もう40年以上朝食には必ずヨーグルトが付いている。新婚旅行でカナダに行った時ホテルの朝食がおいしかった。メニューはパン、コーヒー、グレープフルーツにヨーグルトという今考えればごく普通の献立だったが、一人暮らしが長かったのでロクな朝食を食べていなかった自分にはごちそうに思えた。思わず「おいしい!」と言ったばかりに帰国してから毎朝同じ四品のメニューが出るようになった。最近ではパン、果物やヨーグルトの種類やブランドは時々変わるが基本的には変化はない。飽きずに40数年。

ヨーグルトは明治、森永、グリコの御三家に時々特売しているローカルブランドのローテーションだが、やっぱり一番多いのは明治のブルガリアヨーグルトかな。
子供の頃ヨーグルトは小さなガラス瓶に入っていて毎朝牛乳屋さんが配達するものだった。本格的なヨーグルトはなくてゼラチンや寒天で固めた甘い製品ばかりだった。そんなにおいしいとも思えずたまに食べたいと思うのはフルーツ味のヨーグルトだった。ブルガリアヨーグルトを食べたのはその十数年後の大学生時代だった。まだ牛乳パック状の容器で開けると蓋ができず一度に全部食べて食事の代わりにしたりもした。
ブルガリアヨーグルト開発のきっかけは1970年の大阪万博というのは有名な話だ。会場のブルガリア館でヨーグルトを試食した明治の社員が感銘を受け開発に着手した。当時の明治乳業もヨーグルトを販売していたが甘くないプレーンヨーグルトを始めて食べて「これが本物の味だ!」と思ったという。分けてもらったサンプルをもとに乳酸菌の菌種選定からスタートし、試作を重ね何度もヨーロッパを訪問して翌1971年に「ブルガリアヨーグルト」を発売しようとしたらブルガリア大使館から待ったがかかる。ヨーグルトは民族の魂のようなものなので日本の民間企業には貸与できないとのこと。仕方なく「明治プレーンヨーグルト」の名前で市場導入をした。予想されたことながら甘いヨーグルトしかない市場で苦戦を強いられ一日に数百個しか売れず、かつ「酸っぱすぎる」「腐っている」「味が変、不良品ではないか」というクレームも相当来たらしい。
しかし本物の商品が浸透しないと日本の市場は成長しないと信じ、そのためにはヨーグルト発祥の地ブルガリアの名前を冠することが必要と考えた明治はプレーンヨーグルトにかける熱い思いを大使館に伝え続け、製造設備や品質管理、流通管理の説明を繰り返して承認を得て1973年12月に「明治ブルガリアヨーグルト」を世に出すことができた。


その後も売れ行きは芳しくなかったが新聞広告でヨーグルトの食べ方の説明やテレビ広告であの「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴを浸透させ、甘く食べられるように砂糖の小袋を店頭で添付するなどの地道な努力を重ねた。1981年にはそれまでの牛乳パック転用の容器から専用の密閉式パッケージを開発したことで販売量が増加し市場に定着した。

牛乳パックの時は500㎖、81年の新容器発売時は500g、87年には550gに増量したが95年に500gへ、2009年に450gへ、2018年には400gへと減量が続き添付の砂糖も2014年にカットされた。2018年の減量の時は「明治よ、お前もか!」と落胆した。容器と容量の変更、ミリリットルとグラム表示変更もあってブルガリアヨーグルトのパッケージ変更は20回以上に及ぶ。
それでもトップの位置を守っているのはブルガリアの名を冠したこと、記憶に残る「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴに加え、競合の森永ビフィダスの正方形パッケージやグリコ朝食ヨーグルトの円筒形パッケージと比較すると明治の長方形パッケージは正面の面積が大きく店頭での訴求力が強いことが考えられる。それと相撲ファンにとってはあの少し哀愁を帯びた表情と人のよさそうなブルガリア出身の琴欧州の化粧まわしだろうか。


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ヨーグルトは明治、森永、グリコの御三家に時々特売しているローカルブランドのローテーションだが、やっぱり一番多いのは明治のブルガリアヨーグルトかな。
子供の頃ヨーグルトは小さなガラス瓶に入っていて毎朝牛乳屋さんが配達するものだった。本格的なヨーグルトはなくてゼラチンや寒天で固めた甘い製品ばかりだった。そんなにおいしいとも思えずたまに食べたいと思うのはフルーツ味のヨーグルトだった。ブルガリアヨーグルトを食べたのはその十数年後の大学生時代だった。まだ牛乳パック状の容器で開けると蓋ができず一度に全部食べて食事の代わりにしたりもした。
ブルガリアヨーグルト開発のきっかけは1970年の大阪万博というのは有名な話だ。会場のブルガリア館でヨーグルトを試食した明治の社員が感銘を受け開発に着手した。当時の明治乳業もヨーグルトを販売していたが甘くないプレーンヨーグルトを始めて食べて「これが本物の味だ!」と思ったという。分けてもらったサンプルをもとに乳酸菌の菌種選定からスタートし、試作を重ね何度もヨーロッパを訪問して翌1971年に「ブルガリアヨーグルト」を発売しようとしたらブルガリア大使館から待ったがかかる。ヨーグルトは民族の魂のようなものなので日本の民間企業には貸与できないとのこと。仕方なく「明治プレーンヨーグルト」の名前で市場導入をした。予想されたことながら甘いヨーグルトしかない市場で苦戦を強いられ一日に数百個しか売れず、かつ「酸っぱすぎる」「腐っている」「味が変、不良品ではないか」というクレームも相当来たらしい。
しかし本物の商品が浸透しないと日本の市場は成長しないと信じ、そのためにはヨーグルト発祥の地ブルガリアの名前を冠することが必要と考えた明治はプレーンヨーグルトにかける熱い思いを大使館に伝え続け、製造設備や品質管理、流通管理の説明を繰り返して承認を得て1973年12月に「明治ブルガリアヨーグルト」を世に出すことができた。


その後も売れ行きは芳しくなかったが新聞広告でヨーグルトの食べ方の説明やテレビ広告であの「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴを浸透させ、甘く食べられるように砂糖の小袋を店頭で添付するなどの地道な努力を重ねた。1981年にはそれまでの牛乳パック転用の容器から専用の密閉式パッケージを開発したことで販売量が増加し市場に定着した。

牛乳パックの時は500㎖、81年の新容器発売時は500g、87年には550gに増量したが95年に500gへ、2009年に450gへ、2018年には400gへと減量が続き添付の砂糖も2014年にカットされた。2018年の減量の時は「明治よ、お前もか!」と落胆した。容器と容量の変更、ミリリットルとグラム表示変更もあってブルガリアヨーグルトのパッケージ変更は20回以上に及ぶ。
それでもトップの位置を守っているのはブルガリアの名を冠したこと、記憶に残る「明治ブルガリアヨ~グルト」のサウンドロゴに加え、競合の森永ビフィダスの正方形パッケージやグリコ朝食ヨーグルトの円筒形パッケージと比較すると明治の長方形パッケージは正面の面積が大きく店頭での訴求力が強いことが考えられる。それと相撲ファンにとってはあの少し哀愁を帯びた表情と人のよさそうなブルガリア出身の琴欧州の化粧まわしだろうか。

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