マーケティング爺のひとりごと

外資系7社でチューインガムから抗癌剤までのマーケティングを生業としていた引退老人です。使えそうなデータや分析、気になった出来事、思い出、日々思うことなどをボケ防止のため綴っています。にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
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タグ:フジテレビ

2023年度の在京キー局の決算は全局増収だった。日テレが1.9%、フジとテレ東が2.0%、テレ朝が2.1%、TBSが2.8%成長だった。ただ経常利益はTBSとテレ東がプラスだったものの残りの3局はマイナスそれも二けたマイナスだった。テレビ広告費はネット広告に抜かれてもう何年にもなる。売りはつくったものの高コスト体質は変わらず、かつコロナ禍で動画配信利用者が急増しテレビの視聴率が下がり続け広告収入が減っているのが大きな理由だ。
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テレビの広告枠は肉屋で「牛肉300グラム!」とグラム単価で買うのと同じように視聴率300%でいくらと視聴率ベースの単価で売られる。視聴率が下がれば単価も下がり当然その分売り上げ金額は下がる。売る枠を増やそうにも総放送時間の18%と上限が決められている。昨年のキー局合計の広告収入は7623億円で前年比-4.7%、フジテレビなどは-8.1%だった。ゴールデンタイムのPUT(Persons Using Television 総個人視聴率)も31.1%と未曽有の低さだ。たしかに見たくなるような番組は少ない。

今のところは広告収入の減少分をTVerなどの配給収入で補っているようだが、これだっていつまで続くのか保証はない。中身のある、見ごたえのある番組を作らないと地上波の将来はないと思うのだが。局別の世帯視聴率の推移を見ると下のグラフのようになる。この3年の下降は注目に値する。全局下がっているがフジの下落がひどい。2011年の8%が2023年には半減の4%だ。過去の成功に囚われて視聴者の変化についていけていないようだ。
2024-07-11
半世紀近く前に広告代理店でテレビの仕事をしている時に在京5局は2強2弱1番外地と言われた。TBSと日テレが2強、フジとテレ朝(当時はNET)が2弱、テレ東(当時は東京12チャンネル)が番外地だ。2強には水戸黄門、8時だョ!全員集合、太陽にほえろなどのお化け番組があったが、他の3局にはなかった。フジとテレ朝がトレンディドラマや欽ちゃんで視聴率を稼ぐのはその数年後からだ。日テレはバラエティ番組で数字を稼いでいるが、TBSとフジはかつての勢いを失い、今ではかつての2弱テレ朝が世帯視聴率の三冠王となってしまった。テレ朝が上昇したのではなく他局より下降の度合いが少なかったからではあるが。フジは万年最下位のテレ東に追いつかれそうになっている。時代は変わるのだ、視聴者が変わるのだから。

記憶に残っているテレビ番組(3)

子供のころから歌謡曲より外国のポピュラー音楽のほうが好きだった。当時圧倒的に人気があったプレスリーは好みではなかったがポール・アンカやニール・セダカの曲に夢中になった。レコードなど買えなかったからラジオの深夜放送やFENで聴くしかなかった。歌詞はよくわからなかったのでメロディとリズムが好きだったのだろうと思う。ラジオではL盤アワーなどの洋楽番組があったが、60年代に入るとテレビでポップスを流す番組が生まれ始めた。最初のはフジテレビのザ・ヒットパレードだった。フジは日テレに6年近く遅れて開局し(1959年3月)番組開始はそのわずか3か月後だったのでドタバタのスタートだったようだ。渡辺プロダクションの持ち込み企画で始まったような番組で、当初は渡辺晋とシックス・ジョーズがレギュラーで、制作費もナベプロが肩代わりしていたとのことだった。
2022-02-14
「ヒットパレード ヒットパレード みんなで選ぶ ヒットパレード ヒットパレード みんなのヒットパレード」のテーマ曲で始まり、司会はミッキー・カーチス。テーマ曲は何か番組として物足りないというので前日に当時番組ディレクターだった杉山こういちが急遽作曲したという。初回ゲストだったスマイリー小原とスカイライナーズがのちにレギュラーバンドとなり踊る指揮者として有名になった。司会はその後長沢純、ザ・ピーナッツなどに変わり、スポンサーも人気が出るにつれ無名の化粧品メーカーから渡辺製菓、江崎グリコなどに変わった。出演者はミッキー・カーチス、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの三人娘など渡辺プロの歌手と渡辺美佐の両親が経営するマナセプロ所属の坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾やパラダイスキングが中心だった。みんなで選ぶといいながら選曲や歌い手にはナベプロの意向が強く働いていた。

私が憶えているのはスポンサーがキャノン単独のころで司会は長沢純と豊原ミツ子だったと思う。「キャノネット 素敵だわ~ キャノネット 持ってるわ~」とザ・ピーナッツが唄うキャノネットのCMをまだ記憶している。毎週放送を心待ちにしていた。思春期に差し掛かった時期で好みの歌手もコニー・フランシス、ジョニー・ソマーズ、ヘレン・シャピロ、レスリー・ゴーアなどの女性シンガーに変っていった。彼女らのヒット曲をレギュラー女性陣、沢リリ子、弘田三枝子、木の実ナナなどがカバーした。毎回アメリカで流行った曲を誰が歌うか楽しみだった。ちょっと酸っぱそうな表情で歌う伊東ゆかりとパンチのある沢リリ子が好みだった。歌詞は日本語に訳されていてそのほとんどが漣健児の訳だった。番組は約11年続きフジのその後の「明治屋マイマイショー」「森永スパークショー」「シオノギミュージックフェア」「夜のヒットスタジオ」などの音楽番組の礎を築いた。
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当時の東京のテレビ局は「2強2弱1番外地」と呼ばれ先行のTBSと日テレが圧倒的に強く、フジとNET(日本教育テレビ‐現テレビ朝日)は苦戦が続き、東京12チャンネル(現テレビ東京)は置いてきぼりだった。報道とドラマのTBSは水戸黄門、8時だよ全員集合、お色気と巨人の日本テレビは巨人戦、11PM、太陽にほえろなどがあるのに、女子供のフジテレビには74年スタートの「欽ちゃんのドンとやってみよう」まで高視聴率番組は存在しなかった。歌番組と言えば歌謡曲、演歌、のど自慢、スカウト番組しかなかった時代にフジテレビのポピュラー音楽志向の歌番組は存在感を示し、ザ・ヒットパレードはフジの看板番組となった。NHKのステージ101もTBSのザ・ベストテンも始まる前だった。
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その後フジは若者路線に切り替えヒット番組が続出し、1982年に初めて視聴率三冠を獲得し12年間保持し、2000年代にも一度盛り返したが、以降は不振のようだ。現役時代に広告担当としてティーン向きの商品のTV広告出稿はフジ中心だったが、最近の低迷はちょっとひどいかも。また昔の2弱に戻ってしまった。



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