんの「ちゃんと分別してるかい?」的な視線を感じながら我が家のゴミ捨て担当はゴミを捨てました。

横浜だけが厳格なんだろうか。神戸に住んでいる時はなんでも捨てられて、横浜に引っ越すときには不要になったベッドのマットレスを夫婦二人で担いでゴミ置き場に運んでエイヤッと投げ捨てたが、さっき調べたら今は神戸でもマットレスは粗大ごみ扱いで処理手数料として3千円かかることになっていた。時代だな。今月はリフォームしたので何点もの家具や電化製品、運動器具を粗大ごみで出した老人は、これからはリデュース(モノを減らす)生活を心がけて暮らそうと思った次第です。



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団塊の世代は諸悪の根源のように言われることが多い。曰く2007年問題、2015年問題や2025年問題。曰く「終電に間に合った世代」。曰く「最後の食い逃げ世代」。曰く「付加価値を生まなかった世代」などいろいろだ。
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2007年問題とは、団塊世代が60歳となり一斉に退職して労働力不足やスキル流出などの社会的問題になると言われた。それを回避する目的で2006年に改正高齢者雇用安定法ができ65歳まで継続雇用を促進されるようになった(団塊世代のおかげでいいこともあるじゃないか)。その他にも団塊世代の退職金が投資市場に流れ込むという説もあったが大半は貯蓄に回って投資には予想ほどは行かなかった(私は投資してリーマンショックで退職金の半分を失ったが)。

2015年問題とは、団塊世代のすべてが65歳以上となり年金を全額受け取るようになる。労働人口の減少だけでなく年金給付人口の急増で年金財政への圧迫が懸念された。現に年金財政はさらに悪化し、支給年齢の引き上げや現役世代の負担増として今も残されている。この辺りから団塊悪者説が増えてきたように思う。

2025年問題とは、団塊世代のすべてが後期高齢者となり、かつほとんどが1割負担で日本の医療費(約45兆円)の4割を使うようになり(75歳未満が年間22万円の医療費なのに対し、75歳以上は94万円を使う)医療費および社会保障費の増大と負担増を招く。同時に医師や看護師不足も予測され、介護される人口も増えるため介護する人が足りなくなり、高齢者介護施設も不足する。日本が真の超高齢化社会に突入する年といってもよい。

著名なブロガーちきりん氏が20年近く前に書いた「終電が出る時刻」という記事が記憶に残っている。50歳以上が有権者の5割を超える時を指すそうで、この時を境に財政改革ができなくなるという。半数以上が給付を受ける側になると、自分たちへの給付を厚くしてほしいと思うので抜本的な年金や医療改革ができなくなるらしい。イギリスは2040年くらいに終電が出るらしいが、日本は2005年に終電は出てしまった。老人国家である。ちきりん氏は団塊世代とは言っていないが20年前の50歳以上に団塊が占める比率は高いので私は勝手に団塊世代と読み替えている。確かに現役時代は右肩上がりの時代だったし、多少の減額はあるが年金は払い込んだ(労使折半だから半分しか払っていないが)以上に受け取っている。「食い逃げ世代」と呼ばれても大した反論はできない。

その他にも、その前の世代が達成した高度成長にただ乗りしただけで何も付加価値を生んでいない、数を頼んで多数決社会を牛耳る老害集団、せっかち、やたら競いたがる、企業で威張り散らしてた、日本を駄目にしたなどの罵詈雑言だらけ。分からんではないが団塊の一人として言わせてもらえば、望んでこの時期に生まれたのではない。前年より100万人も多い出生数で「死ぬまで競争だ!」と言われて育ち、進学も、就職も、結婚も、出世も競争は熾烈だった。70代半ばになって多少楽をさせてもらって当然じゃないのか。オイルショックやバブル崩壊など悪いことも経験している。いいことばかりじゃなかったのだよ。

冒頭の写真は今年の1月5日に掲載された宝島社の企業広告です(中尾ミエは団塊世代の一年前なんですけどね)。「かつてこんなに疎まれながら、たくましく生きてきた世代があっただろうか」とコピーにあるが、たくましく生きなければならなかったのも事実だ。宝島社は2006年にも「団塊は資源です」というオマージュ広告を打っている。団塊はエネルギー、しぶといエネルギー、きっと団塊は死ぬまで退場しない、などと多少買いかぶりすぎの表現だが一部は当たっている。

若者たちよ、もうちょっと待ってね。20年したらみんな居なくなるからね。

(2006年のコピーは下記で見られます)
https://tkj.jp/koukoku/2006/image.html



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去年から電気代とガス代の値上がりがものすごい。年金生活者の我が家も昨年は電気代が約4割、ガス代が約3割の増加になりました。産油国の減産で逼迫した石油をはじめ、石炭やLNGなども世界的な供給不足で値上がりしているところにウクライナで戦争が起きて物流費が上がり、おまけに昨年は急激な円安が起きて輸入価格が上がりました。それに加えて電力では原子力発電所の停止が電力供給量を下げ(この10年で全発電量の25%から4に減少)、老朽化した火力発電所の停止もあり、政府や電力会社は節電を要請するようになりました。電力会社は毎月再エネ賦課金と燃料費調整額を、ガス会社は原料費調整額を毎月のように上げざるを得なくなり、おかげで料金は前例がないくらいの値上がりです。東電のモデル料金はこんな感じです。
2023-01-17 (2)
再エネ賦課金は10年前の0.22円/kWhから3.36円へ15倍になり、燃料費調整額は上限がありますが大手の電力会社は既に上限に達してしまい上限を撤廃する会社も出ています。東電の燃料費調整額は1月には前月比+2.2円の12.99円/kWhと過去最高値を記録しました。この半年は毎月1~2円上がっています。上限を超えた分は会社が負担しているためほとんどの電力会社は赤字になり、そのため東電を含む6社は値上げ申請をしています(北海道電力は検討中、関電、中電、九電は申請せず)。3割強の値上げだと平均的家庭で月3~4000円の負担増でしょうか。260kwを超えると上昇率はもっと大きくなるようです。政府もこれに対応するため2月から10月の検針分に1kwあたり7円の補助金を出します。これにより2割程度の下落が可能となります(上のグラフだと激減に見えますが約2000円の下落です)。

しかし電力会社の値上げ申請率は平均で3割強なので、申請が承認されれば実質1割くらいの値上げとなりますが、数か月後に補助金が終われば3割強の値上げとなります。その段階で燃料費が上がっていればそれ以上の負担を覚悟しなければなりません。我が家は東京ガスの電気に切り替えたのですが、5%分はアマゾンのギフトカードをもらえるのですが、東京ガスは燃料費調整額に上限がないので値上がり幅がもうすこし大きいのが残念です。

昨年の平均世帯のガス料金は前年比約40%の上昇でした。ガス料金は電気より少し計算が簡単で基本料金+(基準単位料金+原料費調整額)X ガス使用量です。基本料金は使用量が増えれば上がりますが基準単位料金は使うほど単位価格は下がります。ここが使えば使うほど単位価格が上がる電気との違いです。昨今の値上がりは原料費調整額が上がっているせいです。2021年末には1.51円だったものが昨年末には59.34円に、そしてこの1月には68.87円へと激増です。30立方使う世帯なら2000円の増額です。ガスの調整額にも上限があるのですが、電気より緩く管理されているのでさらに上昇する可能性が高いと思われます。ガスにも来月から補助金が出るので(1立方あたり30円)30立方使用世帯なら900円の負担減です。ちょっと調整額の増加分には追いつきませんね。
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わが家は少し古めのマンションに見られるヒーツと言うセントラル暖冷房給湯システム(給湯、暖房と浴室での衣類乾燥に使っています)なのですが、これの値上がりもちょっとしたものです。一単位(MJ)当たりの価格は2001年までは3.81円だったのですが、昨年から上がり始め昨年末には6.83円まで上がり、この1月には7.32円になりました。2001年と比べると92%のアップです。おかげで1月のヒーツ代は3万を超えてしまいました。これにコンロのガス代が加わるのですから大変です。そのうえヒーツには緩和補助金も出そうもないので負担が増えます。

ネットではオール電化にしたらひと月の電気代が10万を超えた北海道の家庭や、電気代が払えなくなった芸人さんの話とか、どうやって電気やガスを節約しながらこの寒い冬を乗り切ろうかという工夫話でいっぱいです。これは日本だけのことではなく、英国では暖房費が倍になり「Heating or Eating」とまで言われているそうです。しかし、冬場の室温が5度温かい家に暮らす人の方が脳年齢が10歳若かったという慶応大学の研究がありますし、20度よりも25度の+5度の違いがタイピングミスを44%減らしタイプ文字数を5割増やしたというアメリカの研究結果もあるので、多少の出費増は覚悟でちょっぴりは温かい冬を過ごそうと思います。



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去年後期高齢者入りしました。団塊の世代(1947‐1949年生まれ)の最初の年代です。私の生まれた年に日本の男子の平均寿命が50.06歳と初めて50歳を超えました。4年後の1951年には60歳を超え、その20年後の1971年には70歳を、2013年に80歳を超えています。この2年はコロナの影響で横ばいですが男の28%、女の53%が90歳まで生きると言われています。2040年には男の平均寿命はは83.27歳、女は89.63歳と予測されていますから、あながち「人生100年時代」は誇張だとも言えないようです、特に女性に関しては。
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第二次大戦後に日本人の寿命は飛躍的に伸びました。医学が進み新薬が誕生し医療制度が整えられたことにより乳幼児の死亡率が下がったことや不治の病と言われた疾病に対抗策ができたこと、飲料水や食料を含む衛生面を中心に生活環境が整備されたことがその理由として挙げられるでしょうが、数百年のスパンで見れば殺し合いや戦争が激減したことが最大の要因ではないでしょうか。
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私が社会に出たころ男性の寿命は70歳で定年は55歳でした。それ以降寿命も定年も10年長くなりました。年金の支給開始も60歳から65歳に延び、さらなる支給開始年齢引き上げが検討されています。定年後から亡くなるまでの15年間の年金生活が目途なんでしょうか。「隠居」と言う言葉を聞くことが少なくなり、60代後半で50%、70代前半でも三分の一が働いています。一生働くために生まれてきたような感じです。数十年前と比べると体力も見かけも若くなっているのでしょうね。それを感じさせる絵があります。1970年に手塚治虫が描いたものです。
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30歳で中年期、35歳で腹が出て、45歳で白髪となり、50歳で腰が曲がり始め、60歳前でヨボヨボです。多少の誇張はあるかもしれませんが医者でもあった手塚治虫が描いたものです。当時の新聞記事にも「60歳の老婆」とよくありましたし、老人に見える「サザエさん」のお父さんである波平さんが54歳(当時の定年の一年前)の設定であることを考えると50年前はこんな感じだったのでしょう。中年期以降は今と20年くらいのタイムラグです。医療と食糧事情が激変したことを痛感させられます。

それだけに長く生きるだけではなく健康に生きることが重要になってきました。現在の健康寿命と平均寿命の差は約10年ですがこれをなんとか短くしたい。食生活と適度な運動とストレスを溜めないことがことが経年劣化しないためには肝要でしょうね。50年前とは老人のメンタリティも変化しているし、歳をとることと老いることは別物だと自分に言い聞かせて残りわずかとなった年月を歩むことにしましょうか。



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家計調査によると昨年11月の2人以上世帯の実質消費支出が半年ぶりにマイナスに転じました。これだけ物価が上がると買い控えをしなくてはならなくなったと思われます。教養娯楽費が旅行支援効果で+7.4%と伸びたものの、食料が‐2.9%、家具/家事用品が-5.2%と足を引っ張りました。
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食料への支出は前月から対前年で減少を示していますがマイナス幅が0.4から2.9へと大きく拡がりました。10月に6700品目もの食品の値上げがあり、9月に買いだめしたために10月は対前年比でマイナスだったのですが、11月は買いだめが効かないものを中心に消費者が購入頻度や購入量を削減したのでしょう。私は毎日スーパーに行きますが心なしか主婦が値札を読む真剣度と時間が増えたように思います。

それもそのはずで11月の消費者物価は約4%上昇したのに対し、実質賃金は4%下がっているからです。給料は来年の春まで上がらないでしょうし、物価は当分下がることはないことを主婦は知っているのです。全国分より早く発表される東京都の12月データでは、生鮮品を除く食料品が+7.5%、エネルギー関連費が+26%と11月を上回る伸びです。生鮮品を除く総合指数も対前年比+4.0%と11月の+3.6%から0.4ポイント上昇しています。
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CPIが+4%を超えるのは1982年以来40年ぶりなのですが、当時はプラザ合意前でドル円は240円でも日本経済がまだ勢いを持っていたころです。昇給率が二桁だったので物価上昇はそんなに気にならなかったのですが、今は状況が全く異なります。政府は物価上昇以上の賃上げをと言っていますが中小企業ではほぼ不可能ではないでしょうか。2月以降には電気・ガス料金の補助金効果があるので多少緩和はされるでしょうが当分物価上昇は覚悟した方がよいと思います。年金生活者もつつましく暮らすことを強いられる一年となりそうです。



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静かに2022年が終わろうとしている。今年も何事もなく安寧な一年だった。11月に母を亡くしたが、100歳近くまで生きたし老衰だったので悲しみよりもホッとした気持ちの方が強い。これで自分と家内の両親は居なくなった。自分より若い友人やかつての仕事仲間も何人か亡くなった。自分が人生の第四コーナーに既に差し掛かっていることを思い知らされる。

現役の時は62~63歳くらいまでは働こうと思っていた。一応役員だったので働けるだろうと考えていた。しかしちょうど60歳の時に会社が解散され定年退職となった。あれから15年が過ぎ、後期高齢者になってしまった。外資7社で働き、平坦ではなかったけれどしんどくて楽しい35年だった。それと比べると引退後は平安である。まずストレスがない。刺激も少ないが、仕事がらみ、会社の人間関係、外人との交渉などのストレスがない。残された年月は長くはないだろうが、自分で使える時間はたっぷりある。周りには動けるうちにとあちこち旅行をする人、昔の仲間と会うために同窓会を企画する人、ボランティア活動に精を出す人、働き続ける人などいろいろだが、自分はほとんど何もしていない。

何もしていないが、日々の買い物と昼食と夕食の担当になって既に15年だ。荷物を持って歩く買い物は軽い運動になるし、メニューを考え調理するのは多少はクリエイティビティを要求される仕事ではある。あとは月に数回ブログを書き、少額の株の売り買いをしボケを遅らせる努力はしている。その他には地元の仲間と年に数回のゴルフに出かけ、昔の同僚とのプレイを加えると月一ペースくらいになる。多分周りから見れば何もしていないと思われる活動量・運動量レベルだろう。

もともと大勢の人とつるむのはそんなに好きではなかったし得意でもなかった。私は団塊世代で子供のころから「まわりはみんな敵だ、死ぬまで競争だ」と言われて育った。その競争に負け、30代半ばでやっと追いついた。面白そうな仕事を探しながら家族を養うために待遇の良い会社を選んだこともある。一度きりの人生だし、なんとかなるだろうの多少の自負や持って生まれた楽観主義もあった。大学を退学処分された経験から「あれよりでかいダメージは受けないだろう」と高をくくっていたことも事実だ。プロダクトマネジャーというどちらかと言えば個人プレーの多い職種だったことも自分に合っていたのかもしれない。職安に通った時期もあったがなんとか勤め終えることができた。

子供も独立し夫婦二人で事もなく日々が過ぎていく。団塊世代は最後の食い逃げ世代とか、終電に間に合った世代とか言われる。確かに右肩上がりの経済、年金など恵まれた面もあったが、人生の最終コーナーでコロナによって規制される数年が続くとは予想だにしなかった。外に出る機会は減り、人に会うことも少なくなった。しかしこれも人生。良いほうに考えれば老人らしく安寧な落ち着い日々なのかもしれない。贅沢は言うまい。「日々これ好日」とつぶやきながら新しく来る年を迎えよう。



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その1で書きましたがある女医さんのサイトで紹介されていた皮膚科学会のガイドラインが推奨している成分に従って、花王サクセスバイタルチャージ、ライオン薬用毛髪力イノベート、カロヤンプログレEXO、資生堂薬用アデノゲンの順で育毛剤を試そうと、まず花王のバイタルチャージから始めました。半年間毎日二回頭皮に振りかけマッサージをしたのですがなんらの効果の気配さえ見えず、逆にマッサージで抜け落ちる髪の方が多いような気がしたので半年で中断しました。次の選択肢であるライオンのイノベートは終売のようなので、カロヤンプログレに切り替えようと思ったのですが、プログレは安売り店で買っても月4000円かかるので、それならばロートのリグロEX5が同等の値段なので一気に最終選択肢であるミノキシジルにスイッチしました。こっちは育毛剤でなく発毛剤ですし、皮膚科学会の推奨度A(行うよう強く勧める)ですものね。
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同じミノキシジル5%製品でも大正のリアップが強すぎるせいか、後発のロートは最近値下げをし、かつ「次回予約コース」で4本セットを購入すると4本で15,840円なので一本3,960円と育毛剤より安く、おまけに1540円のシャンプーまで付いている。こちらも少なくとも4か月は使い続けてほしいと書いてあります。で、毎日朝晩の2回使っています。リアップもそうらしいのですが、容器がよくできている。逆さにするとちょうど1mlだけ出てきて出口に溜まり、頭皮に押し付けるとカチッと音がしてそれ以上は出てきません。トントンと20~30回頭をたたけばおしまい。先端はゴム製なので痛くもなく、垂れることもなく、サクセスのように皮膚が赤変することもありません。ちょうど30日で一本が空になります。マッサージも不要で、逆につけたあとは皮膚に触るなと書いてあります。楽ちん。

そうやってお約束の4か月がたちました。一か月目はつけたあとマッサージもしないのでなんだか頼りなく効果があるんだろうかと思いながら使いました。ただバイタルチャージのように髪がべったり肌につかないので地肌が透けて見えず髪が密になったような印象はありました。印象だけですが。

二か月目。おまけのスカルプシャンプーを併用し始めました。シャンプーするときはまず指の腹で頭皮をずらすようにマッサージし、次に長年使い続けているいつものシャンプーブラシで洗います。頭皮の皮脂が取れるような気がします。洗髪後はミノキシジルの吸収もいいのではと思いますしね。私が気になっているのはM字で特に左側が薄いのですが、ここに集中的に散布するのですが、やりすぎると液だれしたり髪に付いて頭皮に達しないこともあるので床屋に行って髪を短くし塗りやすいようにしました。バイタルチャージの時よりはM字が気にならなくなった気がします。
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三か月目。ネットで読んだのですが、ミノキシジルは塗ったところだけでなく他の部位での発毛・育毛の効果があるとあったので左側面だけでなく、頭頂部や右側面にも同じように散布するようにしました。そりゃそうですよね、もとは高血圧用の降圧剤として開発されたので血管を拡げる作用があり、血行を良くするとともに毛乳頭細胞に働きかけるのが作用機序らしいから。少し髪が密になったような気がします。一本一本の髪が太くなったのかもしれません。洗髪して乾かした後ペチャっとなったのが気にならなくなりました。

ちなみに先日ニューヨークタイムズにもミノキシジルの内服での効果の記事が掲載されていました。ほとんどの発毛剤は効果がないが、実は安価な治療法がある。ミノキシジルの頭皮への塗布ではなくごく低用量のミノキシジルを内服するというものです。FDAが内服を承認していないので適応外処方となるが多くの皮膚科医が使用しているとのことです。毛根さえ残っていれば男性でも女性でも発毛効果はかなり高いそうで、かつ血圧への悪影響も見られなかったとあります。ただ低用量で効果があるので一日あたり数セントで済んでしまうため、製薬メーカーは何千万ドルもかけて効果を立証するための臨床試験をすることはないだろうというのが結論でした。ネットにはミノキシジルの内服薬も売られています。効果はありそうですが怖くて手が出せません。

四か月目。毎日朝ぶろに入った後、髪を乾かして塗布します。夕食後に二度目の塗布。本つげ椿油仕上げのブラシでのブラッシングも欠かしません。何をしても長続きしない三日坊主ですが、これだけは四か月間毎日欠かさずに続けています。下の写真はPre-Postです。散髪時に梳くのを少なくしたのと髪が少し伸びたせいもあるので効果があったと単純には断言できませんが、M字が気にならなくなったのは確かです。このまましばらく使い続けようと思います。

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33年間のサラリーマン生活で6回の転職、7社での勤務を経験した。全部外資だった。一番長く在籍したのは初めての転職先で今はなきワーナー・ランバート社。一度辞めて出戻り、通算15年働いた。入社した時は年商300億くらいの規模だったが、ちいさなコングロマリットのような会社で、医薬品、医療用ゼラチン製ハードカプセル、シックのカミソリ、アダムスの菓子、洗口液のリステリン(発売前)、熱帯魚の飼料のテトラなど多岐にわたるが相互にあまり関連のない製品群を持っていた。その他にも入社後すぐに売られてしまったが診断用試薬事業部と眼鏡や光学機器を扱うアメリカン・オプティカル事業部があった。あの頃の外資によく見られた相次ぐ買収で大きくなった会社のひとつだった。入社時には全事業部合計で社員数は210人くらいだったが、辞めた時は私がいた菓子事業本部だけで300人近い所帯となっていた。
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合併で大きくなった会社によくあるように異なる社風やカルチャーがそのまま残り、ボーナスの支給方法さえ事業部で異なっていたし、同じ会社とは言え雰囲気は結構違っていた。外資ではボスの性格によってその事業部の雰囲気が変わることも多いが、重厚な感じの医薬品事業部と比べると消費財事業部は自由な緩い感じがした。会社としての規模は小さいものの業績は悪くなく、カプセルは50%、シックは70%、テトラは90%のシェアを持ちそれらのカテゴリーのリーダーだった。ただ私が所属した菓子事業部は日本に来てから22年間連続の赤字続きで、そのことは入社後に初めて聞いた。だまされたと思った。

転職など考えていなかったのだが、突然リクルーターから電話が来た。労働組合の書記長をしていたので、厄介者を外に追い出す逆ハンティングかと思った。なんども電話があったので会いに行ったら面接官にかつての団体交渉の相手だった元人事局長のI氏がいた。定年で退職した後(当時の定年は55歳)日本ワーナー・ランバート、パークデイビス、パークデイビス三共の三社が合併してできたワーナー・ランバートの人事や給与システムを統合するために人事のトップとして合併直前に入社したとのことだった。業績が伸びている時だったのでプロダクトマネジャーが必要になり、I氏が前の会社のアメリカ帰りの私の同僚に声を掛けたが断られ、仕方なく次に私の名前を出したらしい。面接の後近くのホテルで晩飯をご馳走になり入社を決めてしまった。

提示された待遇も魅力的ではあったが、I氏だったら悪いことはしないだろうと考えた。感情がすぐ顔に出る正直者で団交の時には組合側から見ると最も容易な交渉相手だった。もとは食品会社で営業をしていた人で人事のプロではない。笑うと笑顔のやさしい人だった。入社後のパーティで連れて行った娘が私にそっくりなことを社長に話そうとして「He has a Xerox baby」と言った一言は忘れられない(彼は東大卒)。英語が不得手の自分でもこの会社なら生き延びられるかもしれないと思った。

とは言いながらそこは外資で、菓子事業部マーケティング部の同僚は全員アメリカでMBAをとったかアメリカの大学卒で、アメリカに行ったことすらなかった自分は異邦人のようだった。彼らのジョークについていけず、会話の何割かを占めるカタカナ語が分らず何度こっそり辞書をひいたことか。プレゼンで英語が出てこなくて沈黙すること数知れず。そんな時「気楽にやりましょう」と本部長は言ってくれたが気楽になんかなれるはずがない。前の会社も外資だったが、本物の外資に来てしまったと思った。よく15年も持ったと今でも思う。

居心地の良い、働きやすい会社だった。ただ本業の医薬品ではなかなかヒットが出ず、当時ウォールストリートが製薬会社に求める年十数パーセントの成長はかなり困難だった。やっとブロックバスターが出そうで、社長が「今は大変だが、あと2年で会社が変わる」と言っていたリピトールが発売され、グローバル年商1兆円の製品になったら、アメリカで販売提携をしていたファイザーに敵対的買収を掛けられてあっさりこの世からワーナー・ランバート社は消えてしまった。



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徒歩圏内にプラネタリウムができた。コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMAという長い名前で、日本初のLEDドームシステムだと謳っている。写真撮影もOKらしい。プラネタリウムなんて何十年も前に渋谷の五島プラネタリウムに行ったきりだ。トロントに住んでいたときに何度もプラネタリウムに通っていた星好きの家内は一度は行こうと言うに違いない。
2022-03-22
星が嫌いなわけではないが、なんとか座のなんとか星とかの知識がなくてもきれいであればそれでいいんじゃないかなあ。歳をとったせいであんまり感動しなくなったのかもしれない。でも昔渋谷で見た時もそんなに感銘は受けなかった。星がきれいだと思ったのは娘がイェローナイフで観光客相手のオーロラ写真を撮っていた時に現地で見た一面の星空だった。日本でも都会を離れた夜の高原で見られるが、星ってこんなにたくさんあるんだと都会で暮らしていて星など見なくなった老人でも感動した。周りの人はオーロラに感動して泣いている人もいたが、私はオーロラよりもその背後に見える星の数に感銘を受けた。(写真はHISのサイトより)
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プラネタリウムというとおもちゃのプラネタリウムを思い出す。小学生の頃近所の市場の入り口にあった菓子屋の店頭にくじ付きの菓子が入ったガラスのボトルがあり、その一等がプラネタリウムだった。電池を入れて暗いところで見ると壁や天井に星が投影されるというおもちゃだ。欲しくなって毎日のように通いくじを引くのだが当たらない。最後には所持金をすべて持って菓子屋に向かいボトルを空にしたが一等は出なかった。景品は残っているのだから全部引けば当たるだろうと思っていたので最後のくじがはずれと分かったとき店頭で泣き出した。それを見ていた店主が困った顔でプラネタリウムを手渡してくれた。嫌なガキだった。家に持って帰り押し入れの中で星を見たが全く感動しなかった。

結婚して何年かたってから街で見かけた室内用のプラネタリウムを買った。昔のおもちゃと比べれば精巧な星空が見られるだろうと数千円を払った。納戸の電気を消してワクワクしながらスイッチを入れた。やっぱりちゃっちい星空が現れて何十年ぶりかでまたがっかりした。懲りない大人になってしまった。




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まだ普通に髪はあるのだけれど若いころと比べると相当寂しくなりました。育毛剤の有料サンプルを何品か取り寄せて使ってみたけれど効果は見られない。一本で効くわけはないのですけどね。効果がなければお代は頂かない、と謳っていた製品は使用頻度や効果をメモして一本使い切ったが結局払わずに済ませました。

育毛剤を使うのはこれが初めてではない。20年位前にもドラッグストアで名の知れた製品をいくつか試したことがあります。いい値段をしていても即効性は当然ながら全くない。髪の毛は遺伝の要素もあるのだろうが、親父は50過ぎに髪は白くなったが薄くはならなかった。自分もそうなるだろうと思っていたが、白髪はちらほらあるくらいだが髪は細くなるし量も減るし、久しぶりに会った昔の同僚にちょっと薄くなったねと言われたりして気になり始めた。16708372_1310233189043497_7200103895968056736_n (2)
また無駄に金を失いたくないから今度は少し調べた。最終的にはある医師のサイトにたどり着き、そこでほとんどの製品は有効性のエビデンスを持っていないこと、返金保証つきの製品は信用できないことなどを知りました。このサイトでは日本皮膚科学会が含有成分の推奨度を根拠に育毛剤をランク付けしています。

日本皮膚科学会が男性用および女性用脱毛症診療ガイドラインで推奨している外用薬の成分は下記のものです。

推奨度A(行うよう強く勧める)ミノキシジル
推奨度B(行うよう勧める)アデノシン
推奨度C1(行ってもよい)カルプロニウム塩化物t-フラバノンサイトプリンおよびペンタデカン、ケトコナゾール

この中でミノキシジルは育毛剤ではなく発毛剤なので、育毛剤としては次の5製品が推奨製品として挙げられています。このサイトによるとAGA生活は長く続くので、発毛の根拠のある成分のなかで弱いものから使用することを勧めています。

5.花王サクセスバイタルチャージ
4.ライオン薬用毛髪力イノベート
3.カロヤンプログレEXO
2.資生堂薬用アデノゲン
1.ペルソナ

つまり最初は効果の発現は弱いかもしれないが成分(t-フラバノン)の発毛促進効果が認められていて価格が非常に安いサクセスのバイタルチャージから始めなさいというものです。早速買ってきました。2300円でしたね。ついでに同じ成分が入っているサクセスの育毛トニックも買いました。ちなみにイノベートは終売したみたいだし、上記5製品の中でカロヤンプログレだけが医薬品で残りは医薬部外品、1位のペルソナは事前の遺伝子検査で体質に合った処方の育毛剤を選んでくれるというものです。でもこの製品には皮膚科学会が推奨する有効成分は入っていないようなのでちょっとした矛盾です。ひと月に約1万円の出費になります。
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サクセスバイタルチャージを使い始めて3か月。これだけではなんとなく頼りないのでトニックも併用しています。指の腹でマッサージをしろと書いてあるが以前買った
パナソニックの音波頭皮ブラシと頭皮エステを使っています。最初のうちは朝晩にチャージを使いその間にトニックを2回使っていましたが(1日4回)毎回20本くらいの毛髪が抜けるので最近はチャージの直後にトニックを使います(1日2回)。当初これが初期脱毛かも?と思ったがいまだに同じくらい抜けている。ま、髪のサイクルは3~5年だから10万本あるとして一日に100本近く抜けても普通なのでしょうね。抜けているのは細い髪のようなので次に生え変わるのが太いことを期待しましょう。
今のところ髪が増えた実感はありません。M字を危惧しているのですが生え際も変化はない。しかしなんとなく髪の毛が立ってきたような気がする。単に髪に粘性のある育毛剤がまとわりついて剛性が上がっただけなのかもしれないが。あと3か月は使ってみよう。それで駄目ならプログレ、アデノゲンと上位機種?に切り替えるか医師が勧める遺伝子検査のペルソナにするしかないかも。値段も4000円、7000円、10000円と上がってしまうけど。

ミノキシジルは最終選択でしょうね。本当は飲むミノキシジルの方が効果は高いらしいが専門家は推奨していないし、もとが血管拡張薬なので医者によっては髪を選ぶか命を選ぶかと脅かす人もいる。リアップは7000円だけど最近出たロートのリグロEX5は値下げして定期コースなら約4000円だから部外品並みの値段になりましたね。


日本皮膚科学会の脱毛症診療ガイドラインは下記で見られます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dermatol/127/13/127_2763/_pdf/-char/ja




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2021年の家計調査での2人以上世帯の実質消費は0.7%の伸びにとどまったという。物価も多少上がっているしコロナ禍で我慢していた購買意欲が復活するリベンジ消費が期待されていたのでもう少し上がっていると思ったが意外な低さだった。コロナ前の2019年と比べると-4.6%と依然低いままだ。この対前年比0.7%の低い伸びは他国と比較するとより明確になる。アメリカが8.0%、フランスが4.8%、イギリスが3.7%と日本より感染比率の高い国の消費が回復傾向にあるのに日本とドイツがだんとつに低い。
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この理由としては昨年4月から携帯料金が大きく下がったこともあるが、他国と比べて日本ではワクチン接種が遅れ経済活動再開がゆっくりだったこと、緊急事態宣言下での自粛や行動制限の期間が長かったこと、シニア層を中心に外出意欲が弱いままの人が多いこと、コロナが収束しても経済は元に戻らないだろうと考えたり長生きリスクなどの将来不安に備えての慎重な消費が理由だと思われる。言い方を変えれば我が国は感染を抑えるために社会生活や経済を犠牲にしているということだろう。

消費が伸びなかった代わりに貯蓄率は高いままだ。2020年は一人当たり10万円の特別定額給付金が配られ、その7割は消費ではなく貯蓄に回ったせいで貯蓄率は大きく跳ね上がったが、給付金のなかった2021年も34.2%と高いままだ。
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消費は0.7%伸びたものの、回復を示したのはリモート授業や講習が好調だった教育関連が15.7%、鉄道運賃が14.4%、航空運賃が6.2%などで、パック旅行費は‐82.3%、飲食費が-76.7%、食事代が-27.0%、家庭用耐久財が-10.3%と惨憺たる数字となっている。

比較対象にはならないかもしれないが我が年金生活世帯も食費は0.8%増えたものの、肉や魚の購入額が3割増えた一方で前年の巣ごもり消費で上昇した冷凍食品は-36.4%、麺類は-30.6%と激減した。外食費も-23.6%と続落し、総支出は結局-3.1%だった。2020年に支出が増えた日用品と衣類がその反動で-15.3%と-9.5%と下がったこと、ゴルフの回数が3割減ったことなどが主な理由だと考えられる。消費を控えているつもりは全くないのだが老人世帯には欲しいものはあまりないし、耐久消費財は壊れた時にしか買わない。外出は億劫だし感染も恐ろしい。結局毎日食べるものだけはおいしいものを食べたいという欲求だけが残されている。それだっていつまで自分の歯で咀嚼して食べられるかは分からないけど。
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2020年1月16日に最初のコロナ感染者が出てから3年目に突入した。経済を回さなければという必要性は十分に理解できるが、オミクロン株の感染の速さ、昨今の医療現場のひっ迫ぶりやブースター接種の遅れを見ていると老人はまだ安心して外に出られない。日経の記事には日本の家計にはコロナ前のトレンドと比べると約40兆円の超過貯蓄があるという。この春闘で給料が上がり、コロナが収束が見えてきて安心して外食や旅行ができるようになってこの40兆円が市場に回れば消費支出が戻るような気がするのだが。でも、日本人は貯蓄が好きだからなあ。



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寒いし、なんだか痒い。掻いちゃダメなことはわかっていても思わず掻いてしまう。老人は乾く、昔ほど皮脂がないから。いわゆる皮脂欠乏症は皮脂、天然保湿分子、角質細胞間脂質が減ることで引き起こされシニア層に多く見られるとのこと。加齢によるものが大半だが、外気や室内の乾燥で引き起こされることもあるし、体を洗いすぎることが原因となることもあるらしい。

皮脂が乾燥して水分が減少し肌のバリア機能が低下すると、皮下の知覚機能が敏感になり痒みやヒリヒリ感を覚えることになる。昔から乾燥肌だったし、冬は痒くなることが多いので、入浴中もナイロンタオルやスポンジも使わないのだが、それでも痒みは発生する。昔永六輔だったかが「風呂で体は洗わない」と言っていたが、それも乾燥にはよさそうだが清潔面ではちょっと問題ありそうだし。化繊の肌着はやめてコットンにしているし、冬場は加湿空気清浄機に加湿器もフル稼働して室内の湿度も45%以上に維持されるようにはしているのだが。
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こうなると、老人にできることは保湿のみ。風呂には保湿入浴剤を入れ、湯上りの体にはニベアを塗りまくり、時にはワセリンを上塗りする。顔には保湿ジェル、痒いところにはADクリーム。それでも痒い。体も硬くなっているから孫の手は必需品(掻いちゃ駄目なんだけどね)。かゆみ止めを手が届かない背中に塗るための「セヌール」も買ってきた。はい、これで老人の冬のマストアイテム揃いました。



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洗濯機の具合がよくない。段々運転音も大きくなるし。新春初売りで購入した斜めドラム洗濯乾燥機も8年が経とうとしている。そろそろ買い替え時期が近づいているのかもしれない。毎日二度の洗濯で酷使しすぎているのかそれとも洗濯機運がないのか、いまの機種でで4台目のドラム式洗濯乾燥機です。この18年で4台だから平均約4年強の寿命ですね。
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最初のドラム洗濯機は東芝でした。当時の東芝洗濯乾燥機は乾燥がヒートポンプ式でなくヒーター式だったので電気代がかかるのと、乾燥排気を水冷で水蒸気から水に戻して排水していたので水道代も馬鹿になりませんでした。それによく壊れました。2年半ほど使いましたが長期保障に入っていなかったので購入費と同じくらいの修理費を払いました。
2台目からパナソニックのヒートポンプ乾燥のドラム式です。しかしこれも一年で駄目になり無償で新型に交換してもらいました。その3台目は6年半働いてくれたのですが脱水力が弱くなり、途中で止まったり、そのうち終了までの残り時間表示が増えたり(基盤がイカレたのでしょう)末期症状になりました。「買い換えようか」の声が聞こえたのか最後の一週間は頑張って昔のように動いてくれたのですが時既に遅し。現4台目の登場となりました。

ドラム式にする前も我が家の洗濯機は結構短命でした。子供が小さい時は縦型洗濯機に衣類乾燥機の二階建て設置。まだ布製のおむつが主流で洗濯機と乾燥機は廻りっぱなしでした。その後も何台か買い替えて、シャープのニ槽式にたどり着きました。ニ槽式と言っても通常の洗濯槽と脱水槽ではなく洗濯槽の横に乾燥機が付いたものです。多分シャープだけのアイデアでした。あの頃のシャープはユニークな製品を輩出していましたね。これも比較的短期で壊れてしまいましたが、つぎも同じものを買いました。乾燥能力があまり高くなく洗濯と同時に使うとさらに力が落ちたけれど急ぎで乾かしたいものだけを入れれば大きな問題はなかったです。短命の理由は家事が好きではない家人が洗濯だけは一生懸命にやり、日に最低二度、多い時は三度の洗濯と乾燥をするからです。ほとんど洗濯か乾燥のどちらかが動いていてまるで合宿所の洗濯機のごとくフル稼働でした。

さすがに老夫婦二人になると汚れものの量は減るのですが、相変わらず午前に一度午後に一度洗濯機が廻っています。最近は乾燥機は使わず浴室乾燥です。多分こちらの方がコスト的には安いし皴にもなりにくい。だから洗濯乾燥機は不要なのですが、20年近く使い続けているから次に購入するのもドラム式洗濯乾燥機がいいと家人は言うでしょう。
洗濯機も水流や乾燥方法に多少の手を加えたくらいでこの十年大きな改良は見られません(使用電力と水道量は確かに下がっていますが)。18年前最初に買ったドラム式は確か10万以下でした。新型がでる度にサイズが大きくなりいろんなというか老人には不要な機能が付加され、かつ値段も上がっているので白物家電が苦戦している理由がなんとなく分かる気もします。今調べたら最新式はセール価格でも30数万もする。これでは老人世帯は諦めるしかないかも。
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少し早いかもしれませんが年賀状を準備する季節になりました。歳をとるにつれて亡くなる方や喪中の方、年賀状を出すことを諦める方、メール年賀状に変更する方が増え、現役時代と比べると枚数は激減です。確かに虚礼に近いので辞めたいとも思うのですが、年賀状でしか繋がっていない親戚や知り合いも多いので結局毎年書くことになります。しかし紋切り型の文章ではまさに虚礼になってしまうので、自分の近況、考えや抱負を記すことにしています。昔の仲間からは、あの長い年賀状と言われています。過去の物から数例を引っ張り出しました。



明けましておめでとうございます

お健やかに新年をお迎えのことと存じます。

日本中が閉塞感で覆われたまま一年が終わり、新しい年が始まりました。なんだか今年も同じような年になりそうな予感がします。

50歳以上が有権者に占める割合が半数を越える時を「終電が出る時刻」と言うそうです。諸々の給付を受ける側が過半数になると、次世代のことよりも既得権を守ること、自分たちの老後が関心事となり、政府が財政改革など大きな改革を実行することがが困難になります。先進国のほとんどがこれからの10年~20年でその時期を迎えるのに対し、日本は既に50%を大きく超えています。現在の閉塞感の原因の一端はこの辺にあるのかもしれません。

そう言う自分はもう終電に乗り込んでいます。学生時代になぜビートルズがこんな曲を、と思いながら聴いたWill you you still need me, will you still feed me, when I’m sixty-fourの年齢に今年なります。時の経つのが年々加速度的に速くなるのを感じますが、終電に乗り損ねた世代のことも忘れない団塊世代でありたいと思います。 

新しい年が皆様にとってよい年となりますように。

平成二十三年元旦

明けましておめでとうございます

お健やかに新年をお迎えのことと存じます。

一年が、未曾有の震災の一年が過ぎました。長くて短い激動の一年でした。

かつて「一日のなんと長く、一年のなんと短いことか!」と感じるようになったら要注意だ、と教わりました。停滞あるいは倦怠の兆候なのでしょうね。一年が短く感じられることに今も変わりはありませんが、引退老人の平々凡々の一日もあっという間に過ぎて行きます。時の流れは年々速くなります。昨年は特にそう感じました。

日本を覆っているこの淀んだ空気は今年も消えることはなさそうです。でも千年に一度と言われた震災の年より悪くはならないはずだと信じ、明るい方向に向かって歩くしかできることはありません。今年こそ新しい一年が皆様にとってよい年となりますようにお祈りいたしております。

この夏で65歳、『高齢者』の仲間入りです。今年の一日も短いといいなあ。
平成二十四年元旦 


明けましておめでとうございます。
お健やかに新年をお迎えのことと存じます。

英国の調査によると幸福度は40代を底にして上昇を始め、70歳近辺でピークを迎えるとのことです。引退して仕事がらみの不満やストレスが減少することがその理由だそうです。米国の調査でも同様なU字カーブを描いています。日本のデータを調べてみると、67歳を底にして79歳まで横ばいのL字型だ、とあります。阪大の調査では20代が最も幸福で加齢と共に下がり始め、60代が一番不幸とのこと。英国の調査とまったく逆ではないですか。すがる思いで最後にたどり着いたのがハーバード大学の10代男性を老年まで75年間追跡した幸福研究の結論。人を幸福にするのは、富でも名声でも無我夢中に働くことでもなく、良い人間関係、特に身近な人たちとの関係の質なのだ、と。ちょっと救われますね。

と言うことで皆様今年もよろしくお付き合いをお願いいたします。 

2017年が皆様にとってよい年となりますようにお祈り致しております。

平成二十九年元旦


ネタ探しもそれなりに大変なのですが(だから少し早めの準備が必要になります)、過ぎ去った一年を自分なりに振り返り、新年の抱負をまとめる良い機会になります。今年来た年賀状の中で一番面白かったよなどと言われたりすると、また来年も頑張って書こうという気になります。
さて、今年の年賀状はなにを書こうかなあ。

 




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少し寒くなってきた昨日、暖かいランチを食べたくて久しぶりに新宿中村屋の肉まんを買ってきました。夏の間は店頭で見ることが少なかったのですが、急に冷えてきたせいか駅前のスーパーにはいつもより大量に並べられ買っている客の数も多かった。家に帰り蒸し器の用意をして袋を開けてびっくり。一個づつ個包装されているではありませんか。
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今更という感じもするのですが、個包装化するには大袋に入れる前に個包装ラインを作らねばならないので製造ラインの変更が必要になるし、オペレーションも大変ではなかろうかとメーカーにいた人間は考えてしまいます。パッケージには誇らしげに「個包装のままレンジでふんわり」と書かれています。確か旧製品の裏には軽く水を振ってラップをゆるくかけてレンジに、とか書いてあったような気がします。私は面倒でも蒸し器を使います。この方が絶対おいしいからです。

それともうひとつ気づいたことが。5個入だったのが6個入になっている! 旧製品は基本5個入で時々プロモーションで+1個の6個入はあったのですが、個包装した上に6個入にしてお値段そのまま。中村屋さん、この小麦粉価格が高騰している時に大丈夫か、と心配してしまいます。(下の写真は旧製品)
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しかし個包装を開けた時に気づきました。小さくなっている。高さも径も以前よりひと廻り小ぶりだ。そうですよね、それでなければ採算悪化ですものね。でもいつも6個入で売られるのは大歓迎です。売価495円税込みで534円なら1個89円です。それに肉まんは賞味期限が短く、長いもので5日、私がいつも買う店のものはたいてい3日です。2日になると10%、その後は30%引きで売られることが多い。この値段で体が温まりお腹がいっぱいになるなんて。贅沢は言えません。
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金のなかった学生時代、現金封筒で仕送りがつくとすぐ元住吉商店街の中村屋に走り、蒸篭で蒸かしているのを買いました。たいていは5個、腹の減っている時は7個買います。食べる順番も決まっていて5個の時は、肉肉餡肉肉の順、7個の時は肉肉餡肉肉餡肉でした。今思うと至福の時でした。当時は1個25円でしたから5個で125円、7個買っても175円。学食のカツ丼が70円、商店街の洋食屋の定食が180~200円だったから肉まんの方が満足度が高かったかもしれません。でも今じゃとても7個は食べられない。
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でも味から言うと大阪にある551蓬莱の豚まんが一番でしょう。神戸で働き始めた時に元広告屋はまずTVCMに驚き(あきれたが正確か)食べて驚いた。横浜中華街のよりおいしくて安い。駅の売店や三宮そごうの地下で並んで買いました。横浜ではそごうが年に一回イベント時に招聘している時にしか買えない(通販では買えます)。先週名古屋からの帰りの新幹線でお土産の551の袋を見て羨ましかった。たいてい上りの車内に一人はいますね、お土産で買った人が。あ、いかん。腹が減ってきた。
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ユーミンの唄「海を見ていた午後」で有名になった山手のドルフィンの前の坂を上がったところにある米軍の消防署 Fire station No.5。20年ほど前に火事を出したことで有名です。消防署が燃えるなんて、と驚きました。そのうえ電源喪失でシャッターが開かなかったため自力で消火ができず、横浜市消防局の消防車15台が駆けつけて消火をしたとか。
前を通るたびに看板に書かれた標語「Learn not to burn」は火事の前からあるのか、火事の後に書かれたのかとても気になります。少なくともこの20年は火を出してはいないのですが…
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そのユーミンが昨夜キャラメルママ、尾崎亜美とともにNHKの音楽番組に出ていました。見た目はそんなに変わらないけど声が低くなり声量も落ちました。以前は一息で歌えたフレーズが途中でブレスが入ります。デビュー50年で67歳になったのだから仕方がないのでしょうが、すこし悲しい。でもいい番組でした。



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マーケティングの仕事をしていたから新製品や新カテゴリーに興味を持つようになったのか、新奇物への好奇心が強かったからマーケティングの仕事に進んだのかは分からないが、昔から新しいものが好きだった。

1974年に新入社員として入社した広告代理店の媒体局では計算の仕事が多かった。まだ計算器が一般的になったばかり(ある部長の席には手廻し式の計算機があった)で社員にはキャノンの卓上計算器(蛍光表示管!かつ電源コード付き)が一人に一台が与えられていたが、新入社員の分はなかった。計算のたびに先輩に借りるわけにもいかず、自宅からシャープの電池式計算器を持って行った。そろばん型の横長形状で計算結果が3桁ごとに表示されるのでじれったくて仕方なかった。個人で計算器を持つ人はほとんどいなかったので周りの人から呆れられたのを憶えている。
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数年後マーケティング局に配属されコンピューターを扱うことになった。そのときの機種はSEIKO S-500だったが、計算機とは勝手が違う。大学は二つ行ったけれど両方とも文学部で機械音痴なので途方に暮れた。二進法の本を読んでもチンプンカンプン。コボルやフォートランも齧ったが使い物にならない。IBMのRPG IIの講座に2週間通い多少は覚えたが実務には使えない。コンピューターアレルギーがあるのでこれを除くのが最善ではなかろうかと考えた。つまりコンピューターを購入して自宅で使えばなんとかなるのではないか、と。

当時の日本ではNECのパソコンが主流だったが、日本独自のOSだったし外資系勤めなのでアメリカ製が良いのではと米市場を調べたらアップル、タンディ、コモドールの御三家が市場を席巻していた。新宿駅の近くにタンディラジオシャックの店があり初めてパーソナルコンピューター(当時はマイコンと呼ばれることが多かった)というものを見た。機種はTRS-80という8ビットのマシンでソフトは一切なく、BASICという言語で自分でプログラムを書かねばならなかった。何冊かの書物を読みプログラミングを憶えて娘のためのゲーム(シューティング、お絵かきや足し算など)、仕事用の回帰分析、広告の効果予測や販売予測モデルなどを作り始めた。10553963_726482677418554_6681803873870737986_o
当時の価格はPC本体(CPU)とキーボードが13万8千円、CRTモニターが3万8千円位だった。月給が手取り10万強の時でクレジットカードでそれを払うのが精一杯で、数か月ごとに記憶装置(最初はカセットレコーダー!)やプリンターと追加をしていった。帰宅後にプログラムを作り週末にデバッグする毎日だった。計算は遅く、回帰式を入れてリターンキイを押し風呂に入って出てくる頃に答えが出る。記憶媒体のテープレコーダも音量が適正でないと記録も読み取りもできないし、CRTは当然モノクロでドットは横で256しかなく、なだらかな曲線なんか描けない。14万8千円もしたラインプリンターはとんでもなく大きな音を出し深夜にはプリントアウトできず朝まで待つ始末。何年か後にVisiCalc(世界初の表計算ソフト)とフロッピーディスク(3.5インチでなく5インチ版)が発売されたときに大興奮したことを憶えている。こんな機器に軽自動車が買えるくらいの資金を投資したことを考えると、現在のPCの価格はとんでもなく安いし技術の進歩はすごいなあと老人は思う。

ひょっとしたら自分の考え方や仕事の仕方を変えるのではなかろうか、そのための投資であれば高くはないと考えてトライしたパソコンは正解だったが、そのあとに買ったワープロ(シャープの書院)は30万位したのに液晶が小さく記憶媒体も不備で使い物にならなかった。これは後日PCにワードパーフェクトやワードが入ることによって解決されはしたが。いつしかコンピューターアレルギーは消え、その後IBM、デル、ゲートウェイ、ソード、HP、レノボ、ASUSなど12台を使い現在に至っている。こうなるとコンピューターはもう生活家電と呼んでよい存在だなあ。



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なかなか眠れないのでナイトキャップを作ろうとしたらグラスの曇りが気になった。タンブラーを洗い始めたら他のワイングラス、ビアグラスやショットグラスも気になって結局食器棚のグラスを全部洗うことになってしまった。ついでにデキャンタや、黒ずんでいた銀のティーポット、クリーマー、シュガーポットも銀磨きできれいにした。

気づけばグラスの数が半分以下になっている。トム・クルーズの映画「カクテル」を見て衝動的に始めたカクテル作りを10年後に辞めた時カクテルグラスは全部処分したし、昔ホームパーティを時々していた時期があり、皆が帰った後で酔っ払ったまま深夜一人で洗っていて割ったグラスは数知れず。ナイロンたわしでこすって駄目にしたバカラも数脚。食器もそうだけれど、よいグラスが新たに加わるとそれまで普通に使っていたグラスたちが居心地が悪くなって居場所を失ってしまう。そんなことと考えながら2時間、洗って乾かしていたらすっかり手が荒れた。おまけにもうじき3時だ。飲まないで寝なくちゃ。
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毎日2回体重計に乗るのだけれど、先月生まれて初めて60キロを越えた(身長168センチ)。学生時代は50キロ、サラリーマン時代は54~57キロだったのですこしショック。で、「炭水化物が人類を滅ぼす」という本を読みながらノン・カーボ・ダイエット(糖質制限)を始めました。食べてよいのは、肉類、魚類、卵、ナッツ、根菜以外の野菜、きのこ類、乳製品、大豆製品のみ。果物はアヴォカドだけがOKで、穀類、菓子、砂糖はご法度。

白米、パン、うどん、そば、パスタが食べられないのがこんなにツライのと、メニューを考えるのが大変なことに始めてから気づきました。料理担当になって数年が経ちますが、朝はトースト、昼は麺類、夜はごはん+おかず数品と決めていたのが根底から崩れます。じゃがいも、人参が使えないのはキビシイ。アルコールも蒸留酒だけOKなので焼酎を飲まない私にはウイスキーしか残されていません。
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典型的なメニューは
朝:コーンフレーク(オールブラン)、ヨーグルト、コーヒー、果物(本当は駄目なのだがケース買いした土佐文旦が残っているので)
昼:きのこ類と野菜のスープ(時々耐え切れずに水餃子を加える)
夜:野菜と肉類(または魚類)のみ。時に豆腐類。
これだけ野菜を食べ続けた記憶はありません。まるで芋虫になった気分です。冷蔵庫には十数種の野菜と数種類のキノコがいつも入っています。
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お腹は結構膨れます。深夜にナッツをつまみにウイスキーを飲みます。昼間空腹を感じたら買い込んであるナッツを食べます。肉類の消費が増え、野菜とくに葉ものがいま高いのとナッツを日に数袋食べるのでエンゲル係数は上昇気味です。
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始めて3か月が経ちました。2週目に入った頃に1キロ落ち、一か月後に2キロ減り、3か月後で4キロの減量です。朝の体重は56キロになり昔に戻りました。体脂肪率が5ポイントほど下がりました。たぶん体脂肪が3キロぐらい燃えたんだろうな。過度にやりすぎるとリスクもあるかもしれないので今の程度のロー・カーボ・ダイエットをしばらく続けようと思います。ダイエットを考えている方のご参考までに…
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老夫婦二人暮らしでも結構な量のゴミが出る。うちのマンションは粗大ごみや資源ごみ以外は毎日捨てられるのだが、可燃ごみを週二回、ポリごみと缶/PET/瓶も週二回、段ボールゴミを週一回のペースで出している。その量がコロナ以降増えたような気がする。近所のマンションを見てもごみ置き場には明らかに以前より大量のごみが集められている。
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昨年コロナによる自粛要請が出た後、横浜ではゴミ総量が+13%、缶やPETなどが+16%増えた。東京でもごみの量が6.4%増加したとの記事があった。中でもプラスティック容器(トレーなど)は1割近い増加だった。外出を控えて自宅で調理することが増え所謂「巣ごもり消費」がごみの量を増やしたようだ。確かに肉、魚、卵、豆腐、総菜、何を買ってもプラ容器やトレーに入っている。子供のころこれらを買うとたいていは経木や新聞紙で包まれていた。もしくは豆腐のように鍋を持って行って入れて帰ってきた。昭和30年代に入ってからポリ袋や発泡スチロールが普通に使われるようになり経木などほとんど見なくなった。一杯になったゴミ袋を抱えてゴミ置き場に向かう時、人類はHomo sapiens(賢い人間)なんかじゃなくHomo scruta(ゴミ出し人間)とでも呼んだ方がいいのではないかといつも思う。他の動物は排泄物と捕食した動物の骨くらいしか残しませんものね。

年末年始は特にゴミの量が増える時期で、鎌倉市などはこの1月にごみ処理の停滞防止とコロナウィルス感染症対策のため排出自粛願を出すくらいだった。この時期は段ボールゴミが大量に出る。お歳暮類の箱だけでなく巣ごもり生活に伴うお取り寄せ便やアマゾンとか楽天などのネット購入が対前年で4割増えたという報道もあり、マンションの資源ごみ置き場はうず高く積みあがった段ボールで一杯だった。わが家でも週に二回くらいアマゾンと楽天の配達が各々あり、その他に食材、ミネラルウォーターや無糖茶などを定期的に購入するので一週間の段ボール量はこんな感じになる。
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どうにかしてゴミの量を減らすことはできないのか。ポリ袋の有料化もその一環だったが今のところ大きな効果は見られない。逆にスーパーやデパ地下ではエコバッグの汁漏れ防止用に何枚かの無料ビニール袋を使う人が増えているらしい。
ハーゲンダッツは使い捨てでなく再利用できるステンレス容器をテストしているらしいし、ラックスはリサイクルできるPET容器使用のヘアケア製品を4月に出すらしい。使い捨てでなく再利用できる容器、容器を持参しての量り売り、昔のコーラのように容器を返却すると料金が帰ってくるデポジット制が見直されるかもしれない。

もう一つの方法はゴミ処理の有料化だろう。去年4月に廿日市市は可燃ごみの有料化に踏み切った。45円の黄色のゴミ袋(45リットル用)に入れてゴミ出しをする。有料化からの半年で可燃ごみは9.8%減少した。しかし同時期の資源ごみは9.0%増加した。コロナ禍でプラ容器の使用機会が増えたことと、可燃ごみから資源ごみへの分別が進んだことが原因だと思われる。コロナ以前のケースでは、狛江市でも2005年からゴミの有料化(40リットル用で1枚80円)を始めている。開始直後は可燃ごみは18.3%、不燃ごみは29.9%排出量が減ったが、その後は大きな変化はなく開始3年後でも開始前と比べて20%減レベルにある。短期的には効果がありそうだが抜本的な対策にはなりそうもない。

結局3Rを徹底するしかないのかもしれない。まずReduceで可燃ごみでも資源ごみでも量を減らす。これが一番大事。次にReuseで捨てる前に他の使い道はないかまたは使ってくれる人はいないかを考える。最後がRecycleで使い道がないものを捨てる前に分別して再利用できるようにする。これは最後の手段だ。なぜならリサイクルには多大なエネルギーが必要だし通常ごみとして処理するよりも手間と費用が掛かるからだ。
老人にできることは、無駄なものを買わない、食品ロスを出さない、ゴミはできるだけ圧縮してから出す。こんなことしかできない。今日もHomo Scrutaとつぶやきながら大きな袋を抱えてゴミ置き場へと向かう。



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コロナはしばらくは収まりそうにないし、ワクチンも予定通りに接種が始まるのか不明だ。コロナにかかっても入院は困難な状況だし、老人の重症化と致死率は若者より高い。老人が外出を控える、マスクをする、手を洗う以外に何かできることはないんだろうかと思っていた時に読んだ記事。

以前からビタミンDは免疫賦活作用、抗ウィルス、抗炎症作用を有しているのだが、COVID-19に対しても何らかの効果がありそうだという論文がいくつか出ている。最初はコロナ重症者の血中ビタミンD濃度が非重症者より低かったという記事だったが、スペインの研究ではビタミンDを治療薬として投与することで新型コロナ感染症の重篤化を防げることが初めて発表された。n数は少ないがダブルブラインドで実施されたかなり信用できる研究のようだ。
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こうしたデータを基に英国NHS(国民保健サービス)はビタミンD合成低下に対する対策としてビタミンDサプリメントの利用も考慮すべき、としている。ヨーロッパの事例でもビタミンDの摂取量とCOVID-19による死亡者数や感染者数の間には負の相関があると発表されている。相関があるからと言って即因果関係があるとは言えないが図を見る限り傾向は明らかである。
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細かい作用機序や研究内容は素人にはよくわからないが、もしかかったら重症化を防げるかもしれないと考えた浅はかな老人は、半分気休め半分真剣な気分でドラッグストアに走り、サプリメントを買った。気休めだとしても、外に出ることが減って紫外線を浴びる量も減り、ビタミンDの生成量も少なくなっているだろうからその補填くらいはしたほうがいいかなと考えての行動だったが、店のビタミンDサプリの棚はいつもの倍になっていたがその半分くらいは空になっていた。恐るべし。
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年末近くになって寝室のテレビが壊れた。少し前から液晶の一部が白濁し始めていたから寿命なんだろう。背面を見ると2005年製とある。19インチのパナソニックで確か178,000円だった。これを買う2年前にネットで買ったサムソンの40インチ(なんと63万もした!)がとんでもない不良品で数回の修理でスピーカー、液晶、基盤を替えても駄目で、テレビ本体そのものを新品に交換してもらったがそれも不良で、最後には「韓国本社にクレームつける!」と脅かしたら全額返金してくれた。その不良時期に仕方なくヨドバシで買ったのがこのパナソニックのビエラで、シャープの45型アクオスを買った後は家内の寝室に納まった。
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そのアクオスを買う前にヤフオクで詐欺にあった。同型のアクオスを25万くらいで落札したのだが、振り込み後に、発送したトラックが事故にあって製品が壊れたので再度調達して送る旨のメールがあり、待っていても連絡がない。詐欺と分かった後もヤフオクサイドは落ち度はないと言い張り保証拒否。警察に被害届を出し、調書を作ってもらい、最後は自己破産した相手の弁護士経由で詐欺額の一割程度の金額が振り込まれて終わり。その後懲りずにまたヤフオクで30万強で買ったのだが、今度は直接取引で相手のところまで車で行き現金と引き換えに商品を引き取った。

壊れた19インチの後釜には価格コムで購入した東芝の24インチ、レグザ。フレームが細くなって同じ横幅に納まるのもありがたいが、2万円台の価格もありがたい。テレビの価格は1インチ当たりの価格が良く使われるが、私がサムソンを買った2003年には1.5万だったものが2004年頃には1万円を切り、あっという間に3,000円になり、2019年には1,000円を切る製品も出るようになった。ちなみに壊れた2005年製のビエラは9,400円、新しく買った2018年製の東芝レグザは920円だ。ま、東芝もこの型から国産でなく中国製になってはいるが。現在テレビで純国産と呼べるのはパナソニック、三菱の2社のみで、ソニーも基幹のディスプレイをサムソンなどから調達しているとのことだし、NECと日立は撤退、東芝はハイセンスに譲渡され、三洋はパナソニックに統合され、シャープはホンハイに買収されてしまった。その三菱のREALも2024年3月出荷を最後に撤退をすると報道されているので、純国産はパナソニック一社になってしまう。

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これだけ安くなると利益は出ないであろうし、日本のメーカーに勝ち目はないかもしれない。家電量販店に行くと4Kや8Kテレビが目立つところに置かれているが、価格が高いし、第一そのクオリティで見たくなる地上波コンテンツそのものが見当たらない。(番組制作費もコロナ前より3~4割カットされているらしいのでこの先も期待はできない)。コロナ禍の巣籠需要で持ち直したかに見えた市場もオリンピック後に急降下し、五輪特需を見込んで増やした在庫がだぶついているのが現実である。コロナ禍で消費にブレーキがかかっているのも家電メーカーにとってマイナス要因だ。

最終的には高付加価値の値段も高い受像機で見たくなるような番組作りか不可欠なんだろうと思う。放っておくとネットにおいしいところを奪われてしまうだろうテレビ業界にとって必要なものは、コンテンツしかない。それもテレビの創成期に言われた「テレビメディアの強みは即時性とクローズアップ」を活かした報道番組、スポーツ中継、舞台中継だと思う。頑張ってね、テレビ業界と家電メーカーさん。


 
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最低限の食糧と日常品の買い物以外は外出しなくなって数か月が過ぎた。リモートワークをしている人はストレスが溜まっているようだが、引退してから10年以上引き籠っている老人の生活はコロナ騒動下でも大きくは変わらない。

老人らしくなく起床は9時過ぎ(寝るのが3時くらいだから仕方ない)。すぐ朝風呂に入る。浴槽内で日課の軽い運動。これをすると一日が気持ちよく始まる。忙しかった現役時代にはできなかったこと。45年購読した日経を去年止めたので朝食後にテレビを見るが、CSのTBS NEWS、日テレ24ニュース、CNNとBBCだけで地上波は馬鹿らしくて見ない。結局毎日することは運動不足を解消するために毎日室内でエアロバイクを漕ぐこととネットのニュースを読むこと、食材の買い出しと昼飯と晩飯を作ることくらい。まさか人生の最終コーナーに差し掛かった時に日々こうした過ごし方をするとは予想すらしなかった。

私は団塊の世代と呼ばれる年代である。「終電に間に合った世代」とか「最後の食い逃げ世代」と呼ばれることもある。会社勤めでもそこそこの給料や処遇を得たし、年金もそれなりに受け取れる世代だ。現在のコロナ騒ぎで多くの自営業者、非正規労働者、学生などが大変な状況にあるのに、既に年金生活に入っている我々は手取りが減ることもしばらくはなさそうだし仕事の心配もしなくても済む。若い人たちを見ているとなんだか申し訳ない気持ちになる。

私の生まれた1947年の出生数は268万人。1944-1946年は戦時中だったため正式な人口統計がないのだが、日経新聞によると1947-49年生まれの団塊の世代人口は806万人で、2019年10月時点でも618万人いてその前の3年間の406万人とくらべて5割も多い。47年生まれは前年比約100万人増、+60%。現在の出生数が約100万弱であることを考えるととんでもない人数に思える。望んでその年に生まれたわけではないし、終戦後のベビーブーマーとして生まれ、「死ぬまで競争だ!」と言われて育った世代である。入学、就職、結婚、昇進と競争が激しかったのは事実である。小中学校では1クラス60人の時代で、学校によっては1学年のクラスがアルファベットで足りないところもあった。中学の時ははテニスコートをつぶして建てたプレハブ校舎だった。

受験戦争を切り抜けると次は就職戦争。女性にとっては結婚対象となる数歳上の男が少ないため結婚戦争、そして結果的に同い年結婚が増えた。友達夫婦は20代ではニューファミリーとおだてられて企業のマーケティング・ターゲットとなり、30代では企業戦士に。しかし引退してみると、高度成長にただ乗りしただけでなにも付加価値を生まなかった世代、年金などの社会保障面で得をした最後の食い逃げ世代などと評せられる。確かに前の世代が大きな仕事をしていた。オズボーンの戯曲「怒りを込めて振り返れ」にあったように、やろうとしていたことはすべて前の世代がやってしまっていたのかもしれない。

我々の世代が大学を出て社会に入ったとたん高度成長が終わりオイルショックが来た。バレル8ドルだった原油価格があっという間に23ドルに上がったことを覚えている。1974年には卸売物価は31%、消費者物価は23%も上昇し狂乱物価と呼ばれた。給料も上がったが物価に追いつけなかった。為替レートも戦後の1ドル360円が71年に308円になり73年には変動相場制となって260円まで円高となるジェットコースター相場だった。初のトイレットペーパー騒ぎが起きたのもこの頃だった。それなりの苦労もし、なんとか企業で生き延び、子供を育て、家を買い、わずかな蓄財をして老後に備えたつもりだったのに、最近の論調は団塊世代は諸悪の根源のように言う。
2025年問題と呼ばれる医療・介護費が急増して70兆円を超える最大の理由が団塊の世代すべてが後期高齢者になるからだとのこと(後期高齢者の三分の一は要介護状態)。確かに人口的には巨大な塊で、かつ長生きしそうで医療費や年金で下の世代に迷惑をかけると思う。でもね、それなりに一所懸命生きてきたのですよ。こうなったらもう少し生き延びて、オイルショックやバブル崩壊に立ち会った時のようにこのコロナ騒動も最後まで見届けてやろうじゃないの。




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非常事態宣言が解除されたので久しぶりにゴルフ。自粛生活が続いていたので体力が落ちていて後半が肉体的につらい。腰がぶれるので軸が定まらないし、当然球筋も定まらない。風呂場で脚が攣りそうになったし、ぎっくり腰にもなりそうな感じだった。この歳でぎっくり腰になるとけっこう大変なことになる。いままで三回やっている。


最初のぎっくり腰は忘れられない。カナダから帰国して半年白金のホテルで暮らし、この部屋に引っ越してきた夏の暑い日だった。寺田倉庫に預けていた家具が運び込まれ、ダンボール箱60個を開けて収納している時だった。大半が終わり残り数個の一つを持ち上げた時、突然電気が走り床に崩れ落ちた。痛みでまったく動けない。目の前のベッドに登ることもできない。7月の中旬。あの年は猛暑だった。オーダーしたカーテンはまだ届いていない。クーラーの据付は一週間後。部屋の中は40度にはなっていたと思う。暑い。西南に面した部屋には強い日差しが差し込み、手足をもがれたゴキブリのように床に伏したまま、こうして干からびて死んでいくのではなかろうかと思った。陽当たりが良さそうで自分で選んだ部屋を恨んだ。家族は海外にいるし、電話もまだ設置されていない。無論携帯なんてない時代でSOSすら発信できない。汗は床に滴り落ちる。


数時間そのままの格好で過ごした後、水分を補給せねば、トイレにも行かねばと移動を試みる。四つん這いのままスローモーションのイグアナのように痛みをこらえながら匍匐前進し、数分かけて台所に到着。据え付けたばかりの冷蔵庫には当然ながら何も入っていない。水を飲もうと流し台に手をかけても背中が痛くて立ち上がれない。何度か膝から崩れ落ちたあと、背を丸め左腕をシンクに乗せて体重を支えながら右手でハンドルを押してやっとのことで蛇口から水を飲む。生ぬるい水だったがおいしかった。その後トイレへ。この悪戦苦闘は書く気にもなれない。


翌日勇気を振り絞り治療院に向かう。普通に歩いても15分の距離だ。はじめて二足歩行をした人類もかくありなんという感じでときはに道にしゃがみこみ、ときには電柱やガードレールににすがりついてやっと到着。あれは一種の旅だった。なのに老先生は話を聞いた後たいした治療もせず、加齢ですね、自分で思うより筋力は落ちているんですよ、もう若くないんだから、と言ってコルセットを売りつけて治療終了。あ~あ、老化はあの頃から始まっていたんだ。



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70歳になりました。あっという間の70年でした。私が生まれた年に日本人男子の平均寿命が初めて50歳を超えたのですから、長生きをしていると言うこともできます。
会社勤めを辞めてからちょうど10年。振り返ってみると自分の会社人生には10年に一度大きなイベントがあったことに気づきました。

10年前の2007年6月。親会社の米国人社長との定例個人面談で業務報告をしようとしたら「今日はいい」と遮られ、米本社がバファリンやエキセドリンなどの商標を日本のJVパートナーに売却することを決めたので会社は来月一杯で解散されると唐突に伝えられました。一週間後にプレスリリースが出るのですぐデューデリジェンスを極秘で始めろ、JVパートナーへの業務引継ぎは発表後一週間で終えろと通常ではありえないスケジュールです。社員のことを考えると社内発表までの一週間は辛い毎日でした。発表後に書類だけの株主総会の議事録が廻ってきて会社の解散と自身の代表取締役の解任決議に署名をしたことを覚えています。たまたまその日が60歳の誕生日で、役員でなくなることは定年を意味し7月末で退職となりました。

その10年前の1997年秋。日本ペプシコーラ社の本部長は会議室に緊急召集され、社長から本社が日本の事業をサントリーに譲渡すると決定したと告げられました。12月で会社は抹消され社員はサントリー(の子会社)に転籍になるとのことでした。マーケティング責任者だった私は広報担当に話をし、翌月に行われるサントリーの記者会見の準備を依頼しました。これも秘密裏に進めるため広報担当も苦しかったと思います。その後社内にはサントリーから数名が常駐し業務引継ぎのための聞き取りが始まりました。結局マネジメント、製造・開発スタッフは不要ということで退職することとなり、私も何か月かのハローワーク通いをすることとなります。ペプシマンのキャンペーンが成功し業績が回復している時だけに無念な思いだけが残りました。

そのまた10年前、1987年。スミスクライン&フレンチにコンタック担当のプロダクトマネジャーとして入社して三か月後、住友製薬のOTC事業を吸収合併してスミスクライン住薬という会社になりました。同時に住友製薬から数十人が転籍してきましたが、除虫薬や殺鼠剤を中心に営業力のプッシュで売るコテコテの関西企業とTV広告のプルで売る外資が融合するはずもなく、社内は二つに割れたバラバラのままで朝礼も別々に行われる状態でした。入社して間もない私はどちらにも属することができず宙ぶらりんで居心地の悪いまま退職を決意しました。予期した通り数年後に提携は解消され社名はスミスクライン ビーチャム コンシューマーヘルスケアという長い名前に変わっていました。

しかしよく考えるとたまたま10年ごとにイベントが起こったのではなく、自分が30歳では、40歳では、50歳ではこうならねばという妙な概念に憑りつかれて性急に新しいチャレンジ(40歳、50歳直前の転職)をしたために引き起こした部分もあったのではと考えるようになりました。大学を退学処分され社会に出たのが4年遅れで、早く同い年の仲間に追いつこうと焦ったことも影響していたと思います。自分でキャリアを作り上げる意欲も大事だけれど、運を天に任せるのもひとつの方法だったかもと今では考えられるようになりました。


今年は最後のイベントからちょうど10年目。あと半年何も起こらなければいいなあ。




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数年前から終活の一環として本、CD、ビデオ、DVDなどをオークションに出すようになりました。月に数点買い手がつくくらいでしたが、コロナ騒ぎが始まってから販売点数が増加しています。4月だけでも20点ほどの発送をしました。どんなものが売れるかと言うと、書籍、DVD、ゴルフクラブ、CD、ビデオ、レコードなどです。リモートワークで自宅で仕事をすることが増えて運動不足になる人が多いせいでしょうか、ブートキャンプなどのエクササイズDVDが4点売れましたし、ゴルフクラブもウッドやユーティリティセット、ウェッジなどに買い手が付きました。時間を持て余しネットを見ていて思わずポチッと押してしまうのかもしれません。

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出品を始めてから最も売れたのは書籍で、累計で1000冊以上が我が家の本棚から消えました。始めたころは希少本もあって一冊数千円で売れたものもありましたが、今では数百円の本ばかりです。アマゾンの場合、私のような小口出品者は販売価格の15%の販売手数料と100円の基本成約料に加えてカテゴリー成約料(本なら80円、CDなら140円)を引かれ、その上に消費税ですから数百円の売価だとほとんど利益は出ません。読まなくなった本が新しい読者を得て再度陽の目を見ることが喜びです。それに家の中もすっきりしますしね。梱包して発送するときは娘を嫁に出すような感じです。昨日売れた本はこんな本でした。
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村上春樹と綿谷りさと庄司薫の三冊ともかつてのベストセラーです。それゆえに出品数も多く、数で稼ぐ大口出品者は1円とか数十円の価格をつけています。それなのに私の数百円の本が売れたのはコロナの影響だと思われます。書店やアマゾンで生計を立てている出品者の本は数多くの人に触れられた可能性があり、コロナウィルスの付着もあるかもしれないと考える購入者もいるだろうと思います。私はかろうじて利益が出る価格設定に加えて、個人の所蔵本(ワンオーナー本)であることを付記しています。これが価格のハンデを消してくれているのかもしれません。その他にも先週は
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アニメ主題歌のソノシートや字幕なしの英語版の映画VHSのような普段では注文が来ないであろう商品が捌けました。自粛生活も3週間を過ぎ、皆さん普段とは異なる精神状態なのではなかろうかと思います。一日も早く普通の日が戻ってくることを祈ります。



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マクロミルの萩原さんがフェイスブックで毎日アップデートされている中国でのコロナウイルスによる死者数のグラフです。
R2(決定係数)が0.9994とい見たこともない高い数値です。少し前には0.9999というフォーナインまでありました。中国がこうした予測式をもとに死者数を発表しているのではというジョークを信じたくなるような数値です。

初期対応がうまくなかったせいか日本でも患者数が急増しています。今日16日現在355人の感染者が確認されています。
タクシー、屋形船、クルーズ船など密閉空間での感染が多く、まだ広まりそうです。私はダイヤモンドプリンセスが停泊している大黒ふ頭から直線距離で4キロのところに住んでいるので先週から外に出るのを可能な限り控えるようになりました。神奈川県には感染症患者用の陰圧治療室は80床弱しかなくそれも一部屋2人を想定しているので実勢は30数人しか受け入れキャパはありません。大黒ふ頭からの搬送は最初の頃は市民病院の車でしたが、やがてみなと赤十字とか聖マリアンナとか記された車に替わり、先日は多治見病院の車をニュース映像で見ました。

報道によると免疫力の衰える老人から倒れるそうで、いくら外に出る機会の少ない引退老人でも外出時はマスク、外出後は手洗い、うがいが欠かせません。マスクは数年前PM2.5対策や噴火対策用にまとめ買いしたものがあるのですが、マスクは気休め程度とのことですし手洗いやうがいの方が効果がありそうなので買い揃えました。

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マスクや手指用のアルコール消毒液はどこにもなく、調理器具や食品の除菌用のエタノール53.4%のものを2本と普通の殺菌消毒ハンドソープ、うがい用にエタノールを26.9%含有しているオリジナルリステリンを買ってきました。消毒液はECサイトにありましたがとんでもない価格で売られていて、やっと妥当な値段のものを買いましたが翌日には完売になっていました。
我ながらあきらめの悪い老人だとは思いますが、これらの製品を使い切ることなくコロナウイルス肺炎が終息することを願うばかりです。




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